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1.不思議な電車

【θ1】

 レモン色の電車がホームへ入ってくる。

 カタン、と音を立てて止まって、ゆっくりと扉が開く。


 車内は空いている。人の少ない時間帯なのかな。

 私に続いて、佐和子が乗る。扉が閉まる。


 電車は静かに動き出した。



【α1】

 私と佐和子は、予備校の説明会で出会った。

 何のことはない。二人とも大学受験に失敗して、浪人することになったときだった。

 たまたま隣の席にいたのが佐和子で、そのあと最初の授業でも声を掛けてくれたのだ。


 佐和子の最初の印象は、浪人なんてしてそうに見えなかった。

 背が高くて、ショートカットの髪型がよく似合う。雰囲気は落ち着いて見えた。何より知的な感じがあって、何でもすんなりこなせそうな気がしたのだ。

 予備校生という立場が合わなさそうだった。


 後日、佐和子にそんなことを話したら、大うけしてたけど。でも、佐和子だって私のことを浪人しそうにないお嬢さんに見えたというのだから、大笑いだ。



【θ2】

 電車の中は、外装と同じようにレモン色の光に溢れている。座席はオレンジ色だけれど、それもレモン色を濃くしたようなどこかさわやかな色合いだ。

 つり革は蛍光イエローに近い。ドアの内側も薄い黄色だった。


 何で山手線じゃないんだろう。


 ふと疑問に思う。

 予備校からの帰り道、佐和子とはいつも新宿で別れる。そこまでは山手線に乗車しているはず。それなのに、今乗っているのは、この辺を走るどの電車とも違うみたい。


 一体どこへ行くんだろう。


 窓の外を見ようとしたら、急に日の光が遮られた。地下に入ったらしい。灯っているランプもオレンジ色の光を放っている。

 そのとき、車内のアナウンスが聞こえた。


「このたびは、時間鉄道をご利用いただきまして、誠にありがとうございます」



【α2】

「何で浪人したの?」 


 会って間もないころ、佐和子はずばり訊いてきた。こうストレートに切り出してくれた方が気持ちがいい。


「受けた大学に、全部落ちたから」


 私の答えは、ストレートすぎた。


「短大とかは受けた?」

「ううん、行くなら四大しか考えていなかったから」


 そう答えたけれど、現役の時(考えてみると変な言い方)は、親に散々愚痴られたものだ。短大卒のほうが、若い分、就職にも結婚にもいいイメージがあるって。

 要するに、私たちの大学受験の頃は、そういう時代だったのだ。


 けれど、佐和子は言った。


「キャリアウーマンもやってみたいような気がする」


 大学卒のほうが、女性でも大きな仕事ができる。そんなふうに思われていた時代でもあった。

 キャリアウーマン、と言い出した佐和子につられて、私も答えた。


「私も、少し目指したいと思うことがあるの」


 そのときの私たちは、まだ大学進学の先まで、あまり見通していなかったと思う。私に至っては、来週の模擬試験の勉強さえ見通しが立たなかったりする生活だった。



【θ3】

 車内のアナウンスに、私と佐和子は顔を見合わせた。放送は続く。


「次の停車駅は、橘第四小学校前。大下公園、スーパー丸屋をご利用の方は、お乗り換えです」


 何とか小学校前、という駅名はありふれている。

 でも、橘第四小学校は私が通っていた小学校で、今はもうない。隣の小学校と合併して別の名前になっている。もう一つ、スーパー丸屋は六年生の時に閉店したお店の名だ。

 そもそもそんな駅名、昔から鉄道の駅にもバス停にも、なかったと思うんだけど。


 電車の速度が緩やかになり始めた。

 思わず窓の外を見る。地下のオレンジ色の光が次々と通り過ぎていく。と、不意に光が溢れる。

 橘第四小学校前、だ。


「あっ」


 ホームの端に、香奈枝(かなえ)ちゃんがいる。



【α3】 

 予備校からの帰り道、山手線の車内で佐和子と真面目に話した。決してよくない今の状況について、だ。


「行くところがなくて、ここに来たような感じ」


 高校卒業後に進学を諦めたくなかっただけ。


「私はね、一つ短大に受かったんだけど、蹴っちゃったのよ」

「ええっ」


 佐和子の答えに、思わず大きな声が出てしまう。慌てて口を押え、車内に目をやる。ドアの前に二人で立って話している分には、あまり声が漏れなかったようだ。


 私は再び佐和子を見つめる。


「行ってもよかったのかもしれない。でも、希望の学科は新設だったの。だから、あんまり……。それに、四大でじっくり学ぶ方がいい気がしてたから」

「私は、迷いはあったけど、結局短大は受けなかったなあ。今年は贅沢なこと言えない立場だけど」


 そのとき電車がホームに入るのが見えた。駅名を見なくても、私の乗換駅だって分かる。

 新宿駅は、いつもとても混んでいた。



【θ4】 

 ホームが混んでいたら、多分香奈枝ちゃんだって分からなかっただろう。

 香奈枝ちゃんはあまり目立つ子ではなかったし、取り立てて仲が良かったわけでもなかったのだから。中学校の三年間も、一度も一緒のクラスにならなかったし。むしろ、どうして分かったのか、自分でも不思議だった。


「麻子!」


 後ろから、私を呼ぶ声がする。振り返ると、佐和子がレモン色の電車から身を乗り出している。どうしたんだろう。


「早く乗って。発車しちゃうよ」

「でも」


 香奈枝ちゃんが、と言おうとしたところで、チリン、チリンと細かな鈴の音。クリスマスの金の鈴を思い浮かべたけど、もしかして、これが発車ベル?


 飛び乗る。後ろで扉が閉まる。


「びっくりした。麻子ったら、急に降りるんだもの」


 佐和子は本当に驚いている様子だった。私にしてみれば、いつの間にか降りていたって感じなんだけどな。


「知っている人見つけたから、つい……」


 窓の外を覗く。香奈枝ちゃんの後ろ姿が小さくなっていく。結局声を掛けられないまま。

 電車はまた地下に入る。


「一度降りちゃったら、戻れるまでどのくらいかかるか分からないのよ」


 私の呑気な返事に、佐和子は怒った様子だ。


「ごめん。そうだったね」


 素直に謝るしかない。


 私たちは、時間鉄道に乗っているんだ。

 橘第四小学校前。そう呼べる場所のあった時代に、この電車は停まっていたのだった。



【α4】

 予備校というと、一人で黙々と勉強しているイメージがあったが、私たちは大抵五人くらいのグループで行動していた。午後の授業があるときは、特に意味のない話をしながら、一緒にパンを齧っていたものだ。

 佐和子はその中でも、私と常に一緒だった。乗換駅の新宿のことが印象に残っているのは、帰りにいつも佐和子とそこで別れるからだろう。


 そこから先は、家に帰ってからの勉強のことを考えるように努力した。

 新宿で降りないで、佐和子とどこかへ遊びに行きたいなと考えたこともたくさんあったけれど。



【θ5】

 香奈枝ちゃんは、小学校時代に降りて、どこへ行くつもりだったんだろう。多分、大学生になった香奈枝ちゃんは。


 この時間鉄道の路線は、過去にも未来にも続いている。現在の私の最寄り駅までは、まだまだ時間がかかりそうだ。

 まっすぐ過去に進むのでもなく、まっすぐ未来に進むのでもない。路線図も見当たらないので、どこを通るのかも不確かだ。

 新宿のような大きな駅は、みんなが利用するため、必ず停まるものらしい。でも、全部の電車が現在を通るわけではないようだ。

 一旦降りてしまうと、現在に停車する列車が来るまで、随分待たなくてはならないこともあるとか。


 香奈枝ちゃんとは、そんなに話をしたことがなかったと思う。

 ただ、珍しい苗字だったので、中学の時、数学の成績優秀者の欄で、何度か名前を見たので覚えていた。理数系に弱い私には、数学ができる香奈枝ちゃんが羨ましかったりしたものだ。

 小学校時代を思い出して、そこへ足を踏み入れてみようなんて、今の私には考えられない。


 香奈枝ちゃん、今は大学生で、きっと気持ちにも時間にも余裕があるんだろうな。


 そんなふうな思いにさえ捕らわれる。


「私なんて、小学校のときから国語はまあできるけど、算数は全然できなかったよ。どんなに頑張っても苦手なままだったわ」


 時間鉄道のなかで、名前を出さずとも香奈枝ちゃんのことを説明すると、ついそんなことまで話してしまった。


「今と変わらないのね」


 佐和子が言ってくれる。



【α5】

 予備校生になった初めのころは、緊張感もあり、予備校の空気にも活気があった。けれども、夏が近づいてくると、暑さのせいもあってどうしてもだれてくる。

 そんな頃、こんな噂が次々と入ってきた。


「由美ちゃん、私立大しか受けないことにしたんだって」

「加藤さんも、理数科目を除いているところしか受けないって言ってた」

「そういえば、村山さんだっけ。加藤さんとよく一緒にいる人も、数学Aの時間に来なくなったよ。二人ともこのまま私立大の方に行っちゃうのかなあ」


 私たちのクラスは、国立文系Ⅱ科。文系であっても、当時の受験制度で理数系の科目を受ける前提でカリキュラムが組まれている。しかし、理系科目を受験しないと決めれば、文系科目だけに専念することができる。


 現役の時はともかく、大抵の浪人生は、滑り止めとしてランクが下の私立大も受けざるを得ない。だったら、科目数の多い国公立大を諦めて、私立大だけに絞ったほうがラクに違いない。


 おそらく、クラスの大半の人は一度は考えたことがあるに違いない。私もその中の一人だった。残念ながら、絶対に行きたい大学というものはなく、国文学が学べる大学でなるべくいいところ、という受験生にすぎなかった。


 もともと得意な国語はそのままでありつつも、どうしても数学が伸びない。時には不得意分野で失点して、思いがけない悪い結果が出ることがある。

 実力より上の国公立大を狙う浪人生は、ため息をつきながら悩むことも多かったのだ。


 そして、そんな日常から時間と空間を超えるなんて、考えてもみないことだったと思う。


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