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6.闇の淵の少女探偵

 次の日僕は、放課後美術室に向かった。いろいろ考えて、やっぱり美術部に入ろう、と思った。須田くんに訊いてみると、高等部の美術部は、推薦があるだけでなく、美大受験対策を画塾並にやってくれたりするらしい。そして絶対条件ではないけれど、やはり中等部でも美術部に入っていた方が、コンクールでの受賞のチャンスも多いし、有利ではないかという話だった。

「失礼します」

 今回は、ちゃんと初めに説明しようと思った。説明しなかったら、きっと「探偵部の奴がまた来た」と思われてしまうに違いない。僕がいろいろ知ってしまっていることを知っている、風間先輩や山科さんはきっといい気持はしないだろう。でも僕は、知ってしまったことを誰かに話したりする気は決してなく、ただ大人しく絵を描きたいだけの男子だということを、少し時間が経てばきっとわかってもらえるはずだ。この部活には悪い人なんて誰もいない。だからきっと、大丈夫だ。

「あの」

 さあ、言うぞ。

 教室に入り、意を決して顔を上げた。

 一昨日と同じように、全員が立っていて、全員が僕を注視していた。苦々しい顔をした和泉部長。怒りに満ちた表情の重音先輩。感情の読み取りにくい、クールな顔の風間先輩。うつむいている文木さん。顔色の悪い山科さん。泣いている一年生。うろたえている一年生。ぽかんとしている一年生。うんざりした顔の男子。投げやりな顔の男子。

「ちょうどいいところに来てくれたじゃない、助手くん」

 皮肉な調子で部長が言った。

「あ、いえ、僕は」

「役立たずの探偵の、さらに助手が来たって何にもならないわよ」

 重音先輩が苛立った声で言った。

 一昨日と同じように、りんごとバナナが机の中央に置かれ、進み具合も上手下手もばらばらな絵が、それぞれの机の上に載っている。朱色のしるしが残っている絵は、もう一枚もなかった。けれどもそのかわり、もっとはっきりと、すべての絵にしるしがあった。

 真っ黒い。指をわっかにしたくらいの大きさの黒丸が、すべての絵につけられていた。淡い朱色と比べて、そこには強烈な悪意のようなものが感じられた。僕は思わず、にらむように部長を見た。背の高い部長は、唇の端に笑みさえ浮かべて僕を見返した。

「な……どうして」

 僕は風間先輩に目を向けた。昨日探偵部室に来た時の先輩の様子は、まだはっきりと僕の中に残っていた。自分のために泣いたり怒ったりしたらしい部長のことを、突き放したように淡々と語りながら、でもその中に、ちょっとまんざらでもないような感情を覗かせていた。「風間がいやだって言うなら、もう二度とやらない」。和泉はるかは確かにそう約束したと、風間先輩は言った。風間先輩が、嘘をついたのだろうか?和泉部長が文木明日香を追いつめるのを、やはり期待していて、和泉部長には実際は何も言わなかったのだろうか?それとも和泉部長が、風間先輩に嘘をついたのだろうか?二度とやらない、と言いながら、実際はやはり文木明日香が許せなくて、さらに彼女を追いつめるために、事件を起こして、文木明日香をその犯人に仕立てようとしているのだろうか?

「どうしてこんなことするんですか。こんな」

「はいストップ」

 その時、突然背中にすっと手で触れられた。頭に集中していたエネルギーが、一気にそっちに流れたような感じがした。柔らかで、ひんやりとした手だった。振り向かなくても誰か分かった。

 法月紗羅が、立っていた。部長も風間先輩も重音先輩もひどく顔をしかめていた。

「役立たずの私を呼んでくれてありがとう、安住さん」

 泣いている一年生に向かって法月さんは言った。おかっぱ頭の安住由奈は、しゃくりあげながら、「その、探偵部の、法月さんは凄いって、私、聞いたから」と言った。一年生たちは、すがるような目を法月さんに向けていた。法月紗羅は、並んでいる黒いしるしのついた絵をざっと一瞥すると、少し複雑そうな顔をして微笑んだ。皆が彼女の挙動を注視していた。その中で、法月紗羅はまっすぐに踏み出すと、真っ青な顔をしている山科さんを覗きこみ、

「何があったの?山科さん」と静かに訊ねた。

 誰もがはっきりとわかるほど、山科悦子はびくりと肩を震わせた。そのまま腰が抜けたみたいに、床にぺたんと膝をついた。

「前回の行動はわかるよ。過失をごまかすための必死の対策。でもごめん、今回のはわからない。君の目的と完全に矛盾してる。君は部内で起こるいやがらせが許せなかったし、文木明日香のことが誰より大事で、だから彼女が責められる原因を作ったりなんてしたくない。なのにこんなことをした。どうしてなの?」

 山科悦子はいじめられている小動物みたいに震え続けていた。真っ青な顔で法月紗羅を見上げている。

「わからない。言ってくれないと。……誰かに脅された?」

 その問いかけに、山科さんは反応を示した。

 追いつめられた小動物が土壇場で反撃に出たみたいに、きっ、と法月さんをにらみつけると言った。

「言うとおりにやらないと、ふみちゃんに、それからみんなにも、私が全部やったって言うって」

「誰に?」

「あなたに」

 彼女はポケットから紙を取り出した。見覚えのあるくせ字で、そのメモにはこう書かれていた。

「朱色のしるしの犯人は君だ。文木明日香に、そして部員全員に、君がおそれる最悪の形でそれを明らかにすることも私はできる。それがいやなら、次の事件を起こせ。今度は朱色ではなく、黒色で。もっとはっきりと、すべての絵にしるしをつけろ。 探偵S」


 ははははは、と法月紗羅は笑い出した。

「そう来たかあ」妙に愉しそうだった。場の全員が、凍りついたように彼女を見ていた。法月紗羅は、大声でひとしきり笑い続けた。それからぴたりと笑いを止めると、床に膝をつき、山科さんの両肩に手を置いて、同じ目線で彼女の顔を見ながら言った。

「ねえ山科さん。落ち着いて聞いてね。隠していたら、最悪の形で、悪意の解釈を交えて明らかにされる危険がずっとあるよね。でも私、さっきもう、言っちゃったよ。前回のは君がやったことだってことも、それが過失をごまかすための必死の対策だったってことも、言っちゃった。だからともかく今はもう、脅しに従う理由はなくなったってことはわかるよね?」

 山科悦子は混乱したように法月さんを見た。

「私が説明してもいいけど、君の口から言った方が、ずっといいと思う。山科さんは、人徳があるよ。だから大丈夫だから」

 山科悦子は小さく口をぱくぱくさせた。何か言おうとして、けれども言葉にならない、というように。

「……迷惑かけて、ごめんね」

 最後に小さく、法月紗羅は山科さんにそう言った。メモをぎゅっと握りしめると、立ち上がり、そのまま足早に美術室を飛び出して行った。

 法月紗羅が去った教室で、山科悦子はよろよろと立ちあがった。とまどっている部員たちをを見渡して、ためらいがちに口を開く。

「ごめんなさい。一昨日の件と、今回の件は、私がやりました。私は、ふみちゃ……文木さんへのいやがらせがとてもいやでした。でも、その私が、まちがって、文木さんの絵を汚してしまって……私は、怖くなって、ふみちゃんを傷つけることも、ふみちゃんに裏切られたと思われてしまうのもいやで、それで……全員の絵に、同じように絵の具をつけました。ごめんなさい。私は、怖くて。今回は、さっきのメモをもらったことで、頭が真っ白で、それで……」

 僕は、山科さんのことばを、最後まで聞かなかった。

 すぐには決断できなくて、迷って、でも結局、僕は途中で美術室を出た。廊下に法月紗羅がいて、僕に「遅い」と言うのを期待した。けれども彼女はいなかった。僕は彼女の姿を探した。探偵部室に戻っているかもしれないと思った。けれどもその前に、僕は彼女を発見した。


 彼女をはじめて見たあの中庭に、彼女はいた。

 痩せた肩を落とし、あの時女子たちが座っていたベンチに一人ぽつんと腰を下ろして、首を伸ばすようにして空を見上げていた。

「助手のことは待ってくれるんじゃなかったの」

 僕は言った。しばらく彼女は動かなかった。妙な間を空けてからぱっと振り向き、「ほんとだ。ひどい探偵だ。事件現場も犯人も助手も全部放り出して来ちゃった」貼りつけたような笑顔で言った。

「目星はついてるの?」彼女の隣に腰かけると、僕は訊ねた。

「なんの?」法月紗羅は僕に視線を合わせずに訊ね返す。

「あのメモを書いた奴だよ。君の名前を騙って」

「私じゃないって証拠はある?」

「本人だったら、あんな証拠になるようなメモ書かないよ」

「そうかなあ。そう思ってもらえるのを見越して、わざとそうしたのかも」

「動機がないよ」

「……君は私の何を知ってるの?」

 法月紗羅は僕にまっすぐ目を向けて言った。大きな黒い目が二つ、すべてを吸い込みそうな闇をたたえてそこにある。思わずたじろいで、ことばを返せずにいると、彼女はすっと視線を下向けて、

「ごめん、八つ当たりだ」と言った。そうして唇に、わずかに笑みを浮かべた。

「こういうことは、これまでにもあったんだ」

 うつむいたまま、法月紗羅は足をぶらぶらさせて言う。

「私は自分じゃないと知ってるよ。でもそれを証明できないし。いつもそうだ。私はわかる。わかるけど、それはもしかしたら、私の思い込みに過ぎないのかもしれない。何もかも」

「でも、部長は犯人だった。風間先輩は君のことばに従って部長と話した。山科さんも犯人だった。一昨日も、今回も。君はすべて正しかった」

 法月紗羅は足をぶらぶらと振り続けた。

 風が通り抜けて、彼女の髪の一房が肩に流れた。

「……私はずっと、助手がほしかった」彼女は言った。

「去年、私は全校生徒を調べたよ。何人か候補をピックアップして、いろいろと、勝手な試験を試みた。だめだった。誰も、私が望んだような人ではなかった」

「うん」

「今年の四月に入った新入生と編入生。彼らについても調べた。でもやっぱりいなかった。もう諦めてる時に、君が入ってきた」

「うん」

「私は決めた。この中庭にいたら君が通るのはわかっていた。君がもしも自分から近づいて来たら、そうしたら、私は君を助手にしようと思った」

「……それだけのために、這いつくばってたの?」

「まあ、実際ちょっとした探し物はしてたんだけど」

 それについては、まあ、また機会があれば、と法月紗羅はうつむいたまま言った。

「ともかく私は勝手に決めてた。そうして君は、まんまと近づいてきた」

「うん」

「まあでも、部活っていうのは自由意思で入るものだよね。誰かに強制されるものじゃないよ」

 また風が、今度は先ほどよりも強い風が吹いた。

 中庭の木々が、ざわざわと音を立てて揺れた。

「うん。僕もそう思う」

 僕は言った。

 そうして立ち上がり、僕は法月紗羅の元を去った。

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