随筆 春の小川
随筆 春の小川
♪春の小川はさらさらいくよ……。
この曲を口ずさむと小学校に入学したころ
を思いだす。決して豊かな生活ではなかった。
すきま風が吹きぬける校舎は、歩くとミシ、
ミシッと音をたてた。
先生がオルガンのペダルを、ふいごのよう
に上下させる。テレビはおろか、ラジオもな
かった時分で、音楽に触れるのは、こうした
時間だけだったかと思う。しかし先生の目は、
母親の子供を見る目に似て、大きな翼で皆を
包んでくれた。
また、暖かい日は授業を中断し、たびたび
小川へ連れていってくれた。春の光に映えた
水面は珠玉のように輝き、レンゲの甘い香り
をのせた風に私たちは全身浸った。
早いもので、六十数年の歳月がたつ 。
コンクリートで固められた土手の近くには、
土筆が二、三本遠慮がちにはえ、木々に覆わ
れた山はなくなり、新興住宅が境界線を主張
するかのように所狭しと建っている。空間が
ない。あの自然の空間は利便性と経済の中に
消え去ってしまったのか 。
いまの子供は、つくづく気の毒と思う。加
速度のついた自然破壊はとめようもない。
「貧しかった昔がよかった」という人もいる。
電子オルガンで「春の小川」を弾いてみる。
しかし、なぜかしら、足踏みオルガンのあの
暖かさは伝わってこない。
詩 初恋
恋は夢か希望か、ときめきか。
送ることもない手紙を何度もなんどもしたため、
想いはいつしか果てしなく膨らみ、空想の貴女を目のまえの
空間に浮かべ、オレは出口のない部屋に閉じ込められ、もがき始める。
ああ、恋は相手に捧げる愛でなく、自己愛、欲望かもしれない。
そのためかしら、そのほとんどは成就しないようだ。
成就しなかった若き情熱は、成就しなかった分、
また、決して会うこともない、会えることもないだけ、
年老いてから、少しずつ熟成していくようにも思える。