彼方にて
「君の故郷の話をしてくれないか?」
髭の濃い中年の男が二十歳程の女性に話しかけた。
「私の故郷ですか?何もない田舎ですよ。まあ、強いて言うなら空気が澄んでいるくらいですかね」
女性は近くに腰掛け天を仰ぐ。星々の小さな灯りを頼りに男はグラスに酒を注ぐ。
「全く、少しくらい上司に面白い話を聞かせてくれてもいいじゃないか」
男は苦笑いを浮かべつつも、二つあるグラスの片方を女性に渡そうとする。
「君も、今日ぐらい飲めばどうかね」
「御冗談を。私が下戸なのを知ってて勧めてますよね?」
女性が手を小刻みに左右させ、ノーの意思表示を男に向けた。
「別に今日飲んだくらいで問題なかろうに。むしろ今日だからこそだな」
それでもなお、男は諦めずに女性にグラスを近づける。
女性は溜め息交じりに、渋々酒を受け取った。
「今日だけですよ。本当に」
「上司の酒が飲めないのか?とか聞かれたらどうするつもりだったんだ?」
「止めてくださいよ。それで今の職場に飛ばされたんですから」
無邪気な上司に呆れつつも、女性は酒を喉に通す。
「甘みが強いですね。度数は高そうですけど美味しいですね」
舌に入れた瞬間に広がったのは、葡萄の微かな酸味と濃厚な甘みだった。
「まあ、人生で一度飲めるかどうかってレベルの酒だからな。味わって飲めよ」
「そう言う癖にすぐに飲み干してるのはおかしいと思うのですが?」
先ほどまで酒がたっぷりと入っていた男のグラスには、底に僅かな紫色を残して空となっていた。
「こいつが悪いんだよ。やれやれ、進み過ぎるのも問題だな」
男は瓶から新たに酒を注ぎ込む。
その様子を横目で見ていた女性は、立ち上がると男の持っていた瓶を持った。
「今日ぐらい部下らしいことをさせてもらいますよ」
「全く、日頃からそうしていればいいものを」
軽口を叩き合いながらもどこか二人の顔には笑顔がある。
注ぎ終わると再びグラスを手に取り、男が小声で話し始めた。
「家族には悪いことをしちまったな」
「そういえば、ご家族がいらっしゃいましたね」
遠くを見つめる男に女性が向き直る。
「ああ。妻と息子二人を残してきちまったからな。息子達はもうじき二十歳になるな。あ、そうだ。お前さん恋人とかいないのか」
「いませんよ。私を好きになるのは物好きぐらいですって」
女性は冗談交じりに応対する。
「そうか。じゃあ、俺の息子とかどうだ?お前さんになら譲っても構わん」
「もう、何を仰るんですか。私じゃ不釣り合いですよ」
「そんなことは無いと思うんだがね」
最後の一滴を飲み干した男が、グラスを適当に投げ捨てて寝転がる。
冷たい鉄板の感触が広がるのに幾ばくもなかった。
「行儀が悪いですよ」
女性が立ち上がり、グラスをテーブルの上に置いた。
男は近くの木箱から毛布を掴み取って包まる。
「はあ、寒いったらありゃしない。どれだけ厚着すりゃいいんだ全く」
「仕方ありませんって」
女性も同じく木箱を探る。
「寒いならこっち使えばいいのに」
女性が掴んだのは男が使っている毛布よりも厚くより暖が取れそうなものである。
男は既に寝てしまったようで女性の独り言は耳に入っていなかったようだ。
「もう少し話を続けてくれてもいいのになあ」
女性は若干むくれながら眠りに就いた。
「駄目です。通信戻りません!」
宇宙センター内では忙しくキーボードを叩く人で溢れかえっている。
「くそっ!もっとよく探せ!」
一隻の宇宙船との連絡が途絶え一か月が経とうとしていた。