友達(2)
練習が終わる頃には、もう、あたりに夜の帳が下りていた。
いつのまにか監督は姿を消していて、代わりに湊が今日の練習のまとめを行う。
「あーい、じゃあ今日も練習お疲れ様でした。全県新人戦が近いので、明日も気を引き締めていきましょー。この間の中央支部新人戦の反省を生かせるよーに。」
真面目な内容なのに言い方のせいでまるで締まらない、僕の隣で正座をしている女子主将が湊を睨みつけているのが分かる。…後で呼び出されるんだろうな。
そんな緩い総括とは逆に、引き締まった声で全員が返事をした。
「はい、じゃあ礼拝して練習終わりっ。」
全員でもう一度同じように返事をして、弓道場に設けられている神棚へと体を向ける。
二礼二拍手一礼、神社でお参りをする時と同じように練習の最初と最後にそれを行う。
僕はその途中で神様に尋ねごとをしてみた、…神様は何も答えてくれない。
礼拝が最後まで終わり、空気がほどけた。
弓道場が学校の教室と変わらない空間に様変わりする。
それぞれ思い思いの会話をしながら、弓道場の掃除を始めた。
僕は女子の主将に事情を話して、皆とは別の行動をとる。
「美緒、ちょっといい?」
「…なに?私今からやらなきゃいけない用事があるんだけど…」
僕より頭一つ小さいその体に、熱く煮えたぎる思いがあるのを感じる。
このあと湊に襲いくるであろう恐怖を想像して、気の毒に思った。
「矢取りの部屋が汚いからさ、ちょっとあっちを掃除してきていい?」
掃除をしている他の人達にも聞こえるように、少しだけ大きな声で話した。
僕の言葉を聞いて、美緒の表情が少しだけ和らぐ。
「あ、ごめんありがと。私も掃除しなきゃって思ってたんだけど、忘れてた。」
「いつもは掃除しない箇所だからね。」
多分、原因はそれだけじゃないんだろうな。
「じゃあ、行ってくる。そっちも色々と頑張ってね。」
「うん、性根を叩き直してくる。」
おお、性根を叩き直すと来たか。今日は特別長くなりそうだ。
美緒は、後輩と楽しく談話している湊に照準を合わせ早足で距離を詰め始めた。
もうすぐ、緩んだ空気が縛り上げられる。
僕も早足で玄関へ向かう。
靴を履き、今度は箒と雑巾を持ってまたあの小さな部屋へと歩き出した。
僕が砂利道に差し掛かった時、弓道場の方から機関銃のような声がするのに気がついた。
渦中の同級生の事を思い、今日くらいは飲み物を奢ってあげてもいいか…と考える。
箒を持ち直し、静かに足音を立てて、掃除へと向かった。
気をきかせた後輩が、射場以外の照明を消してしまっていたので、的が付けられていたその周囲は暗く、視界が悪かった。
この高校は住宅街から少しだけ離れた、小さな山の上に位置するので、街灯の光も届かない。
月明かりだけがその辺りを照らす。
いつも見ている風景のはずなのに、心の隅に恐怖が滲む。
光のないこの場所は、どこか見覚えがあった。
思わずうるさい顔が浮かびそうになったので、足元の小石を蹴り飛ばす。
僕は少し後悔してから手際よく掃除を始める、しばらく掃除をしていなかったので時間がかかると思っていたが、狭い部屋はすぐに綺麗になった。
僕は自分の仕事に満足をし、来た道を戻る。
いつになく早いテンポで砂利道は音を鳴らした。
弓道場の引き戸を開けると、騒がしさが耳を通り抜けた。 まだ戦いは静まっていないらしい。
靴を脱いで奥へと進み、様子を伺う、端の方で湊が美緒に捲したてられていた。
ふと、湊と目が合い、助けを求められてしまった。 僕はそれを見なかったことにし、帰りの支度を始めることにする。
男子控え室として使っている部屋に入ると、既に帰りの支度を終えた後輩達が、どうしたらいいか分からずに固まっていた。
「どうしたの?帰らないの?」
僕が話しかけると後輩達は、助かった、といった表情を浮かべた。
「あ、広輔先輩…いえ、まだ自分達、湊先輩と美緒先輩に挨拶していなくて…」
いくら上下関係が去年より緩くなったとはいえ、まだこうゆう所に伝統は根付く。
「ああなるほど…いいよいいよ、俺から2人に伝えておくから、遅くなっちゃうから早く帰んなよ。」
「すみません、ありがとうございます。」
「楓にはもう挨拶したの?」
「はい、部室へ行かれる前にしました。」
弓道部には弓道場のほかに、学校内に部室がある。
部室といっても、男子が入るのは練習に必要な備品を取りに行くくらいで、ほとんど女子部員の控え室となっている。
「そっか、それじゃ心配はないね。お疲れ様でした。」
「お疲れ様でした!」
後輩達が僕に挨拶をして玄関へと向かった。
「「ありがとうございました!」」
大きく揃った声が響く、この挨拶は僕にではなく弓道場へ向けられたものだ。
練習を終えて帰る時には、弓道場にも挨拶をしなければならない。
こうして、部員達は礼儀・礼節を叩き込まれていく。
控え室で1人になった僕は、帰りの支度をしながら壁の向こうで繰り広げられている戦に耳を傾けた。
「だからさ!あんたが1番ちゃんとしないといけないのに、どうしてあんたはそんなんなの!?」
「いや…まぁ…」
「なに?言いたいことがあるならハッキリ言ったら!?男でしょ!?」
「いやほら、皆しっかりしてるし、俺がちゃんとしなくても大丈夫かなぁーって」
「ハア!?あんたそれ本気で言ってるの!?」
いつもは自身家の湊が何も言えずに責められているのを壁越しに聞いて、僕は必死に笑いを堪えた。
笑っているのがバレたら僕も参加しなくてはならなくなる。
「主将のあんたが1番ちゃんとしないといけないに決まってるでしょ!部員達を先頭きって引っ張らなきゃいけない立場なのよ!?わかってるの!?」
「そこは何というか…結果で見せるといいますか…」
「何?俺は上手いから別に主将の仕事なんてしなくていいって思ってるの?ふざけないでよ!」
「すみません…」
余計なこと言わなければいいのに、弓道部男子主将は自ら油を注ぐ。
僕は帰りの支度は終わっていたけれど、まだまだ終わりそうにないので静かに待つ。
そうしていたら、部室にいるはずの同級生が静かに顔を覗かせた。
「どう?終わりそう?」
僕はジェスチャーでまだ終わらないことを伝える。
「あー確かに、これは長引くねぇ」
そういって、荷物を2つ抱えた彼女は控え室にそろりそろりと入ってきて、腰を下ろした。
僕も少し移動した。
「女子の後輩達はもう帰った?」
「うん、美緒への挨拶はもういいから帰んなって帰らせた。部室も閉めてきちゃった。」
「そっか、じゃあ嵐が過ぎるのを待とうか。」
そうだね、と笑って、楓と僕は控え室で静かに説教を聞いていた。
これで、1年生は全員帰宅し、弓道場には2年生が全員集まった。
弓道場が広く感じる、僕達の代は男子合わせて4人しかいなかった。
大会の団体戦は男女別5人1チームで、最低でも3人はいないとそもそも出場すら出来ないので、僕達は1年生の力を借りるしかない。
その責任感からか、美緒は主将に選ばれてから必死にチームを引っ張った、激昂するのも仕方ないのかもしれない。
だけれど、その矛先は間違っている。
僕は、さっきまでの僕を思い出して自己嫌悪をした。
それから20分ほどして、湊は解放された。
「お疲れー、これ美緒のバックね。」
「ん…ありがと…。いつもごめんね?」
「おうおうどしたどした、元気ないじゃん。そんな時は男子主将の陰口で盛り上がろうぜっ。」
「あの、俺まだ一応いるんだけども、」
美緒が鋭く湊を睨む。
「なんでもありません…。」
湊は小さく縮こまった。
「うん、それじゃあ広輔また明日ねー、湊も反省して元気出せよー。」
2人は弓道場に挨拶をして、校舎へと消えていった。
…湊がこっちをじっと見てくる。
「…なに?」
「慰めてくれんのかなぁーって思って。」
「…もう少し絞られた方が良かったみたいだね。」
湊はガックシと肩を落とし、帰りの支度を始めた。
説教中に支度をしておいてあげようかとも思ったけど、美緒に目をつけられたくはなかったのでしなかった。
「あいつには慰めてくれる友達がいるのになぁー、俺は悲しいなぁー。」
白々しくそう言うから、さっき自販機で買った温かい飲み物を渡すか迷う。
とはいえ、1人では消費しきれないので渋々 投げ渡す。
「…ほら」
「おっとっと、なんだ、用意してくれてるなら最初から渡してくれりゃいいのにー。」
予想通りの反応をされたので、予め考えていた反応で返す。
「はぁ…。…楓には素直に感謝をしてくれる主将がいるのになー、俺は悲しいなー。」
「くっくっく、悪かったって。サンキューな」
「…ああ」
こうゆうことをするのは慣れていないのでら恥ずかしさが込み上げた、それを隠す為とっさに立ち上がり、先にガタがきている引き戸へと向かう。
「じゃあ俺、先行くから。」
「あっ、ちょい待てよ、待ってくれても良いんじゃね?」
「もう十分待った方だと思うけど。」
急いで支度をする湊を尻目に、引き戸を開けて外へ出た。
冷たい風が顔に当たり気持ちが良い。
そうやって涼んでいたら、弓道場へ挨拶をする前に湊が準備を終えて来てしまった。
仕方ない、一緒に挨拶をしてやるか。
僕達は並んで、真っ暗になった弓道場へ挨拶をし、帰路へとついた。