友達
「1」
「男女の友情は成立しないんだって」
誰にでもなく呟かれたその言葉は、この部屋の中に漂い、少しずつ溶け始める。
この部屋には僕と彼の他にも2人いるが、言葉に反応するだけで拾う気はないようだ。
多分、このまま何もしなければ、言葉は端の方から崩れていってここには何も無かったことになるだろう。
僕は昨日の事もあって、側から見ればなんてことは無いその言葉を壊れないように掬う。
「高校で仲のいい女子でもできたの?」
返事が来たことで、言葉は崩壊なんてなかったかのように、この部屋にくっきりと残った。
スマートフォンに向けられた目線がこちらに移動し、真っ直ぐに僕を見る。
自分の世界から飛び出してきたばかりのその顔には、宝石ような瞳が2つ輝いている。
いつ見ても、眩しい。
「でもさ、でもさ!実際どう思う?俺は成立すると思うんだよね。」
僕の質問には答えず、彼は楽しそうに自分の言葉を続ける。
言葉が見やすい形になったことで、他の2人も手の中の端末からこちらの話に興味が移動した。
「だってさ、実際 女友達って、いる人はいるじゃん。成立しないっていうなら女友達がいる男達はみんな浮気性のサイテー野郎なの?ってことじゃん!」
一息にそう言うと、スッキリした顔で僕の意見待つ、どうやら僕の質問は溶けて拡散し、無かった事になってしまったらしい。
「そうゆうのは彼女がいる人に聞こうよ。」
僕は悪戯をする時のように笑い、目線で方向を指して、こちらに興味が移動していた大きな身体のほうに、矛先を向けさせた。
急に話に駆り出された相手は、一瞬、しまった、という表情でこちらを見る。
「あっそうか。なぁヒロはどう思う?彼女がいる身としては男女の友情は成立すると思う?」
矛先が変わったことを確認して、僕は企みが成功したことに少しだけ嬉しさを感じ、弘樹の答えを楽しみに待つ。
「え、あー…そだね…成立…する…んじゃない?」
片方の手で、さっきまで色々な人の近況報告を表示していたスマートフォンをもてあそびながら、ぎこちなく答えた。
「だよね!やっぱこの記事はおかしいよなぁ!」
弘樹が困ったように笑って、辿々しく答える姿が面白くて、僕は笑っていた。
欲しかった物を手にした彼は、満足したように手元に表示された記事を睨む。
思わず口を挟んだ。
「いやいやいや、さっきまで浮気性がなんだって言ってた相手に成立しないっては言いづらいよ。」
「え?そう?」
僕の横顔に、分かってるなら振るなよ、と目で訴えられているのを感じた、面白かったしいいじゃないか。
「えー?じゃあショウは?男女の友情は成立すると思う?」
そう言って彼は右に向いていた顔を左に向け、視線を移動させる、その動作の途中で、一瞬だけ、また僕の目にも光が入った。
呼びかけられた相手は、顎に手を添え目線を下に落としていたので、彼と目が合わない。
「無い、んじゃないかな。元々男女は別の生き物だって考え方もある。」
少しの間のあと、祥太は決心したかのように黒縁の眼鏡の奥から視線を合わせる。
そんなに真剣に考える話題でもないだろ、と少し思ったがそれを今言うのは野暮だ。
「うーん…いや!俺は絶対あると思うんだよな!」
彼は立ち上がって、身振り手振りを加えて僕たちに話す。
「だってさ、俺達が女子と仲良くしたいなーって思ったらそれが全部恋愛感情ってことになっちゃうんだぜ?そんなわけないじゃん!」
身振り手振りが少しだけ大きくなり、話が熱を帯びてくる。
「別に恋愛以外にも仲良くしたいなって思うことくらいあるじゃん、それこそさ、俺達みたいな関係になりたいとかさ。」
急に自分達が話に出てきたので、僕達は恥ずかしくなって目を逸らした。
不意に、僕の右側に座っていた祥太と目が合い、苦笑いをする。
置き場所に困って、目線は床に落ちた。
そんな周囲の思いは気にも留めず、彼は話を続ける。
「なのに男女の友情は成立しません、なんて急に否定されてもそんなの受け入れれる訳ないじゃん、そんなので友達になる可能性を否定しないでほしい。それにさーー」
茶色いカーペットの溝を見ながら、僕は頭の半分で話を聞いて、もう半分で彼が自分とは違う高校で過ごしていても根が変わっていない事に安心していた。
彼はいつも真っ直ぐに僕たちを見る。
今では恥ずかしくなってしまうような台詞も、はっきりと言う。
彼がいるからこそ、中学校を卒業して2年を過ぎ、他の友達とは疎遠になっていく中で、まだ、僕たちは集まれる。
彼に惹かれて、ここに集まる。
どうして彼は、こんなにも真っ直ぐに成長出来たのだろう。
小学校の野球部を通じて、僕達は出会った。
その頃から彼は、思ったことはそのまま口にし、実行に移していた。そんな風だから当然度々誰かと衝突し、周囲の人達を困らせることも少なくなかった。
それでも彼は、自分が正しいと思った事に対しては、絶対に引かない。
事実、 彼はいつだって正しい。
「順番は守らなきゃダメだ」「悪口はよくないよ」「真面目に練習しよう」
そんな言葉達から始まる諍いの数々は、大抵の場合、大人を味方に付けた彼が勝つ。
そんな彼を、僕は、僕達は、正義の味方だと思っていたのだと思う。
中学校に進み、同じく野球部に所属して1年が経過したある日の事、彼は部活の練習中に大きな怪我をした。
靭帯損傷、スポーツ復帰には半年かかると聞いた。
僕は恐かった、彼が折れてしまうのではないかと思たから。
その後すぐにお見舞いへ行く事になったけれど、本当は凄く嫌だった、見たくなかった。
そんな心配はよそに、彼は白い病室の中でも何も変わらず輝いていた。
元気に退院してからの事を話す彼を見て、涙が出そうになったのを覚えている。
それから時間が経ち、本格的な秋を迎えた頃、彼は部活に復帰した。
最初こそブランクに悩まされていたけれど、3年生の夏を迎える頃には、主力の一人としてチームに無くてはならない存在となる。
僕はその姿を、当時好きだった漫画の主人公と重ねて合わせていた。
「ーーだからさ、男女の友情は絶対成立するって思うんだけど、どう?」
「……え?…ああうん、そうだね」
いつの間にか話は終わっていて、質問が飛んできていた、後半全く聞いていなかったので少し雑な返事になってしまう。
「…今、話聞いてなかったでしょ、コウはそうゆう所あるもんなー。」
「…ごめん、最後の方聞いてなかった。」
見事にバレてしまった、昔から嘘がすぐにバレてしまうのは何故だろう。
追撃が来るのを避けるため、少し早口に言葉を並べて盾を作る。
「でもまぁ、男とか女とか関係なく、誰かと仲良くなって、それを両方ともが友情だ、って思えるなら、それは友情だとは思うよ。」
「おっ、それだよね!両方の気持ちが大事!良いこと言うね!」
少し恥ずかしかったが、どうやらお気に召したようなのでホッとする。
ギッ
身体の何処かが軋む音がした。
「その点で言えば俺達は最強だね!小学校の部活から数えてもう9年の付き合いだもの!人生の半分以上を一緒にいるわけだ、その硬さはもはやダイヤモンド級だぜ!」
「あ、ダイヤモンドってハンマーで砕けるらしいよ」
「え、そうなの?」
「あーそれ、俺も昔テレビで見た。」
3人のやり取りを遠目にみる。
僕もこの輪の中にいるんだと実感し、微笑ましさと嬉しさが混ざりあって、僕の中の音は聞こえなくなった。
毎週末、予定が空いていたら僕の部屋に集まる。別に約束をしたわけではないけれど、中学卒業後2年間それは続いている。両親も「友達は大事にしろ」といって、毎週集まることを了承してくれている。
最近は流石に話題も無くなってきたけれど、それでも、話す事が無くても、 この心地よい空間にみんな集まる。
ああ、今週のこの集まりももうすぐ解散の時間だ。明日からまた、それぞれ別の学校と部活が始まる。
他愛ないのない話題で盛り上がる3人を見て、僕は目を細める。
この3人は他の友達よりも特別な関係だと思う、こうゆうのを何と言うのだろう、ああ、そうか「親友」って呼ぶのかな。
その言葉の響きにむず痒しさを感じて、考えるのをやめた。