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凛はありがとうございます、と答えると退室の言葉を口にしようとした。
「あ、待って待って」
明斗は先手でそれをとめると、内線電話をかける。
「いまからそっちに客行かせるからさ、よくしてやって。詳しいことは翔緒が話す」
軽い口調で一方的に告げて電話を切る。
「その腕、何かと不便でしょう。うちで義手を手配しますよ。翔緒、ジジイんとこ連れてってやれ」
瞬間、翔緒が苦い表情をした。
「え、でもあのジジイは」
「それはお前の交渉次第だろ、頑張って説得しろ」
とりあわない明斗に翔緒は仕方なく、凛の方を振り返った。
「じゃ、俺ここで待ってるからー、いってらっしゃい」
なぜかそんな勝手なことを言う聖に、凛は頷いただけだった。
「彰人はちょっと先に《石垣》の動向探るのにまわれ」
「はい」
特に何の異論もなく、彰人も一緒に部屋を出ていく。足音が遠ざかってから、明斗は残った聖に笑いかけた。
「で? なんか個人的な話でもあんの」
わざわざ残ったのは、おそらくそういうことだろう。
聖はにこやかに笑ってソファーに腰掛ける。
「まぁ、そんなとこですけどね」
口調は軽いが、雰囲気はあくまで真面目だった。やけに冷めた視線が一度、凛が消し飛ばした机に向いた。
遠巻きに状況をみているようで、重要情報はいつも本人にある。そういう奴だ。
「これから俺が言うことは、姫も知らないトップシークレットってやつです」
「姫君も知らないこと?」
「そー。姫は、伝わったと思いますけど、結構危なっかしいんですよね」
場馴れしていなのに突っ張っている、そんな印象は確かにあった。脆いのを隠して強がっている。自分自身の見立ては間違っていないと、明斗は思う。それは翔緒の性格を踏まえたうえでの見立てだ。翔緒はそういうタイプがきっと一番放っておけない。
「俺がこのことを露見するのは、あくまでそっちを信頼している証として受け取ってくださいね」
そして、長谷山聖は伏せていた瞳をあげた。
ぞ、と背筋が凍る。
明斗も戦場経験は長い。悪寒が走るほどの威圧感を持つ奴らを、腐るほどみてきた。
でも、こいつの眼は違う。
無意識にデスクの下に隠された獲物へ、足をかけた。
どんな平穏な場でも一瞬で凍て突かせる、眼。
いまにも、凶器が飛んできそうな、強くまじり気のない殺気。
ただでさえ、あまり生気のない顔立ちは、ますます作り物の人形のように見えた。
嫌な、予感が、
「――――俺は《殺条》の生き残りです」
「――――」
何より怖いのは 、《殺条》が《姫君》に接触することだ。
そんな考えうる限り最も最悪なことが、すでに起こっていたなんて。
「何の目的で」
「別に? 姫のことどうこうしようなんて考えてないし。世界にも興味ないです。面白いことになってるなってそんだけですね」
しかし、
「信用してるっていったって、ほとんど脅しじゃねぇか」
いまさら姫に盾突こうものなら、《殺条》をもって制すると、そういっているのだ。
「まさか。俺ね、もう平穏に暮らしたいんです。だから正体は伏せておきたいんですよ。明かすつもりなんてなかったし。でも、俺がわざわざ言う気になったのは、そっちにも抑止力があるからですよ」
最悪の連中をとめる、唯一の力。
「《蛇殺》っていって、通じますか?」
正確に言うと、多くの組織から《殺条》に対抗する術を求められた名のある刀鍛冶が、《殺条》を殺すためだけに作った神刀――〝蛇殺刀〟。それを扱えるもののことを差す。
「伝説だといわれてますけどね、あいつら、存在してますよ」
「それが、うちにいると?」
「さぁ。可能性の話です。〝蛇殺刀〟がここにあるような感じもしないし。ただ、」
聖は少しだけ目を細めて、低くつぶやいた。
「まぁ、間違いないと思いますよ。眼でわかる」
「…………」
「《風雁》は基本純血だってきいてたけど、混血もいるもんですね。しかもよりにもよって、ってかんじだけど」
困ったようにへらへら笑う。
「その言葉は使うな。とくに内部では」
《風雁》は、基本内部で子供をもうける。分派の組織も含むが、自然と生まれた子供も組織の中で教育されていく、家族の組織だ。純血というのは、いわば両親がどちらも《風雁》や《無音》、または分派の出である子供を差す言葉だ。それはちがう組織でもたまに使われる、一般的な言葉だが、《風雁》では持つ意味が違う。
《混血》というのは、いまはもう根絶されたことになっているが、意識には根強く残っている差別的な言葉だ。
「あぁ、そっか、〝裏切りの血〟って《風雁》の話でしたっけ」
悪びれた様子もなく、聖はその言葉を口にする。
昔、一人の女が外部で子供をもうけた。女はそれを隠したまま、組織内にいた夫の子として《風雁》で子供を育てた。しかし、その子供は成長した後、他組織である実の父親に、《風雁》の内部情報を流していたことが発覚する。多くの犠牲者を出した事件は、いまだに《風雁》の傷だ。
それ以来、混血は忌むべき存在として扱われている。
そのせいで苦しんだ子供を、明斗は知っている。
「お前、《朝霧》の件噛んでるのか」
ひとつ気になることを聞くと、聖は一瞬不思議そうな顔をして、
「あぁ、あれ。関係ないですよ。俺まだ十八だし」
思い出したようにそういった。そういわれて、明斗もそうかと思案する。
時期を考えてみると、確かに関係あるのはもう少し上の代か。事件があったとき、聖は二、三歳の計算になる。
「あと、俺から個人的な質問してもいいですか?」
聖はさらりと話題を変えた。
「最初から《風雁》が姫の保護を考えていることは、わかってましたけど、どうしてあの時、翔緒だったんですか?」
あの時というのは、翔緒が姫君に最初に接触した、あの任務のときの話だろう。
「知るか、命令したのは俺の前の当主だ」
「風雁理祐、ですね」
明斗も尊敬している先代当主だが、確かにそれは明斗自身疑問だった。
「翔緒のやつが、本当に確認だけで帰ってくるはずがない。ただでさえあの頃、あいつの人懐っこさには手ぇ焼いてたんだ」
それはもう、ゲートを潜り込もうとした敵に、無邪気に声をかけるような、そんなレベルだったのだ。
「姫君の状況を確認してくるだけなら、誰だろうとよかったはずだ。でも先代は翔緒を指名した」
「ん、でもたしか、あの任務はすでにあなたの名前で遂行されてましたよね」
……こいつ、任務遂行書まで。
明斗はもはや呆れて、ため息をつく。
翔緒のことは、すでに軒並み調べられている、そういうことだ。
「あのとき、先代はその前の戦闘で、すでに助からない怪我を負っていた。体ん中から蝕まれるような、そういう怪我だ。わかった瞬間、俺が当主継承されて書面上は全て俺の名前になった。でも、もちろん指示は仰いだよ。なりたてで、いきなりそんな重要人物にかかわる度胸はないね」
厳格な、あまり笑わない人だったが、部下が優秀な働きをするとぞんざいだったが笑ってほめてくれる人だった。
「翔緒の性格くらいわかってたはずだし、俺が手を焼いてたのも見てた。それなのに翔緒を指定したんだ」
声くらいならかけるかもしれない、でもまさか、帰ってこなくなるとは思わなかった。そして、なにより翔緒が帰ってこないことを告げたとき、あの人は笑ったのだ。
「先代が、ああなるように仕向けたように感じた。だから、念のため翔緒の動向は監視しておいたが、連れ戻すようなことはしなかった」
もちろん、強引に連れ戻そうと思えば、いくらだってやりようはあったのだ。
ふうん、と聖は少し考えるようなしぐさをした。
「まぁ、そうですよね、翔緒ともう一人、予想外な動きを望むなら、翔緒ですよね」
「何を根拠に二拓に絞ってんだ」
聞くまでもないことを、確認のため聞く。
それはきっと、最初に暴かれているであろう情報だ。
《風雁》での、翔緒の立場。
喰えない男は、えー? とわざとらしく笑った。
「次代当主継承候補? でしたっけ?」
結構、優秀なんですねー。
その笑みに、明斗はついに我慢しきれず、悪態ついた。
「おまえ、ほんとに性格悪いな」