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3.すれ違う人たち

 佐和子は言った。 


「もう少しすれば、こんなことを考えている余裕もなくなるんだろうけどね、社会人になった人に会うと、受験勉強以外の知識の方が気になったりするのよね」


「佐和子……」


 思わず呼び掛けてしまったのは、私もずっと同じことを考えていたからだ。


「私ね、さっき買い物ついでに、古本市に行ってきたの。本買っちゃったんだ」


「何の本?」

「見てよ」


 鞄の中から、古本市の包装紙を引っ張り出す。包まれていた買ったばかりの本を佐和子に見せた。


「全然、受験に関係ない本よ」



【θ9】

 一通りお互いの近況を話し合った頃、博美ちゃんたちが降りる駅に到着した。

 新新宿という駅だった。


「会社員って忙しいのよ。勉強することもいっぱいだし。今日はこの電車で、会社の少し未来を覗いてみたくてね」


 ホームに降りた博美ちゃんは、随分と大人になって見えた。私と佐和子は、複雑な気持ちになる。


 鈴の音が次々と繰り出されるような、発車ベルの音が響いた。


「またね」


 お互いに手を振る。電車はすぐに動き出した。



「あの人たちに追いつくのに、あと五年大人にならなきゃ」

「別の経験でも、それなりに大人になるよ、きっと」


 帰り道の時とは逆に、佐和子はちょこっと肯定的なことを言った。私のしゃべった言葉は、ほとんど変わらなかったけれど。


「最近、受験に関係ない本をよく読むのよ」


 焦る気持ちはどこかにあった。けれど、佐和子は話題を変えてくれた。



【α9】

 古本市を覘くようになった頃から、私は活字中毒気味になっていた。

 一応文学部志望だったが、この頃文学作品はほとんど読んでいなかった。SFやファンタジー、推理小説などエンターテイメントばかりだった。


 最初は息抜きのつもりだった。それが気がつくと、勉強の合間合間に夢中で読んでしまうようになっていた。

 受験勉強より、こういう小説を読んだ方がずっと有意義だと思うこともあった。本の世界を楽しむだけではなく、いろんなことを考え、知りたいと思った。


 一冊の本の中には、様々な事柄が含まれている。時には、心理学や哲学の知識がほしいと思うことがあった。物語をより深く読み解く知識を、どんな勉強をしたら、どんな経験をしたら得られるのかと真剣に考えたりもした。


 受験勉強をするより、せっかくの十九歳のひとときを、本当に知りたいこと、本当に味わいたいことに使うべきではないかと、つい思ってしまうのだった。



【θ10】

「私、思ったんだけど」


 新新宿を出た後で、佐和子が話し出した。


「この時間鉄道で、過去や未来に行っている余裕はないけれど、それでもいろいろ楽しめるものね。私たちにとって今この電車は、過去や未来の人とすれ違う乗り物じゃないかしら」


 そう言われると、そんなような気がする。



【α10】

 一週間後は模擬試験だというのに、今読んでいる本のほうが気になってしまう。

 そう口にしてから、ついでのように呟く。


「私って、意志が弱いのかなあ」


 佐和子はすまし顔で答えた。


「そのくらいの迷いだったらいいわよ。私なんて、これから一流大学を出てかっこいいキャリアウーマンでも目指そうってときに、周りから全然違うアドバイスをもらっているのよ」

 唇を尖らせて、佐和子は続ける。

「むやみと働くより、結婚して平和な家庭を作る方が私には合っているって。その方が幸せになれるって」


「幸せ、ねぇ」


 そんなの人それぞれじゃないの。そう言おうかと思ったが、佐和子の深刻そうな顔を見てしまうと、安易に言葉を継げなかった。


「悩んじゃうのよね。絶対こうしたい、っていうのがなくて。自分のことが分からなくなりそう」


 私だって、自分のことなんて全然分からない。分かろうと考えたりもしていない。


 予備校に通って勉強して、大学受験をして、合格する。この一年は、そのための一年のはず。

 私も佐和子も周りのみんなも、そのためにほとんどの時間を使っていたのは事実だ。

 普段悩んでいるのも、大抵模擬試験の結果とか、志望大のこととか、受験科目のこととかだった。


 だから、このときは特別だったのだと思う。それでも、このことをよく覚えているのは、私も佐和子も、本気で考えていたことだからだろう。



【θ11】

 電車は過去や未来を自由に走っている。

 到着するたびに、過去に会った人と再会する。未来に会う人と出会う。


 オレンジに近い車内の座席。蛍光イエローのつり革。窓の外はオレンジの光が点々と灯る地下。

 私と佐和子はドアの付近にずっと立っている。


 クリーム色の貫通扉が開く音が響いた。


「ご乗車ありがとうございます。何か御用がありましたら、お声がけください」


 入ってきたのは、黄褐色の帽子に同じ色の制服を着た男性だった。大きな眼鏡とマスクをしている。車掌さんだとすぐに分かった。

 車掌さんは、帽子のつばを押さえて整えてから一礼し、よく通る声で告げた。


「時間鉄道は、過去や未来への思いに応える鉄道です。時を越えて行きたいところに行ったり、会いたい人にお会いできるようお手伝いをさせていただいております」

「それって、すごいですよね」


 佐和子が車掌さんに話しかける。すると、眼鏡とマスクであまり表情が見えないはずの車掌さんが笑った気がした。


「そうですね。この沿線は特に忙しい人が多くて、なかなかゆっくりと過去や未来のことを考えてくださることが少ないのです。それでも、時々夢の中で思い出して、ご乗車いただいたりします。この鉄道に長く乗っているとよく分かるのですが、もともと人生のどこかで出会う人とは惹かれやすく、会いやすくできているものですね。それをご縁ということもできるんでしょうな。おっと、次の停車駅が近づいてまいりましたので、そろそろ失礼いたします」


 車掌さんはまた一礼すると、次の貫通扉に手を掛けた。

 


 レモン色の電車は走り、停まり、また走る。

 たくさんの人が降りたり乗ったりする。別の電車から乗り換えてくることもある。

 どの人も、それぞれ一度は現実で出会う人と、この鉄道で会ったりしているようだ。


 私自身も、通り過ぎる何人かの人と知り合いだったりした。

 名前も覚えていないけれど、どこで会ったのか思い出せないけれど、それでもどこかで覚えている人もいた。向こうが気づいたので、会釈したり、手を振ったりした人もいた。

 

 そして、これから会うかもしれないと感じる人もいたような……そんな気もした。



【α11】 

 自分のことが分からない、と繰り返す佐和子に対して、私は何も答えられないまま、ふと目を止めた。

 そこには手相占いの看板があった。

 佐和子も気づいた。それで、私は思わず言ってしまった。


「占いでもやってみたら」


 まさか本気にするとは思わずに。



【θ12】

 長い間地下道を走り、突然光が溢れてきた。

 電車は、新たな駅に着いた。明るい地下のホーム。未来のような感じがする。

 私も佐和子も扉から少し離れて、人の乗り降りに備える。


 扉が開く。奥の座席に座っていた学生服の男の子が降りる。そして、二人の男の人が並んで乗ってきた。


「お兄ちゃん」


 隣にいる佐和子が、声を掛ける。

 男の人の一人が佐和子に笑いかけた。現役で大学に受かったというお兄さんらしい。

 こっちにやってくる。後ろにいた男の人も一緒に。


「佐和子、こいつのこと、知ってたかな?」


 こいつ、という言い方にすごく親しみが籠っている。佐和子のお兄さんの友人みたいだ。


「知らない。……知っているかも」


 佐和子の返事は、とても曖昧だった。お兄さんはくすっと笑った。


「知っているような……知らないような」


 佐和子はもう一度答える。

 お兄さんは、ますます目を細める。後ろの人も笑顔を見せる。


「懐かしい?」


 そう言ったのは、お兄さんなのか後ろの人だったのか、よく分からない。


「何かそうみたい……」


 佐和子の返事はますます曖昧だった。お兄さんがそっと呟いた。


「じゃあ、まだ会ったことがないんだな」


 どういう意味なんだろう。そんな私の疑問に答えるかのように、佐和子のお兄さんが話した。


「未来に会う人の中には、懐かしい人もいるんだよ」



【α12】

 北風の冷たい日だった。

 この頃、授業に出てこなくなる人が増えた。受験までの時間がなくなってきて、理解できているところは授業に出ないという選択だったりした。あるいは、理解できないので捨ててしまったところはもう見向きもしない、ということだったりした。


 その日は、佐和子と二人だけの昼食だった。


「何だか人が減ったよね」


 ついつい口にしていた。話が暗い方向にいきそうで、自動販売機まで足早に歩く。温かいウーロン茶を選んで押す。

 ガタン、とウーロン茶の缶が落ちる。

「落ちる」という言葉だけが心に残る。今からこんなこと気にしてどうするんだろう。そう思いつつ「受かる」という言葉を心で唱えて拾い上げる。


 隣の販売機で緑茶を買っていた佐和子が、急に口を開いた。


「私ね、占いをしてもらったんだ」

「うらない?」


 話も唐突だった。手相占いとか星占いとか、そういうものが思い浮かぶまでに数秒かかった。


 私は佐和子とテーブルに着いた。


「ちゃんとした占い師に会ってみたの」

「へぇ」


 この間占いでもやってみたら、と言ったのは私だった。けれど、佐和子にこう告げられる日がすぐ来るとは考えてもみなかった。


「高かったのよ、料金」

「いくら?」


 聞いてびっくりした。

 自分でバイトとかで稼いでいたらそんなでもなかったかもしれない。受験生たる私や佐和子は、もちろん親の脛を齧っている。そこからしたら、かなりの金額だった。

 佐和子って真面目なんだなあって思った。


「そんなにしてまで占ってもらうなんて、変だったかな」


 私の気持ちが顔に出てしまったのか、佐和子がこう問う。否定しようとして、私は喋った。


「ううん。高い料金でありきたりのことしか言わない占い師がいたら疑っちゃうけど」

「……」


 私の言葉は、佐和子を黙らせてしまった。慌てて尋ねる。


「何て、言われたの?」


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