第1章 6節 形而上の汚物
──ああ。いつの間にか朝が来たらしい。窓の外で囀る鳥が知らせてくれる。くすりで脳はとかされた。わたしは木星に沈んだ宇宙船の中に住んでいて、まず時刻がわからない。でも、匂いで雨がふるのがわかったりすることはある。だから多分、ここは木星に沈んだ宇宙船じゃない。親の顔を知らないわたしは、匂いとか、感触がアイデンティティ。
……唇の表面がパサついてて、中がすごい潤んでいる。まあ、昨日のわたしは、わたしの尿や汗になり消滅するだろう。人事だ。昨日とか、そんな記憶は存在もしない。テセウスの船だ。わたしという概念のみが生き続け、物質は昨日とは違う。万物が流転している。
そうだな、服が無くて……口の中の液体が吸収されるのが怖くて……吸収されたら、長期的に苦しくになるからして、はやくうがいをしなくてはならない。まず、太陽が三、四回死ぬ周期でこんな朝を迎える。麻薬とマクレーンさんの吐き出してしたものとの混濁物に起こされる。服を探して、隣で寝ている彼を起こさないように部屋を去る。この屋敷の構造は大体覚えている。ここは三階、三歩前進、右折、七歩前進。丁度左を向けば、水道。混濁物を吐き出し、わたしの朝が始まる。
散歩、匂いという構成における思索の成果物、形而上のアイスキャンディー。いつか、どこかの国の科学者は、匂いや思考、そういったすべての均衡を、唯物的に表すことに成功したらしい。わたしは、形而上に生きているから、その干渉もうけないし、精神もおかしくならない。多分、眼前の快楽、肉体の欲する生物的な悦に依存しているマクレーンさんのような人間ならば、わたしのように目が見えなくなった瞬間に絶望の淵に追い込まれ、三次元世界で生活することが困難になるだろう。
ではなぜわたしは平気か、それは、形而上に生きているから。依存する対象が違うことを、わたしは知っていた。三次元世界を敷衍することは、虚しきことだ。謎の美が、相応しい。朝も闇だ。わたしは、光は人間の心の闇だと思う。人々は光にのみたより生きるのだもの。そんな、依存し、物質に優劣をつける人間の心理は、目の見える人間が形容する闇に等しい。こんな、どうでもいいようなことを妄想しながら、一日を終えるのが好きだ。
それを許さない者が来た。地を揺らして。
「おいテシー。なにを勝手に彷徨っているんだ。」
わたしは無言を貫いた。
「この野郎!」
マクレーンさんはわたしの頬を平手で殴る。わたしはそれに当たり、ふさぎ込んだ。
「この野郎、これを呑めよ」マクレーンさんは痰を手に吐き出すと、わたしの口の中に押し込む。ただ、苦しかった。口の中で混ざり合う。だが、苦しくても息を止めない。生きるために。生きるために息を止めないのだ。