✤14
リゼットが心地よい眠りから目覚めたのは、柔らかな朝陽の光を感じたからだ。いつも、日の出と同じ頃に起きていた。それを思うと随分ゆっくりできた。
大きく伸びをしてベッドから抜け出すと、若草色のドレスに着替えた。
それから、ナディアからもらったリボンで髪を結わえる。リゼットの髪は癖がないので滑りやすく、きつく結んでおかないとすぐに取れてしまうのだ。このリボンを使うのは、恨みをしっかりと覚えておくため。それから、あっさりと騙された自分への戒めでもある。
誰かが呼びに来るまで部屋で待つべきかとも思ったが、朝の忙しい時にわざわざ余計な手間をかけさせるのも悪い。自分から出ていくことにした。
歩きにくいながらにも慎重に進んでいると、そんなリゼットを見かけたロジーナが駆けてきた。廊下を走るのははしたないなんて、ロジーナを相手には少しも思わない。
「リゼット、おはよう。早いのね。よく眠れて?」
軽やかな足取りだが、今日はピンクのドレスだ。リゼットが知っているパンツスタイルの彼女とは印象がまた違い、見惚れるほどに綺麗だった。おろした金髪もカールしていて豪奢だ。リゼットの髪はコテで巻いてもすぐに取れてしまうので、あんなふうにはならない。
「おはようございます。ええ、とても。普段から朝は早かったもので」
頭を下げると、ロジーナはリゼットの肩を抱いた。
「そうなの? ねえ、兄様がお帰りなの。挨拶をしましょう」
「は、はいっ」
ロジーナに連れていかれた先は食堂だった。昨日、リゼットも席に着かせてもらった。
長いテーブルの端に、白いシャツをゆるく着ている起き抜けのジスランがいた。先に見た時の凛々しい制服姿とは違い、どこか気だるげでそれが妙に色っぽい。椅子に座って紅茶を飲んでいるだけだというのに。
ロジーナの陰に隠れながらどぎまぎしてしまった。明らかに人種が違う。
「兄様、おはようございます。お疲れのところ申し訳ございませんが、首尾はいかがですの?」
美形兄妹は絵になる。リゼットはここにいるだけで場違いだ。
しかし、ジスランとロジーナはリゼットにとって恩人だ。挨拶をして、ちゃんと礼を述べるのは礼儀だろう。
ジスランの目が、ふとリゼットに向いた。リゼットは耳の先までカッと熱を持ったのがわかった。なんて体に悪い人だろうか。
本当は目を見て話すべきなのだろうけれど、リゼットは深々と頭を下げてごまかした。
「あの、わたしはリゼット・ルグランと申します。お助け頂き、感謝の言葉もございません。あの時は気を失ってしまってお礼の言葉ひとつ言えず、申し訳ありませんでした」
すると、ジスランが小さく、ああ、とつぶやいたのが聞こえた。そうして――。
「いや、君は何も悪くない。これはあの男が持っていた鍵だ。これで合うはずだが」
テーブルの上に鍵を置いた気配がした。リゼットがハッとして顔を上げると、ロジーナが素早くその鍵を受け取ってリゼットの方を振り返った。
「リゼット、そこに座って?」
「は、はい」
椅子のひとつに腰かけると、ロジーナは高貴な女性がすることではないのに、床に膝を突いてリゼットのスカートの裾を持ち上げながら、枷の鍵穴に鍵を差して回した。カチッと音が二回鳴る。
「取れましたわ!」
ロジーナの感極まった声がする。リゼットの足を縛めていた枷が外れた。軽く足を持ち上げると、どこまでも飛び上れそうなくらいに軽く感じた。
「ありがとう、ございます!」
リゼットも泣き出しそうになった。思わず口元を押さえると、ロジーナがリゼットの頭を撫でた。
「よかったわ。本当に」
一人だったら、どうにもできずに絶望していた。こうして自由になれたのは、やはり二人のおかげだ。
ふと、ジスランの方に顔を向けた。直視できたものではないので、本当に少しだけのつもりだった。
すると、ジスランはにこりと微笑んだ。
「よかったな。これで君は自由だ」
――ああ、無関心だ。ロジーナとは違い、ジスランはリゼットに興味がまるでない。
ジスランからは、役目を終えてほっとしたという思いが感じられるのみだ。
それは当たり前で、他に何を期待することがあるのだろうか。
もともと他人で、その他人を泊めてくれて、助けてくれた。その優しさを勘違いしてはいけない。
この恵まれた人たちは、困っている者には手を差し伸べてくれるのだ。そして、問題が解決したのだから、ここまでだ。どこまでも甘えていい相手ではない。
喜びに水を差されたような気分でリゼットは軽く息をついて気持ちを切り替えた。
「ありがとうございます。このご恩は生涯忘れません」
すると、ロジーナはリゼットの顔を覗き込んできた。
「この後どうするのか、リゼットはもう決めたの? 故郷に帰るのかしら?」
「いえ、まだです。故郷にはいつかは帰りますが、それは自分に自信がついたらでしょうか。とりあえずは働ける場所と住まいを探します」
自分に自信がついたら。そんなことを口に出したのは、今の自分が何もできないと思うからだ。
このままメロディたちの前に出て裏切りを責め立てても、騙された方が馬鹿なのだと嗤われるだけだ。仕返しができる、何かを得た自分になるまでは戻れない。
「働ける場所……。この王都でか?」
ジスランがふと口を挟んだ。リゼットは緊張しつつもうなずく。
「はい。私は他の土地を知りません。ここまで来たのだから王都に残ろうかと……」
食堂の給仕や下働きなら、どこの土地でも仕事内容はそう変わらないだろう。できると思いたい。
それでも、ロジーナは難しい顔をした。
「王都は物価も高くて物騒なのよ。初めての一人暮らしにはお勧めできないわ」
「それは……」
心細くないわけがない。それでも、一人で頑張るしか道はないのだ。
そう思っていたリゼットの顔は思いつめて見えたのだろうか。うつむくと、ロジーナに顔をすくい上げられた。
「私はリゼットには幸せになってほしいの。ねえ、疲れた心がすぐに癒えきったとは言えないわよね。先のことを決めるのを急ぐのではなくって、もう少しのんびりしたらどう?」
「え?」
戸惑うリゼットに構わず、ロジーナはジスランに向けて言った。
「兄様、エストレのカントリーハウスにリゼットを招待してもよろしいかしら?」
ロジーナは、まだリゼットのことを甘やかしてくれるというのか。気持ちは嬉しいけれど、これではいつまでも独り立ちできない。
後になって困るのはリゼット自身だ。
けれど、ジスランはあっさりと承諾した。
「ああ、好きにするといい。俺はしばらくマーベル地方に滞在するから戻れない。バディストもな」
「ええ、よろしくてよ。私、リゼットと楽しく過ごしながらお待ちしておりますわ」
ジスランは、クク、と笑いを噛み殺した。
「お前が留守番をしていてくれるなら、リゼット嬢には感謝だな」
「兄様、何か仰いまして?」
ロジーナはムッとしたけれど、仲のよい兄妹だ。リゼットにも兄がいたらこんなふうに護ってくれたのかな、と少し羨ましかった。




