✤16
フィンとフリーゼ。
飼い主のロジーナの帰還に、二匹の犬は尻尾を千切れんばかりに振っている。
フサフサフサフサ。
巻き気味の尻尾がこれでもかというほどに揺れている。
リゼットは、小さい時から犬が大好きであった。けれど、メイドになってからは服を毛だらけにするわけにもいかず、町中で犬を見かけても触るのは控えていた。
ただ、我慢し続けた分だけ触りたい、戯れたい気持ちは育っていて、メイドを辞めたら絶対に犬を飼うんだと決めていた。
それが今、目の前に信じられないくらい素晴らしい毛をした犬が二匹もいる。しかも、今のリゼットは最早メイドではない。毛だらけになったからといって、それがなんなのだ。
思う存分に犬を撫でまわせるかもしれない。その喜びに、リゼットは立ったまま打ち震えていた。
「どうしたの、リゼット?」
ロジーナが首を傾げるほどには二匹に見入っていたらしい。リゼットはハッとした。
「この犬はロジーナの飼い犬なの? 二匹とも?」
「ええ、うちの子たちよ。大きい方がフィンで、小さい方がフリーゼ。可愛いでしょう?」
「はい! とっても!!」
前のめりになるリゼットに、ロジーナが少々驚いているのを感じ、リゼットは浮ついた心をなんとかして落ち着ける。
「あ、その、私、犬が好き、で……」
急に恥ずかしくなってうつむくと、そんなリゼットの足元に来たフリーゼがリゼットの顔を見上げた。キュ~ン、と鳴く声も可愛くて仕方がない。心臓を撃ち抜かれた気分だった。
ロジーナは、クスクスと笑った。
「そのようね。この子たちも自分のことを好きでいてくれる相手のことはよくわかるから」
「触っても、いい?」
「もちろんよくってよ。仲良くしてあげてね」
許しが出た。リゼットは、天にも昇る心地で、まずは堂々としたフィンの頭を撫でた。
もふもふ。
なんて柔らかいのだろう。これは毎日丁寧にブラッシングをされているに違いない。できればそのブラッシングをする役割をリゼットに譲ってもらえないだろうか。そうしたら、少なくともリゼットは癒される。それはもう、とても。
フィンは大型犬らしい落ち着きで、堂々と大人しく撫でまわされていた。そんなリゼットとフィンの周りをフリーゼが走り回る。フリーゼも撫でてほしそうに見えた。
フリーゼのふわふわの毛に手を載せると、程よく沈んだ。ふわふわの毛に騙されがちだが、小型犬は案外細身である。撫でている間も落ち着きなく、ポンポンと飛び跳ねる。表情が、笑っていると思えるほどに豊かに見えた。
「どちらもリゼットのことが気に入ったみたいね」
ロジーナが笑顔でうなずきながら言った。
「どっちも可愛くて、こんな子たちと一緒に過ごせるなんて羨ましい」
思わず本音が漏れる。ロジーナが嫁いだら、この子たちは寂しいだろう。ジスランは忙しい身だし、使用人たちが相手はしてくれるかもしれないけれど、多分ロジーナに一番懐いているのだろうから。
「そうね。それならリゼットもここにいたらいいのよ」
ここで働けばいいのかもしれない。メイドだから制服を毛だらけにはできないと思っていたけれど、犬の世話役ならそんな心配はしなくていいのだろうか。
けれど、世話役はすでにいるはずである。それなら、その人の仕事を取ってはいけない。
いや、しかし、目の前のもふもふたちはあまりに魅力的で――。
悩ましすぎた。どうしよう。
悩んでいるリゼットを、フィンがつぶらな瞳で不思議そうに見つめてくる。
「なんて可愛い……」
心の声が漏れてしまう。
可愛くて仕方がない。どうしよう。
「ええと、リゼット、そろそろお部屋に行きましょう。ね?」
ロジーナに背中を押されるほどには、リゼットは犬たちと離れがたそうにしていたのかもしれない。事実、離れたくなかった。ささくれ立った心が癒されたひと時だった。
ロジーナに案内され、客間に通してもらった。派手ではないものの、上質な趣味のよい部屋は屋敷の持ち主が持つ雰囲気によく似ていた。飾り立てず、だからこそ造形美が際立つ。
「では、私も一度部屋に戻るわ。また食事の時に会いましょう。どうかくつろいでね」
「ええ、ありがとう、ロジーナ」
最初は気後れしたものの、今は来てよかったと心底思えるリゼットであった。
犬っていいなと。
後になって冷静に考えてみると、年頃の娘としては、犬にはしゃぐのではなく、ここがあのジスランの屋敷なのだと、そこに滞在するのだと、それに喜ぶべきであったのかもしれない。




