【第二章】魔王討伐を果たした最強ドルイド、転生先の時代に困惑する
第二章
目の前では、デイヴィが大粒の汗を垂れ流しにしながら、剣を携えこちらに相対している。
冒険者として送る日々の中で鍛えられ、また育ち盛りということもあってか、その体は縦にも大きくなっていた。
そんな彼も、どこか萎縮している様子で、先ほどからなかなか打ち込んで来られずにいた。
子供たちの中ではもっとも将来性があるとは言え、現状を考えればやむ無しか。
このまま睨み合っていても仕方がないので、こちらから先手を取らせてもらう。
加減こそしているものの、決して緩慢さとは無縁の出足で距離を詰め、一つ斬撃を繰り出す。
これに反応したデイヴィは、基本に忠実な教科書通りの受け方を試みる。
しかし、その体勢を形作ることが目的化された動作は些か柔軟性を欠いていた。
受けること自体には成功したものの、その場で踏ん張って力んでしまったことで次の動作に移りにくくなってしまったのだ。
軸足に乗り過ぎてしまったデイヴィの左側へステップすれば、彼は苦し紛れに後方へ引いて仕切り直しを計る。
しかし、その地面を蹴って大きく跳躍するような動きは、やはり強引。
一手二手とこちらの手数が上回っていき、遂に対応できなくなったデイヴィの喉元に剣が突きつけられ、彼はその場に座り込んだ。
「ちくしょう、参ったよ」
「いいとこまで来てるよ。ガードがちょっと拙かっただけだから」
実際、一団の中でもデイヴィの成長は郡を抜いている。一つ課題をクリアしても、それに満足せずにすぐさま次の課題へ向かうのが彼の長所であった。
「教えられた通りにやってるつもりなんだけどな……何が悪いんだ?」
「さっきみたいに何度か打ち込むから、受けてみて」
頷き準備をしたデイヴィへ、先ほどより幾分軽めに斬り浴びせていく。
それでも、崩れる原因である正中線や垂直軸のズレ、また反重力を使えていない弾性を損なった筋肉の使い方がエスカレートするようにガードの上から叩いていく。
一太刀ごとに姿勢を崩していったデイヴィは、最後に合わせた程度の攻撃で、ぽてりと尻もちをついてしまった。
「力は間違いなく必要なものなんだけど、それはリズムや揺らぎの中で発揮していくものなんだ。防御の体勢を取れるようにはなってきたから、これからは良いバランスの中で、スムーズに移行できるよう心掛けてみて」
「こうか……? きちんと形にならないんだけど」
「ストレスなく、柔らかく動いたうえで必要なだけの力が発揮されるように繰り返す。足りない要素に気づく中で、少しずつ自然と無理のない形が出来上がっていくよ」
試しに打ち込んでくるよう身振りで示し、大きく隙を作って待つ。既に僕の力量を知っているデイヴィは加減なしに打ち込んでくるが、その一撃は軽くいなされ、やはり体勢を大きく崩される羽目となった。
「大雑把に言えば、今みたいな感じ」
「……こんなの見せられたんじゃ、言い訳できねぇな。とりあえずやってみるよ」
腕を引っ張り起こされたデイヴィは、言葉の裏に情熱を滾らせながら練習を開始した。
上達の早さには、本人が意欲的であることも大きく影響している。習熟の度合いは置いておくとして、この調子ならコツ程度はすぐ掴んでしまうことだろう。
意図を持って受け方や立ち回りを積み上げ、駆け引き差し引きで最終的に相手を倒す。
そのためには、いくつかのレパートリーを実現するための柔軟性も不可欠だ。力押し一辺倒は実現できる人数も限られており、仮に実現できようが対処法も用意しやすい。
キンググリズリー程度なら、単独でも狩れるだけの力は身についている。ならばお次は、時間がなくて徹底しきれなかった基本の習得だ。
ハーティやソフィアも着実に上達しており、それ以外のメンツにも、近々任せる魔物の強さを引き上げてもよいかな、という者が何人か出てきた。
エルシィさんや○○さんたち(三人組)も全体の指導に当たってくれており、全体の士気も保たれている。
少しずつではあるが、旅をするだけの戦力が培われはじめた。最終的にどの程度まで伸びるかは個人差があるだろうが、なるべく全員を最低限の水準までは引き上げてやりたいものである。
◇
○○の街を出てから、およそ半月ほど経ったろうか。
最初の数日に時間を割いて、野営のための説明や実践を行わせたため、今では全員が躊躇なく準備に取り掛かれるようになっている。
少し時間がかかる者もいるが、覚えの早さや得手不得手には個人差もあるし、そんなものだろう。サボる者さえいなければいい。
食事は現地調達できる食材に、街を出る前に買い揃えてきたものを合わせて摂っている。
当初は当番制にするつもりだったのだが、衛生観念の理解に欠ける者も少なくないので、残念ながら移行は当分先のこととなりそうだ。
食べる内容は鍋が中心であり、基本的に皆同じもの。今後各々が、それぞれの収入もしくは小遣いで一品二品添えることも出てくるだろうが、ベースの部分に差はつけない。
「おかわり! 肉多めで!」
「ウィル、いい加減自分でよそいなさい。教会でも散々言われてたでしょ」
「旅の飯ってどんなもんかと思ってたけど、似た内容が続く割には悪くねぇな。何より肉をこんなに食えるとは思わなかったぜ」
とりあえず、肉に関してはそれほど困ることもなさそうだ。おかげか、主に男性陣からの評判は悪くない。
「そうね。量も十分で味も美味しいし」
「きっと、外でみんなと食べている、という理由もあるのでしょうね」
「今日の味付けは○○(主人公の祖国)風かな。慣れると香草を使ったスープが美味しいね」
前世でも振る舞ったそれは、今回の旅でも概ね好評と呼べる反応を得ていた。彼らにとっては異国の味ということもあり、物珍しさもあるのだろう。
舌鼓を打つ者たちを尻目に、旅に慣れた者たちは複雑そうな顔で溜め息を吐く。
「しかしまあ、魔法……じゃなくて、ショーティの場合は呪術か。そういうのを使える奴がいると、旅もここまで快適になるんだな」
「○○(冒険者三人組の実力者剣士)さん、普通は違うんですか」
「金のある奴は多少豪勢にできるんだろうけど、基本的にパンと干し肉ぐらいのもんだぜ」
「火だって、こんな大っぴらには使えないしね。食事ももちろんだけど、体を拭いて終わるだけじゃなく、交代でお風呂に入れる日もあるなんて信じられないよ」
たしかに、僕は勘を取り戻すためにも行ってはいるご、認識阻害の陣を魔石に刻むなんて、普通の冒険者は技術面のみならずコストを考えても採用しないだろう。
また、衛生面を考えて行っている数日置きの入浴も、清潔な水を魔力で用意できるから取り入れられることでもある。
「テントも快適だよな。朝方でも寒くないし、背中が痛くなることもない」
「設営した場所から出なければ虫にもほとんど刺されないし、もし刺されてもショーティが作ってくれた薬ですぐに治るものね」
「ドルイドの呪術って便利ですよね。練習すれば、私たちでも使えるようになるのでしょうか?」
「適性次第な面も結構あるけど、修練さえ積めば大抵の人はある程度の形になると思うよ」
そもそもドルイドを目指さなくとも、裕福な家庭の子供は家庭教師などをつけられ魔力を用いる方法を学ぶ子が多かった。
遺伝的な要素も多分に影響するとは言え、時に庶民から高い適性を持つものも現れる。
教育を受ける機会に恵まれないこともあり、基本的にその才能も伸ばし様がないのだが、それでも掛け合わせの結果、常識では考えられない素質を持った者も稀に出現することもあった。
この、今僕が宿っている体もそうだ。幼少時の記憶などほとんどなく、物心ついた頃には元締めに言われるがまま通行人相手に乞食をして暮らしていた。
恐らく生まれや顔も知らぬ両親もこの土地の出身であり、外見的特徴も、前世と同じ茶色の目など祖国の人間とは少し違う。
しかし、こと魔力が発現しやすい傾向や魔力回路の特徴、そしてドルイドの呪術への適性などは、まるで計られたかのように前世に近いものがあった。できすぎと言っても過言ではないほどだ。
国での教えに生まれ変わりはあったが、いざ自分がその立場になっても個人の見解としては否定せざるを得ない。
もし国での信仰の通り命が巡るものなのだとすれば、僕以前にもそれなりの数の人間が前世の記憶を持っているはずだ。
しかし、かつて国にいた頃それを主張する者の多くは、詐欺師や虚言癖、もしくは精神や脳に何らかの疾患が見られる者ばかりであった。
現代とあまり齟齬のない前世の頃の知識などから、僕が自分をかつての大ドルイドの生まれ変わりと思い込んだ哀れな子供でないと仮定すると、いったい何が原因なのだろう?
直接魔王の手に掛かり死んだというだけなら、僕以外にも生まれ変わってる奴がいるはずだし……。
「なんだソフィア、ショーティみたいに蔦出したり木を動かしたりするのか」
「さすがにそこまでは無理だと思うけど……でも、兄さんたちの役に立てるなら、やってみたいです」
実の兄妹らしく、同じ緑がかった瞳をした二人が、距離感の近い会話を交わす。
それは僕やハーティが加わっているときとも少し違う、家族的な色合いが濃いもののように感じた。
僕と違い、透き通るような青い瞳をした妹のパティも、僕に対し今目の前で交わされているものに近い印象で愚兄に接してくれていたのを思い出す。
国に帰ったところで、もうパティはこの世を去っている。かつての知己の子孫はいくらか残っていることだろうが、当の本人たちに関しては一人でも生き残っていれば御の字と言ったところだろう。
正直、国自体によい思い出は少ない。冬の寒さは厳しく、少しの飢饉でも夥しい量の餓死者が出る。
ドルイドたちによる合議制も機能しなくなって久しく、そもそも修行したところでなれるのは実質上の階層の、その一握りの家に生まれた者のみ。
当然階層は激しく分断され社会不安が蔓延するも、その実情を対岸の火事として育った者たちに対処能力などあるはずもなし。
よしんば一握りの危機感を抱く者や、例え政敵に対する逆張りであろうと民生の安定に注力すべきと、そう訴える者もいないではなかったが、合わせたところで多数派にはとても回れず。
結果、下層の人間に負担を押しつけるばかりで、社会に対し重責を担う自分たちの選択を省みることもせず、国家を弱体化させ続けたうえで魔族の侵攻を許してしまったわけだ。
あんな餓死者や棄民を大量に出す失敗国家は、例え外敵による侵略がなかったとしても早晩体制が変わっていたことだろう。
こんな国を愛せと言われても、多少なりとも残っている人の心にある罪悪感や羞恥がある限り不可能だ。
どの国も何かしらの問題を抱えていることぐらい百も承知だが、だからと言って目を瞑ることもできることではない。
他ならぬ自国ともあれば、なおのこと多くの貧民を生み出しながら、無慈悲や不条理の上で豊かな生活を送っていた身の上が恨めしい。
けれど、そんな僕であっても祖国の景色を見たくないと言えば嘘になるのだ。パティの治世を経て、社会がどのように変容を遂げたかにも興味がある。
「なら、安全な内容から少しずつやってみようか。踏まなきゃいけない手順も結構あるけど」
「ありがとうございます! どこまで身につけられるかわかりませんが、精一杯学ばせていただきます」
「おっ、よかったなソフィア。ショーティみたいのが二人になったら百人力だ」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ。ねえショーティ、私にも教えてくれるわよねっ?」
頭を撫でられご満悦なソフィアに負けじと、ハーティが会話へ強引に割って入ってきた。
「そ、そんな剣幕で詰め寄らなくたってちゃんと教えるから……」
「おい、ショーティ、女ばっか贔屓して狡ぃぞ。俺らにも教えろ」
「私にも教えてよ。あっ、ウィルは後回しで構わないから」
「それ、私にも使えるかな? 使えるなら教えて欲しい」
その後、堰を切ったように子供たちが押し寄せてくるのを、大人組は微笑ましそうに眺めているのが見えた。
彼らは、身体強化など以外の魔法は、習得の難易度が跳ね上がることを既に知っているのだ。
また、別に必ずしも読み書きが知性の有無に結びつくわけではないとは言え、優れた魔導書などの力を借りられないというのも、上達を目指すうえで大きな障害として立ち塞がる。
獣人の呪術士などは文字を持ってはいないが、彼らのような存在はあくまで例外。
また、教えられる人間が僕だけというのも、個々人に対応できる幅の少なさとして足枷になってしまうことだろう。
しかし、子供たちは恵まれた環境さえ与えられたなら、魔力操作の感覚や回路を伸ばしやすい時期でもある。
何より、現状の能力や立ち位置などを知らないが故の積極性というのは、物事に挑戦するうえで大きなアドバンテージにもなる。
「じゃあ、今日はもう遅いから、希望者は明日から練習してみようか。そのために準備しておくから」
正直、今のこの体にドルイドの呪術に対する適性があったのは、あくまで例外に過ぎない。
仮にみんなが熱意を持って取り組んだとしても、政治や歴史などの教育を省き、呪術のみに絞ったところで、いったい何人がものになることか。
とは言え、技術体系の違いこそあれど、同じ人間が使うものということもあってか、呪術も基本は魔法の習得と大差はない。
センスの有無は如実に現れてしまうだろうが、かと言って、知ることが全て無駄になることもないだろう。
前世の頃も、棄民された民たちを率いていた頃は、時折彼らにも使えそうな呪術を教えていた。
本来であれば極力秘匿し、限られた身内の人員にのみ教える技術なのだろうが、国を出た身としては知ったことではない。
これでも、教えるのが全くの不得手というわけではないのだ。できることに限りはあるが、将来ある若者たちのため、一肌脱がせてもらうとしよう。
◇
翌日、これまで通り街道沿いに北を目指し進む僕らは、途中に開拓村があるのを発見した。
前世でも行っていたことなのだが、病人怪我人の治療や、農作物に害を為す鳥獣に病気や虫の処置、彼らでは対処しきれない魔物の駆除に、設備の補修。
そんな名目で村を訪れては、その土地ごとの問題を見せてもらうことがあった。
異国から来た、怪しい異教徒どもとあっては、当然彼らも強く警戒する。
しかし、誠意を持って対応することで敵意が緩んだ際に漏れ出す一言などは、彼らの実情や内心を知るうえで非常に有効であった。
「少し寄って、困ってることがないか聞いてみようか」
様子見として、あくまで然り気無い感じを装い提案すると、案外すんなりと受け入れて貰えた。
ややデイヴィたち農村出身者の表情が硬い気もしたが、反対している様子も見えないので、心得た様子の年長組、何か食料を出して貰えるかもと無邪気に期待する年少組とそのまま進む。
しかし、その村からは人の生気とも呼べるものがなかった。いかに活気のない村であろうが、さすがにこれがないなどと言うことはあり得ない。
村ぐるみでの離散か、しかし、どこか不穏な荒事の残り香が漂ってーー。
「全体、止まって。すいません、○○さんたちは残って子供たちを見ていて下さい」
「ど、どうしたんだよショーティ。いったい何が……」
そこにあった光景を前に、デイヴィの口が止まる。村の入り口を指しやれば、そこには見張りをしていたであろう男の遺体があった。
来ている服や周囲の血痕から見て、他殺で間違いないだろう。よく見れば獣人だったらしく、頭の上部に耳が生えていた。
顔色の悪い三人を見た僕は、エルシィさんへ声をかける。
「すいません。少し様子を確認してくるので、三人を見ていて下さい」
「いや、いくら君でもさすがに一人では万が一もある。私も行こう」
「しょ、ショーティ。別に俺らも……」
そう言う三人ではあったが、しかし無理をしている様子は否めない。
「遺体は慣れてからでないと、意外にショックも大きい。先に二人で見に行くから、何かあってもいいよう少し待機してて」
「お、俺も行こうか? まだ若い二人だけじゃあ」
「死体なんか見慣れてるからなんてことないぜ。俺も一緒にーー」
「ウィルもここで待機。おじさんは勝手にどっか行かないよう誰か見てて」
中に誰かがいた場合を考えれば、戦う力のない者を不用意に入れないほうがよい。
なるべく彼らを傷つけないよう言葉をかけ、ウィルには有無を言わさぬ口調で命じてから、二人で村へ入っていく。
周囲に気を配り、互いに死角をカバーし合いながら入った村は、それは凄惨な有り様であった。
中には遺体が散り乱れており、腹を裂かれた妊婦など、非道な方法でなぶられた者の亡骸も少なくなかった。
何より悲惨だったのは、燃えた建物の中にあった多数の焼死体だ。
老人や小さな子供、赤ん坊と思われる者までもが、その身を真っ黒な消し炭に変え、呻く姿そのままの体勢で生き絶えていた。
前世の頃、襲来した獣人の部族による被害そのままの状況だ。違いがあるとすれば、加害者のみならず被害者まで獣人ということ。
そんな中で、彼らとはまた違った遺体が気にかかった僕は、エルシィさんへ声をかけた。
「見て下さい、この遺体だけ損壊が少ないうえ、格好も違います」
「村人の反撃で倒れた山賊だろう。何か手がかりが掴めるかも知れない」
山賊同士、同じグループであることを示す印でもないかと物色してみたのだが、残念ながらそれらしき物は見つからなかった。
首尾よく略奪を済ませられたこともあってか、武器や証拠になりそうな物は持ち去られてしまったのかも知れない。
肥溜めまで確かめて回ったが、生存者の姿は無し。状況の確認を済ませた僕らは、一度みんなの元へ戻ることにした。
「平気かい」
「え、ああ、問題ないです。エルシィさんは大丈夫でしたか」
「決して気分のよいものではなかったが、問題ないよ」
カマをかけられた、というわけでもなさそうだが、エルシィさんは僕に対し、何やら思うところがあるらしい。
彼女は十中八九、ララの父親の死因と母親の失踪に僕が関わっていると勘づいている。
しかし、今のところみんなから、不審や疑念の込もった眼差しを受けてはいない。
また、エルシィさん自身の言葉や態度も、圧力をかけるために何かを含ませたようなものは一度もなかった。
いったい、腹の底では何を考えているのだろう。全員の身の安全や、利益との兼ね合いで黙っていてくれることを選んだのだろうか。
一瞬、街を出た際の憐れむような眼差しを思い出したとき、不意に背中へエルシィさんの手が触れる。
壊れ物でも扱うような不意の優しいタッチに、内側の冷えた何かが跳ねかけたとき。戻ってきた僕らの姿を見つけたみんなが、声をかけてきた。
「中はどうだった? 誰か人はいたか?」
「いや、生存者はいなかった。恐らく野盗の仕業だろう」
「そっか……残念だったね。簡単にでいいから、弔ってあげようか」
「終わったら報告しに行かなきゃな。ここからだと、宿場町が一番近いか」
「距離的には、急げばギリギリってとこか。小さなガキどもには少しキツいだろうが……」
立ち遅れているうちに、エルシィさんが大人組と先の段取りを済ませてしまった。
「ショーティ、大丈夫だったか?」
「あんまり無理することないのよ。ちゃんとした大人もいるんだし」
「これ、マジックバッグから出したので温かいですよ。一息つきましょう」
「ありがとう。でも、それ飲んだら少し手伝ってくるよ。遺体の扱いは俺がいたほうがいいはずだから」
これ以上ペースを乱したくなかったことから、僕は温かい飲み物を貰うと三人へ索敵用の魔法陣を刻んだ魔石を渡し、青い顔をした神官の子らとともに、村へ向かった大人組のあとを追った。
◇
弔ったあと、アンデッド化対策や衛生的な意味で遺体の処理を済ませた僕らは、襲われて日の浅い村を離れるため、少し急いで宿場町まで向かった。
夜遅くという事情に加え、それなりの人数ということもあってか、取れた宿は雑魚寝用のもの。
幾らか普通の部屋もあったが、例え野営中でなくとも待遇に差をつかないほうが結果的はよい。古い建物とは言え、貸し切りにできるのも好都合だ。
マイコニドたちを使い掃除や防寒、布などを使ってのプライバシーの簡単な確保などを命じると、僕は年長組を呼び出し、それぞれに金を配った。
「俺はこれから詰め所に行って事の次第を報告してくるから、最低誰か一人大人についてきて貰いたいです。お金は年長組には今渡します。明日もこの宿場町で休みを取るので、好きなことに使って下さい」
「俺たちがついて行きゃあいいのか? まあ、ショーティのナリじゃ子供の悪戯扱いされかねんしな」
「では、私はデイヴィ君たちと子供たちを見ていよう」
段取りが済んだ頃合いを見計らい、おじさんが袋を顔の前にぶら下げながら声を上げた。
「なあ、俺の金だけ多いんだけど、何かの間違いじゃないか?」
「多い分は、みんなのご飯代。マイコニドたちの掃除が終わる頃まで、適当に何か食べさせてあげて」
指示を出すと、頭を捻るおじさんに任せ僕らは詰め所へと向かった。
向かったそこは守衛の数こそ最低限揃っているものの、夜遅くかつ、程度としてはそれなりの宿場町ということもあり、どこか弛緩した雰囲気が漂っている。
「あんたら冒険者か。こんな夜中にどうしたんだい」
「ここへ来る途中、開拓村が皆殺しにされているのを見つけてね。恐らく賊の仕業だろうが、報告に来たんだ」
「場所はわかるか?」
話の内容に、彼は幾らか張り詰めたものを漂わせこそする。
しかしその平静さからは、自信からくる動揺のなさというより、むしろ緊張感の欠如を感じた。
「ああ、あの獣人たちの開拓村か。そこのあんたでいいから、一応冒険者カードも出してくれるか」
彼は○○さんが差し出したカードの番号を記入すると、魔道具での確認後に頷き返却する。
「よし、これで確認が取れ次第、冒険者ギルドを通してあんたには情報提供の謝礼が振り込まれる。分配はそっちで頼むよ」
「ああ。ところでこの辺り、結構多いのかい?」
「年々増えてるから、道中気をつけろよ。じゃあな」
欠伸を噛み殺しながら会話を打ち切られてしまった○○さんを、二人は声を殺しながら笑った。
「な、なんだよ……言いたいことがあるなら言えよ」
「いやなに、さっきの詰め所での切り出し方、あれでいけると思ったのかい?」
「一言で会話を終わらされちゃって、辛くはないのかい? ハンカチは必要かい?」
「や、やかましい! 別にそこまで邪険にされた様子はなかったろうが!」
真っ赤な顔でムキになる○○さんを、二人はなおも囃し立てる。
まあ、こうして素直に反応してしまう人を見ると、からかいたくなる気持ちもわからなくはない。
○○さん優しいし。根に持ったりしない、さっぱりした御仁だし。
「でも、もう少し情報が欲しいのは事実ですね。酒場にでも行ってみますか」
「ショーティのダメ出しも入ったところで、行ってみようかい?」
「みんなも何か食べてるだろうし、私たちもご飯としようかい?」
「しつこく言うのやめろ! もう! ほら酒場行くぞ! 今夜はしこたま飲んでやる!」
痛飲するのかい? この前みたいな粗相から学んでいないのかい? などと余計に弄られながらも、○○さんはズンズン大股で歓楽街へと向かっていった。
◇
「おかしいな。誰か一人ぐらいはいるもんだが……」
「ここに来たのは何年か前だし、期間自体も短かったからなあ……」
何軒か回ったものの、残念ながら三人の顔見知りは、今夜姿が見えないようであった。
仕方なく、最初の一番大きな店へ戻った僕らは、移動がてら行った打ち合わせの通り席についた。
「おねえさん、エールと定食お願い」
「はいただいま。坊やはミルクでいいかな」
「あ、はい。お願いします」
既に露店の酒で酔いが回った○○さんの注文を受けた店員さんが、愛嬌たっぷりの笑みを作りながら僕へ確認を取る。
「おいショーティ、お前、本当は酒がよかったって思ってるだろ」
「そ、そんなことないですよ」
「嘘つけ、こいつ絶対一杯やりたかったって顔してたぞ。ねえ、おねえさん」
「ふふ、大人になるまでお酒は我慢、ね?」
僕らのやり取りに対し、店員さんは微笑ましそうに僕へ人差し指を立て、厨房へオーダーを伝えに戻って行った。
「ショーティくんが大人になったら、おねえさんと一杯やろっか。今から楽しみだなー」
「ばーか、その頃にはお前なんか歴としたおばちゃんなんだから、ショーティだって若い女とーー痛たっ!」
「おばさんってあんた、私たちほとんどトシ変わらないでしょ!」
「そうだな。ショーティから見ればそうなってるかも知れないが、俺ら三人と言う基準からすればとくにーーって痛いっ、なんで俺まで!?」
予定通り、賑やかに会話をはじめた僕らの様子に、周囲の客も警戒を薄める。中には、合わせて笑みを浮かべるのみならず、既に笑い声をあげる者までいた。
僕らが着いているテーブルは、店内の他の席から見ても目に入りやすい場所にある。
会話も通りやすく、また店員さんが料理を運ぶルートの一つでもあるため、注目も浴びやすい。
顰蹙を買わない程度に会話を続けていると、この店で最大グループを作っている客のうちの一人が、機を見計らい僕らへ声をかけてきた。
「あんちゃんたち、どっから来たの?」
見ればそこには、傷の多い鍛えた肩を露出させた、いかにも話し好きそうな男が、好相を崩し佇んでいた。
「○○から来たんだ」
「○○って、魔力災害があった? こっちでも噂になってたぜ。よく街が全滅しなかったもんだ」
「表じゃ兵士たちが収めたことになっちゃいるが、実際はお前ら冒険者が中心になって収束させたんだろ? 普通は街ごと全滅してるぜ」
「勇者様の生まれ変わりみたいなガキが、山のようにデカい熊の魔物を倒した、なんて与太まで流れてるぜ。まあ、そいつはさすがに盛り過ぎだろうが、同業者として鼻が高ぇや」
○○(シーフ)さんが、僕へ向け白い歯を覗かせる。まあ、彼らの反応はもっともなものだろう。
僕とて当の本人でさえなければ、人が死んでいるというのに不謹慎なプロパガンダだと眉を潜めていたはずだ。
「あんたらはこの土地の人間か。どんな依頼を受けてるんだ?」
「荷馬車の護衛さ。あんま自由じゃないし金も安いが、宿代なんかは別に貰えるから悪くはないぜ。そっちは?」
「魔物の駆除が中心だな。この宿場町にもギルドの出張所があるし、明日にでも素材を売りがてら、該当する魔物の依頼書を見繕って報酬を貰うつもりだよ」
「そいつは大変だな。獲物にもよるが、最近じゃ駆除も買い取りも、とんと金になりやがらねぇ。おまけに怪我や装備の破損があれば出費で足が出るときたもんだ」
この前までいた○○(街)でも感じたことだが、やはり冒険者の実入りも相当減っている。
僕らのように、身内に回復や装備の補修を行える人材がいるなら別だが、そうでない場合は武器などへの投資を控えざるを得ないのだろう。
店内を見渡せば、中には最低限削れないものまでギリギリの運用を強いられている者の姿も見える。
きっかけさえあれば、前世の頃のようにこちらから治療、修理などを請け負いたいレベルだ。
「へえ、若い奴ら引き連れて旅してんのか。どこまで行くの?」
「とりあえずは北かな。向こうのほう、とりあえず未消化の依頼が多そうだし」
「多いってのはその通りなんだろうが、そんなに割に合う依頼はねぇぞ。俺らも少し前まで行ってたんだが、大変な割に実入りも少ないから戻ってきたんだ」
「遊ぶところも少ねぇしな。女もアンタみたいなベッピンさんじゃなく、糸か樽みてぇな婆さんばっかりだ」
大都市ですら衰退を余儀なくされていたことから予想はできていたが、地方の窮状も深刻なようだ。
「あんちゃんたち、まだ若そうだし遊びたい盛りだろ? 向こうはホント、何にもねぇぞ~?」
「なにせ、母親より年上の女が出てきたりするからな。○○(前にいた街)のほうで贅沢に慣れてると、ショック死しちまうぞ」
下世話な話ではあるが、職業柄こういう話はよく盛り上がる。前世の頃も、金を貯めて女を抱きに行く者の姿は一人二人ではなかった。
冒険者や土木作業員のような層が元気に夜中遊び、そこで落ちた金が回り回っていくことで地域経済を支え発展させていく。
治安の悪化などの問題もあるが、歓楽街にはそういった一面も確実にあった。
「坊主、育ち盛りだしこれも食えよ。お兄さんたちからの奢りだ」
「坊やはあんな、鼻の下を伸ばしたおじさんたちみたいになったら駄目よ? 偉くなりたかったら、真面目に働くこと」
そんなことを思っている間に、子供好きそうな者や、場の流れに乗りたくない者たちが僕へ声をかけてきた。
「ありがとう! ぼく、立派な冒険者になれるよう頑張る!」
渡された皿の料理を頬張り、無邪気な印象を与えられるよう愛想を振り撒くと、三人が吹き出しかけた。
どうにか堪えたその後も、しつこく肩を震わせ続けている。そんなにおかしかったろうか……。
「そ、そう言えばなんだが、この辺りって賊は多いのか?」
まだ頬を痙攣させている○○さんの言葉に、地元の冒険者は一度酒を煽る手を止めた。
「賊か。この辺りに限った話じゃないが、最近じゃ結構増えてるらしいぜ」
「護衛が心許ないと見るや襲ってきやがるからな。おかげでやられた奴もいるよ。なんでその話を?」
「実は今日の昼間、道中寄った開拓村が、既に襲われたあとでよ。それが少し気になって」
「そいつは間一髪だったな。村民たちには気の毒な話だが……」
少し間が詰まったので、不自然でない範囲でそれとなく合いの手を入れる。
「村の人たちだけじゃなく、遺った犯人の遺体も獣の耳が生えてたんだ。仲間同士ってわけでもなさそうだったけど……」
「ああ、それはたぶん、襲った野盗側も、元は余所の開拓民か何かだったのよ」
「最近じゃその手の場所にかき集められるのも、自国民よりさらに雑に扱えて口入れ屋に儲けが出る異民族か異種族ばかりだからな」
「これまでだって、自国の開拓民は賊や魔物の襲来、疫病の蔓延に飢饉なんかで度々壊滅してた。それが今じゃ、上がりの比率まで酷いことになってやがる」
ブローカーへの借金まで抱えて連れて来られ、逃れようにも他に行く場所などない。そんな彼らであれば、野盗に身を痩すのも道理であろう。
「奴らも地元にいた頃から暮らしは苦しいって聞くし、そういう積み重なった恨みが相当溜まってるそうだぜ。賊同士の殺し合いも少なくないとは言え、全体の数も退っ引きならねぇほど膨れ上がっちまって」
「とは言え、遥々遠い国まで連れて来られて、襲ってきた山賊は元同胞か。酷ぇ話だ」
「だが、異種族異民族みてぇな余所者が入ってくるせいで、本来なら開拓民になってたはずの奴らも相当苦しい暮らし向きなんだ。ろくに準備もできないまま冒険者になって早死にしたりな。もはや口減らしを通り越して間引きだよ、間引き」
「悪いのは連中じゃなく、他国から人を連れてきたりして汚く儲けてる奴らだろ。まあ、俺も歓迎はしてないが、為政者どもが金やら何やらで言いなりになってりゃどうしようもねぇよ」
「奴らにとっては、労働者を好きに使い捨てられる好都合な世の中なんだろうよ。その儲かった金が零れ落ちてくることもなく、俺ら貧乏人はされるがままさ」
すっかり暗い雰囲気になってしまった中、○○さんが店員さんへ注文の声をかける。
「ねえちゃん、全員にいい酒を頼む。みんな、今夜は俺の奢りだ!」
気勢を上げた彼に、場は幾分か持ち直す。これは当初の予算より足が出そうだが、おおよその雰囲気は掴めた。おじさんには申し訳ないが、今晩はこれでよしとしよう。
今回は、そこまで詳細な情報でなくとも構わない。何店か周る中で事情通らしき者の姿も確認できたし、彼らには明日当たるとしよう。
その後、盛り上がりが一段落するのを待ってから、眠そうな素振りを見せることで、子供の容姿を退散する口実に利用。
戻れば既に灯りは消えており、外ではおじさんがタバコを片手に待ってくれていた。
「お前ら飲んで来ただろ。まったく……もう日付けも変わった頃だって言うのに、ガキ連れて何やってんだ」
「ごめんおじさん。ちょっと足が出たから、あとで話が」
「まったく……とにかく、今日はもう寝ろ。聞くのは明日になってからだ」
火を踏み消したおじさんに続いて中へ入る前に、魔石へ一定の範囲内にいる者への体力回復などの効果を発揮する陣を刻み込む。
移動の際に年少組には少し無理をさせたので、明日も休みに充てることを考えれば、これで体力もある程度回復することだろう。
「それ、終わった? じゃあ、私たちも寝よっか」
「はい……ってちょっと、なんで持ち上げるんですかっ」
からかう彼女に担がれる形で、強引に同じ寝床へ入らされてしまった。
「何してるんですかっ、やめて下さいよ……っ」
「いいから。ほら、騒ぐとみんな起きちゃうよ?」
○○さんは不埒な悪党のように言うと、僕を腕の中に心地よさげな溜め息を吐く。
「あー、子供体温いいわぁ。山は朝晩冷えるから、抱き枕にぴったり……」
「ちょっと、まずいですってば……」
「んんぅ……おやすみ……」
すらりとした手足を今の小さな体へ絡められ、○○さんは僕の前髪あたりへ頬擦りをすると、そのまま寝入りはじめてしまった。
どうしよう。仮にこのまま朝が来てしまったなら、目撃者から一人で寝れないショーティと揶揄されること請け合いである。
もしそうなれば、威厳台無し面目丸潰れだ。何としてでも回避しなければ。
決意も新たに、彼女の寝付きが深まってから慎重に抜け出した僕は、周りのみんなを起こさぬよう隅まで移動した。
さすがに寝袋を広げるスペースもないので、座ったまま壁にもたれ、目を瞑って朝まで過ごすことにする。
ところが、先ほどまで○○さんと密着していたせいで感じていた熱さややわらかさ、吐息の感触がなかなか抜けてくれない。
結局、空が白む頃になっても寝付くことができなかった。小娘相手に、我ながら情けない……天国のパティには見せられない姿である。
◇
「酷いなあショーティ君は。私を一人きりにして、自分は壁に寄り掛かって毛布を被ってるんだもん」
翌朝の○○さんは、唇を尖らせ僕を責め立てるフリをしてきた。瞳の奥には、悪戯っ子が覗いている。
「あーあ、誰かさんがつれないから、風邪引いちゃったなあ。誰のせいかなあ」
「いや、抜け出すときキチンと掛け直しましたよ」
わざとらしくコンと咳をする彼女との間に、すっとエルシィさんが割って入ってくれた。
「○○さん、まだ小さいとは言えど、男子をあまりからかい過ぎるのも」
「か、価値観が古風過ぎない……?」
○○さんの物言いは、もっともである。だいたい昔の時代だって、所詮男を立てるというのも処世術や建前に過ぎず、陰での悪口大会や夫を尻に敷く者も少なくなかった。※ここ後で直す
「いやあ、ショーティくんって凄く気まずそうにするから、反応が面白くってつい」
「ウィルとかのほうが、いい反応してるじゃないですか……」
実際奴とくれば、女の裸に興味津々の健康なお子さんだと言うのに、いざ○○さんにからかわれると、真っ赤な顔でブス、デブなどと暴言を繰り返す。
あれこそ他愛もない、実にピュアで可愛らしい反応ではないだろうか。やっぱり中身が違うのだなあ。僕の中身は、単なる気持ち悪いおじさんなのだものなあ。
「まあ、ウィルくんたちも可愛らしいんだけどさ、○○おねえさんとしては、ショーティくんみたいなムッツリなのに奥ゆかしい子のほうが楽しいんだよ」
ああ、暴露したい。僕の中身は普通に三十路を超えた、純朴さなど欠片も持ち合わせていない腐臭漂うおっさんなのだと晒け出して、冷たい眼差しを浴びながら立場を台無しにしてしまいたい。
「まあ、今日はこのあたりにしておこうかな。またねっ」
またね、じゃないんだけど……。手を振りいつもの二人のほうへと向かう彼女に、小さく溜め息を吐きつつ、エルシィさんへ礼を言う。
「その、ありがとうございました」
「なに、仲がよいのはいいことだ」
礼を言えば、エルシィさんは目元を緩め、僕の頭を撫でて離れて行く。やはり、先ほどの男子云々も、注意のための口実だったようだ。
それにしても、どういうわけか労るようなタッチが増えている気がする。別に阿りという雰囲気ではなく、不自然でない範疇なのだが……。
そんな疑問を抱いていると、どこからか重い溜め息が聞こえてくる。主を探せば、デイヴィが羨むように僕を見ていた。
「いいよなあ、ショーティは」
まさか、本気で言っているのだろうか。あれは事実上、男として見ていない宣言だろうに。
「よくないよ。実態は単にからかわれてるだけなんだぞ」
「いや、その年上から無条件に可愛がられるってのがいいんじゃないか。俺だってお前の立場なら、あの二人みたいなナイスバディのおねえさんにーー」
後ろからやってきた二人による制裁により、彼の言葉が最後まで紡がれることはなかった。
鼻を鳴らしながら去る二人に釈然としない顔を向けつつ、ヤキモチに関しては甘んじて受けたデイヴィに、半ば呆れながら言葉をかける。
「まだ大人になる途中かも知れないけど、あの二人だって凄くかわいいじゃないか」
「まあ、そうなんだけどさあ……」
「神官の女の子たちも、この前デイヴィのこと、熱っぽい目で見てたぞ」
「え、マジで?」
マジである。彼女たちったら、率先してデイヴィの食事や衣類などの世話を焼きたがるうえ、【治癒】の法術を行使する際も心なしか効果に差が出ている。
おかげでどうも、あの年頃の女子たちはギクシャクしているというのに、その原因が気づいていなかったとはなあ。
「そ、そっか。まあ、悪い気はしねぇな。へへ……」
彼のような気持ちのよい少年には、認識しづらいことなのだろうか。
この擦れてなさまで含め、前世で僕を看取ろうとしてくれた戦友じみたモテ具合にそっくりである。
「おいショーティ、ドルイドの技を教えるって約束はどうしたんだ! やる気があるなら、早く準備をしろ!」
二人でそんな益体もない無駄話に興じていたところ、ウィルから感情的にどやしつけられた。
開拓村での一件もあり、その話はしばらく保留になったと説明しても、だったらいつでも教えられるよう準備ぐらいしたらどうなんだ、などと言って聞きやがらない。
悪い子じゃないんだけど、この子は手がかからなくなるまで手間がかかりそうだなあ。反応がわかりやすいぶん、世話をする身としては助かるが。
「とにかく、状況が最低限落ち着くまでは延期。そんなことより、ほら。手ぇ出せ」
「な、なんだよこれ」
「小遣いだから開けてみろ。常識の範囲内でなら、好きに使っていいから」
「おお、ど、銅貨が中に八枚も!?」
巾着を開いたウィルは、中に入っていた銅貨にすっかり気をよくすると、現金にも中身をじゃらつかせながら街のほうへと駆けて行った。
「はは、あんなには浮かれてちゃ、途中で転んだ表紙になくしちまうんじゃないか?」
「まあ、それはそれでいい勉強だよ。はい、デイヴィも」
「おう、って、ウィルより多いか?」
実際、彼の巾着から出てきた硬貨には銀色のものも混じっている。
「冒険者ライセンス取得組とかは、多少色がついてるよ。今から小遣い配るから、みんなも集まって!」
◇
息抜き用の金を全員へ渡した僕は、先に出てしまったウィルを除いて班分けした彼らにフォレストキャットをつけて送り出す。
そして討伐の証明となる素材などを確かめたのち、冒険者組におじさんを加えた面子でギルドの出張所へと向かった。
「こ、これはまた凄い量ですね……収納魔法を使えると言っても、ここまでの子はなかなかいないですよ」
そう職員は目を丸くしていたが、受け取った報酬は決して多いものではなかった。
素材の良好な保存状態や、多数の溢れていた駆除対象を狩ってきてなお、多少の黒字が出る程度である。
みんなの反応も、それぞれ年齢を経ている順に喜びが小さい。今ほど貧困化が進んでいない頃を知っていれば、やはり買い叩かれているという思いは拭いがたいのだろう。
「いけそう?」
「昨日の酒代みたいなペースが続かなきゃな。つっても不測の事態が起きたときを思えば、これでもギリギリだが……」
互いに目を合わせ、溜め息を吐く。これから戦える人数が増えていけば、狩りによる収入も増えてはいくだろう。
とは言え、そのサイクルに乗せるまでに必要な時間や投資額などを思えば、この調子の低空飛行はしばらく続きそうだ。
別に贅沢をしたいわけではないが、自転車創業は心臓に悪い。
最悪、山奥に少し手の込んだ野営地を拵えて、そこで自給自足のような真似もできなくはないが……。
とにかく、こんな生活からは、なるべく早めに脱却したいものである。
「ま、まあ、そう気を落とすなよ。俺らもさらに実力をつけて、稼ぎを増やせるように頑張るからさ」
「そ、そうよ。今は半分以上がショーティの手柄でおんぶ抱っこ状態だけども……」
「こ、この依頼なんてよいのではないでしょうかっ? 採取であれば、魔物の駆除がてら少しの手間で済みますし」
ああ、せっかく盛り上がっていた三人に水を差してしまった。これでは大人失格だ。
気持ちは嬉しいのだけれど、現状でも彼らは利益、成長ともに目一杯回して貰っている状態なのである。
若さ故にまだ頑張れると思っているのかも知れないが、仮にそんな日々が続いたなら瞬く間に一人また一人とパンクしてしまうことだろう。
それだけは絶対に避けねばならない。僕は今の時代の為政者や、かつて自滅同然に魔族による侵攻を招いた愚か者共とは違う。
無理を承知で他人を使い倒す、などというお粗末な運用法は、僕の辞書には存在しない。人的資源を軽視する者や組織には、未来など決してない。
彼ら構成員の将来は、リーダーたる僕が何をしてでも守らねばならぬ。前世の頃と同様、最期までやり抜くだけだ。
とは言え、幸いにも足自体はまだ出ていない。綱渡りには違いないが、大きなアクシデントさえ回避し続けられたなら、やがて乗りきれるだろう。
懐の寂しさと決別できた暁には、ベサント司教らへの仕送りも考えたいところである。
「それと、賊に襲われた開拓村の件なのですが、調査の結果が出るまでもう少し時間がかかりそうです」
「まずは隊の編成からしなきゃならんのだが、経費削減を理由にこの宿場町も最低限度の衛兵しかいなくてな。俺ら冒険者のほうも、今回の件を任せられる高レベルな者は都合がつき難い」
そう語る目の前の男は、幾らか経験がありそうに見える。
しかし、ここはあくまで出張所。他の人員に目をやれば、どうしても見劣りする者たちばかりなのは仕方ない話であった。
「ちなみに、その報酬ってどのぐらいですか?」
尋ねたところ、その額は本来適正であろうと僕が考える金額を下回るものであった。
受ける者がいないのも道理だ。とは言え、このまま放置していては、報告による褒賞自体いつ支払われるかわからない。
「一日滞在期間を伸ばして、その間に受けてみようか」
「そうだな。みんなも今日一日じゃ休みが足りないだろうし」
「金も必要だもんな。一仕事してくるとするか」
単純な休息の少なさに加え、旅が初めての者も多いため、今日一日で遊び過ぎてしまう者も出てくることだろう。
休み方を知らない彼らにとって、今回の件はペースを体で覚えてもらうよい機会かも知れない。
「おいおい、受けるってお前ら。求められるランクは最低でもCから。移動中や調査の間、襲撃を受ける可能性もあるんだ」
「その、悪いことは言いませんので、正規の方々による報告を待たれたほうがよいかと……駆除依頼なら、こちらにも結構出てますし」
諦めさせようとする職員側に対し、僕はカードを掲示するようそれぞれへ促す。
「し、Cランクばっかじゃねぇか。そこの若い兄ちゃん姉ちゃんはともかく、そこのガキ三人まで……」
「た、大変失礼致しました……既に高ランクの方々とは思わず……」
皆、先の魔力災害へ対処し事態を収めたことで昇格を果たしている。
ちなみに、僕は新しくカードを作り直したために、Cどころか最低ランクからの再スタートだ。
「俺は基準に足りてないけど、収納魔法での荷物持ちとか役割があるから、行ってもいいよね」
「ま、まあ。坊主一人程度なら、俺やお前らで守れるだろうしな。話をつけてくるから、少し待ってろ」
そう言って場を離れた職員の男は、少しして役人を連れ戻ってきた。
「彼らが護衛か。見たところ全体的に若いうえ、中には子供もいるようだが……」
「実績的には申し分ないようです。一番小さいのも、広大なスペースの収納魔法を持つなど、荷物持ちとして同行します」
胡乱下な目で僕らを見ていた役人も、職員から言葉とともに渡された資料へ目を移せば、その態度は次第に軟化していった。
「ふむ。まあ、これだけ人数がいるのなら、護衛としては十分だろう。お前もしっかりと働くように」
「はっ、心得ております。行くぞお前ら、早くしないと日が暮れちまう」
「じゃあ、ちょっと行ってくるから。今日中に帰れると思うけど、留守の間お願いね」
「お、おう……気をつけてこいよ」
おじさんに声をかけ、各自装備を整えるなど準備を済ませていく。
「いいのか? お前ほどの使い手が、単なる荷物持ち呼ばわりなんて」
「余計なことを言っても、話が拗れるだけですよ。ちゃんと俺も戦いますから」
「いや、そういう話じゃないんだが……」
「小僧、何をお喋りしている! 遊びに行くんじゃないんだぞ! 例え荷物持ちでも、仕事は真剣にやれ!」
頭ごなしの物言いだが、とくに険は感じない。賊に荒らされてから間もない場所へ赴くということもあり、気が立っているのだろう。
適当に返事をして殊勝そうな顔をしていると、どこかから、知らないって怖いよな、という声が聞こえてきた。
別に僕は、この程度のことで根に持ったりはしないのだが……ともかく、こうして襲われた村の調査依頼がはじまったのであった。
◇
「街道を離れたと思えば、先ほどからいったい、どこを進んでおるのだ」
途中から藪の中を進みはじめた僕らへ、役人が汗を拭いながら問うてきた。
「宿場町から村までは少し距離があります。近道はないか、とのことでしたので、今そのルートを進んでいる最中です」
「た、たしかに短縮を指示したのは私だが……本当に、こんな場所を通って辿り着くのだろうな」
「ほ、方向自体は正しいのですが……おい、今からでも街道へ戻らないか」
提案してきた職員へ理由を尋ねると、彼は困った顔で僕らへ語りはじめた。
「考えてもみろ。本当にここを通って目的の村まで着くのか定かじゃないうえ、下手をすれば遭難の可能性だってある」
「万が一そうなっても、お二人を含め野営できるだけの準備はできていますよ」
「だとしても、魔物が出たらどうするんだ。ただでさえここは奴らのテリトリー。駆除しきれていない魔物が、街道にまで姿を現す状況だって言うのに……」
「出ますよ。そろそろ会敵しますね。右前方から四体」
えっ、という間の抜けた役人の声を尻目に、僕らは二人を守りつつ応戦の構えを見せる。
次の瞬間、僕らの目の前には、巨大な鎌越しにこちらを睨み据える、カマキリ型の魔物たちが現れた。
「き、脅威度上位のキラーマンティスだ! 全員下がれ!」
「後ろからも、さらに五体ほど来ましたね」
「だ、だから大丈夫かと聞いたのだ! こんなことなら、やはり正規の討伐隊を組むまで待つべきだった……っ」
たしかCランクに位置する魔物だったと思うが、少し大袈裟に反応し過ぎではないだろうか。
もっとも、彼らも書面のうえでしか僕らのことを知らないので、この反応も仕方ないのかも知れないが……。
「く、来るぞっ。せめて全滅だけはーーえ?」
悲壮な決意に満ちた言葉は、切り裂かれたキラーマンティスの断末魔によって途切れた。
例え数を揃えた相手に囲まれようが、この程度の魔物など今の僕らには苦にもならない。優勢に戦いを進めながら、相対する敵を次々と討ち取っていく。
「ど、どうなっている。先ほどまで我々を囲んでいた魔物どもが、僅かのうちに……」
「よし、全滅させたな。ショーティ、他にもいるか?」
「進行方向に結構いますね。とりあえず、拾いながら進みますか」
「了解。さあ、お二人とも、先へ進みましょうか」
促すエルシィさんの言葉に、二人は未だ呆気に取られた様子ながら、再度進みはじめた。
勿論、彼ら護衛対象を守ることも忘れてはいない。職員のほうは幾らか戦えそうではあるが、力量がわからないのでフォローを付けておく。
倒れ素材と化した魔物の亡骸を拾いながら、それを隙と勘違いし不用意に間合いを詰めてきたグリーンフロッガーを斬り殺し、すぐにそれも収納魔法のスペースへ放り込む。
「き、貴様も戦えるのか……」
「この調子なら、基本荷物持ちに専念してるほうが先に進めそうですけどね」
「なんだ、この坊主の剣捌きは……まるで散歩でもするかのような気楽さで、左右どの角度からでも鋭い斬撃を繰り出しやがる」
「こ、この少年は、もしや亡くなられた勇者様の再来か……?」
いや、すいませんドルイドのほうです。ついでに言わせて貰うなら、あいつの剣技はこんなものではなかった。
言葉にするなら、まさに天衣無縫。教育を受ける機会も、高名な師の元で修行を積んだ経歴もなかったにも関わらず、初めてそれを目の当たりにした際は目で捉えることができなかった。
僕より軽く五つ以上離れていたにも関わらず、まるでそれを感じさせない強さ。まさしく、剣を振るために生まれてきたような男だったのだ。
「あーあ、もうキラーマンティス出なくなっちまったな」
「安い魔物ばっかりね……数さえ倒せば、少しは足しになるだろうけど」
「こ、この者たちは、本当に単なる冒険者たちなのか……?」
「あの、未曾有の規模の魔力災害を生き延びた者たちとは言え、ここまで戦えるとは……」
こうなってしまえば、多少の煩わしさこそあれど、鉈で藪を刈りながら進むのと大差ない。
依頼自体の実入りがさほど多くないぶん、速度を大きく殺さない範囲で遭遇できる魔物を狩りながら報酬の足しにするうち、僕らは被害を受けた村へと到着していた。
◇
「も、もう到着したのか。てっきり、もっと時間がかかると思っていたが……」
遺体の埋葬は済ませたとは言え、未だ惨劇の跡が残る村へ入った僕らに、先ほどまでとは異なる重苦しさがのし掛かる。
「これより調査を行う。お前らは警戒に当たり、不審なことがあれば直ちに報告するように」
犠牲者へ短く祈りを捧げたあと、職員の指示により、二人一組で周囲の様子を窺う。
ハーティとソフィアのどちらがデイヴィと組むかで揉めているうち、職員からの叱責を受け僕が彼と組むことになった。
「俺、開拓村出身だろ」
警備中ということもあり、デイヴィはこちらを向かず小声で言った。
「俺らが生まれる頃から、開拓村は怠惰で無能な奴が行く場所だの、大変なのも農奴になるような奴なら自業自得だの、俺らの暮らしを知りもしない奴らに蔑まれはじめたらしくてさ。その開拓民としての暮らしすら、呆気なく奪われちまって」
言葉とは裏腹な淡々とした口調は、逆に押さえ込まれた憤りの深さを感じた。
「別にララちゃんや、○○(作業員トップ)のおっさんには何の恨みもないんだ。ないんだけど、俺らの代わりに開拓村へ入るようになった獣人たちには、正直複雑な気持ちがあった。
でもさ、こんな酷いことが起きてたなんてな。しかも、やったのは同じ獣人の野盗なんだろ。まだ小さな子供まで焼き殺して……いったい、何を考えてるんだろう」
例え間接的なものであろうと、彼の正直な感情の吐露は、暮らしを奪われた者として無理のないものであった。
多様性に限らず、美辞麗句に彩られた欺瞞が押し通された際の皺寄せは、いつだって社会的ヒエラルキーの低い者が負わされる。
ましてや、その選択へ介在する余地すらなく生まれさせられてきた子供たちともなれば、八つ当たりなどする素振りも見せないデイヴィたちは高いモラルを有していると言えるだろう。
「出身や部族が違えば、同じ獣人同士でも仲間意識が薄れたりするのかもね」
「そうかも知れないけどさあ、人間同士でも殺し合うとかを抜きにしたって、こんな惨殺や略奪はやっぱりおかしいだろ」
デイヴィの感じ方は正しい。それでも、荒みきってしまう者が現れるのが世の中であり、そうならざるを得ないような彼ら獣人たちの歩んできた歴史であった。
例え都市化が進もうと、是正されない不平等や抜け出せない貧困から溜め込まれた鬱屈。
そこに、種族全体で見れば低い遵法精神や、暴力への抵抗の薄さも相まって、箍が外れた際の残忍さとして表出してしまう。
それに、亡くなられた方々の痩せ具合から察するに、この開拓村自体、環境としては酷いものだったのだろう。
困窮者の誰もが犯罪に走るわけではない。希望や野心を持ってやってきた異国の地で、それが叶わないことを悟らされるのに長い月日は要らないはずだ。
そうして残ったのが、農奴としての惨めな未来と借金だけだと知ったなら……その絶望が、人を狂気と暴力へ走らせるのは容易なことだろう。
「何か変わったことはなかったか」
のちに集合をかけられた僕らへ、職員が尋ねる。全員が、何もなかったと答えた。
森の中ということもあり使えた【精霊の目】による索敵で村の周囲一帯を索敵していたので、みんなが担当していた区域も、問題はなかっただろう。
「調べてみて、何かわかりましたか?」
「獣人により組織され、昨今勢力を拡大し続けている盗賊団、『フューリアス』の可能性が高いな。残忍性が高く、危険な集団だ」
「有名な組織なんですか?」
「ああ、他の野盗や、逃走した開拓民を引き入れながら巨大化し、多くの被害をもたらしている。親玉や幹部と見られる連中には、懸賞金もかかっているよ」
とは言え、聞いてみれば差程大きな額ではない。今の世の中的には、悪くない値なのかも知れないが……。
「兵を動かし、討伐に動くべきでは」
「そうしたいのは山々なのだがね。仮に動かせる余裕があったとしても、動かせる兵はあまり多くはないのだ」
「討伐に動いた結果、大勢が討ち死にする羽目にでもなれば大事だからな。ギルド側でも冒険者に参加を募りはしているが、リスクと見合う額でない以上参加者がいないのも仕方ないだろう」
「それにここは、奴らの縄張りだ。賊徒どもとて、正面から我々を迎撃などせず、地の利を生かし奇襲と逃走を繰り返すだろう。倒しきれんよ」
エルシィさんの言葉に、二人は弱りきった様子で嘆息を堪える。最近までいた○○のような大都市ですら、あの有り様だったのだ。
より地方であるこの土地ともなれば、賊へまともな対処もできぬ窮乏ぶりも、馬鹿げているが全くないとは言えない話なのかも知れない。
調査も終了したので、その後僕らは程なくして帰路に着いた。
先ほどより更に短縮したルートで、やはり魔物を駆除しながら進んだのだが、皆行きで勝手を掴んだこともあってか日が落ちる前に宿場町へと戻ることができた。
◇
帰って出張所に着き、今回の依頼や駆除した魔物の報酬、素材の売却代などを受け取る際、僕は冒険者としてのランクアップを告げられた。
「申し訳ありません。本来なら今朝の時点でランクを上げるべきだったのですが、まだ実力を正確に把握できていなかったこともあって……」
まあ、自ら荷物持ち要員を名乗っていた手前、お豆扱いをした先方の気持ちも理解できなくはない。
ランクをDまでしか上げられなかったことも、出張所の裁量的に、一度に上げられる限界があるとの釈明を受けた。
むしろこちらとしては、実力を評価し適性ランクまで上げようと試みてくれたことに感謝している。
「最低ランクから一気にDか。相当なスピード出世だな」
「年齢も考えると、近年ではトップの昇格スピードですね。おめでとうございます」
○○さんの言葉に合わせ、受付のおねえさんが調子のいいことを口にする。
「ちなみに、これまで一番早く昇格した人は誰なんですか?」
「歴代ですと、一度でAまで昇格を果たされた、ゴヴァン・カークランド様が一番となっております」
彼女の返答に対するみんなの反応は、声が裏返る者、絶句する者と様々であった。
「ゴヴァン・カークランドって、あのドルイドの……?」
「い、一度にAまでって……そんなことあり得るんですか?」
「昔の基準は、今と違って大雑把だったから。冒険者になったのも二十歳を過ぎてからだったし」
「たしかに厳密に定められてはいませんでしたが、それでも本来であればSランク昇格相当の実績、実力だったんですよ? 事実、協議の結果すぐに昇格を果たされましたし、二十歳を過ぎたからと言って誰もがAランク以上になれるわけでもありません」
半ば謙遜のつもりで、場を落ち着かせるために言ったのだが、先ほどから腰の低かったおねえさんは僕の言葉に態度を一変。
当時その場にいなかったのに、見てきたかのような口ぶりで僕を窘める。
「ほ、本来ならSって……私たちとは、格が違い過ぎて……」
「正直言って、私には二十代になったとしてもそんな実績を積めるとは思えないです……」
「俺と同じぐらいで、あっという間にSランクか……手合わせしたら、どんな感じだったんだろうな」
「お前はまず、ショーティに本気を出させられるようになってからだろ」
皆が思い思いの言葉を口にする中、○○さんが目を細目ながら僕の頭を撫でてきた。
「珍しくショーティくんも年相応の反応だねぇ。歴史に名を残す大英雄相手じゃ、負けちゃうのも仕方ないって」
彼女はニマニマと頬を綻ばせつつ僕を慰めているつもりなのだろうが、何も僕は、過去の自分に張り合っているわけではないのだ。
ただ上手いこと両親の家系の長所を引き継ぎ、支配者層の中でも一摘まみの最上位階級として生まれ、努力できる環境も与えられたうえで能力に関してのみ言えば成長できたからこその結果なのだ。
富裕層の恩恵を受けてきた者なのであって、魔力操作の家庭教師はおろか、読み書きや簡単な計算すら学ぶ余裕のなかった者たちとは、傲慢も承知のうえで言うなら違う基準で測られるものなのだ。
「それにしても、冒険者なんかやってたのか。ドルイドって、政治家みたいなものじゃなかったっけ」
「失政により職や暮らしを失った民のため、立場を捨てて一介の冒険者に転身、国から捨てられた彼らを養ったそうです」
「立派な人だったのね。なかなかできることじゃないわよ」
「彼は異教徒ながら、その高貴な精神は貴族の間でも語り草となっていたよ。彼が足を運んだ各地でも、その地に蔓延する疫病や飢餓、賊から民衆を救った逸話が多く残っている」
みんなの会話が盛り上がっていることに気を良くしたか、受付のおねえさんは喜色満面と言った表情でさらに口を動かす。
「他にも、徴兵を免除される特権階級に生まれながら、史上最年少でドルイドの修行を終えたあとすぐ兵役に就いたりと、立場に拘泥することのない人格者でもあられたそうです」
「ふぅん、聞けば見上げた人だけど、なんだか少し立派過ぎる気もするな。ショーティ、なんか事情知ってるか?」
水を差されたおねえさんの表情が引き吊る中、僕は内心に渦巻く感情を意識しないよう心掛けた。
「……さあ。昔のことだし、よくわかんないかな」
「そりゃそうか。まあ、なんたって英雄サマだもんな。そんな変わった人でもなけりゃ、わざわざ魔王倒しに行って死んだりしないだろ」
「俺がもし大貴族に生まれていたら、絶対安全な場所からは出ないだろうな。せっかく左団扇な生活を送れるのに、わざわざ不意にするかっての」
「貴族連中がそんなだから、魔族の軍に攻め入られたんだろ? もっとも、奴らが没落して代わりに台頭した商人どもも二の轍を踏んでるわけだが」
僕の返答に気を悪くした様子もなく、デイヴィは莞爾と笑って見せる。それにつられた○○さんの言葉もあり、場の流れも賞賛一辺倒ではなくなりはじめた。
「もし生還されていたなら、その後どんな人生を歩んでいたのかしら」
「きっと戦後も、困った人たちのために骨身を削っていたと思います」
「どうだろうな。経歴聞いた限りじゃ、平和になった途端あっさり趣旨変えするような人でもないんだろうけど。結局国の改革には失敗した人だったんだろ?」
とりとめなく話す彼らへ、エルシィさんが注目を集めるよう手を打ち鳴らす。
「かの大英雄の話は帰りの道すがら続けるとして、まずは街に残った者たちと合流しよう。彼らに明日の休みを伝えなければ」
すっかり機嫌を悪くしてしまった受付のおねえさんに別れを告げ、僕らは宿泊先へと戻る。
「君が無事成長を遂げたなら、二十歳を過ぎる頃には冒険者ランクもゴヴァン・カークランドに並んでいることだろう」
「いや、別に気にしていないですよ」
「そうか。ともかく、焦らず日々を送りなさい」
そう語る彼女の微笑みの裏に、癒えることのない悲しみが見えた気がした。
◇
戻った僕らを待っていたのは、遊び疲れていたり、酔い潰れていたりと、加減なしに遊び倒してしまったみんなの姿であった。
「明日、休みを一日延長しようと思う」
「まあ、仕方ないわな。今日の報酬もあるから、一日伸ばすぐらいなら問題ねぇだろうし」
おじさんに確認を取ったあと、全員へ宿場町の出立を明後日に伸ばすことを伝える。
反応の割合としては、喝采よりも安堵の溜め息のほうが多かった。そんな中で、良くも悪くも元気があるのは年少組だ。
「ねえ、お小遣いって明日もあるの?」
「あるけど、基本はご飯代だけ。休息に充ててね」
「俺今日の金どっかに落としちまったから、明日は二日分くれよ」
「いや……かわいそうだけど、渡せるのは明日の分だけだよ」
ポーラが得意気に髪飾りを見せびらかしている隣で、失意のウィルがイヤイヤをはじめた。
「はあ、なんでだよっ。ちょっとしか使ってないんだぞ!」
「あんなにはしゃいでるから落とすのよ。ちゃんと探したの?」
「探したよ! みんなが楽しい思いをしてる中、俺一人だけずっと!」
「ちょっと、汚い手を向けないでよ。私の髪止めが汚れちゃうじゃない」
そ、それは可哀想に……証拠とばかりに、爪を土で汚した指先を向ける彼を、ポーラは容赦なく避けはじめる。
「こ、このっ、許さねぇ……!」
「ま、待てって。全額とまでは言わないけど、明日のぶん少しだけ色をつけるから」
「ショーティ、そんなことする必要ないわ。失くしたっていうのも嘘に決まってる」
「失くした! 本当に失くしたの!」
人目も憚らず退行まではじめた様子から見て、紛失してしまったこと自体は本当なのだろう。
そもそも、子供たちに渡した金は他と比べ大きく額が下がる。仮に明日全員へ渡す小遣いを銅貨数枚増やしてやったとしても、たいした痛手にはならないはずだ。
「あまりポーラも煽るなよ。一応ちょっと探してみるけど、それで無かったら子供たち全員に明日色を付ける。それで決まりだ」
「もし見つかったら、そのぶんも俺の金だよな……?」
「泣いてるくせして、お前結構がめついな……そしたら色はなしだよ」
「私はそれでもいいわよ。誰かさんが間抜けなおかげで、私たちの使えるお金が増えるんだもの」
もう一度ポーラを注意し、ウィルにも喧嘩をしたら小遣い無しを申し渡したうえで、彼が落としたという金を探しに行く。
何かあったときのことを考え、巾着自体に魔力で印を付けていたのだが、投げ捨てられるよう路地裏に落ちていたそれの中身は、残念ながら空になっていた。
置き引きか、はたまたスリにでも会ってしまったのか。いずれにせよ、今回の件は高い授業料と思うしかないだろう。
戻っておじさんに掛け合った結果、子供たちの小遣いには幾らか色がついた。
「まったく、今回だけだぞ。おいウィル、ショーティにちゃんと礼を言ったのか?」
「一つ、貸しにしといてやるよ」
お前はまともに礼も言えないのか、そんな叱責の声が上がる中、ララが自分用に買ったらしいお菓子をくれた。どうやら、労ってくれているらしい。
舌の上で転がしていると、少なからず疲労が押し寄せてきた。これは、明日も休みにして正解だったな。
◇
増えた休みの翌日、宿場町を出た僕らは、再び北を目指しはじめた。
先日町で情報を集めた結果、野盗相手の警戒体勢は、これまでより格段に引き上げられている。
とくに年長組や、冒険者として対人戦の経験がある者には、戦闘の際に戦える者も含め、全員を守ってくれるよう頼んでいた。
デイヴィたちも腕を上げているが、いざ人間同士の殺し合いとなれば躊躇してしまう部分も出てくるだろう。
相手はヤクザ者ですらない、力で押し込み殺戮。殺められた者たちの、子供、老人、妊婦と言った弱者の酸鼻を極める死に様を見るに、頭の中の量りは飛んでしまって久しいに違いない。
一瞬の隙、一欠片の情けが、取り返しのつかない結果を生んでしまう。
仮に手足の欠損で済んだとしても、今同行して貰っている神官たちでは治しきれないだろう。
山賊ごとき何人いようと負けるつもりはないが、それでも万が一は常に起きうる。用心に用心を重ねて進む必要があった。
宿場町を出てから数日。探知に不穏な者の姿を確認できた翌日に、僕らは開拓村を発見した。
「一晩泊めて貰えるよう、頼んでみようか」
主要メンバーや年長者には既に、昨日僕らを警戒していた者の存在とともに、この村が怪しい可能性は話してあった。
虎穴に入らずんば虎子を得ず。賊を討たんと思ったなら、罠と知ってなお飛び込む必要もある。
「すいません。私たちは旅の者なのですが」
交渉へ向かったエルシィさんたちについてきた子供の体で、さりげなく村を観察する。この前被害に遭った村と同じ、獣人たちが押し込められた開拓村。
「相応のお礼はさせていただきますし、負傷者の治療に、魔物の駆除などでも力になれると思います。どうか、一晩泊めていただけないでしょうか」
「冒険者の方々ですか。治癒魔法を使えるなら、我々としても歓迎させていただきます。なにぶん、こんな場所ですのでね。たいしたおもてなしはできませんが」
舌舐りするような視線、荒んだ目の者、怯えが見える者、やけに疲労を滲ませた者。村長とおぼしき年長者の腰の低さも含め、キナ臭い空気が充満している。
「感謝します。みんな、今晩はこの村のお世話になるから、きちんと仕事を手伝うように」
子供らしさを装いながら返事をする。宿場町の酒場の夜と違い、○○さんたちが僕に向ける笑みは小さなものだった。
その後僕らは、村へこれまで調達してきた素材を渡したり、柵などの修理を行った。
「あそこのお家も、壊れてるねー」
「ああ、そこは肥料や刃のついた農具なんかもあって危険だから、村に住んでるおじさんたちが直すから、坊やたちはやらなくていいからね」
「農具かー、わかったー」
口調は柔らかながら、有無を言わさぬ調子の男に止められたので、素直に離れてやる。
その家屋からは、先ほどから余所者の様子を窺い続ける者たちの気配と、微かな腐臭が漂っていた。
また、神官二人の手伝いという形で【治癒】を行使していると、不自然な怪我や古傷を持つものを度々見かけた。
魔物に襲われたにしては、傷の付き方がシャープ過ぎる。まるで、対人戦で切られた際の防御創のようだ。
他にも、一方的に理不尽な暴行を受けたであろう者の痕跡も見られた。神官が手をかざそうと腕を伸ばした際、痛ましく身を強ばらせてもいた。
「いつも通り襲撃は夜か?」
「ああ、今回の連中は女子供も多いし、金になりそうなモンも結構持ってきてる。上手くいけば、俺らの覚えも目でたくなるってもんだぜ」
「逆らうようなら、殺しちまえばいいだけだしな。おい、手前らも参加するんだぞ。もし役に立たなかったら、この前焼いたお前の村の連中と同じようにしてやるからな」
「……はい。わかりました」
移動中、僕らにわからないと思ってか、彼らは獣人たちの言葉を使い、小声で今夜の予定を囁き合っている。
素知らぬフリをして手伝いを続けていれば、壮年の痩せた女性が、暗い瞳を僕や子供たちへ向けてきた。滲む一抹の憐憫は、僕らの末路を思ってのことか。
「印を付けた者の姿がありました。僕らをつけていた不審者のものです。この村は、野盗の手に落ちているものと見て間違いないでしょう」
「ということは、俺らは今賊の徒党に囲まれてるってことかよ。ぞっとしねぇな」
「そんな状況で、これからどうする?」
「迎え撃ちます。今回は俺が対応に当たりますので、皆さんは対人戦の経験がない者、戦えない者たちを守ることを優先して下さい」
夕方、僕は年長組を集め、得た情報、そしてこれからの予定を手短に伝えていく。
「ショーティくん一人で相手をするの?」
「この村には、たいして強そうな奴もいませんし、増援を呼んでいる様子もありません。俺一人でどうにかなるでしょう。それよりも人質を取られたり、いざ止めを刺す段で躊躇する者が出るほうが恐ろしい」
「心得た。後方は私たちに任せてくれ」
段取りを終えて少し経った頃、村人たちが僕らを食事に誘ってきた。
出された料理や酒には、遅効性の麻痺を引き起こす毒物が混入している。この手の毒物の探知は、前世で実家にいた頃、軍へ入る前あたりから使い慣れていた。
すぐさまバレぬよう浄化し、無害なものへと変える。
即効性の毒ではないこともあり、村側の地位が高いと見られる連中は、僕らが旺盛に咀嚼する様子を嬉しそうに眺めていた。
そうして迎えた夜、襲撃の時。寝静まったフリをする、僕らが借りていた家屋は包囲され、それぞれ武器を携えた者たちがこちらへ近づいてきた。
密集具合は、この前の魔力災害時、教会でララの父親たちが教会側を糾弾していたより少し離れている程度。これぐらいなら、何の問題もない。
「【荊棘の頸木】」
「な、なんだこの蔦は!? 絡みついて来やがる……これじゃあ、動けねぇっ」
行使した呪術により、迫っていた賊どもは瞬く間に拘束される。
何人かは屋外ということもあってか、咄嗟に避けたことで締め付けが甘くなり、その箇所をどうにか武器で切って拘束を解こうとしてくる。
しかし、そんな暇を与えてやるほど僕はお人好しではない。行使と同時に打って出れば、まずは昼間尊大な態度を取っていた者たちから順に、賊どもを次々と切り裂いていく。
「な、なんだこのガキは!? 誰か、誰か救援を呼んでこい!」
離れたところで待機しているであろう仲間へ賊は声をかける。耳にした者が村の出入り口へ向かうものの、その者が村を出ることは叶わなかった。
「か、壁が! 村全体を覆うように、高い壁が聳え立ちやがった! これじゃあ外に逃げられねぇ!」
昼間に柵を補修した際、それらの材料が僕の呪術の影響を受けやすいよう、密かに仕込みを施して貰っていたのだ。
現在、この村は完全に隔離されている。外壁となった柵は内側へ傾いており、容易に登ることはできない。
強度も増しているため破壊も難しく、彼らが出られるのは事実上、僕が再び呪術を行使したときのみだ。
「ち、ちくしょう! こうなりゃ戦うしかねぇ!」
「おい、お前ら、斬り殺されたくなかったら行け!」
「む、無理ですあんなの! 殺されるだけです!」
けしかけられるも躊躇しているのは、痩せて粗末な衣類を纏った姿から見ても村民だろう。
「無理だとォっ! 口答えとは生意気な奴だ! お前らっ、言うことを聞かねぇ奴の末路を見せてやるーーって、つ、蔦が俺の体にっ。誰か、ほ、ほどいてくれぇ!?」
渋る彼へ剣を振り上げた男は、しかし次の瞬間には蔦による拘束で身動きを取れなくなった。
「そこのっ、そいつを殺せ!」
「えっ、で、でも……っ」
「いいから早くしろ! そっちまで行ってる余裕はないんだよ!」
殺される寸前だった彼が躊躇している隙に、他の賊徒が蔦を外そうとし、また武器を振り上げ、彼らを僕へ向かわせようとする。
僕はそうしている間も、近くの賊たちを斬殺していく。
「こっちに来て俺に殺されるかっ、そいつらに反逆して自由を取り戻すかっ、どっちがマシだ!」
さすがにこの質問で、支配される日々に折れていた心も奮い立ったのだろう。
次第に絡まる蔦に加え、人数でも勝っていた彼らは、自分たちを不当に虐げていた者たちへ立ち向かいはじめた。
蔦に拘束されていた者が串刺しにされ、逃走も叶わぬ中で蔦を逃れながら、仕方なく向かってきた残りの敵たち。
とは言え、その中でも戦意が高いのはほんの数人。他は未だ逆らうことができず、仕方なく加わっているとでも言うような有り様だ。
対処は、基本的に先ほどと変わらない。今回は武器を携えた賊ということもあり、前回に比べ幾らかは動けている。
とは言え、彼ら以上に森は僕にとってのホームグラウンド。それぞれ拘束、もしくは足を縺れさせるなどして体勢を崩させ、多人数を相手に時間を稼ぎながら無力化させていくだけだ。
動く相手に蔦を複数本使うには、現状僕の呪術はまだ未熟だったようで、何人かの賊が僕らの守るべき仲間がいる建物のほうへと向かってしまう。
しかし、彼らは皆後方に控えていた年長組に倒された。単純な自力であれば、分はこちらにある。
さらに言えば、こちらは夜目が効くようになる目薬を点して待機していたので、向かってくる賊どもの姿は丸見え。迎撃は比較的容易と言えた。
とは言え、それも対人戦の経験があってこその話。圧倒的な人数不足もあり、常に手薄になりがちな守りを厚くしようと、デイヴィが前に出てしまったのだ。
「今のままじゃ危ない! 俺、加勢します!」
「ちょっとデイヴィ! 私たちは自分の身を守ればいいって!」
「お兄ちゃん! 前に出るのは……っ!」
もともとデイヴィたちには、今回は自分の身を守ることに努めてくれるよう指示を出していた。
例え魔物や動物であっても、知能が高くコミュニケーションを取れる相手ともなると、人は殺生に抵抗を覚えがちになる。
それが同族ともなれば、なおのこと。向かってきた賊の太刀をかわすと同時に、デイヴィは刃を一閃。敵の肩を切り裂く。
普段相手にしている魔物であれば、例えキンググリズリーだろうが深傷を負わせ動きの悪くなったところを、流れるように仕止めていたはずだ。
しかし、相手は同じ人間。痛みに呻く敵を前に、デイヴィの動きは止まってしまった。
その一瞬の隙を突き、敵は好機とばかりに、無防備になった彼へ斬撃を繰り出した。立ち遅れてしまった彼に、歪に光る凶刃が迫る。
「エルシィさん!」
指示を出しながら、僕は男の動きを蔦でかろうじて食い止める。
その隙に止めを刺したエルシィさんは、他の年長組の面々と間隔を調整しながら、デイヴィへ切迫感を伴って言葉を発した。
「下がっていなさい!」
「で、でもーー」
「今の君では穴になるだけだ! 庇っている余裕もない! 早く!」
対人戦の経験があるとは言えど、年長組とて殺しに抵抗やプレッシャーを感じていないわけではない。
とくに少人数で後ろに控える大勢を守る状況が続いていれば、彼女の態度も無理のないものであった。
「デイヴィ、早くこっちに!」
「また一人来ました! エルシィさんが相手をしているうちに!」
二人が武器を取り、デイヴィが下がるところを狙われぬよう睨みを利かせ、無事下げた彼を守るよう壁となる。
これで一先ずは安心だろうが、デイヴィにとっては少し苦い体験となってしまったな……。
◇
その後、程なくして戦闘は無事終了した。
戦意の高かった者以外に、彼らが従え、けしかけて来た者たちも回復が間に合わず、数名殺してしまった。
状況的に仕方がなかったとは言え、決して気分のよいものではない。生き残りは武器を奪い、蔦だけでなく草木で拘束具を拵え、完全に自由を奪ってある。
そんな中、不意にどこからか新たな血の臭いが漂ってきた。
元を辿れば、そこには昼間襲撃を無理強いされていた青年が、今まさに舌を噛み切ろうとしている。
多少手荒ではあるが、強引に蔦で顎を開かせたうえで猿轡を噛ませ、そこへ【治癒】を行使した。
「せっかく生き延びたのだ。わざわざ死に急ぐこともないだろう」
そう声をかけたものの、青年の瞳は驚愕ののち、再び失意の泥沼へと沈んで行ってしまう。
「君たちの何名かは、少し前に襲われた村の者だな。人質でも取られ、やむを得ず賊徒に従っていた。そうではないのか?」
それなりの数の村人たちが、この言葉に反応を見せた。聞けば彼らは賊の下、旅人や商人を狙ったり、脅され彼らのいいように使われていたそうだ。
絶望から戸惑いに彼らの雰囲気が変化していく中、先ほど自害を試みた青年が、まだ覚束ない口調ながら訥々と語り出す。
「我々は貴方がたを襲った身です。同じく今回の襲撃に加わらざるを得なかった者の中には、既に手を汚させられた者までいます。死罪は免れない。何より、今回の襲撃が失敗したことがバレたなら、私たちは勿論人質の妻や子供たちも」
男の言葉は、そこで途切れた。事実を再確認したせいか、獣人たちは再び項垂れてしまう。
「あ、あんたたち、まだ治癒は使えるか……?」
そんな中、恐る恐ると言った様子で、一人の男が声を上げた。
「どこか痛むのか」
「俺じゃない。向こうの蔵の中に、俺の娘、いや女たちが閉じ込められている。あいつらはまだ何もしていない。どうか助けてやってくれ」
年長組と目配せしたのち、近づくなと言われていた建物のうちの一つへ入ってみれば、そこには手酷くいたぶられた女や少年たちが押し込められていた。
「落ち着け。助けに来ただけだ」
声にならない悲鳴を上げかけた被害者たちへ声をかけ、全員へ【治癒】を行使する。
ぐったり衰弱していたうちの一人は反応を見せず、手首を取って確認したものの、既に事切れたあとであった。
村の女たちに介抱を任せたあと、僕は再び獣人たちへ問いかけた。
「かたじけねぇ。娘たちのこと、心から感謝する」
「構わない。それより、この村と賊徒どもとの定期連絡はいつ頃になっている?」
「た、たしか、明日の夜に戦利品を持って向かう予定だったが……」
賊どもの懐を探っていくも、幸い魔道具の類いを持っている者はいなかった。
死亡を離れた誰かに知らせる呪術や魔法がかけられた者も皆無。一先ず、この状況を今すぐ敵に知られることはなさそうだ。
「ギルドへの報告も含め、これからどうするよ」
「このままじゃ、こいつらほとんど縛り首だしな……」
「とりあえず、細かい処遇は野盗どもを討伐して、人質を助け出してから考えよ」
「では、敵本隊の討伐へ向かう人員の選定をはじめよう。危険はあるが、人命がかかっている」
年長組が段取りに意識を向ける中、デイヴィは未だ青い顔をしていた。
他の子供たちも、未だ強い緊張感を持っていたりと、やはり魔物相手とは様子が大きく異なる。今回これ以上の同行は、難しいと言わざるを得ない。
「か、家族を助けて下さるのですか……」
「できれば貴方がたのことも、どうにかできればと思っています。そのためには、協力してもらう必要がある」
遠慮なく言えば、この獣人たちは賊に加担してしまったという事実を抜きにしても立場が軽い。
同じ人間同士であれば、減刑も検討される情状酌量の余地があっても、コネもツテなさそうな彼らの場合は問答無用で死罪や炭鉱送りなどとなる可能性がある。
前世の頃であれば、領主への賄賂や交渉次第で、帰順した賊徒が二度とその地に足を踏み入れないなどの制約のもと、犯した罪を許されたこともあった。
しかし、残念ながら今の僕には、それをするだけの力も金も立場もない。
時代的にも、領主に裁量が任されているかつてと違い、貴族が没落したことでその手の融通も効かなくなっているはずだ。
とは言え、まだ彼らが加担者であることは公になっていない。賊全員の口を封じることができたなら、十分助けてやれる。
「……無理だ。いくらお前らが強い冒険者だとしても、アイツに敵うはずがねぇ」
そう思っていたところを、不意に暗く呟くような声が遮ってきた。
「こ、こらっ、せっかく我々を助けて下さると言っているのに」
「うるせぇ! アイツは、ここで俺たちを嬲ってた連中とは格が違うんだ! 結局俺たちは、故郷から捨てられこんな場所で死ぬしかないんだよ!」
平静を失っている男の言葉がどれほど信用できたものかはわからない。
しかし、彼の言葉にやや気落ちした者たちの様子を見るに、多少なりともできる奴のようだ。
「それほど強いのか」
「はっ、その、先ほどの貴方様の戦いぶり、我々一同感服致しております。しかしながら、それでも必ず勝てるとまでは……」
「き、危険な奴なんです。少しでも勘に触れば、部下や女子供だろうと平気で。俺たちの村も、焼けた家に子供や老人が次々に投げ入れられて、赤ん坊まで」
声を詰まらせた男へ、もうよいと肩に手をやる。それだけ残虐な男であれば、当然反意を抱く者も少なくないはずだ。
分断しながらの各個撃破に加え、万が一にも兵士に捕まり拷問で口を割らぬよう、全員を殺害。これは忙しくなりそうだな……。
◇
「デイヴィくん、先ほどは済まなかった」
「いえ……俺こそ、足を引っ張ってしまって」
着々と準備が進む中、主に年長組が沈んだデイヴィに声をかけていく。
「まあ、俺らだって人と斬り合うのは怖いしな。お前は初めてだったんだから、あんなもんだ」
「見ろよこの傷。俺なんか、昔斬り殺されかけたこともあるんだぞ」
「そうそう、あのときは血の気が引いたよね。デイヴィくんは無事生き延びたんだから立派だよ。あんま気にしないで」
「……ありがとう、ございます……」
これまでも死には触れてきたのだろうが、それらの死因はあくまで、魔物や病、経済死など。
先の魔力災害でも、決して少ないとは言えない数の遺体を僕らは弔った。
損傷が激しい者や、一部しか残っていない者もいたが、例えどれだけ悲惨な姿であろうと、直接的な加害者は魔物であった。
間接的に責任を負うべき人間たちはいても、彼らが直接人を殺めたわけではない。
しかし、先ほどまで行われていたのは、直接的な人間同士の殺し合いだ。これまでの彼の経験と比べても、心理的な抵抗は段違いだろう。
さらに言うなら、右肩上がりに成長していた中での挫折という要因も大きいのかも知れない。
若さ故の勢いは、経験不足と紙一重。普段の活気が鳴りを潜めてしまうのも、無理はない話であった。
「じゃあ、時間が来たら俺らは行くから、みんな留守居はよろしくね」
「私たちはいいけど……本当に行かなくて大丈夫なの?」
「作戦を考えると、私たちも参加したほうがいい気がするのですが……」
たしかに、加わってくれるならそれに越したことはないのだが、デイヴィほどでないにしても、二人とて先ほどの戦闘のショックが抜けていないのは明白だ。
心理的な安心がない中での成長は、基本的に存在しない。仮に成果が上がりそう見えていたとしても、それは順応であり合理化だ。
無邪気な人間には短期的に成果と思えても、中長期的な視野で見れば大きな不安要素を抱え込むはめになる。
ましてやこの子たちはまだ若い。こちらの事情で将来に陰を落とすべきではない。僕ら大人がこなさなければ。
「いや、それよりも村でみんなを守ってあげて。とくにデイヴィが気に病んでるから、なるべくそばに。本人が嫌がっても、近くにはいてあげて」
「わかったわ。デイヴィのことは、私たちに任せて」
「お兄ちゃんとみんなで、皆さんの帰りを待ってます。無事帰ってきて下さい」
他に留守居を任せる冒険者たちには、保護している獣人たちにも目を光らせるよう指示を出している。
彼らは守るべき対象ではあるが、しかし未だ不安の中にある。冷静な判断を期待したいが、自身や仲間の命が不安定な中にあれば、何をしでかしてもおかしくはない。
判断力に欠けた者が再び敵意を見せ、こちらと対峙するような状況に陥ったなら、躊躇なく殺すよう告げていた。
彼らもデイヴィたちに比べれば戦闘の腕は劣るが、村民たちに比べれば腕は立つ。今は単純な強さより、彼らの経験が頼りだ。
あらかた準備も済み、移動までの空いた時間を見計らい、僕はデイヴィの元へ向かった。離れた場所で不安げにする二人曰く、一人になりたいと言っているらしい。
そちらへ向かうと、丸まった背中が一人黄昏ていた。近づいていることには気づいているはずだが、膝に埋めた顔を上げる様子はない。
隣に腰を下ろし、温かい飲み物を差し出したが、ちらとこちらを見やったデイヴィは、小さく首を振るばかりであった。
「あれから、ちょっとは寝た?」
「いや……悪いな。もう大丈夫だから」
見るからに窶れた様子から察するに、飯も食べていないのだろう。
「昨夜のことなら、仕方がない話だよ。誰だって、ああなるものなんだ」
僕とて、初めて人を殺した晩は酷く気が昂ってしまったものだ。軍にいた頃、獣人の部族が略奪に来たのを迎撃した際のことだ。
いざ戦闘を終え、生存者を連れ安全圏まで下がったと言うのに、体にこもった熱のせいで寝付くことができなかった。出動から二日も寝ずに動き続けたにも関わらずにだ。
中には、今のデイヴィのように塞ぎ込んでしまう者の姿もあった。ベクトルは違えど、普段通りでいられなくなって当たり前なのだ。
「凄いな。お前やみんなは」
彼は力なく自嘲する。元気印には似合わない姿だなと思いながら続く言葉を待てば、デイヴィはいつもの二人には聞かせられなかったであろう思いを、ゆっくりと吐き出しはじめた。
「少しは自分が強くなった気がしてたけど、傲慢だった。自分が今から人を殺すと思うと、体が動かなくなって、自分だけでなくみんなも危険に晒してしまった」
「きちんと強くなっているよ。躊躇したのも、人間として当然の反応だ。強さにも種類がある。それは特徴の問題であって、様々な種類があるべきだ」
「あの場で前に出たなら、躊躇なく斬り殺すべきだった」
「そうだね。でも、そのハードルは決して低いものじゃない。知らなかったのだから、足が止まるのも恥じることではない」
無茶言うなよと、吐き捨てるようにデイヴィは口にした。
「まさか臆病を誇れとでも言うのか? あの場で大勢を討ち取って、みんなだけでなく獣人たちも救い、これからさらに救出に向かうお前が? 馬鹿にしてんのかよ」
「してたら適当に耳障りのいいおべっかでやり過ごしてる。さっき誰でもそうだと言ったけど、そうじゃない奴もいる。レッテルを貼って、本質以外の部分で他者を見下すような連中だ。そういう輩は最低だよ。戦えない誰かのために、危険を承知で前へ出ることなんか絶対にしない」
口ごもる彼へ、僕はさらに言葉を続けた。
「人を、それも違う種族かつ罪人であっても殺すことに抵抗を覚えるのは、本来なら間違いなく善いことなんだ。こんな世の中じゃ、足枷になってしまうことのほうが多いのは事実だけど、それと善し悪しはまた別の話だ。だから、そこは間違えないでくれ」
「……だとしても、今のままじゃ駄目だろ」
「魔物専門の冒険者も少なくない。もし対人もこなせるようになりたいなら、さっき言ったことを意識したうえで選択できるようになる必要がある」
僕の話に耳を傾けていたデイヴィは、少しの沈黙のあと、躊躇いがちに尋ねてきた。
「人を殺すって、どんな気持ちになるんだ」
「……相手や状況にもよるけど、戦い終わりは虚しいよ。どれだけ熱狂していたとしても、最後には我に帰らされる」
我に帰る、か。そう呟いたデイヴィの横顔からは、先ほどまでに比べれば、思い詰めたような悲壮が薄れているように感じた。
「俺は、デイヴィが躊躇してしまう人間でよかったと思ってる。これから対人をどうするにせよ、考えなしな選択はしないだろ」
「考えて、答えなんか出るのかよ」
「出なくても考え続ける人間だからこそ信用できる。主義にしろ宗教、思想でも構わないけど、預け過ぎる人の残酷さほど恐ろしいものはない」
「お前、さっきこの村の人たち(話し方と言い)絶対小さいガキじゃないだろ」
何か見抜かれたかと思ったが、次の瞬間デイヴィは小さく吹き出しながら、冗談だよと口にした。
「まあ、少し考えてみるさ。けど、まずはみんなの場所に戻らねぇとな」
「留守居を任せる中で最大戦力はデイヴィだ。戻ってくるまでの間、みんなのことをよろしく頼む」
「任せろ。ショーティこそ、まあお前のことだから心配要らないだろうが、抜かるなよ。全員ぶっ倒して、捕まった人たちみんな助けてこい!」
まだ空元気ではあるが、少しは吹っ切れた感のある彼を連れ、僕はみんなの場所へと戻って行った。
負ける気も死ぬ気もしないが、それでも出る前に心配ごとが一つなくなった思いであった。
(回想)
「この出来損ない! 失敗するなと言っただろう!」
面罵とともに顔を打たれると、数度目で耳に当たってしまい、そちら側の聴力が内側で何かが跳ね破れる音のあと、唐突に途切れた。
「どうして前にできたことが今日に限ってできないんだ! お前みたいなのが自分の子供なんて、本当に恥ずかしいよ!」
背丈が倍近くある年上の兄弟たちなど簡単に捩じ伏せられるうえ、最近は単独で虎の魔物を狩ったことで、周囲の大人たちからの賞賛も受けた。
だと言うのに、僕は何の力も持たない母から鬼のような顔で睨み据えられただけで、たちどころに体が動かなくなってしまうのであった。
富裕層が集まるパーティーでは、ときおり余興として各々の子女子息らが、それぞれ魔力を用いて技量を披露する場があった。
その日行われたのは楽器の演奏だった。そして、運悪く吟遊詩人の子供の中でも、神童と謳われる者が参加していたこともあり、僕は一番の喝采を得られなかったのだ。
「なんとか言えよ、このっ!」
「あ、アブリル様、どうか落ち着かれて下さい。このままではゴヴァン様が……」
母の癇癪がはじまってから一時間近く経つ頃、見かねた家庭教師の先生が止めに入ってくれる。
「なんで恥をかかされた私より、こんなバカの心配をするんだよ! よくそんなんで才媛なんて褒めそやされてきたものだな!」
「申し訳ございません。しかし、先ほどのゴヴァン様の演奏も、素晴らしいものには違いなかったのです。最初に発表という難しい立場もありーー」
「順番が変われば一番だったのかよ! 一番じゃなきゃ二番もゴミも変わらないんだよ! 私はあの人に見初められるために、店にいた頃は寝る間も惜しんで、他の誰よりも努力してきたんだ。その苦労がお前ら貴族として生まれた苦労知らずどもにわかるのか!?」
「おっしゃる通りでございます……」
立場上、そう頭を下げるしかない彼女に対し、母はこれでもかとばかりに高い鼻をさらに伸ばした。
「なのにお前、この私に口答えなんかしやがって。生意気なんだよ! まったく、勉強しかできない奴はこれだから」
ヒステリーに陥った母の苦労話を聞くのは、これが初めてではなかった。
曰く、身を持ち崩してから狂ったらしい祖父から性暴行を受けながら育ち、両親は見て見ぬふりをするばかりで助けてくれなかった。
曰く、食べるものにも不自由し、盗みに手を染めざるを得なかった。
曰く、身売りした先でも悲惨な目に遭わされ、そんな環境でも自分はしぶとく努力し、運を掴んできた。
それぞれのエピソードの詳細な情報を答えるよう求められ、失敗すれば躊躇なく殴打される。
時には正確に答えたはずなのに、急にまだ知らない情報を後出しされ、暴行を免れられなかったこともある。
結局のところ、これらは全て彼女が激情をぶつけるための口実でしかないのだろう。
多くの者がすぐに暇を貰う中、少ないながらこの家庭教師のように、比較的長く僕の面倒を見てくれる者もいた。
彼女たちにも実家の経済状況などの理由があったのかも知れないが、こうして屈辱に耐え僕の負担を減らしてくれるのは、同情心からのものと見て間違いないだろう。
金縛りにでも遭ったように動けない中、僕には母に嫌われ二度と期待されなくなるという恐怖と同じぐらい、理不尽な要求や仕打ちを繰り返す彼女への憎悪が内心に宿っていた。
殺意と言っても差し支えのないそれを、彼女へぶつけられなかった理由は単に恐ろしかったからであった。
家族の呪縛とは不思議なもので、他人同士であれば冷静に働くはずの判断力が、こと肉親ともなると急に狂ってしまうことがある。
力が弱く精神的にも不安定な母ではあったが、当時無知だった僕は彼女に思考を支配されていた。
そして、それに反意を抱く一方で僕自身も、どこかそれを望んでいた節がある。
「いいかい、次は必ずあの銀髪の子よりいい演奏をして、私にとって自慢の息子でいるんだ! お前は才能だけは間違いなくあるんだ。これからは一生怠けずにやるんだよ」
これにて一応、彼女の感情の吐き出しは一区切りがつく。
例え過去のトラウマが因であろうが、本人の火さえ着いたなら、例え深夜寝入っていようが叩き起こされ再開される。
その程度の、とても終息とは言えぬものであったが、それでもまだ小さかった頃の僕は母に感謝さえしたものだ。
そして僕は、命じられるがまま彼女の指やその付け根などへ【治癒】を行使した。
「ああ、痛かった。なんでお前が悪いのに、お前のせいで私が恥までかかされたうえ、こんな辛さを味合わなきゃならないんだ。もっと出来のいい子を産むんだったよ」
吐き捨てるように、しかし嫌悪を装ったその目には得意気な優越の感情を滲ませながらも、壊れたらしい付け爪を見ては露骨に不機嫌さを露にして見せる。
「ああもう、高かったのに。ほんと産んでやった苦労と見合わない子だ。罰として、お前は朝家族と顔を合わせるまで【治癒】を使うんじゃないよ。それと朝まで立ってること。今回はそこでいいけど、もし座ったりなんかしたらわかってるだろうな」
そう凄む彼女が消えるまで、愚かな僕はひたすら謝罪の言葉を繰り返していた。
彼女が確実に去ったのを確認した僕は、家庭教師の彼女へも【治癒】を行使した。
やわらかな光に包まれたあと、頬の腫れや爪痕が消えた彼女は、極めて丁寧な所作で、ありがとうございますゴヴァン様と言う。
「ゴヴァン様は素晴らしい実力をお持ちですね。まだお若いうちから、もう【治癒】を行使できるだけでなく、これだけの効果をもたらせるほどに腕を上げられたのですから」
彼女は僕に配慮し、鼓膜が破れていないほうの耳に、やさしく語りかけてくれる。
実際、僕の【治癒】は既に大人顔負けのものであり、それが広まり賞賛を受けた際には、母も大いに喜んでくれたものであった。
その後先生は、少しの間一緒にいてくれる。
「治して差し上げることができず、申し訳ありません」
そう、しなくてもよい謝罪をしながら、僕のことを抱き寄せ、頭を撫でて下さる。もっと努力すれば、母もこんなふうに優しくしてくれるようになるだろうか。
それからしばし後、帰る彼女と別れた僕は、朝まで一人立ち続けた。
静寂の中一人で立っていると、普段考えないようにしている様々な不安が押し寄せ、弱気の虫が顔を出し始める。
それを、まだ力で勝てなかった頃の意地の悪い兄弟たちが囃し立てるように、打たれた部分に込もった熱が、より痛みへの感覚や、何より惨めさを鋭敏なものにしてしまう。
ほんの少しのヒリつき、引き吊れでも、母に打たれたことを思い出す。痛みが引いても、消えるそれが手を振り上げる母の顔を脳裏にちらつかせる。
折れそうな心を守るため、没頭できる何かを求め僕は立ったままできる呪術の練習に励んだ。体も頭も辛いが、無為の中で苛まれるよりはマシだ。
夜も白みはじめる中、もう十分朝と呼んでもよい時間になるのを待つ。今回は途中母が巡回にくることはなかった。
よくうなされる母は、脂汗をかいて飛び起きるたび、僕へ暴言や愚痴などをぶつけてくる癖があった。
早くに治してしまった結果、八つ当たりの材料にされてしまっては堪らない。
今回は程度も軽いが、以前骨を折られたり、負傷箇所が倍に膨らんだこともある。
腹を蹴られたあと、強烈な気分の悪さと目眩に立っていられなかったときには、バレないように【治癒】を使ったこともあった。
妹のパティにだけは、余計な心配をかけてはならない。彼女も正妻の子ではないため、肩身の狭い思いをしている。
今夜は怖い夢を見ずに済んでいるだろうか。未だ暗がりを恐れる彼女は、間に合わず粗相をしてしまったことを酷く気に病んでいる。
僕はパティの兄なのだから、無条件で彼女の助けにならなければ。
それが本来の家族としての正しさであり、周りがどうであろうと年長者として果たさなければならない責務である。
いつかは僕も、家族からそんな扱いをして貰える受日が来るのだろうか。
父は仕事や女の人のことは好きらしいが、僕ら家族にはあまり関心を示さない。
パティのお母様は僕にも分け隔てなく接して下さるが、父の正妻やその親類からは、他人より遠いという印象を受ける。
昨夜銀髪の女の子に喝采を持っていかれ、肩を落とす我が子を慰める彼らの親たち。
よその家にも多種多様な問題があることだろうが、あんな家に生まれたかったという思いは消えない。
このまま努力を重ね、母の望みである僕が他の兄弟のみならず、過去も含め全ての者たちに優るところを証明し続けられたなら、母は僕を普通に扱ってくれるだろうか。他の親と子供のような関係に、なってくれるだろうか。
想像もできないが、さりとて諦めることもできないまま、僕は未だ痛みを訴える体と寝惚けた頭で朝を待った。誰よりも修練を積み、結果を残し、お母様に認めて貰うまでーー。
◇
「ショーティ、ショーティっ」
僕を現実に引き戻してくれたのは、心配そうな目で僕を覗き込むララであった。
「酷く魘されてた。大丈夫……?」
「……ああ、大丈夫。なんでもないよ」
そう答えたのだが、彼女は僕に動かぬよう促し、タオルで僕の汗を拭いはじめた。
「どんな夢見てたの」
「……覚えてないけど、あまりいい夢ではなかった気がする。起こしてくれてありがとう」
なんとか平静を装ったつもりだったが、彼女の瞳に吸い込まれそうな感覚を覚えた次の瞬間、僕はララに抱き締められていた。
所詮子供の力にも関わらず、息が詰まる思いだった。やり方は違っても、慈しんでくれていることは変わらない。そう、あの長くいてくれた家庭教師のようにーー。
「あんなに怖い思いをしたんだから、悪い夢を見るのは当たり前だよ。大丈夫。ショーティは何も悪くない」
より正確に思いを伝えるためか、ララは獣人たちの使う母語で僕に語りかけてきた。
寝起きのためか、無防備な思考や心に、彼女の労りが素直に染み込んできた。思わず小さな背中へ回しかけた腕が、次の言葉で止まる。
「ショーティなら大丈夫。今度もみんなを助けてあげて。私やお母さんたちにしてくれたみたいに」
ララの父親は、発狂してからもなお母親への謝罪と、火を恐れることを繰り返していた。そして出会った日のララの体にも、ケロイド状にまでなった重度の火傷痕が残っていた。
悲惨な状況を合理化することで生き延びたヒステリー患者は、以前受けたトラウマになるほどの被害を再現することで、自身のかつての体験を証言しようとするところがある。
その例に則るなら、彼女の父親がララの祖母から受けていた暴力を、近い形で振るっていた可能性は十分考えられる。
そして、獣人たちの中では影響力を持っていた夫が寝たきりになったことで、ララの母親は教会側のルールを守らざるを得なくなっていた。
その苛立ちからか、彼女は単純な暴力以外にもどこか嗜虐的な目をしながら、幼い娘の前でマッチを擦ったり、タバコの火をさりげなく近づけたりといったことを繰り返していた。
それが必ずしもエスカレートするわけではない。しかし、父親への恐怖を利用し娘をいたぶる彼女の性根が変わることはなかったはず。
それでも、この子自身は信じていたに違いないのだ。かつての僕と同じように、努力し続ければ普通の家族、他の子の親になってくれる。同じ人間として認めてくれると。
実際、稀に和解に至る親子もいると聞く。形ばかりではない、過去の総括の末に支配ではない関係へと変わる者たちも現れなくはない。
あくまでも可能性としては、どれだけ僅かであろうが僕の母にもララの母にもあった。しかし、彼女が母親と再会することは、恐らく二度とないだろう。
「大丈夫。きっと上手くいくから」
だって、彼女の両親を奪った張本人は、僕自身なのだから。義憤のつもりで処理した欺瞞。
熱が冷えて露になったのは、結局僕も衝動を我慢できない失敗作であるという事実であった。
◇
「○○様(敵の首魁)、旅人から奪った戦利品の献上に参りました」
「よし、通れ」
縄に繋がれた僕らは、山中を歩いて数時間、賊徒どもの首魁が住まうアジトへ来ていた。
周囲を囲まれつつ、奥へと向かった先には、最初に襲われていた村以上に酸鼻を極める光景が広がっていた。
ときおり女の絶叫が小屋から洩れてくる中、外に吊るし血抜きされているのは人の肉だ。
折り重なるように積み上げられた亡骸の山も見えた。皆、残忍さに苦しみ抜いたうえに生き絶えたのだろう。
ときおり見える、恐らく獣人ではない者の遺体はとくに損壊が激しい。だからと言って、別に彼らが同胞に手心を加えているというわけでもないのだが。
血と腐臭、そして下劣な視線に晒されながら待つことしばらく。やってきた敵の首魁は、僕らを眺め口の端を歪めた。
「ほう、なかなか上玉じゃねぇか。こいつらは?」
「村へ宿を求めに来た冒険者どもです。魔石や素材なんかも、たんまり持ってやがりました」
「男や年寄りは全員村で殺しちまいましたが……」
「なに、構わねぇさ。そんな奴ら、生かしといたところで糞の役にも立ちゃしねぇ。いつも通り、そっちで魔物の被害に遭ったよう偽装しとけ」
慣れた様子の首魁は、一応の鷹揚さを示しながら指示を出す。一方、配下たちの反応はほとんどが恐れを抱きながらと言った様子だ。
先ほど見た死体の山の中には、古傷の目立つ荒っぽい男の死体もあった。些細な理由での粛清も度々行われているのだろう。
「魔石はデカさや質を確かめてから、備蓄として追加しておけ。お前らにはあとで褒美をやろう。適当な女を連れて帰っていいぞ。あっ、肉も食っていけよ。下ろし立てだから」
「この下衆めっ、私(※一人称要確認)たちをどうするつもりだ!」
「くっ、殺せ……!」
「はは、見た目だけでなく、活きまでよしか。そっちのガキは男か女かもわからねぇぐらい小せぇが、それはそれで楽しめそうだな。シメ甲斐がある」
舐め回すような下卑た視線で僕、エルシィさん、○○さんを見ていた奴は、不意に大げさな怒鳴り声を上げた。
「おい、なにをぼんやり突っ立ってんだ! まったく手前らはいつもいつもっ、さっさと魔石の選別でもはじめやがれ!」
「あんなグズども、こっちに寄越されてもなあ。向こうで見張りをさせたところで、どうせ物の役にも立たねぇだろうし」
悪し様な罵倒に、腰巾着たちも追従する。嘲笑の対象であろう賊たちは、力の差があるからか屈辱的な扱いをされるがままだ。
「ははっ、違ぇねぇ! しょうがねぇからお前ら、何にもせずそこで立ってろ。飯抜きのかわりに、たっぷり見物させてやるからよ」
「そ、そんな、俺らだって今日狩りや肉の処理をーー」
「おい、口答えのつもりか」
睨み据えながらのドスを効かせた声に、貶められている者たちは口ごもってしまう。
力量差を見るに、無理もない話なのだろう。首魁の男、扱える魔力の量やその身体強化自体は、賊たちの中でも頭二つは抜けている。
呪術や魔法などの指導を受けずとも、人は生まれながらの才や後天的な努力によって、生物としての単純なスペックを魔力による強化で底上げすることができる。
○○に滞在していた頃、魔物を狩ることでみんなを強化した方法がこれだ。ある程度のレベルまでなら、専門的な知識もほぼ不要。
時折貧困層の出身であっても、己が武勇を頼りに成り上がる者が現れたものだが、その多くはこのパターンであった。
この男も、こと才能に関してのみ言えば要件を満たし得るものがある。もっとも、ここまで非道に手を染められるようになってしまっては手遅れだろうが。
そんな彼に、たっぷり恥辱を注がれた者たちを助ける者はいなかった。不当に扱ってもよい存在を作ることで組織の維持を図るのは、人も獣人も変わらない。
場の流れに任せ、一緒に嘲笑わせてガス抜きに使うもよし。消極的加担者に逆らった場合の恐怖を感じさせつつ、今自分がその立場ではないという安堵と優越感を与えるもよし。
手軽だからこそ多くの場所で黙認される。しかし、この種の恐怖による支配というのは、かえって頼れば頼るほどに組織の結束を脆弱にしてしまう。
彼は今から、自身の至らなさをその血で贖うことになるだろう。
「さあて、それじゃあ今から人間どもには、俺たちの恨みをたっぷり知ってもらわなきゃなあ」
「俺らは魔石の整理をしておきます。あれだけの数だ。人手がなくちゃいけねぇ」
「勤勉は成功の母だな。早く終わったら、まだあったかいうちに使わせてやるよ」
「へへ、そうこなくっちゃ。おいお前ら、ついてこい!」
怒りを滲ませながらならともかく、喜色を滲ませながらそのセリフを口にした首魁の指示により、僕らは手荒に引き離された。
三人で示し合わせた通り、抵抗するも逃れられない演技を続けながら適当な距離まで離れると、僕は先ほど彼らへ献上された魔石へ魔力を流し込む。
次の瞬間、轟音と閃光が場を支配し、多くの者たちがその場に倒れ込んだ。
「な、なんだっ、何が起きやがった!?」
なんのことはない。宿場町を出てから手に入れた魔石の中心に、ガスリー子爵から頂いた火力のある魔石へ爆発するよう陣を刻み、誘爆させることで大爆発を引き起こしたのだ。
魔石の選別を行おうとしていた連中は、ほとんどが死亡したことだろう。その隙に、僕らも縄に偽装した【荊棘の頸木】を解除し、そのまま近くの敵を拘束。
不自由な体勢を余儀なくされた相手を、僕ら三人がそれぞれ服の内側へ仕込んだ小型マジックバッグから取り出した武器で斬殺。
そればかりか、僕らを護送していたはずの者たちまでもが、浮き足立った賊たちを斬り捨てはじめた。
実は、僕らを護送してきた中には獣人たちのみならず、○○さんと○○さん(冒険者二人)も紛れ込ませていたのだ。
顔は化粧を施し、耳や尻尾は殺した者たちの中から都合がよいものを利用させてもらった。
これに認識阻害の魔石の効果が加われば、仮に賊徒の中で耐性や素養、知識のある者がいても短時間はごまかせる。
「な、何してやがるっ、造反か!?」
「ああ、その通りだ。貴様らに殺された家族の恨み、今晴らさせて貰うぞ!」
そう叫びながら、貸し出した武器で切り込んだのは、共に村からやってきた獣人たちであった。
志願者は思いの外多かったので、その中から不穏な空気が薄く、また身体的にも比較的健康を維持している者を中心に選抜。
肉親や恋人、友人を奪われた復讐心からか高かった戦意から、それぞれ賊徒と斬り結びつつ怨敵である首魁を目指して行ってしまう。
「待て! 気持ちはわかるが勇み足はよせ!」
「あんたらには感謝しているが、こいつだけは俺たちの手でッ!」
そうして止める声も聞かず、鬨の声を上げながら遮二無二突撃を敢行した。
「ひ、ひぃっ、来やがる!」
「落ち着け」
決して張られたわけではない声が、首魁の口から耳に届いてきた。
そうして無造作に前へ踏み出した奴は、払うように刀を一閃。
間合いも、呼吸も、思いも想いの丈も何もかも、そうした一切合切を力で捩じ伏せ、一振りで三人もの命が散ってしまった。
恐らく、健康かつ万全な状態であったとしても敵わなかったであろう。それほどの力量差を前に、連れてきた獣人たちの足が止まってしまう。
「【荊棘の頸木】を救援に回します!」
仕方なく敵の拘束を一部解き、土や木で作った即席の壁で相手の足を止め、また進行方向を限定しながら、負傷者や恐慌状態に陥り動けなくなってしまった者たちを下げる。
少人数故に速攻で勝負をつけたかったこともたり、本音を言えば予定外の行動は慎んで貰いたかった。
とは言え、そもそも彼らと信頼関係を構築する猶予もなかった以上は仕方がない。僕の徹底が足りなかったせいで、現時点でも三人死んだ。
「味な真似をしてくれる。この俺を○○と知っての狼藉か、感じ入ったよ」
「お前ら、決して生かして帰すな。俺に続けェッ!」
これ幸いと、一気に押し返そうとしてくる敵を食い止めるため、僕はそれぞれの場所で戦闘を行っていた各員へ指示を飛ばす。
「優位を捨てても負傷者を守れ! 俺が○○(敵首魁)を仕止めるまで耐えろ! 手が空いてる奴は負傷者にポーションを!」
「こちらは任された! 存分に戦いたまえ」
エルシィさんに指揮を任せ、不用意に壁を抜けてきた敵を斬り殺していく。
数人落命させたところで、即席とは言え壁ごと切り裂く一撃が向こう側から繰り出された。
飛んでかわし、そのままよじ登った壁を蹴り返しの一撃を入れる。しかしこれは反応されてしまい、僕らは一度睨み合う形となった。
「ほう、チビっこいのにやるじゃあねぇか。だが人様を呼び捨てとはいただけねぇなあ」
余裕綽々に剣を肩にかけ見下ろす奴は、僕に対し興味が湧いた様子だ。
「貴方に払う敬意なんて、その無軌道を人生ごと止めてあげるだけでも十分でしょう」
「無軌道? 貴様ら人間どもが、手前らの所業も知らねぇで」
顔の皺を深くした首魁の瞳が、殺気立ったものとなる。壁を完全に破壊し前へ出てきた奴は、その力で持って振るう剣圧の勢いのまま、少しずつ僕を後退させていった。
「鼻垂れ風情にはわからねぇだろうなあ! 腐った支配者に、周りがゴミ屑しかいない中での糞同然の生活! 挙げ句の果てに国から半ば売り飛ばされて、新天地での暮らしも自由はない! こんな人生を強いられる気持ちがお前にわかるものかよっ、ああ!?」
一気呵成とばかりに叩きつけられる力、動きのキレ自体は確かに見事なものだ。彼もまた、一流の剣士になれる才能、資質を十分に有している。
しかしながら、洗練とは程遠い剣捌きに足捌きは予備動作が大きく、さながら次の動きや動作を逐次僕へ予告してくれているようなもの。
おまけに、守勢に回る僕を叩き潰そうとするあまり彼の動きは、すぐに単調かつ出力優先の、非常にカウンターを合わせやすいものへと変わっていった。
後ろが崩れる様子はないが、大方力量も見定めさせて貰ったことだし、早めに終わらせて貰うとしよう。
「そら、どうした! 俺を止めるんだろう? 止めて見せろやクソガキがあ!」
「望みとあらば」
打ち下ろす軌道を敢えて掠るぐらいギリギリにかわした僕は、キレ頼みの切り返し故次の動きも丸わかりな首魁の懐へ飛び込み、剣を持った腕を斬り飛ばして見せた。
「がああああ!? お、俺の腕があ!」
そのまま倒れ伏し、のたうち回る首魁を腹を深く蹴って止め、呻くその首へ向け、剣を振り上げる(戦斧はまだ使えない描写入れとく)。
「たしかに貴方たちは国や運命の被害者で、人を恨んでも仕方のない人生だったんでしょう。でもねえ、女子供のみならず、同じ連れて来られた同胞までいたぶってた奴が真っ向からの被害者面は無理があるのでは……?」
「ぐっ、お、お前ら、誰か助け……」
しかし、嗄れ声で助けを求めた彼の元へ駆けつける者は誰一人としていない。
先ほどから全力で戦っていなかった不穏分子たちはともかく、太鼓持ちをしていた部下すら彼を見捨て逃亡を計る始末だ。
暴力と恐怖の支配で秩序を保っていた組織。そのトップであり最大戦力が片手を失ってしまったのだから仕方がない。
「あ、あいつら……っ」
忠誠心から最期まで付き従う奴はいないだろうと思ってはいたが、さすがにこの結果は日頃の行いとしか言いようがないだろう。
リーダーはまず手下を守るものであり、普段から虐げ、差をつけ、搾取して憚らないのでは、彼が批判した国と何も変わらない。
愛着も湧かないような組織とあっては、この結末も当然と言えるのだろう。
一人取り残された哀れな彼は、僕を見上げながら涙声で命乞いをはじめた。
「な、なあ、頼む。見逃してくれ。これからは真面目に生きる。心を入れ換えて、善い人間になるから」
この言葉通り、こいつが今からでも違う人生を歩める可能性もゼロではないのだろう。
「理不尽なことばかり起きているうち、気がついたらこんなことになっちまってたんだ。反省する。もう二度と悪いことはしねぇよ。だから、な、許しておくれよ……っ」
僕はこの男の過去を知らないが、ここまでの蛮行を平気で行えてしまうほどの過去があったのは間違いない。
かつての被害者であり、そして悲しくも加害者となることを選んでしまった彼も、これから誰かの暖かさに触れ、気の迷いや心の弱さから間違いを起こしても支えられながら頑張れば、大きく逸れてしまった人生の軌道だって修正することも不可能ではないのだろう。
けれど、僕はその役目を負えない。僕には自分が率いている、面倒を見ている集団があり、そして開拓村の者たちとの約束もある。彼らとて、今さらこの男を許すことなどできないだろう。
「武器を取って戦うことを選んで、それで負けて殺されるんだ。これ以上痛くしないかは、せめて往生際ぐらいよくして見せろ」
それでも泣き叫ぶ男を一刀で終わらせてやり、戦闘は完全に終了した。逃げ出した者たちには、既に呪術により精霊の印がついている。
彼らや、その協力者の中で既に染まってしまった者たちを仕止めれば、今回の事件はおしまいだ。
◇
◇
「……父さん、母さん……」
「よく生きて帰ってきてくれたね。この人たちが助けてくれたから、もう心配要らないからね」
その後、捉えられていた者たちを救出した僕らは、戦死者の遺体に加え、首魁ら賞金首どもの御首を収用し、一度村まで戻った。
「申し訳ありません。犠牲者を出してしまい」
「いや、息子も女房を助け出そう、私の連れ合いの敵を取ろうと自ら志願しました。きっと本望でしょう」
「……息子さんは、最期まで勇敢に戦われました。彼の死闘なくしては、今回の討伐も奪還も、上手くいかなかったでしょう」
開拓村へ戻り、助け出した仲間と冷たくなった同胞の亡骸を引き渡す頃には、印を付けた残党も各村などへ逃げ込んだところであった。
開拓民らに話を聞けば、やはりどの地も彼らのように服従を強いられている開拓村なのだと言う。
この村に向かおうとする者を斬ったときにも思ったのだが、彼らのほとんどは首魁の死をきっかけに、小規模のグループとなりながらも支配を続ける気のようだ。
留守居の者たちも含めて話し合い、村で特別何かが起きる雰囲気はなかったという言葉もあったことから、先ほど討伐に出向いていた僕らは少しの休憩のあと再度出発、逃げ出した賊徒たちの残党狩りを開始した。
「ひぃっ、あ、あいつら、俺たちを追い掛けて来やがった!?」
「ちくしょう、ふざけやがって! 返り討ちに、があああああ!?」
本拠地にいた者たちとあって、他の賊徒に比べれば多少はできるのかも知れないが、それでも首魁と比べれば雲泥の差。村の解放は、流れるように進んでいった。
「く、来るな! 来たらこいつを殺すぞーーむぐぅぅぅッ!?」
最後の村で人質を取った敵も、背後から首に噛みついたフォレストキャットに骨を噛み砕かれ絶命。
明らかに嗾け(他も直しておく)られた者たちは、死なぬよう手心を加えたうえで地面に転がしてある。
残った一人のほうへ距離を詰めて行くと、焦燥を滲ませた男は喚くようにぶちまける。
「糞ッ、人間どもめ! どうせ俺らを殺したって、心なんか一ミリも痛めちゃいないんだろう!?
これまで俺がどんな思いで、同胞を女子供まで手にかけてきたか知ってるのか!?
唯一残った息子を守るため、必死になって連中に取り入ったってのに、全部台無しにしやがって! この糞悪魔どもが!」
血走った男を見やり、次いでその足元に伏したまま動かない、嗾ける際の見せしめとされた者の姿へ視線を移し、僕は溜め息を吐いていた。
「可哀想にな。せめてこれ以上手を汚す前に、息子の場所に送ってやる」
「ふざけるな! 死んで堪るかっ、何の意味もない人生なんて……ッ」
「このまま逃げられて役人の手に渡った末、自暴自棄になられて、まだ助けられる開拓民たちを道連れにされても困る。恨んでくれていい」
歪みながらも賭けに勝とうとし、状況の酷さから全て失う羽目になった男を終わらせると、助け出した獣人が何か騒いでいた。
「こいつも賊だよ! 私のあの人を殺しやがったんだ!」
「ち、違う! 俺は囚われてたところを逃げてきただけで、この女の言ってることはーー」
一先ず場を収めるため、疑惑のかかった男を拘束し、彼へ詰め寄ろうとしている者たちの間へと割って入る。
「ねえ、殺してよ! 早く敵を討ってよ! なんで殺してくれないの!?」
「別に疑うわけじゃないが、命がかかってる以上万が一があっちゃいけない。連れて行って面通しすれば、すぐにわかるよ」
緩みかけていた男の顔が、途端に青ざめはじめた。その後他の村の者からも確認を取り情報を精査した結果、男が露と消えたのは言うまでもない。
◇
その後助け出した各村の者たちには、担架を出すなど動けない者に配慮しながらも、僕らの留守居がいる村へと移動してもらった。
一ヶ所に集まって貰ったことで、効率よく治療や食料の配給などを行いつつ、年長者を中心に代表を集めて今後のことを話し合う。
ときおり、賊に堕ちてしまった身内を僕らに殺されたのか、嫌悪や敵意を向けてくる者もいたので、警戒レベルは引き上げた。
八つ当たりと言ってしまえばそれまでだが、いざ緊迫した状況が過ぎれば、感情を抑えられなくなる人間が出るのも仕方がないこと。
こちらの隙をなくすことで手を出させないうちに、神官の子たちに手伝ってもらい、葬儀などを済ませる。このおかげか、こちらへの不審も少しは和らいだように思えた。
「このたびは、私どもを助けて下さり、本当にありがとうございました」
「礼はいい。犠牲者が出過ぎた」
「しかし貴方様方のおかげで、我々は皆、賊に堕ちた者たちからの支配から解放されました。そのうえ治療や当分の食事や物質の提供、隠蔽に作物のことまで無償で。
一時はどうなることかと思いましたが、どうにか生き延びて行けそうな目処も立ってきました。皆様にして頂いたことを考えると、どれほど感謝しても足りないほどです」
そう頭を下げる年長者ではあるが、それでも僕らは全員を助けられたわけではない。
単に間に合わなかっただけでなく、斬らなければならなかった者もいた。他にも、不本意な形で犠牲になった数だって決して少なくはなかった。そもそも、皆殺しにした野盗どもだって元は被害者だった。
さらに言えば、これから人間関係で諍いが起きた際、今回の件で残った脛の傷を密告される、または密告を恐れて口封じに出るなどの懸念もある。
仮に起きなかったとしても、そういった事態を防ぐための対応策により、風通しは随分と悪くなることだろう。
トップとして、僕も気をつけなければ。そう気を引き締めながら、僕は白髪の混じった彼へ訊ねた。
「だいぶ人数も減ってしまったが、役人どもから怪しまれないか」
「各村で話し合い、視察などの際に人数を合わせればどうにか。何名か脱走者が出たということにしなければ辻褄が合いませんので、多少の叱責はあるでしょうが」
「それで本当に大丈夫なのか……?」
とくに問題はないだろう。そう言いたげな男に思わず聞くと、彼は小さく肩を竦める。
「どうせ彼らも口入れ屋も、我々の顔など覚えていませんから」
さらりと口にされた言葉の底にある物を思うと、不意に寒気を感じてしまった。この杜撰な扱いこそが、今回の野盗化を引き起こした原因のうちの一つなのだろう。
今後も不安定な日々を送らざるを得ない彼らと別れた僕らは、次に立ち寄った宿場町のギルドにて、盗賊団○○の討伐を首級と共に、開拓村側と口裏を合わせた内容を報告。
調査が済むまでの間、首魁たちに懸かっていた懸賞金も使い、街で羽根を伸ばさせることにした。
「おいショーティ、盗賊倒した懸賞金があるんだから、今回は贅沢できるよな?」
「そんなわけないだろ……送り出してくれた教会のみんなに送金したから、休みは調査が終わるまで取れても他はこの前と変わらないよ」
その調査も、明日から僕や年長組が同行することになっている。それが終わったあと、全員で一日休みを取って出発という予定だ。
開拓村側にとって不都合な事実を隠蔽するという目的もあるが、前回同様滞在費の足しになるという理由も大きい。
「ちょっとぐらいいいだろ、このケチ」
「あんた、自分で賞金首を取ったわけでもないのに、なに言ってるんだか……」
「そ、それはこいつが、俺に冒険者の試験を受けさせないから」
「今のウィルじゃ、賄賂送っても落ちるわよ」
からかうポーラを追い掛けウィルは向こうへ行ってしまったが、あまりに聞き分けのよい子に比べれば、あれぐらい欲を見せてくれる子供のほうがやはり安心する。
とは言え、金がなければ小遣いを渡して遊ばせてやることはおろか、街で宿を取ることもできない。それでは次第に不満が高まり、やがて組織は破綻する。
本当であれば、もう少し気前よく遊戯代などを渡さねばならないのだろうが……子供たちのために我慢をして、今の待遇でも離脱せずにいてくれる者たちには感謝しかない。
「みんな、どうしてるかな」
「今回は滞在日数的に、向こうからの手紙を受け取れるかも知れないよ。上手くやってるといいけど」
前回は襲撃を受けた村の報告であったが、今回は盗賊団の壊滅ということもあり、少し時間がかかるはずだ。その間に、互いの近況をやり取りできればと思う。
「私も何か書いていい?」
「あー……ごめん、昨日のうちに出しちゃった……」
僕の言葉に、ララはやや表情を曇らせた。
「いいもん。次までに読み書きの練習もっとして、ちゃんとした手紙書けるようになるもん」
彼女を宥めながら、街で買った帳面とペンを渡した翌日、宿場町へやって来た調査隊とともに依頼へ向かおうとした僕らへ、デイヴィたちが声をかけてきた。
「その、俺たちも参加していいかな」
「え、ああ、うん。ちょっと聞いてくるよ」
尋ねたところ、冒険者ライセンスC級の三人であれば、報酬は出せないが同行自体は構わないという。
タダ働きにも関わらず同行するあたり、三人にも何か思うところがあったのだろう。
山中の現場に未だ残る凄惨さのあとを見るデイヴィは、表情を強張らせながらも、目を逸らすことなく、じっと血痕や野盗の断片を眺めていた。
「その人数で、この規模の山賊を死傷者も出さず討伐とは手柄だったな。追って褒賞や、お前らのギルドのほうでの功績が加算されるはずだ。では、我々はこれで」
最後にそんな言葉をかけてきた役人と別れたあと、深夜外に出れば、デイヴィが一人剣を振っていた。
昼間に受けたショックが原因で寝付けないのかとも思ったが、表情をよく見ると、不安を追い払おうとしているわけではないらしい。
むしろ、どこか吹っ切れたようにも感じる横顔を眺めていると。こちらに気づいた彼が声をかけてきた。
「ショーティ、見てたのか。こっち来いよ」
汗で衣類が張りついた彼へ、一度下がって持ってきた着替えとタオルを手渡す。
また少し逞しさを増したデイヴィへ、炒って粉にした大豆を溶かした飲み物を出す。
一息に半分ほど飲み干した彼は、その場に腰を降ろすと、僕にも座るよう促してきた。
「開拓村のみんな、これからどうなるかな」
「……状況自体が変わらない以上、脆弱な基盤の上で村を回して行かざるを得ないから。これから揉め事も起きるだろうし、新しく口入れ屋が送り込んでくる人の中に、危うい奴が紛れてる可能性だって少なくないと思う」
悲観的な僕の言葉も、すっかり獣人たちへの蟠りが解消された様子のデイヴィは真剣に聞いてくれた。
「こんなことが、また起きるってことか」
「そもそも、地元や同じ国の人間どころか、他所の国の人間を連れて来てって言うのは無理があるんだよ。
あの獣人たちにしたって、家族で来てる人たちを除くとほぼ寄せ集めだって聞くし、中間共同体の成立という意味でも辛いものがかる。
遠からず先行きの立たなさから、賊徒と化した離散者が出ても不思議じゃない」
「あの辺のゴロツキ共の勢力図も変わるだろうしな。どうあっても苦境か……」
「本当なら、口入れ屋なんか国が規制しなきゃならないんだよ。なのに好き放題利益誘導させて、皺寄せは全て自己責任の名の元、労働者へ押し付けて。野盗の対処なんか、あれだけ被害が出てるのに事実上放置なんだから、完全に機能不全だよ」
武力以外の部分も含め、長く平和が続き過ぎた結果、安全保障への危機感が欠落したまま育った世代が、今の政治の中心なのだろう。
問題が起きないことが当たり前になることで、人々はその重要性を忘れてしまう。
戦火のような危機が遠退けば、濡れ手に粟を当然と思い込んでいる富裕層が自分たちの保有している通貨の価値を維持しようと、市場に出回る金を減らしたがるのは世の常だ。
人々も豊かさに慣れるにつれ、かつての暮らしを思い起こさせる職種、自分たちが脱却した業種を蔑む者も現れ出すことだろう。
そうした風潮が広まり、当事者たち以外の反対が少ない状況でなら、その業種の冷遇も容易くなる。
一時は普通選挙制が広まっていた様子もあるので、もしかすると政争の際、政敵の票田、支持層へダメージを与えるなどという目的もあったのかも知れない。
ともあれ、一つが焼き尽くされたとしても、そこで終わることなく次の標的が焼かれはじめたことだろう。
恐れを抱いた者が弾圧に加担したり、現場を守ることなく譲歩したこともあったのだろうが、それでは成功体験を得た相手を勢いづかせるだけ。
次第に状況の悪化が可視化されはじめることだろうが、それでも対岸の火事でいられるうちなら、人は優越感や不安の直視を避けるため、消極的な加担者を選んでしまうものである。
一度定まった流れは、行くところまで行かねば転換しない。失敗を認めないため、よりそれに固執してしまった結果、各個撃破の末に普通選挙すら失ってしまった民意。
むしろ失敗どころか最初から貧困化が目的であり、それを成功させて階層の固定化を進める、ミスリードの末に弱体化を余儀なくされた国家を下の世代へ押しつける腹の富裕層。
当時は選挙などなかったし、所々に違いはあれど、やはり八十年前が再現されつつあるかの状況だ。歴史は韻を踏むとは、まさにこのことなのだろう。
ガスリー子爵のような復権を予感させる存在は現れても、変革の時はまだ先のように感じる。
やはり、先の魔族の侵攻のような一大事でもなければ、人という種は危機感を共有し得ないのだろう。
そう暗澹たる気持ちを抱いていると、デイヴィはその純朴さそのままに、飾り気のない素の感情を吐露しはじめた。
「俺、今のままじゃ駄目な気がするんだ。今回躓いた対人だけでなく、もっと色んな意味で力をつけたい。それでおかしいと思うことから、自分が大事に思う誰かや何かを守れるようになりたい。傷つけさせないようにしたいんだ。だから、力を貸して欲しい」
「デイヴィが駄目なんてことはないよ。凄く頑張ってるし、このまま続けてれば必ず強くなる」
別にこれは、子供や若者相手という理由で口にした言葉でもなかったのだが、しかしデイヴィは首を振り僕を見据える。
「なあ、ショーティ。お前、そのうち何かやるつもりなんだろ?」
「……何かって?」
「それは俺にはわからないけど、とにかくデカいことだよ。そのとき手伝う奴が強ければ、お前だって楽をできるはずだ」
率直な、探ることすらしない姿勢のまま、目の前の少年は決意を語り続ける。
「俺は必ず強くなるし、お前がやることの役に立って見せる。だから、俺を鍛えろ。なんだってやるからよ」
「……まずは与えたメニューを身に付けてからだな。あとは読み書きに単純な計算も。それができたら、次のステップも考えるよ」
在りし日の誰かを思い出すデイヴィに、押し切られた僕は思わず嘆息していた。
「おし、男と男の約束だからな。守れよ」
握手を求めてきた手を握り返しながら、守るよと呟く。若者の力になるのは、年長者の務めだ。
それにしても、短い間に立派になって……若さと言うものが、久々に羨ましく思えた。
◇
後日この街に届いた手紙曰く、街は小さなトラブルも起きてはいるが、少しずつ復興を進めているらしい。
また、賊の討伐にガスリー子爵から提供された魔石が役立ったことを書いたところ、ヒロイックな彼は感無量と言った様子で咽び泣いていたとか。
送金に関しては、無理はしなくてもよいと書いてあったものの、あれだけ面倒を見る人間が増えては、金などいくらあっても足りないだろう。
こちらも自転車操業状態とは言え、公が頼りにならない中で志を捨てずに来たベサント司教たちには、可能な限り援助を続けてやりたいものだ。
盗賊団○○の討伐も認められ、少しの懐の余裕とCランクへの昇格も果たせた。
別にやり直しなど気にしてはいなかったのだが、昇格の際に仲間たちから大いに祝われた。照れ臭いものである。
街を出て、再び街道近辺の魔物を狩りながら北上を続けた僕らの前に、地方都市○○の城壁が見えてきた。
「古いけど、結構高いのが建ってるんだな」
「○○ほどじゃないけど、ここも規模としては、それなりの街だからね」
「あー、昔は栄えてたって、子供の頃に聞いたことあったな。と言っても、だいぶ昔の話のはずだよ」
たしかに○○さんの言う通り、かつて堅牢と謳われていた城壁は、その凋落を物語るかのように苔などで汚れきっていた。
もっと言えば、この街の近辺には、行き倒れの数が異様に多かった。
魔物や賊に襲われておらずとも、既に事切れた後、という者も少なくない。
生きている者は治療ののち、保護してここまで連れて来たが、僕は欠損までは治せないため、非常に痛々しい姿である。
そして、その欠いた部分には手足や指のみならず、鼻を失くした者も多かった。とくに女たちに、その傾向が見られる。
欠損部に関しては神官たちが治療に当たっているが、まだ彼女たちも十代半ばということもあってか、あまり成果は上がっていない。
「はあ、アンジェリン様なら、私たちぐらいの頃には一瞬で治せてたらしいのにな……」
「あの子は規格外のうちの一人だから。比較対象にしないほうがいいよ」
「あ、あはは。ありがとうショーティ君。でも、アンジェリン様をあの子呼ばわりはちょっと……」
「まあ、しっかりしていても子供ですから。年下の友達みたいに言っちゃうのも仕方ないですよ」
こんな間の抜けた会話をしている間も、保護した者たちの表情は暗いままだ。単に治療が遅いから、というわけでもなさそうなのが気がかりである。
どこか荒んだ雰囲気を前に、おじさんへ相談しようと声をかけたものの、向かった先の彼もまた、難しそうに眉間へ皺を寄せていた。
「おじさん、どうしたの?」
「……なんでもねぇよ。ほら、さっさと行け。後がつかえちまう」
微かな苛立ちが滲む口調は、普段のぶっきらぼうというより、少し投げ遣りなものに感じた。
タバコでも我慢しているのだろうか……? いや、そもそも行き先がこの街に決まった時点で、口数も減りはじめていたような……。
「おい、そこ奴ら。入るなら早く身分証を出してくれ」
「あ、はーい。今行きます!」
門番に促されたこともあり、一先ずそちらへ向かい、年長組を介して手続きをはじめる。
何やら不穏な空気が漂う中、振り向けば、少し居心地悪そうに街へ視線を向けるおじさんが立ち尽くすようにしていた。
彼岸島の勝次の死闘を読んだら止まってた筆が動いて一気に書けた。
コオジ、ご都合展開で構わないから、勝次を死なせないで欲しいんじゃ…