表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/7

4.少女探偵の天使な笑顔

 編入してきたばかりの僕は、校内の地理がまだちゃんと把握しきれていない。幼等部から大学部まであり、潤沢な資金で運営されているらしい私立学園の敷地は、とにかく広い。中等部エリアだけで比較しても、僕が前にいた公立中学の四倍か五倍くらいはあるんじゃないかと思う。校舎はどれも妙に巨大で、しかもそれが、一体いくつあるのだろう。さまざまな部の部室が入ったいわゆる「部室棟」は、運動部と文化部に分かれていて、建物が二つある。両方とも中等部と高等部共用となっていて、けれども共用であることを差し引いたとしても、おそろしくでかい。

 けれども法月紗羅は、その部室棟には向かわなかった。僕ははじめ、何か特殊なルートを辿っているのかと思った。またはどこかに寄るのかと。けれどもどちらでもなかった。いくつかある中等部校舎群の中央にそびえる、教員・特別教室棟。その一階には、職員室、事務局、主任室、応接室などが並んでいる。先生や来訪者がしょっちゅう行き来する、やたらと大人率の高いその廊下は、須田くん曰く、「そとづらの道」だ。先生たちもそこらにいる時は、普段よりびしっとしていて、妙にきどった調子で服装や姿勢を注意して来たりするらしい。「ちゃんとしていること」が求められる職員室にはほとんど寄り付かず、自分の教科の準備室に立てこもっている先生たちも多いのだという。僕が前にいた学校では、職員室はそんな風に生徒や先生にまで避けられるような場所ではなかったと思うけれど、いろんな寄付や繋がりで成り立っている私立の学校というのは、体裁を守るということが大事なのかもしれない。ともかくあの廊下はよほどのことがない限り通るべきではない、というのが須田くんの教えだった。もし通るなら、姿勢を正し、足早に、けれど決して走らずに通り抜けるべし。大人に会ったら先生だろうと来訪者だろうと誰であろうと朗らかに挨拶すべし。

「あ、鍵……を借りに行くの?」

「いや、鍵は持ってる」

「部室ってどこにあるの」

「この先」

 法月紗羅は、やけに広い職員室を横目にずんずんと歩いていく。彼女は基本的に姿勢がいいし、制服を着崩しているわけでもなく、もちろんこの廊下を歩くのになんら引け目を感じる必要なんてないのかもしれない。僕だって、編入日やその後も何回か、手続きやら何やらで事務局や職員室にはしょっちゅう来ているわけで、別にこの周辺に抵抗があるわけじゃない。そう、ここを通ること自体は、何の問題もない。上品なスーツ姿の中年の女性が、中等部主任と談笑しながら応接室から出てきた。僕は初日に先生からも言われたとおり、とりあえず彼女に「こんにちは」と挨拶をする。法月紗羅は会釈すらしなかった。そうしてその、彼女たちが出てきた応接室の隣の隣、廊下のつきあたりの応接室九の前で立ち止まると、ブレザーの内ポケットから鍵を取り出して開け始めた。

「……なんで応接室の鍵を、法月さんが持ってるの」

「応接室多すぎだと思わない?応接室九だよ、九」

「……思うけど。それはともかく、なんでここの鍵を法月さんが持ってるの」

「報酬代わりにもらったんだ」

 もらった?

 僕が眉を寄せて考え込んでいるうちに、扉は開かれた。灯りがつき、室内の様子が浮かび上がる。

「……ここが部室なの?」

「そうだよ」

「応接室だよね」

「応接するもの」

 法月さんはずんずんと室内に入り、扉側に立つ僕に閉めて閉めてと促した。それほど広くはない。入ってすぐの正面に、小さなテーブルを挟んで茶色の革張りの古びたソファが向かい合わせに置かれている。そこだけ見れば、どこからどう見ても応接室だ。でも、奥に小さな机があり、上にパソコンが載っている。その脇の床には、本やファイルが積み上がっている。ソファの脇の壁には棚が設置されていたけれど、その上やまわりにも、本や書類がいくつも塔を作っている。その塔の合間に、ガラスのおはじきが入った金魚鉢だとか、異国風の妙に首の長い木彫りの猫だとか、金属製の小鳥の置物だとか、マラカスなんかが置いてある。……なんでマラカス?

「あまり時間がない。説明するから、さっきのノートと筆記用具出して」

 奥側のソファにどかっと腰を下ろすと、彼女は言った。僕は美術部員の名前を書いたノートと筆箱を取り出すと、彼女の向かいのソファに腰かけた。ページを開き、彼女にも見えるようにノートを横向けてテーブルに置こうとすると、強引に向きを変えられる。「私はいらないよ。君の頭じゃ、まだ部員の名前を覚えきってないだろうから言っただけ」僕はむっとしたけれど……まあ、否定はできなかった。

「ええと、何から説明したらいいかな。美術部の活動中、文木明日香の4B の鉛筆が急になくなったり、消しゴムが見当たらなくなったりと言うことがまずあった。が、その段階では誰かのいやがらせとは断定できず、文木明日香のうっかりである可能性は十分にあった。山科悦子曰く文木明日香はそういった抜けた行動をほとんどしないタイプらしいが、まあ、人間だからね、体調や気分によっては行動が上の空になったりすることはある。けれどもそれから数日後、美術室の個人棚に置いていた文木明日香のスケッチブックがなくなるという事件が起こった。山科悦子の訴えにより、この時は部員総出での捜索が行なわれたらしい。そうしてそれは、十年前の先輩たちの絵が保管されていた棚から発見されたという。いくらうっかりでも、そんな場所に本人が置くはずがない、これは誰かのいやがらせである、ということが、この時周知のこととなった。

おそらく『部員全員で探すことになる』状況が犯人には不本意だったのだろう、これ以降は物が消えることはなくなり、かわりに作品が汚損されるようになった。汚損と言っても、それほど大したものではない。絵の表面にちょろっと線が入れられたり、版画の板の裏面に傷を入れられたり。そして作品の汚損が三件続いた後、山科悦子が私のところに依頼に来て、私は調査を開始した」

「ええとごめん。探偵部って、有名なの?」

「いや」

「山科さんとは知り合いだったの?」

「いや」

「なんで山科さんは君のとこに来たの?」

「紹介を受けて」

「誰の?」

「保健室の先生」

 法月紗羅は突然立ち上がると、入り口から陰になっているスペースに突如入り込んだ。そこには小さな食器戸棚や流しがあり、電気ポットも置いてあった。電気ポットの電源が入れられたらしい。じゅうう、と小さな音がした。

「今のところ、保健室の先生が探偵部のことを紹介して、それでうちに依頼に来る子が多い」

 何か事情があるのだろうか。戻ってきた法月さんは、再び腰を下ろしながらなぜか妙に表情を固くして言った。「でも先生の犬ってわけじゃない。そこは安心してもらっていい」

「そう」あまり聞かない方がいいのかもしれない。そう思いながら聞いていて、後半になってあれっとなった。

「安心してもらっていいって、どういうこと」

「え?君はいやだろう?先生の犬なんて」

「え、それはちょっといやだけど……え?」

「中二の男子は反抗期まっさかりだからなあ。君も大人しそうな顔をして、先生なんてくそっくらえとか思ってるんだろう?」

「そんなことは。……じゃなくて。僕は関係ないというか」

「関係なくないよ。君だって探偵部なんだ」

「ちがうってば」

「じゃあなんでここにいるんだよ」

 法月紗羅は勝ち誇ったような笑みを浮かべて僕を見た。

「……さっき美術室で、みんなの前では『犯人はわからない』って言ったよね。犯人は和泉部長なんじゃなかったの?」

 僕はノートに目を落とすと、とりあえず話を元に戻した。

「一連のいやがらせの犯人は部長だよ。まちがいない」

「何を根拠に?」

 ノートを見つめたまま訊ねると、返事がない。どうしたんだろう、と顔を上げて彼女を見ると、彼女は僕に向かって、口をつぐんだままにこっと微笑みかけた。なんというか、天使のような微笑みというのは、たぶんこういうのを言うのだろう。さっきの偉そうな笑みとはまるで違う。純真そのものというか、可愛らしすぎて思わずこちらの口許も緩みそうになるというか。

「え、なに?」

 とろけそうなその笑みは、けれどもあまりに唐突だった。僕は顔を引き締める努力をしながら訊ねた。すると彼女の顔から、すっと一瞬で天使は消え去った。

「今君はさ、私が微笑んだ、と思ったよね」

「え、うん」

「何を以ってして、そう判断したの?」

「何って……え?」

「口許が左右に広がって口角が持ち上がった。頬も持ち上がって下目蓋が押し上げられ、目が細められた。これらのことから考えると、つまり法月紗羅は今微笑んでいる。そんな風に思った?」

「いや」

 そんな風に思う人が……いるだろうか。

「じゃあさ、これどう」

 法月紗羅は、無理やり笑顔を作ろうとするような顔をしてみせた。なんだろう、笑っているようで、笑っていない。

「どうって」

「今の、私が微笑んだ、と思った?」

「いや、愛想笑いをがんばってる、みたいな」

「それはさっきのとどう違うの」

「ええと、目が笑ってない……」

「具体的にどこが違うの。ほら、じゃあこれならどう。目は同じように細くなってるよ。どこが違うの」

 ほら、ほら、と、法月紗羅は微妙な笑みを浮かべたり、さっきの天使の笑みを浮かべたりする。

「なんというか、目を細めるタイミングが不自然というか」

「じゃあこれなら」

「眉のあたりにちょっと力が入ってるというか」

「じゃあこれは」

 僕が何か言うたびに、彼女はその部分を修正した上で「微妙な笑み」をしてみせた。器用だなあ、と僕は感心した。けれど感心しつつ、そもそもどうしてこんなやりとりをしているのだろう、と、ふと我に返った。

「で、これが何なの」

「いいから。具体的に。これならどう?何で違うか分かる?」

「いや……なんとなく違うとしか……」

「それだ」

 法月紗羅はぴたりとこれまでのスマイル切り替えをやめ、またちょっと種類の違う……勝気な笑みを浮かべた。

「明確にそうだとわかっている。でも、その根拠を説明するのは難しい。そういうことはままあることだ。総合的な判断で『こう』とわかる。でも個別の理由だけでは弱い」

「うん」

「つまりそういうわけで、部長が犯人と思う理由も、あんまりうまく説明できない」

 法月紗羅は真顔で言った。

「そんな、表情の話とそれはちがうよ。人を犯人扱いするなら、それ相応の理由がいるよ」

「もちろん。だから必死で観察して、理屈を考えるわけだ。十年前の先輩たちの絵が保管されていた棚はかなり高い位置にあり、椅子なしでそこに絵を入れられる身長の人間は部長を入れて四人。絵にバツ印をつけられた時、使われたと思しき小筆の条件に一致する筆を持っていたのは部長を入れて三人。両方に入っているのは部長ただ一人。でもそんなの、椅子を使ってたり他の人の筆を使った可能性だってあるわけだから何の意味もない。それよりも、いたずら描きなのに妙に几帳面な筆致が部長っぽかった。というか筆圧とか筆運びとか、何もかもともかく部長っぽかった」

「めちゃくちゃだよ」

「うん。だからそっちは諦めた。動機の面であれこれ調べてみた。すると浮かび上がってきたのが風間先輩だ。……来たみたい」

 え、と僕は振り向いた。

 扉の擦りガラスに人影が映っている。

 やがてためらいがちにノックの音がした。

「開けて。で、君はこっち側、私の隣に座ること」

 言いながら法月紗羅は立ち上がり、電気ポットのところへ向かった。僕は慌てて来客者に向かって返事をしながら扉を開けた。ほっそりとして涼しげな風間先輩が、あいかわらずの無表情で立っている。どうぞ、と迎え入れると静かに進み、促されるまま扉側のソファに腰かけた。法月さんはその前に湯呑を置き、さっきまで自分が座っていた側に残りの二つを置いた。緑茶のいい香りがした。お盆をソファの脇に置き、彼女はそのまま風間先輩の正面に腰かけた。

「どうぞ」

 にこにこしながら、法月さんは先輩にお茶を勧める。

 風間先輩は表情の読み取りづらい顔で、けれどちょっとためらうような様子を見せつつ、おずおずと湯呑を手にしてお茶をひと口飲み、ほうっと息を吐いた。

「『彼女』はあなたのためにやっているのだと思いますけど、それについてあなた自身はどう思っているんですか?」

 お茶を飲んで一息吐いた風間先輩に、法月さんはいきなり訊ねた。両手に湯呑を抱えたまま、風間先輩は法月さんを見る。細い目が、ほんの少し見開かれていた。

「……あなたは、私が犯人だと思ってるんだと思っていたわ。だから呼びだされたのかと」

「それであなたは否定しに来てくれたんですか?」

「いいえ。そうよ私よ、と言おうと思ってた」

「それで私が偉そうにみなさんの前であなたが犯人だと言って、あなたは部をやめるという、そういう筋書き?」

「……そうね。もしそうしていたら、はるかはどうしていたかしら」

「『嘘つくんじゃないわよ!』と猛り狂った挙句、自分がやったことを全部白状して、その勢いでなぜ自分が文木明日香を憎んだか、つまりなぜ文木明日香の存在があなたを苦しめるか、みんなの前で何もかもぶちまけていたでしょうね」

「それはよろしくないわね」

「でしょう」

 澄ました顔で湯呑を口元に運ぶ法月紗羅を、風間先輩はじっと見つめた。「本当に、何もかも知ってるのね」言いながら大きく息を吐き、少しだけ、泣きそうな顔をする。

「すみません。探偵なものですから」

「……私が犯人ではないとわかっているなら、何のために私を呼んだの?」

 風間先輩は、すべて知られているとわかったことで、逆に安心したのかもしれない。先ほどまでより、ちょっと表情が打ち解けたように見えた。

「和泉はるかを止められるのはあなたしかいないと思うんです」

 逆に法月紗羅が、どこかぴりっとした空気をまとっている気がする。

「私にはるかを説得しろと?」

「ええ。だって、和泉部長はあなたのためにやっているつもりでしょう?」

「『つもり』じゃなくて、私のためにやってくれてるのよ」

「ありがたいと思っている、ということですか?」

「文木明日香がちょっとでも堪えているなら、きっとざまあみろって小躍りしたでしょうね」

「でもまるで堪えてない」

「ええ」

 風間先輩は湯呑を手にし、再び口許に運んだ。キツネを思わせる顔が引き締まり、打ち解けたかに見えた空気はすっと消えてしまった。

「和泉部長のやっていることはまるで意味がない。自分を汚して無駄なことを続けている親友を、救ってあげたいとは思わないですか?」

「親友、ねえ」

 風間先輩は天井を仰ぎ、糸のように目を細めて笑う。

「……今回のようなことが続いたら、面倒だとは思いませんか?描いた絵に落書きされる。いい気分はしないでしょう」

「正直どうでもいい」

 笑みを瞬時に消し去って、低い声で風間先輩は言った。

「……あなたは美術系の進路を希望してますよね。高等部の『美術部』に入れば何かと有利なはず。でもそこに入るには、中等部の間にある程度の実績がいる。あなたはまだ足りてないですよね」

「そんなことも調べたの」

「和泉部長も仰ってましたけど、今は一枚でも多く絵を描くべきなのではないんですか」

「……どうでもいいわよ」

 風間先輩はそう言うと、奥の窓に目をやった。

 また泣きそうな顔になる。

「では言い方を変えます。もしあなたが和泉部長を説得せず、また事件が起こったら、私は部員全員の前ですべて話します。それでもどうでもいいですか?」

 法月紗羅は、ちょっと事務的な口調でそう言った。

 少し唇を噛んで、風間先輩は彼女を見る。

「どうしてあなたがそんなにでしゃばるの」

「依頼されたので」

「あなたに何の関係があるの」

「……探偵なので」

 風間先輩は湯呑を置くと立ち上がった。

 法月紗羅も立ち上がると、「よろしくお願いします」と、先輩に深々と頭を下げた。

 風間先輩はその様子をじっと見て、けれども何も言わずに応接室、もとい探偵部室を出て行った。ぱしん、と扉が閉まると、法月紗羅は顔を上げた。僕と視線が合うと、ふっと笑みを浮かべて見せた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ