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神の雫は夢をみる  作者: 茅菜ましろ
1/故の痛み
13/92

05



 ――――――5


 その小さな少女と目をあわせたとき、明斗は妙に納得した。


 断定されていないのに、〝神の雫〟と類似した恐怖を与える存在。彼女からそういった気配はしなかった。明らかに戦場に不向きなドレスアップした格好はそれなりに印象的だが、彼女自体はいたって普通な、年相応の少女だった。


 それゆえの、恐怖なのだ。


 こんな戦闘経験を微塵も感じさせない少女が、この世のすべてを握っているのだ。普通の仮面の下に、一体いくつの十字架を背負っているのだろうか。


 まあ、もちろん普通にみえるのも見た目だけの話だ。年相応の幼さと可憐さの中に、うっすらと内面にもつ影が浮かんでいて、それがより恐怖をかきたてるのだろう。


「大きい拠点ですね」


 先をいく明斗に、後ろから澄ました声が投げかけられる。無機質な声だった。


「一応、序列三位なので」


 事実上のことだけを答えると、そうですか、と彼女は少し笑んだ。


「警戒ランクA《破滅危惧》というのは、一体どういう意味なのですか?」


 いたって初歩的な質問はわざとなのだろうか。組織の人間初等部で最初に学ぶようなことだ。


 相手が相手だけに妙に勘ぐってしまう。


「石垣の序列は、《破滅危惧》《破壊危機》《高度懸念》の三種にカテゴリされます。そしてそこからさらに警戒ランクがSからCまで。計十二ランクをもとに、序列されているんです」


「へぇ、カテゴリがあってからのランクなのに、表記としては逆なんですね」


 明斗にとっては当たり前のことだったが、凛は不思議そうに呟いた。


「《破滅危惧》というものの由来は?」


「その組織が反逆をおこしたときにでる、被害予想です」


 物騒な由来ですね、と凛は端的に返した。


「どうぞ」


 話を打ちきって、明斗は指令室の扉を開けた。漆黒の姫君は、軽い足取りで部屋に踏みこむ。


 明斗が警戒していたのは、姫君ではない。姫君は自ら手を下さない。姫君をみて、納得したと同時に、姫君の付き人をみても、思ったのだ。


 こいつが長谷山聖か、と。


 面識はなかったが、噂はいろいろ聞いていた。飄々として、どこか穏やかな空気を纏っているわりに、やることがいちいちエグい。


 護衛としてついてきているから当然なのだが、あえて姫君に気を使っているそぶりもなく、しかし、しっかりと周りの様子も彼女の位置も把握していた。


 ひそかにうかがっていると、落ち着いた様子でさらりと流し眼であたりをみる。頭の中で、状況を素早く計算しているのがよくわかる。


「翔緒の復帰は、テストで判断したそうですね」


 そこではじめて、長谷山聖が明斗にむけて言葉を発した。それは開示していない内容だ。


「まぁ、聞こえはぬるいですけど、内容としてはわりと酷な条件を出したつもりだったんですけどね」


「階級試験でしたっけ」


 そこまで、と突っこんでやりたくなったのを飲み込んだ。知っているなら知っているでも、知らないふりをしていてほしい。よくもまぁ、こちらが正式開示していない情報をぬけぬけと。


「こちらとしてはとりあえずよかったですよ。もしそちらで処分なんて食らってたら、大変でしたし。翔緒、何の相談もなく帰っちゃったし、姫も判断誤って止めないしで、軽率というか、ねぇ?」


 からかうような口調でうかがった姫君の表情が、一瞬で不機嫌になる。


「うるさい」


 こいつは一体誰の味方なんだ。


 しかし、長谷山聖の言葉で、明斗もひとつ疑問が解消された。


 翔緒の復帰は《石垣》の動きだけに対する対処だ。姫君が命じるにしては、あまりにも身勝手すぎる。だから、それが翔緒の一方的判断だとしたら、


「ご迷惑をかけたようですね、姫君にも」


「いえ、確かに、私の判断ミスです」


 そこで扉がノックされて、失礼します、とまだ少し戸惑った声で翔緒と彰人が入ってきた。


「翔緒はある意味当事者です。俺たちの事情もそちらの事情もある程度くめるので、同席させます。そしてもう一人、彰人はうちの高階級を持っています。この場の証人として、同席させていただきます」


「えぇ。かまいません」


 にこやかな姫君は、ちらりと一瞥をくれただけでとくに興味はなさげにふるまう。しかし後ろの長谷山聖が、翔緒に笑いかけるそぶりで視線をやったのを、明斗は見逃さなかった。


 こいつ使えるか使えないか、そういうのを一瞬で判断する。


 この場に彰人を選出するのは事情を知らない人間には不可解だろう。高階級というので選出するには彰人はまだ若い。護衛を兼ねることを考えれば、もうすこしベテラン勢を同席させるのが定石だ。だからこそ、聖がここで不審そうな反応をしなかったのは、彰人が選出されたほかの理由を知っている可能性が高いということだ。


「今回私がここに来たのは」


 姫君がゆったりと口を開いた。


「翔緒が《風雁》に復帰するにあたり、少しだけ確認したいことがあるからです」


「というと?」


 自分のデスクに座ってから、明斗はソファーに座るよう促したが、姫君は首をふった。


「確かに、翔緒がこの場にくることを許したのは私です。しかし、翔緒がどうして脱隊状態にあったのか、そして復帰を願いでる目的、何1つ確認することない軽率な判断でした。本来であれば、翔緒は私の重要兵力であり、何度も手を貸してもらっていたので、行方をくらました責任は私にもある。だから私自身からも、きちんとあなたにはお詫びを入れないといけなかった」


 すみませんでした。と少しだけ困ったような笑顔がとてもしらじらしい。兵力などと冷たい言葉を選んだのもわざとなのだろう。


「先日《石垣》の者から攻撃を受けました。私も無関係ではないようです。残念ながら私は組織に対して知識がないため、《石垣》の目的が何かはわかりません。ただ……、ただ単純に、助かりたくて」


 最後だけやけに儚く。


 しかしそれも一瞬で、彼女は急に、広がる袖に覆われた左手を勢いよく真横に振りかざす。


 袖がふわりと舞って。


 真っ黒なレースのリボンでカッターナイフが括りつけられた、包帯でぐるぐる巻きの腕の先。そこにはあるはずの手がなかった。


「ご協力いただきたいです」


「否と答えれば?」


 明斗はわざと問う。


「それ相応の対応を取らせていただきます」


 姫君は変わらぬ口調で呟くと、脇のテーブルをみた。レースの衣裳が広がる。そしてまるで踊るような華麗な仕草で、躊躇なくテーブルへ切りかかった。


 破裂したような音と同時に、テーブルが吹き飛ぶ。カッターナイフによるものとは思えない、派手な衝撃でテーブルは三分の二ほどの幅まで大きくえぐられていた。


 欠片はどこにもない。


 思わず翔緒は息をのんだ。今まで見てきた凛の姿ではなかったからだ。そして、背筋が凍った。


 視界の端、凛のあからさまに攻撃的な態度をみて、逆側の壁にもたれていた彰人が、左手を少しだけ後ろに引いた。それだけでわかる。彰人は袖の中に小型ナイフを隠している。当然だ。先に抜いたのは凛だ。


「――――――やめろ!」


 言い終わる前に体が動いた。凛の腕を引いて、目の前をかすめたナイフからかばう。もちろん、それは相手をひるませるための、ただの先手攻撃にならない。拳銃を抜くその一瞬の時間稼ぎだ。


 しかし銃声はなかった。




「――へぇ、さすが」




 聖の感心したような声。


 見やると、聖の手にしたナイフの先が、彰人の喉元で止まっている。同時に、聖の心臓には拳銃がつきつけられていた。彰人には一瞬で十分だったが、同時にその一瞬は聖にも十分すぎる時間だったのだ。それゆえの、均衡状態。


「翔緒」


 腕の中から凛が無感情につぶやく。


「ありがとう、大丈夫」


 自ら腕を解き、聖にも向いた。


「聖も。やめて」


「――はいはい」


 姫君の命に長谷山聖は、あっさりナイフを引いた。彰人もそれ以上後追いはしない。


 相手が獲物を振りかざしたから、あくまでねじ伏せようとしただけなのだ。相手が納めるのであれば、判断は明斗にまかせる。その忠実さは、真っすぐで聞きわけがいい。


 しかしまぁ、あの容赦ないスピードからして、姫君の片足くらいはぶち抜くつもりだっただろうが。


 相手のテリトリーで獲物を抜くというのは、そういう意味だ。


「……その腕はいかがされたのですか」


 明斗は動かないまま状況を戻す。


「《石垣》に奪われました。その時気づいたんです。私は、この世界の断片を消し飛ばせる、ということに」


 笑った顔はどことなく自虐的で、なぜか今にも泣きだしそうに見えた。


 〝神能〟か。今まで何の情報がなかったことのほうが不自然だったが、またえらく重いものをもっている。


 見つかった死体のパーツが足りないわけだ。


「《石垣》が、私に何の目的があるのかわかりません。ただ命を狙われていることは確実です」


 有益とか、そういう普通の交渉で出てくるようなものは一切見せず、ただ威圧だけで申し出る。あまりにも乱暴だ。世界が彼女に怯えていたからこそ、通る暴挙だ。明斗が押し黙っていると、翔緒がわりこんだ。


「凛、今日は帰れ」


 その表情は、彼女しか案じていないのが明白だ。


「なんで」


 わずかに機嫌を損ねたような低い声。


「同盟のことは、俺がたのんであるから。俺が次の試験受かったらって明斗は友好的に考えてくれてるから」


 だから威圧するな、と。


「俺が何とかするから、だから」


「……それが嫌なのよ!」


 瞬間、爆発するように彼女が感情をあらわにした。


「なんなのそれ! あたしは何も聞いてない! 何にも話してくれなかった! あたしがいつ、そこまであんたに頼んだの!?」


 いきなりの逆上ぶりに翔緒がひるむ。切りつけるように睨む瞳が、わずかに潤んでいるのは気のせいだろうか。


「そのくらいのこと、自分でできる! 誰を味方として誰を敵とするか、」


 あぁ、これは、と明斗は少し目を細めた。


「誰に協力をもらうかとか、誰にそばにいてほしいかなんて、そんなことくらい――」


 吐くような懇願。


「あたしが自分で決める……――!」


 なんて、人間らしい。初めて姫君が心身ともに等身大の少女に見えた。翔緒が大切にしてきたのは、この少女なのだと思った。しかし、と明斗はあっけにとられる翔緒をみた。


 これほどにぶちまけられた思いの丈を、はたしてこいつはどこまで理解したのか。


 今にもこぼれおちそうな涙の意味を、どれほど理解したのか。


「ごめん……――」


 困ったように視線が流れて、よくわかっていない様子で聖を見る。聖はそれに小さく肩をすくめただけで取りあわなかった。


 たったそれだけの、しかし紛れもない姫君の本音で、明斗の警戒は解けた。


 やっていることはめちゃくちゃだ。子供が駄々をこねるのに等しい。


 彼女はここに翔緒を取りかえしに来ただけなのだ。行ったきり帰ってこないことにただ嫉妬して、我が儘をいいに来た。それだけなのだ。だからこそ、長谷山聖は手を貸さない。基本的な序列の意味も、交渉上の作法も教えることなく、ただ、姫君のするがままにさせている。


「俺たちにしてみても、そっちと組むっていうのはありがたい話なんだけどさ」


 明斗のわざと崩した口調に、姫君が向き直った。


「俺たちは《姫君》の保護を望む。他の連中みたく、世界が手に入れようなんて、横暴なことは考えてない。俺たちの目的はあくまで〝均衡〟と〝調和〟。世界が誰かのものになればそれは失われる」


 にじむ涙がなんとか落ちずにいる瞳が、明斗を見上げる。


「翔緒を試験で試すっていったのは、あくまで個人的なものなんでね。そちらもまさか、翔緒を使ってこっちを出しぬこうってんじゃねぇだろうし」


 まぁ、とりあえず、と明斗は立ちあがって笑った。


「《石垣》の動きについて、共同戦線と行きましょうか。今後のことはそれからだ」





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