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僕という人間

作者: 海那 白

 なんで僕は生きているんだろう。


 僕は常日頃、そう考えています。


 僕は、僕が嫌いです。

 死にたいと思ったことは、何度もあります。

 そんな僕はきっと、壊れているんだと思います。


 僕はきっと、環境に壊された人間です。

 僕のような人がこれ以上現れないようにするためにも、僕はこれを書きます。

 いつか死ぬ前に、これを残しておきます。

 この僕の物語が少しでも多くの人の目にとまり、たくさんの人が救われることを願って。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 僕は、小学校に入るまで、親に甘やかされていました。

 僕の母親は、口癖のように毎日僕にこう言っていました。


「あなたは私の大事な子。とってもとっても可愛い子。世界で一番大事な子」


 僕はまだ幼稚だったので、その言葉を鵜呑みにしていました。

 自分は可愛いんだと。

 世界で一番、誰よりも大事な存在なんだと。



 この調子のまま、小学校に入りました。


 小学一年生の時、友達ができました。

 とても明るく優しい子で、僕はその子とすぐに仲良くなりました。

 その子は僕を、受け入れてくれました。



 小学二年生の時でした。

 その頃から徐々に、僕は周囲に嫌われ始めました。

 特に男子から、嫌われていました。(僕は女子です)


 それと同時に、一年生の時仲良かった友達からも、少しずついじめられるようになりました。

 僕はその子と同じ放課後児童会に通っていて、毎日おやつが出るんですが、たまにお誕生日会の時とかにはジュースが配られました。

 その時のフレーバーは、サイダー、オレンジジュース、烏龍茶、の3種類がほとんどでした。

 僕は、炭酸、緑茶と麦茶以外のお茶が苦手でした。

 でも僕の友達はそれを知っていて、オレンジジュースを持って言うんです。


「あ、白(偽名)はマネしないでね」


 僕は、その友達が好きで、ある程度のことなら従おうと思っていました。

 でも、この言葉には従いたくなかったんです。

 気づいたら、オレンジジュースがなくなっていました。

 まわりには他の子の目もあります。

 もたもたしていると迷惑に思われてしまいます。

 僕は仕方なく、サイダーを持って行きました。

 飲むつもりは、ありませんでした。

 でも、友達は、僕がサイダーを飲んでないのを見ると、言うんです。


「あ、白。それ飲まなきゃ友達辞めるからね」


 僕は、まだその子と友達でいたかったのです。

 嫌いなのを我慢して、頑張って一口飲みました。

 舌の中がヒリヒリして、口の中が気持ち悪くてたまりませんでした。(炭酸好きの方、ごめんなさい)

 これでいいだろうと、僕はその子の方を見ました。

 その子は言いました。


「誰が一口でいいなんて言った?」


 僕は必死でした。

 一口一口我慢しつつ、少しずつ口の中にサイダーを流し込んで行きました。


 そんなことが、何回かありました。



 小学三年生の時、その友達に新しく友達ができました。

 その頃には友達からの嫌がらせはなくなっていたのですが、今度は友達の友達から嫌がらせを受けるようになりました。

 放課後の外遊びの時間になると毎回その子はやってきて、鬼ごっこやらかくれんぼやらを無理やり僕にやらせていました。

 しかも、僕にだけ、明らかに不利になるような特別ルールが設けられていました。

 例えば、僕の学校の前に書いてある四角い絵を使って鬼ごっこをする、四角鬼という遊びがありました。

 もちろん僕は、やりたくもないのに強制参加です。

 その四角鬼のルールの中に、《四角形の角の部分にいる人には鬼はタッチしてはいけない。ただし、逃げる人がそこにいていい時間は三十秒以内》というものがありましたが、僕にだけ無効でした。

 四角形の角の部分に行っては行けなかったんです。

 もちろん、一番最初に鬼にタッチされるのは僕でした。

 何度も逃げ出そうと考えました。

 何度も親や先生に言おうと考えました。

 でも、その僕の友達の友達は言うのです。


「これ、誰かに言ったら殺す」


 その子は、実は空手で日本一になったこともあるすごい子だったのです。

 何度も集会で表彰を受けていました。

 僕はこの言葉を言われたとき、震え上がりました。

 だって、空手が日本一強いのなら、空手も武道も何一つやっていない僕が勝てるわけないと悟ったからです。

 その気になればこの子は、一瞬で僕を殺せるのだろうと、そう考えていました。

 誰にも何も、言うことができませんでした。


 それと同時に、その友達の友達以外の子からも、この子ほどではありませんが嫌がらせをしてくるようになりました。

 毎時間のように僕に悪口を言いに来る女子のグループがあったり。

 僕の鼻の横に鉛筆をぶっ刺してきた男子がいたり。

 僕の描いた絵を見るたびに馬鹿にしてくる男子がいたり。

 落ちていた消しゴムを拾ってあげようとしたら怒鳴られたこともありました。



 でも小学四年生になる頃には、それもなくなり始めていました。

 なくすのに一役買ってくれたのは小学二年生の時に僕に嫌がらせをしていた僕の友達だということはまた別の話です。

 新たに、二人の友達ができました。

 その子達と僕の友達の子も仲良くなってくれて、自然と仲の良い四人グループができました。



 小学五年生。

 多分この頃が、一番平和だったのだと思います。

 嫌がらせはほとんどなくなり、三人の友達とも仲を深めていきました。



 小学六年生。

 この時、クラス替えで仲のよかった四人グループが、二人と二人に分けられてしまいました。

 僕とクラスが離れてしまった二人とは、それからは全然話さなくなってしまいました。

 同じクラスになった一人の子とは話はしていましたが、別の女子のグループに引き抜かれてしまいました。

 その時僕は、おそらく初めて、クラスで孤独を感じました。

 なぜ僕は生きているのか、そう思い始めたのもこの頃でした。

 でも僕は、同じクラスになったその子の家に遊びに行ったとき、クラスではあまり見ない、僕にしか見せない顔を見せてくれている気がして、とても嬉しく感じたのをよく覚えています。

 でもその唯一仲のよかった子は、親の方針で中学受験をして、中学が離れてしまいました。



 中学一年生の時、特にこれといった友達はできず、孤独な日々を感じていました。

 でもその時、同じクラスに、よく悪口を言われている男子がいました。

 でも僕にとって、その男子にとっての悪口は指摘としか思えませんでした。

 この程度の指摘を悪口と言っていることに、僕は驚きを感じました。

 まもなくしてその男子は、不登校になりました。

 僕は、この時彼を救えなかったことを、今でも後悔しています。


 また、僕は部活に入りました。

 吹奏楽部です。

 僕は体調不良で、入学式後、少し学校を休んでいました。

 なので、ほとんど部活見学をしないまま吹奏楽部に入りました。

 僕は前から、ホルンという楽器を吹きたいと思っていました。

 ホルンを吹けないのなら、この部活やめてやる!

 そんな気持ちで吹奏楽部に入りました。

 その後無事ホルンパートに入ることができました。

 でもここで少し問題が発生しました。

 同じ吹奏楽部員の中に、前に僕に嫌がらせをしていた人や悪口を言っていた人がいました。

 僕は背筋がぞっとしました。

 またあの時の二の舞になるかもしれないと感じていました。

 でも、しばらくはそんな風にはなりませんでした。

 ただ僕は、ホルンが下手で、みんなよりもできていなかったので、少しだけ虐げられてはいました。


 僕の友達だった三人の子が、スマホを買ってもらって、LINEをはじめ、その三人でグループを作ったと聞きました。

 そのころまだスマホを持ってなかった僕は、怖くなって親に僕もスマホを買ってと頼みました。

 実は、スマホは小学六年生の頃から、誕生日プレゼントやクリスマスプレゼントに買って買ってとせがんでいましたが、買ってくれることはありませんでした。


 中学二年生の時、親がだんだん壊れ始めました。

 僕が思うに、きっかけは、二人目の弟が生まれたからだと思います。

 母親は、情緒不安定になり始めました。

 また、なぜか僕にセクハラを働くようになりました。

 父親は、僕を中二病と呼ぶようになりました。

 なぜそう呼ぶのかと聞いたら、


「え?なんでって、中二だから」


 と言われました。

 僕は、ふざけんなと言いたくなりました。

 しばらくしたら治るかなと思っていましたが、治りませんでした。

 だから僕はその年の12月、はっきりと「もうそういうことをするのはやめて。迷惑だ」と言いました。

 そうしたら、やめてくれました。

 でもそれは、たったの一、二週間だけでした。

 それからも二人からの嫌がらせは続きました。

 いつの間にかそのふたりは、僕にとっての恐怖の対象へと変わっていました。


 部活の後輩が入ってきました。

 でも僕のパートの後輩は、問題児でした。

 パートの後輩は、責任を持って先輩が面倒を見ることとなっていました。

 でもさすがにその子は、問題児すぎました。

 まず、先輩に敬語を使いませんでした。

 次に、やれと言われたことを全然やらず、出した練習メニューを無視してサボっていました。

 さらに、頭が悪く、最低点数が英語で0点でした。

 最後に、その子はとてつもなくメンタルが弱いのか、練習中にどうでもいいことで泣き出し、半日練習時間が潰れたこともありました。

 僕はこれを受け、一度、顧問の先生に相談したことがありました。

 そうしたら顧問の先生は、こう言いました。


「やめたらやめたでいいよ」


 これはもう、辞める辞めない以前の問題として、今後あの子をどう扱えばいいか、どのように接すればいいかを相談したかったのですが、顧問の先生はそこらへんのことは一切言ってくれませんでした。

 僕の語彙力がなかったのも問題なのかもしれませんが。

 僕はもう、その子に早くやめてほしいと思っていたことも事実でした。

 他の子にも相談をしましたが、ほかの子もどうしようもなくお手上げ状態でした。

 しばらくしてその子の敬語のみは治りましたが、それ以外のことが治ることは全くありませんでした。

 その子は、吹奏楽部にい続けていました。


 その頃、僕の恩人とも言える友達ができました。

 僕は最初、その子のことが嫌いでした。

 声が大きくて、堂々としていて、僕がやらないようにしていることを堂々とやっていて、その姿が少し前の僕と重なっていて、嫌いでした。

 同じ部活だったのですが、その子は僕と同じように、輪の中から外れているような気がしました。

 だから少し、話をしてみようかと思ったのかもしれません。

 気づいたら僕は、その子に話しかけていました。

 しばらく話しているうちに、趣味が少し合うことが分かり、そこからだんだんと仲良くなっていきました。

 その子は、僕に優しくて、上に書いた親のことや後輩の子との相談もよく聞いてくれました。

 そうしているうちに、僕はいつの間にか、その子は僕にとっての憧れの存在へと変わっていきました。

 僕もこんなふうに堂々と生きたいと思うようになりました。

 そして、その子には、僕と同じ夢がありました。

 僕は少しでもその子の力になりたくて、その職業のことを調べ始めました。

 そして、その調べた結果から、この高校がいいらしいよと教えました。

 今では僕は、このことを後悔しています。

 だって、僕は高校からそこに行ってはダメと親に言われてしまったからです。

 高校は地元の公立高校にいけと言われてしまいました。

 この世の理不尽さを、感じました。



 中学三年生の時、親に涙ながらに、変なあだ名で呼んだりセクハラをするのはやめてほしいと言いました。

 父親は、すぐにそれを聞き入れてくれました。

 母親は、えーという顔をしました。

 ブチギレそうになりました。

 でもそれからしばらくは、やめてくれました。

 しかし、それから半年後くらいに、また始まりました。

 今度は、父親からは「中坊」と呼ばれるようになりました。

 なぜそう呼ぶのかと聞いたら、


「え?だって中坊だから」


 と言われました。

 理由になってねーよと思いました。

 母親は、今まで以上に情緒不安定になりました。

 弟が少し言うことを聞かないだけでブチギレ、よく人にあたるようになりました。

 また、その罵声の声が大きく、近所迷惑でした。

 受験勉強なんか、全く集中できませんでした。

 そんな中でも僕が第一志望の高校に合格できたことは、奇跡だと思っています。

 僕の母親は、おそらく「この家の中では私が一番偉い。だからもっとお前らは私を敬え」と思っているんだと思います。

 もう毎日が、怖かったです。

 二人共殺してしまえば、楽になるんじゃないか。

 それかいっそのこと、自分が死んでしまえば、楽になるんじゃないか。

 そう思う日が、数え切れないくらいありました。

 それゆえに僕は、思いました。

 なぜ僕はまだ死んでいないのか、と。

 なぜあいつらはまだ、死んでいないのか、と。

 生きていることが怖くなりました。

 毎夜のように、このまま眠ったら死んでたりしないかなと考えていました。

 でもそんなことはなく、時間だけが過ぎ去っていきました。



 僕が小説をこのサイトで連載し始めたのは、この頃からでした。

 僕には、以前から一年にいくつか物語が自然に思い浮かんでいました。

 でもこの物語は、どこに吐き出せばいいのか、ずっと考え続けて、調べていたら、このサイトを見つけました。

 僕はまだ15年ほどしか生きていませんが、たくさんの人に伝えたい願い、届けたい言葉、問いかけたい疑問がありました。

 それを、思いついたこの物語にのせていこうと思いました。

 僕はまだ、こないだ高校生になったばかりの駆け出し小説家です。

 まだまだ至らないことばかりです。

 でも、僕の物語が、僕の願いが、少しでも多くの人に届くことを願って、小説を書いています。

 小説家で食っていけるようになりたい。

 小説を書いて稼ぎたいとは思っていません。

 僕はもう、これ以上僕のような人を増やしたくないと思っただけです。

 そして、僕と同じような目にあっている人が僕の書く小説を読むことで、少しでも救われたらいいなと思っただけです。

 僕は、もうこれ以上後悔をしたくないんです。

 だから、これからも、小説を書き続けられる限り書き続けようと思います。

 いつか僕の小説がたくさんの人の目にとまり、たくさんの人が救われ、たくさんの人に僕の願いが届くその日まで……。

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