5.少女探偵の事件解決
「つまりね、友達思いが二人いて、両方が暴走したってわけなんだ」
僕たちはまた向かい合わせに座った。法月さんは僕にそう説明した。
「和泉部長は風間先輩のために文木明日香にいやがらせをしてるって言ってたよね」
「そう。風間先輩は文木明日香と同じ空間にいることが耐え難いはずだ。けど高等部の美術部入部のことがあるから仕方なく来てる。というか部長が無理矢理来させている」
「その……文木さんと風間先輩の間で、何があったの?」
「色恋沙汰。泥棒猫ってやつ」
僕がけげんな顔をすると、法月さんは僕の真似をするみたいに大げさに顔をしかめておどけて見せ、それから吹き出すように笑った。
「風間先輩は、高等部の先輩とつきあっていた。美術部の三年生。ところが彼は心変わりをした。風間先輩を振って、選んだ相手が文木明日香」
「高三の先輩が、中学生とつきあうの?」
「それぐらい普通だよ」
「いや、普通じゃないとは思わないけれど。高校三年生と中学三年生や二年生がどうやって知り合うのかな、と思って」
あまりピンと来なかった。けれどもどうやら、中等部高等部合同のイベントはいろいろあるらしく、特に同じ部活などの場合は、いろいろと接点があるらしい。
「じゃあつまり、和泉部長は風間先輩から彼氏を奪った文木さんに、本人のかわりに嫌がらせをしてるってこと?」
「まあそういうこと。こういう恋愛絡みの問題は、見る人によってまったくニュアンスが変わるからね。事実はこう、とは言い切れないけれど、まあ風間先輩サイドの認識としては、文木明日香が巧妙に策をめぐらせて恋人を略奪したってところだね。和泉部長はある意味義憤に駆られてる。同じ部活で毎日顔を合わせて、傷口をえぐられている友人を見かねたのかもしれない。もしかすると、風間先輩が部活をやめるか休むかしたいと相談したのかも。恋人を奪った上に部活動、ひいては将来にまで影響するかもしれない道まで奪うのか。部長は許せなかった。それでもはじめは穏便に『あなたがいると風間亜紀が傷つくから部活をやめてくれないか』と文木明日香に頼んだけれど、すげなく断られたので火がついた」
「あのさ、なんでそんなことまでわかるの?」
「文木明日香本人に訊いた」
法月紗羅は突然ほおをぷうっと膨らませ、ぶっと息を吐いた。
「本人と?それでそんなことまで話してくれたの?」
「文木明日香は言い訳しなかった。風間先輩の恋人を奪ったことについて、いっさい弁解しなかった。というかその辺りの詳細についてはまったく話してくれなかった。『風間先輩がそう思ってるならそうなんでしょう』としか。ただ、こちらに頼みごとをしてきた」
「頼みごと?」
「そう。山科悦子は何も知らない。自分に彼氏ができたことも知らない。知ったらきっと傷つくから、言わないでほしい、と頼まれた」
「なんで傷つくの?」
僕が訊くと、法月さんは手を頭の後ろで組み、ソファの背に勢いよく寄りかかった。
「中学生女子は複雑なんだよ。山科悦子の場合、女友達が恋人ってやつかな」
「よくわからない」僕は正直に言う。
「一番の仲良しだと信じてたのに、『彼氏』っていう自分よりも親密な相手を作った。それは裏切りだ。そんなところかな。文木明日香は、あれは『彼氏より女友達との友情が大事』ってタイプではない。『女子』ではなくて『女』って感じだ。けれど不思議なことに、ちょいと幼い中学生女子な山科悦子と大人の女な文木明日香が親友同士で、そしてああ見えて、文木明日香は山科悦子を傷つけたくないとも思ってる」
「黙ってるのはいいの?」
「文木明日香にとってはそれが友情なんだろう。元々彼女はさほど絵が好きでもなく、美術部に対してそれほど執着もなかったらしい。しかしやめるとなれば山科悦子は部活で一人になるし、それに当然理由をしつこく訊くだろう。それは避けたかったから、部活は続けるつもりだった。だがそこで、いやがらせが始まった。文木明日香自身は首謀者は風間亜紀だと思っていたようだが。ともかくこれは正直なところ、文木明日香には都合がいいことだったんだ。彼氏ができるとそんなものらしいが、文木明日香は女友達と部活をするよりも彼氏と会いたいし、女友達と一緒に帰るよりも彼氏と一緒に帰りたい気持が強くなっていた。文木明日香は自分の行動の変化を、すべてこのいやがらせのせいにした。いやがらせが辛いから、絵を描く気持になれない。今日は先に帰る。今日は部活を休む。そしてついには、部活をやめようと思う、と山科悦子に告げた。一方の山科悦子の方は、文木明日香がなぜいやがらせを受けているのかも知らなければ、誰がやっているのか見当もついていない。突然それは始まって、親友を悩ませ、ついには部活をやめるというところまで追いつめた。山科悦子は憤慨し、保健室の先生に相談し、それで山科悦子がここに依頼に来たというわけだ」
僕はノートに視線を落とし、じっと考え込んだ。
法月紗羅はことばを切り、その僕を首を傾けて見ている。
「文木さんの友情ってよくわからない」
正直に、僕は言った。
「友達だと思うなら、なんで彼氏ができたこと隠すのかわからないし、なんで心配している友達に嘘をついて部活をやめようとするのかもわからない」
「まあ、人のことはわからないことだらけだよ」
法月紗羅は投げやりに言った。
「……でも、じゃあ今回の件は」
わからないことはとりあえず保留にして、僕は訊ねた。山科さんの態度、「これまでの犯人は見つけてくれなかったくせに」と法月さんに言ったところなんかを見ると、今回の「全員の絵に朱色のしるし」の件は山科さんがやったという気がする。でも、なんで山科さんが?
「今回の件は、元は事故のようなものだよ」
法月紗羅は湯呑を取り上げ残ったお茶をすすった。冷めていたのだろうか、立ち上がって電気ポットの方に行き、程なく急須を持って戻ってきた。
「山科悦子は文木明日香に対するいやがらせを阻止したかった。だから彼女はここのところ、できる限り誰よりも早く部室へ行き、最後に部室を出るようにしていた。当然彼女の絵は進みも早い。おそらく彼女は誰もいない部室で、絵を描き上げ、次の日に別の角度からモチーフを描くために、机を移動させてから帰ろうと考えた。移動後の方が流しに近いとか、まあそんなことを思ったのか、ともかく不安定な持ち方で汚れた筆を持って机を動かそうとして、彼女は誤って筆を落とした。しかも親友の描きかけの絵の上に。……今日美術室でも言ったけれど、もちろん絵の具はある程度消せるし、他の色で絵としてはごまかせる。でも、画用紙の白い部分をぼってり朱色で汚した後で、それを完全に『何事もなかった状態』にするのは至難の業だ。水で消そうとすれば表面は毛羽立つだろうし、それにほんのり色は残る。山科悦子はパニックに陥った。どんなに頑張って消そうとしても痕跡は残るだろう。おそらく神経質になっているはずの親友は、また誰かにいやがらせをされたのだとショックを受けるに違いない。自分が誤ってやったのだと言っても信じてもらえるかわからないし、下手をすると唯一の味方であるはずの自分にも裏切られたと感じるかもしれない。どうするか。……文木明日香、一人が被害者だから彼女は傷つく。全員が被害者であれば、彼女が殊更に傷つく必要はない。それに、みんなも被害者になれば、文木明日香がどんなに辛いか理解するのではないか……」
「それで全員の絵に?」
「まあ想像で補完した部分もあるけれど、大筋そう読みとれた。君は何か気がついた?」
「……確かに、山科さんの絵は完成してた。サインが書いてあったし、それに机が、たぶん元は文木さんの完全な隣だったと思うけど、少し後ろにずらした感じはした。あと、朱色の絵の具の点き方……山科さんが一番大きかったのは、やっぱり罪悪感があったからなのかな」
僕が言うと、法月紗羅は大きな目をさらに大きく見開いた。
「なに?」
「いや。素晴らしい。ほんとに素晴らしい。さすが私の助手」
ブラボー!と法月紗羅は叫んだ。
なんだかなあ、と思ったけれど、面倒だったので否定しなかった。
「山科悦子は小心者だからね。自分のやったことに相当怯えている。元々ミスをごまかすためにやったようなものだ、二度としないだろう。だからこれは放っておいていい。問題は、部長の方だ。部長は今回ので味をしめたかもしれない。今回のが実際は誰の仕業か彼女には見当もついていないが、動じない文木明日香を追いこむには、被害者にするよりも加害者に仕立て上げた方がずっといいと、今回のことで気づいたにちがいない。むしろ今後は文木明日香以外の絵にいたずらするようなことをやりかねない」
「でも、文木さんはもう部をやめるんでしょう?」
「山科悦子は諦めていない。必死で彼女を説得中。文木明日香もまた、揺れている。説得されて、むげにできずにいる。今日も部室に来ていたわけだし、もうしばらく、少なくとも在籍は続けて、毎日ではないにしても参加を続けるだろう。風間先輩はとりあえず部長の説得を試みてくれるとは思うけど、どうなるかはわからない」
「……法月さんは、誰の味方なの?どうしようと思っているの?」
法月さんは、ぜんぶわかっていたのに、美術部のみんなの前では何もわかっていないふりをした。山科悦子には明らかに憎まれていた。風間さんも快くは思っていなさそうだった。
「そもそもの依頼人は山科悦子だ」
神妙な顔をして、法月さんは言った。
「本当は、探偵は依頼人を一番大事にすべきだと思う」
「うん」
「でも今日私を呼んだのは部長だし。私はたぶん、誰の味方にもなれない」
言ってから、法月さんは僕の手元をちろっと覗いた。
「感心だね。ちゃんといろいろメモってる。報告書、期待してるよ」
「……今回だけ」
僕は言った。
今度の件は、なりゆきとはいえ関わったからちゃんと理解したかったし、理解したかったのでメモもとった。でも、今回だけだ。断じて、助手になることを了解したわけではない。
「でも、報告書って誰に出すの?」
「保健室の先生。その人が一応この部の顧問。大丈夫、保健の先生も守秘義務があるし」
法月紗羅は、言いながらお茶を口に運んだ。
「探偵部って知ってる?須田くん」
次の日の休み時間、僕は須田くんに訊ねてみた。
「ああ、六組の法月紗羅だろ」
須田くんは、ふっくらした身体を通路の方に向けて座りながら、あっさりと答えた。
「有名なの?」
「法月紗羅は、変だからな」
身も蓋もないことを言う。
「どう変なの?」
「どう変って……挙動とか表情とか、なんかよくわからんが変わってるだろ」
言いながら、須田くんは、含みのあるような横目で僕を見た。
「……なに?」
「ああいうのが好みなのか」
「いや、そういう話では」
「確かに綺麗な顔してるけどな。相当綺麗なのは認めるけどな。あれは異次元的だ。いろんな意味で」
「だからそういうのではなくて」
その時僕は視線を感じて、ふとそちらを見た。
ぱっと慌てて視線をそらしたのは、昨日の……僕のことを「目立つイケメンではないけれどそれなり」と褒めてくれた女子、まだ名前がわからない、高橋さんの友達だった。彼女は少し気まずそうな顔をして、そしてほんのり頬を赤くしている。
「……」
「どうした?」
僕が彼女の方を見てぼうっとしていると、須田くんが訊ねた。
僕は慌てて話を戻す。
「その、探偵部って、正式な部活動なの?」
「正式な部活動ではないな。なんだ、入りたいのか?」
「ちがうけど」
「うちの学校の部活動はややこしいからな。非公式の団体がごまんとある」
「探偵部以外にも?」
「ああ。そして公式か非公式かに関わらず、入部条件がいろいろあったりする。オーディション制だとか、経験や実績がないと駄目だとか。高等部に比べたら、中等部はまだましだけど」
「高等部はそんなに厳しいの?」
「その分、進路に関わる優遇がすごいからな。……ともかく探偵部はやめとけ」
「なんで?」
須田くんは、意味深に眼鏡を押し上げると言った。
「渡瀬くんが道を踏み外すのを見るのは忍びない」
「……どういう意味?」
その時チャイムが鳴った。須田くんは、身体の向きを元に戻す。次の時間の教科書を引っ張り出していると、後ろから肩を叩かれて、折りたたんだ紙切れを渡された。後ろから回ってきたと言う。その後ろの子は、自分の横の扉を指してみせた。どうやらさっきの休み時間、僕に渡すように頼まれたらしい。開いて見ると、紙にはこう書いてあった。
「放課後部室に来るように。 S」
探偵部に入る気はないものの、事件の経過は気になるから、僕は放課後「探偵部室」に行った。部室には、風間先輩が来ていた。和泉部長と話をしたという。「自分が余計みじめになるから、ああいうことはもうやめて。」その言葉で、部長はわかってくれたという。怒ったり泣いたり、あの子は本当に忙しい、と、風間先輩は淡々と語った。ともかく和泉はるかがいやがらせをすることはもうないから、探偵部も、もう関わらないで。そう言われて、法月紗羅は頷いた。すっきり、とはいえないけれど、ともかく事件は収束した。
そのはずだった。