03
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「しゃべりすぎましたね、真麻様」
土足で滑り込んできたその集団は、黒い服に黒い布で顔を覆っていた。顔を知っている真麻を警戒したのだろう。
椅子に座らされたまま、真麻は唇をかむ。
「凛」
日向が短く呼んで、凛の方に金属の鍵を放った。手錠の鍵だ。
「こいつらの目的は真麻でしょ、非情だけど、いいテストになるよ」
へらっと笑う聖は、言葉どおりあまりにも非情だった。
まぁ、どっちにしろ。
逃げたなら逃げたでそれでいい。むこうに加勢されても、戦力は劣らない。
凛は聖をみやる。
普段なら持ち歩かない、腰のナイフフォルダー。
なんてったって、長谷山聖がわりとやる気だから。
琴音が凛の手から鍵を取り、小さく笑う。そして、かちゃん、と真麻の手錠がはずされた。
「――――わかるよね。止めるための手段は、すでに限られているの」
小さく付け加えられた凛の言葉に、真麻は少し顎をそらした。
「わかってる」
強情そうな笑みは、明らかに無理をしていた。親しいかどうかは置いておいても、いまから武器を交えるのはかつての仲間だ。
「琴音さん、姫と春ちゃんたち連れて奥にいっててください。的が少ないほうがこっちも楽だし」
「行こうか、姫」
その申し出に凛は首を振った。
「祐と春ちゃんだけ連れていって」
「え、でも……」
「平気」
凛はそれだけ答えると、ソファーの背もたれに腰掛けた。
敵との間に、盾をはさんで。
「こいつらは私を殺さない。殺せない」
そして、軽やかな口調で、柔らかな笑みで、呟く。
「私は、《殺条》の居場所を知っている」
漆黒のドレスに、華やかな巻き髪。艶めいた唇は皮肉そうに笑って。
足元がもこもこのスリッパなのは残念だ、と凛はちらりと思ったが、それでもその姿は強烈なほど魅力的だった。
反乱軍がわずかにすくんだ。期待と狂気的な殺意が湧く。
「ったく……」
聖が小さくつぶやいて、それぞれ四肢が変化していく敵を眺めた。
「なんで言っちゃうかな、それ」
苦笑いを浮かべる聖を、凛はつんとすました顔で無視した。
瞬間、ナイフフォルダーから引かれた刃が、キンと澄んだ音を響かせる。
琴音は言われたとおり、祐を連れて部屋を出た。春日も少し後ろ髪を引かれた様子で、しかたなく後に続いた。
真麻も涙目で躍り出る。日向は座ったまま、とりあげた拳銃をくるりと回した。
「発砲許可、ある?」
「状況によりけりじゃない?」
日向本人も察している。彼の任務は聖とは違う。
日向の的は、石垣真麻、ひとつだけ。
もし、石垣真麻が少しでも不穏な動きを見せれば。
客観的に考えれば、真麻はとても残酷な条件でテストされている。
聖のナイフは目にもとまらぬ速さで敵を裂いていくが、彼にしては少し的をずらしている様子だった。聖の殺しは即死が基本である。しばらく動ける程度の致命傷は狙ったものだ。
彼らの目的は真麻だ。あと少ししか動けなくなった敵は、最後の力を必ず真麻を殺すために使う。
とどめは、彼女に刺させる。
真麻の腕が突き刺さるたび、上がる悲鳴。
日向と最初に交えたときから予測するに、高熱を帯びる凶器なのだろう。
肉を焼く腕――罪人を、苦しめて裁く。
かつての仲間を裁くことは、果たして彼女の正義にかなっているのだろうか。
その場が片付くまで、さして時間はかからなかった。
「ご苦労だね、大事な戦力を十もついやして」
血まみれの部屋で、一滴の血も浴びなかった聖が、ため息をつく。変わって真麻は血まみれで、死体の中で立ち尽くしていた。
確認するまでもなく、惨殺された死体。うつむいた彼女は、強く唇を噛んでいた。
「派手にやりすぎだよ、聖」
凛は不満そうにそう投げかける。答えようとして、聖が足をとめた。
「……く、そ…………こんな、ところ、……で」
うめき声は死体の中から。顔を覆っていた黒い布を取り去り、男は血泡を吐く。
真麻が小さく、その男の名前を呼んだ。
「真麻……なぜ、なぜわからない……!」
血まみれの憎悪が、真麻を睨む。
「奴らは……、必ず殺してみせる……! 我々すべてを、犠牲にしてでも! ……奴らが生んだ怨みは、全てを殺す……だから必ず、必ず殺してみせる!」
ぼたぼたと、血が滴る。見開かれた狂気的な眼が凛をみた。
「言え! やつらはどこにいる!」
わずかに、姫君は顎をそらした。明らかに不満そうな顔をする。
「吐かせたいのなら、ここまで来るがいい」
スリッパのかかとで、とん、と床を蹴る。
「……くそ、」
冷やかな凛に、男は顔をゆがませた。
「…………このまま、このままのたれ死ぬくらいなら!」
引き抜かれた拳銃は、引き金を引こうとする。
長谷山聖が一瞬、動こうとして、――やめた。
開け放たれた扉のむこうから、小型ナイフが男の頭を横から深々と射抜いた。
真麻も思わず息をのむ。
ナイフの柄には、《風雁》の紋章が刻まれていた。
「――――たく」
姫君が伏せていた目をあげる。
「状況もわからないくせに余計なことする」
悪態つきながらも、その表情はどこか嬉しそうだった。
「凛!」
翔緒は、室内の状況なんて把握せず、かけ込んできた。部屋の惨状より先に、凛の無事を確認してほっとした顔をした。彼の優先順位はわかりやすく、極端だ。
「――――翔緒……」
つぶやいたのは、真麻だった。
「うわ、真麻じゃん。何してんの」
なんとも部屋に似つかない軽い口調。
「知りあいなの?」
聖が何気なく聞いた言葉に、翔緒が少し説明に困った様子を見せた。
「こいつの親、珍しく《風雁》に友好的な人で、わりと行き来があったから」
そんな軽い説明で、と聖は笑いそうになった。
真麻は当主の娘だ。それで説明はつく。しかし、翔緒の説明はつかない。立場を知っている聖には意味がわかるが、はたして。
姫は納得したかなー。
あえて突っこまなかったが、そんなことくらい、さらっと言っちゃえばいいのに、と思った。
「私に交渉があったの。《石垣》の反乱をとめるのに協力してほしいって。信用できるの? この子」
翔緒は困ったような顔をして、
「俺が関わりあったのは、三年以上前だから。でも、バカじゃねぇよ、こいつ」
「あんたにいわれたくない」
そりゃそうだ。と凛は同意する。
二人の様子からして、なかなかに親しい間柄ではあるようだ。それに、《風雁》内部に招き入れている以上、あの人の信頼もある。凛は数時間前に顔を合わせた当主を思い出す。
腹は括った。
「ま、例えばこれが作戦だったとして。あんたがここにもぐりこむための犠牲に十は多すぎる。犠牲を払うにしても五人で十分。《殺条》のことなんか、あたしに関係ないけど、反乱に巻きこまれるのはうんざりだからね」
よろしくね、真麻。
姫君が薄く浮かべた笑顔は、幼く、力も抜けていて、真麻はわずかにとまどった。
「よろしく……」
なんてきれいで、魅力的な姫君なんだろう。
そして同時に思った。
ここにいる全員が、この姫君に魅了されたのだと。
「それで? 《殺条》の居場所を知ってるなんて、なんであんなハッタリ言ったわけ?」
聖があきれた様子でうかがう。
「なんとなく。士気があがるかなーって」
そのしれっとした様子に、真麻は驚いた。
「え……? 嘘、なの……?」
姫君はあっさりと頷いた。
「うん。いったでしょ? 噂程度だって」
翔緒が事情を察したらしく、少しだけ怒ったようにいった。
「考えなしに的になるようなこと言うな」
「そうだね」
頷く凛は、反省の色が全くない。
「翔たんはどうしたの?」
聖の質問を受けて、翔緒は改めて部屋を見わたした。
「お前らが帰ったすぐ後、明斗にいわれたんだよ。連中が襲撃準備してるって、ここかもしれないっていうからさ。追っかけてきただけ。俺のケータイまだプロテクト完璧じゃないから、重要内容の連絡はできなかったし」
「大丈夫だよ、俺らだけでも」
「うん、でも……」
わずかに口ごもった翔緒のようすに、聖がにやりと笑った。
まぁおそらく、風雁明斗も加勢にいけとまでは命じていなのだろう。凛は先ほど明斗のケータイ番号を念のためと渡されていた。連絡ならいくらだって手段があった。翔緒が掻い潜ってきたから、それを利用できなかっただけだ。
「そんなに心配ですか、姫君が」
「いや、そう、っていうか、違うっつーか」
「あーぁ、俺たちには任せらんないわけねー、はいはい」
椅子を斜めに倒しながら、日向も呆れた様子でひらひらと手をふる。
「そーじゃねぇよ!」
「前科があるもんねー、俺ら」
しまいには、凛の左手までも揶揄する。
「翔緒いたらこうはならなかったってやつ?」
「じゃーもう、連れて歩け」
「うるせぇなお前ら!」
次々と並べられるからかいに、翔緒はつい大声を出した。横で真麻がため息をつく。
「あんた、ちょっとあからさまじゃない? 《風雁》の当主候補が姫君に入れこんでるって、結構な噂だよ」
「――――っ、てめぇ!」
さらりとまあさが口にした言葉に、翔緒が慌てたがすでに遅い。というか、あまりの爆弾発言にどこから誤魔化していいのか、翔緒本人もよくわかっていない様子だった。
「え!? なにそれ! 《風雁》勝負投げたの!?」
「どういう意味だよ!」
喰いついてきた日向に、倍の勢いで噛みついた。すでに知っている聖は、こらえきれずに吹きだす。
「笑うな!」
「いや、だって、タイミングがいいなって」
笑いながら聖が指差す方向。日向と同様に立場を笑われたのかと思ったが、違ったらしい。いや、むしろ立場を笑われたほうがよかった。翔緒が凍った表情でそちらをみると、ぞっとするほど柔らかい笑顔で、凛が肩をすくめた。
「んー、なんだろそれ、聞いてないかな、あたし」
こんな可愛らしい仕草を、ここまで脅迫じみたものにできるのは、きっと凛だけだ。
どことなく照れたような笑みで、しかし眼だけは異常なほど脅迫的に。
「……別にそんな大した話じゃないから、すでに説明することは何もないんだけど……」
「翔緒」
鈴が鳴るような、制止の声。それは、逃げることも許さない、命令するように強制的でありながら、とても優しい声。
翔緒はこの呼び方がとても苦手だった。
理由はわからない。ここでは聖のふざけた呼び方が伝染しているが、《風雁》ではみんなそう呼ぶのに。
「――――ガキの頃にいわれた話だよ。そのつもりの教育を受けてた。もちろん俺だけじゃないし、三年も任務放棄してバックレてたんだから、そんな資格もうねぇし」
「あんた、ホントに任務放棄してたの」
割って入ったのは真麻だった。
「あー……籍は残ってたけど……」
「一応正式書面上ではあんたは任務放棄にはなってないよ」
「は?」
「噂はあったけど、正式書面上は違うよ。あんたは、姫君が保護に当たるかどうか見極める。最初からそういう任務だったってことになってる。だから本当か確認されることになったんじゃない」
「なんで、」
「あんたがもらった任務遂行書と、うちに報告に上がってる書類とは違うってこと。ねぇ、これ立派な偽装なんだけど? 正式書類提出してくんない?」
「――――……」
「元になる情報源はおそらく真時奏。確かめるならそのあたりが妥当じゃないかな」
真時、奏。
きかない名だ、と凛は思ったが、特に追求はしなかった。情報屋はあまり好きではない。
こっそり見上げた翔緒の顔は、納得していなかった。明斗と翔緒がわりと近しい仲なのはなんとなくわかっている。身内として甘やかされた気分なのかもしれない。
だが、きっと違う。風雁明斗は、部下を見捨てないタイプだが、切り捨てるところは切り捨てるはずだ。確実に打算あってのことだろう。
「おなかすいた」
凛は打ち切るようにそう口にした。
「片づけて。おなかがすいた」
この惨状で。血と肉と異臭の充満する、こんな惨状で。何か食べようなどという考えにいたれる神経は、正直どうかしているが、それが凛である。
かつて仲間だったものの死体を、まるで塵のように扱われ真麻は胸が痛んだが、納得するしかない。
彼女は存在の重さが違うのだ。