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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

★オススメ短編集★

血汚齢糖

作者: 尾妻 和宥

山家やんべさん! あんたみたいなシーラカンスを雇ってるのは、慈善事業をしてるわけじゃないんだ! 口ばかり動かさず、ちゃんと手を動かしてくれ!」


 と、森工場長の怒号が飛んだ。


「はいよ。どうもすみませんね」


 山家は頭をさげた。

 隣の新人従業員との世間話に夢中になってしまい、回収する手がおろそかになったのだ。

 山家たちは白い防塵服を身につけ、頭も白い頭巾で覆い、毛髪が落ちないようにしていた。手袋とマスクをし、眼の部分しかすき間がない。


 それにしても、山家はヌシ(、、)と呼ばれるだけある。

 腰はすっかり曲がり、いかにも口が達者な老女だった。

 女郎屋で遊女を斡旋あっせんする女将のようなしたたかさを漂わせていた。いったいいつまで働くつもりなのか。年齢は75にもなるという。

 

 いかつい機械が、ごってり配置されたチョコレート製造工場のライン。

 バレンタイン商戦が迫っていた。ピリピリした空気が張りつめている。

 森工場長が現場で指揮を執っており、手の遅い従業員には容赦なく叱責を浴びせた。まるで海兵隊の軍曹である。


 デポジッターという機械から液状になったチョコレートを、断続的に板チョコ用の型枠モールドに流し込む。

 コンベア上で大量の型枠が流れ、やがて振動させる工程にさしかかる。製品内の気泡を取り除くためだ。


 そのあと型枠を乗せかえ、冷風が吹き付けてくるトンネルにくぐらせる。こうして製品が冷やされ固着。

 冷却されたものは、デモールダーなる機械で型底を叩き、製品が外れる仕組みだ。

 こうしてラインの者は、せっせと板チョコをトレイ(、、、)に並べていくわけである。




 ここ最近は残業時間がかさみ、土日の休みもなかった。

 現場の従業員は疲労の極みに達していた。どの顔ぶれも、眼の下にクマを作っている。

 休憩時間では、テーブルに突っ伏して仮眠をとれるならまだしも、床に座り込み、腕に顔を埋めている者もいる。さながら強制収容所の様相だ。

 来たるべきバレンタインという一大イベントの陰では、こうした犠牲者が悲鳴をあげているのである。


「まったく傍迷惑はためいわくなイベントだわね。意中の男がいて、女どもはこれを機にモノにできたらまだいい。けど、人間関係を円満にするため、お義理をしなきゃいけないなんてナンセンス。くだらない社交辞令なんか、なくなっちゃえばいいのに」


 と、山家は呪わしく言った。

 二十代の新人であるたちばなが山家の腕を叩いた。


「そんな愚痴ばっかりこぼしてると、また工場長からお叱りを受けますよ」


「それにしたって森の奴。会社に入ってきたころは鼻タレ小僧だったのに、ずいぶん生意気に出世したね。いまじゃ反対にロバのようにこき使われる有様。いつか思い知らせてやるから……」


 山家は苦々しげに言った。年老いた眼は、疲れの色が濃く、充血もひどい。

 カカオ豆を炒めるロースターの横にいた森が、目ざとくそんな山家たちを睨んだ。


「おい、そこ! 山家さん、またあんたか! 黙って仕事に集中しろ! 何度言わせりゃわかる!」


 と、指弾を浴びせた。


「どうも、すみませんね。私ゃ、お話が好きでね」


 山家は曲がった背をさらに曲げて詫びた。


「――ったく!」


 森は伝票が挟まれたバインダーを抱え、向こうへ大股で歩いていった。

 別のフロアで怠慢な者を見つけ、怒鳴り散らしている。


「やれやれ、やっと雷雲かみなりぐもが退散したようだ」と、山家は型枠を取る手をとめ、隣の橘にささやいた。「――で、さっきの続きだけどね」


「ええ」


「時にあんた、そもそも日本におけるチョコレートの歴史をご存知?」


「歴史、ですか?」


「私ゃ半世紀も、この会社にいるんだよ。――日本人で初めてチョコレートを味わったのは、1617年、伊達 政宗の密命でスペインに行った支倉はせくら 常長つねながの一団だとされているの。この人たちはヨーロッパにやってきたばかりの――正確には、チョコというよりココアね。この飲み物を飲んだそう。お次が明治時代、1873年、岩倉使節団いわくらしせつだんがフランスのリヨンで、チョコレート工場を見学し、試食したとのことなんだけど」


「山家さん、物知り」


「これはミルクチョコが発明される前だから、今で言うとブラックチョコみたいな苦みのあるイーティングチョコだったと思うの。その4年後の1877年に、東京米津風月堂とうきょうよねづふうげつどうが『千代古齢糖ちょこれいと』を発売しはじめたわけ」


「ふーん、なるほど」


「でも当時、日本ではいまいち認知されなかったみたい。というのも、これも『血汚齢糖ちょこれいと』と言って、牛の血を固めて作ったお菓子だ、みたいな、イヤな噂が広まったからなの。誰だってモーモーさんの血で固められたモノなんか、食べたくないわよね」


「牛の血」


 橘は眼を丸くし、身体をのけ反らせた。


「多分これは、『牛の乳』が誤って、『牛の血』と伝えられたんじゃないかと。ほら、そそっかしい人って、いつの時代にもいるじゃない? そうして都市伝説が生まれていった……。あらためて迷信だとわかり、ようやく売れ行きが伸びるのは、そのあとの時代ってわけ」




 そのときだった。

 背後のフロアに通じるドアが開き、森工場長が現れた。どうやらグルッと工場内を一周してきたらしい。


「何度言えばわかる山家! わざと席を外せばいつもそうだ。しゃべってないで、真剣にトレイに並べろ! 給料泥棒め! あんたみたいなのが会社の吸血鬼っていうんだ!」


 と、山家につかみかかった。完全なるパワハラだった。


「あらま。抜き打ちでやってくるなんて。さては聞き耳立ててたわね!」


 負けじと山家もやり返す。

 橘が悲鳴をあげ謝っているが、もはや森のブレーキは利かない。


「別室に来い! あんたの、今後の身のふり方について話し合おうじゃないか!」


「望むところさ! 血を見る目になるよ!」


 と、反抗した山家の眼は狂気じみていた。

 そう言って二人は、別のフロアへ行ってしまった。

 残された橘はオロオロするばかり。


 その間にもコンベアから型枠モールドの波が押し寄せてくる。

 二人でようやく拾えたのに、橘一人では回収しきれない。

 早くさばかないと、ラインの非常停止ボタンを押すはめになる。そうなったら、また雷を落とされるだろう。


 別室では二人の言い争う声が聞こえた。

 もみ合う音にまでエスカレートした。

 硬いものが倒れる音が響く。


 二人の悲鳴。

 そのうち、男のうめき声が洩れた。

 鎖状のものを巻きあげる音が続く。

 いったい、なにごとか?

 橘は型枠を手にしたまま、息を殺してドアを見つめた。




 ゆっくりと、そのドアが開き、山家だけが現れた。

 防塵服は血に染まっていた。

 手にはナイフ。カカオ豆の入った麻袋を切る専用のものだ。

 

「ちょっ……山家さん、どういうことですか! まさか、森工場長を?」


 橘は手にした型枠モールドを捨て、ドアの方へ走った。

 別室に飛び込んだ。

 そこで見たものは生涯忘れまい。


 重量物を吊りあげる歯車装置チェーンブロックの鎖で、森が逆さ吊りにされていた。両眼が開いたままだ。

 首に無残な切り口が開き、鮮血がしたたり落ちていた。

 真下にはブリキバケツがあり、その血を受けていた。かなりの量がたまっていた。


山家がこう叫んだ。


「別に消費者にはなんの怨みもないがね。私がとっておきのチョコレートをこしらえてあげるよ!」





        了

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― 新着の感想 ―
[良い点] 企画より拝読いたしました。 ひょえ~、スプラッタ! きゅ、吸血鬼向けのチョコに仕上がりましたね……
[気になる点] 血を混ぜるのは、ウインナーだったかソーセージだったかですよね? [一言] 繁忙期は修羅場になるでしょうが、その対応をおろそかにした上のミスでしょうなあ。 現場のストレスは痛いほどよく…
[良い点] いやーーー! ラストがめちゃくちゃ恐かった! 人間思い詰めると何するかわかんないですよね。しかもお年寄りに汗 [一言] とにかく恐かったです 企画から参りました(泣)
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