01
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玄関の扉をあけた瞬間、聖に祐が抱きついてきた。
「おかえりなさぁい!」
「ただいま。ごめんね、姫なら後ろだよ」
すると祐は、きょとんとした表情をして、そろりと離れた。恥ずかしい時に、照れ笑いではなく、少しだけ唇を尖らせるのが祐の癖だ。
「ただいま」
その後凛が顔をのぞかせると、おかえりなさぁい、と遠慮がちにすりつく。聖はそれ以上気にする様子もなく、さっさと自室へ戻ってしまう。
「めんどくさそーな靴」
片腕でやっと脱ぎ終わった編み上げの靴を脇に置くと、テレビの前に座り込んでいる日向がそういった。
「まぁねー。片手でやるには着脱がちょっとね」
すると祐が日向の隣にしゃがみこんで、ふりかえった。
「いまね! ゲームしてるの!」
「祐はゲームしてるとは言えねぇだろ」
「どうしてー」
「へたくそだから」
「へたじゃないよーっ!」
「クリアしてから言え」
とりあわない日向に祐は頬を膨らませる。
いつもなら、あそこに翔緒もいる。
日向と翔緒はよく、ああして二人でゲームをしていて、祐が混ぜてとねだる。二人は勝負をしていることが多いため、途中であるミニゲームが交替で祐に回ってくる。それでも祐は、うれしそうにその中に混ざる。勝敗には関係ないけれど、混ぜてもらえることが何よりもうれしいのだ。輪に入れることが祐にとって一番価値のあることなのだ。
子供のわりに、状況もよく見ているし、人も見ている。だが本来たった五歳の子供だ。迷子といった形で凛に保護され、両親の居場所すら祐は知らない。凛たちがひそかに探ってはいるが、《二ノ宮》の境遇はやっかいなのでまだ分かっていない。当然、両親が恋しいのだ。
「ずるーい! まってよ! 祐がクリアしてからにして!」
「お前待ってたら何年かかるかわかんねーだろ」
日向は、今日は終わりと、ぐずる佑から半ば強引にコントローラを奪う。よほど不満だったらしい祐は凛に駆け寄った。
「自分ばっかり進んだからってひどいよぉ」
「次もさせてもらえばいいよ」
「でも祐、まだセーブできるとこまでいってなかったんだもぉん、また最初っからだよぉ」
そりゃひどい。思わず日向をみると、しれっとしている。多分、本人が単純に飽きたのだろう。それだけで五歳児の努力を無駄にするとは、なかなかに非情だ。
「じゃー、次は祐がいってたとこまで俺が進めてやるから。そっから続ければいいだろ」
飲みかけで置いてあった麦茶を飲みほして、日向は言い放つ。そんなんでいいのかと思ったが、祐は納得したらしい。
「ほんとう!? 絶対?
笑顔で日向に飛びついていく。
「ほんとほんと、覚えてたら」
いまいち信用性のないことを適当にいう。うちの男どもはどいつもこいつも適当だ。
「祐、ちゃんとおぼえとくからね! おっきなブロックのとこまでいったからね!」
「え、どこそれ」
日向が正直に刺した水に、祐はおおいにむくれてしまった。
「あぁ、で? 凛はどうだった?」
ぶーぶー文句をいう五歳児を無視して、思い出したかのように、凛に向く。
「とりあえず、って感じかな。思ったよりも友好的な人で助かった」
「そか、翔緒は? 会った?」
「会ったよ。連絡はしろっていってきた」
「自分もしねーくせに」
からかう口調に、凛は答えなかった。
「義手、手配してくれるって」
「へぇ、よかったじゃん。魔の手から逃げられんじゃん」
「なにそれ」
琴音のセクハラを揶揄する日向に、思わず笑ってしまう。
「琴姉にいっちゃおー」
「わかった時点で同罪だろ!」
絶対言うなと必死な日向は、顔立ちのかわいらしさから、琴音にターゲットにされやすい。
なにより、怒るのでもなく流すのでもなく、少しだけ顔をしかめて逃げる反応が、あの変態にはかわいくてしかたがないらしい。
そのうち撃たれるんじゃないかと、凛は思う。
「着替えてこようかな……」
ウエストをキュッと締め付けるドレスは、くつろぐには不向きだ。つぶやいて、立ちあがろうとする。
インターフォンが鳴った。
「――――誰」
凛がくるりと部屋に流し眼をくれ、低く問うと、
「いないのは翔緒だけだよ」
日向はそう答えて、立ちあがった。
セキュリティに万全さを欠くこの家では、インターフォンにとても過敏だ。行き先はともかく、外出は互いに把握しあっていて、できる限り誰かが残って管理をしている。そのため、この家は近所という〝表〟の眼がある立地にわざわざあるのだ。いきなり爆撃を受けるようなことだけはまずない。
凛は傍らのケータイをよせる。
腰に下げた拳銃に指をひっかけて、日向は玄関に向かった。
もう一度、インターフォンが鳴る。
日向が回ったのはあえて壁と逆側に、扉と垂直に置かれた靴箱の裏。高さがあまりないので、ドアノブがそこから回せる。
「どーぞ」
勢い良く放たれた扉。間髪をいれず、銃を構えた人が飛び込んでくる。扉の眼の前にはいないと予測し、態勢は横向きだった。しかし、
「ずいぶんなあいさつだな」
日向の銃口は、開け放たれた扉側から向いていた。相手が中に飛び込んできた瞬間、靴箱を飛び越えてその隙間にすべりこんだのだ。外に仲間がいないこともその時点で確認済みだ。左の手はもう1つの拳銃にひっかけたまま抜くのをやめた。
「――――女かよ」
少女のこめかみに銃を当てたまま、日向は以外そうに言った。
勝気そうな眼をした、背の高い少女だった。年は同じくらい。漆黒の髪を、ポニーテールに結っていた。
「何の用? とりあえず、それ置いてくんない?」
凛も祐も、予測される射程圏内から出ていたので、少女の銃口は虚空をさしているが、持たせておくわけにはいかない。少女は無言のまま、日向が顎でしゃくった靴箱の上に、ゆっくりと銃を置いた。
――瞬間、
少女が突然、勢いよく日向のほうに身をひるがえした。機械音とともに、左手がナイフのように形を変えた。鼻先をかすめたその奇怪な腕を、日向は一度右に体を回転させてつかみにかかる。
「熱っ」
触れた瞬間、声にならない声をあげて、反射的に離す。少女はそのまま下から左に振り切るように、勢いよく刃をふるった。
――捕った。
凛は確信する。
かがんでその一撃をよけると、右手を掴んで、そのままひねり上げるように床に伏せた。
「――――くっ」
少女が苦痛の表情でうめく。床に伏せた少女の左側から、日向は右手でひねり上げた腕をつかみ、少女の左肩を踏んでいた。
予測不能な動きを見せた左腕の、追撃を阻止するためだ。当然、左手に持ったままの拳銃も、ポイントされている。日向は右利きだが、はなからそんなことは関係ない。
「あっぶねー。さすがにちょっとびっくりした」
不満そうな顔で、屈辱の表情で睨みつけてくる少女に舌を出して見せる。
「で? なんだよお前。火傷したんだけど」
もはや聞くまでもないことだ。彼女の腕が、すでに何者か名乗っている。
彼女は唇を噛んで、凛をみた。そして、悲痛に叫ぶ。
「石垣真麻。姫君、あんたに頼みがあんのよ!」