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2.僕と事件と少女探偵

「僕は実は有名人なのかな、須田くん」

 編入してきてはじめに話しかけてくれたクラスメイトの須田くんに、僕は訊ねてみた。須田くんはふっくらとした体形で眼鏡をかけていて、ゆるさと知性が同居している雰囲気だ。男子にも女子にも知り合いが多くて、この学校のいろんなことに精通している。

「それはない」

 眼鏡の奥の目を知的に光らせながら、須田くんは答える。席は僕のひとつ前。

「だって、この時期の編入生ってめずらしいんだろう?」

「めずらしい。でも、話題になる要素が足りない」

 厳かにそういうと、須田くんは、僕たちの隣の列にいた女子二人組に目を向けた。片方の子はどうやら宿題を忘れたらしく、必死で相手のノートを書き写している。もう片方の子は所在なげに相手を眺めていて、須田くんは、その暇そうな彼女に声をかけた。

「高橋さん。この渡瀬くんは有名人だと思いますか」

「思いません」

 肩までの髪を揺らし、ぱっちりした目に小さめの口、どこからどう見てもかわいい女子中学生な高橋さんは即答した。

「なぜですか?」

「イケメンじゃないからです」

「そういうことだ。な?」

 須田くんはにこにこしながら僕の肩をぽん、と叩いた。「な?」と言われても。言われても。

 僕が思わぬ攻撃にことばを失っていると、ノートを必死で書いていた子が顔を上げ、言った。

「そうかなあ。渡瀬くんって、目立つイケメンじゃないけど、それなりだよ」

 彼女の名前はわからない。不覚だ。髪を二つに分けて結んでいる。大人しそうな雰囲気。すごくかわいい気がしてくる。

「渡瀬くん、スポーツできる?」高橋さんの問いに、

「そこそこ」僕が口を開くより前に、須田くんが答える。

「何か得意なことってある?」続く高橋さんの問いに、

「あるのか?」須田くんは僕の顔を見た。

 やっぱり少なくとも、僕が美術系だっていうことは、みんなが知っていることではなさそうだ。

「どうだろう」

 はぐらかしながら、僕は宿題の書き写しを続けている子の方を見た。あとで須田くんに名前を訊こうかとも思ったけど、そうすると何か詮索されそうだ。授業中、気をつけておくことにしよう。前の公立中学でなら、みんな名札をつけていたのに。なんでこの学校はちがうんだろう。なんともどかしい。


 放課後僕は、美術室に向かった。本当は昨日行くつもりだったけど、途中の中庭で例の女の子を見つけて時間を食ったから、やめたのだった。今日も通りがかって昨日彼女がいた辺りを見たけれど、今日は彼女はいなかった。少しだけ、がっかりした。

 美術室の扉は閉まっていた。でも、扉の小窓のすりガラスごしに、制服の色が動いているのが見える。美術部の顧問の先生には、いつでも見学に来ていいと言われていた。前の学校でも、部員の友達の出入りなんかが普通にあったし、誰かが入ってきても気に留める人はいなかった。僕は何も考えずに、がらっと勢いよく扉を開けた。

 すると教室にいた全員が、いっせいに僕を見た。教室の真ん中に机を四つ合わせた台があり、上にりんごとバナナが載っていた。そしてそれを囲むように机と椅子が並んでいる。着席している人は誰もいなかった。円を作ったその机と椅子の外側に、ばらばらと人が立っていた。八人が女子で、三人が男子。泣いている子がいる。ひどく怒った顔をした子。表情を歪めている子に、妙に顔色の悪い子。全員が僕を注視していた。

「あ。すみません。失礼します。その、僕は」

 僕がしどろもどろ見学に来たことを説明しようとすると、

「あなたも探偵なの?」

 中で一番しっかりしていそうな、背の高い女の子が言った。上履きのラインは赤色で、赤色はたしか三年生だ。

「え?探偵?」

 僕がさっぱり状況がわからずとまどっていると、

「探偵『部』っていうくらいなんだから、例の子だけってことないだろ」

「なんでもいいわよ。さっさと解決してくれるなら」

 他の人たちが次々に言った。

「あ、いえ、僕は」

 よくわからないが何か誤解されているらしい。僕はそのまま回れ右をして失礼したい気持になった。が、その時、円形に並ぶ机の上の画用紙に目が留まった。ほとんど完成しているものから、まだ下書きのものまで。そのまま絵葉書にでもできそうな上手なものから、お世辞にもうまいとはいえない拙いタッチのものまで。すべてりんごとバナナが描かれている。その画用紙の真ん中より少し左寄りあたりに、どの絵にも、全部、ぼったりと朱色の絵の具がつけられていた。りんごもバナナも背景色も無視をして、たっぷりと紙に載った濃い絵の具は、本来描かれていた絵を台無しにしている。

「そこにいちゃ邪魔だ。さっさと中に入ってくれ渡瀬くん」

 その時、背中から聞き覚えのある声がした。振り向くと、そこにいたのは昨日のあの……這いつくばっていた女の子だった。立っている彼女は、細いのにひどく堂々としていて、なぜだか少し、威圧されるような感じがあった。

「またイタズラがあった。それにしても、前に私が来た時はひどく嫌がっていたのに今回は積極的に私を呼んでくれた。なんでかな?部長さん」

 僕は教室に入って脇に退いた。女の子は悠々とした足どりで部員たちの前に進み出ると、しっかりしていそうな女の先輩――どうやら部長らしい――に訊ねた。

「これまでのは被害が少なかったもの。今回は全員の絵よ。これは放っておけないわ」

 部長がそう言うと、隣にいた女子がそうよそうよと同意した。その人は背が低く、顔を真っ赤にしていてひどく怒っているように見える。その隣のもう一人も同じ赤ラインの上履きで、その人はひょろっと背が高くて妙に無表情、なんというかちょっとキツネっぽい。女子はあと五人いて、三人と二人になんとなく分かれていた。三人の方は、緑ラインの一年生。一人は目を真っ赤にしていて、一人はおろおろしたように先輩を見たり現れた女の子を見たり。あとの一人はぽかんとしている。残る二人組は、僕と同じ二年生。片方の女子はじっとうつむいている。もう一人の顔は真っ青。男子は三年生が二人、一年生が一人。三年生の二人は憤慨した様子で、一年生の子はつまらなさそうにそっぽを向いている。

「ふうん。今回は全員が被害者、ね」

 来たばかりの女の子は長い髪を揺らして、顔を傾けるようにして並んだ絵を見た。すべてに朱色の絵の具がつけられた絵。誰かのいたずらということなのだろうか。話している内容からすると、こういったいたずらは初めてではないらしい。でも今まで、全員の絵に対して、というものはなかった。

「どう思う?渡瀬くん」

 女の子は、いきなり僕に振った。

「え?いや、その」

 そこで僕は、彼女の名前すら知らないということに気がつく。

「その子も探偵部なの?」

 キツネ顔の先輩が訊ねた。僕が口を開くより先に、女の子は言った。

「そうだ。私の助手だ」

 僕は耳を疑った。「ちょっと待って!誰がいつ……っ」

「ちゃんとメモをとれ。後で報告書を作ってもらうから」

 女の子は平然と僕にそう言うと、机の方に近づいた。

「ちがう、僕は」

 否定しようとしたけれど、彼女は振り向きもしない。美術部の人たちがけげんな顔で僕を見ている。女の子はマイペースに、机の上の絵を覗いている。一つに顔を近づけたかと思うと、たたっと場所を移して、別の絵を眺める。その顔に、ふうむ、と考え込むような表情が浮かんだ。ふいに彼女は振り向くと、

「失礼。ちょっと打ち合わせがあるので。すぐ戻ります」

 言うなり僕のところにやって来て、手を掴んでひっぱった。

 その手はひんやりとしてやわらかく、僕は思わず顔が熱くなるのを感じた。


 廊下に出て扉を閉めると、女の子は手を離した。

「その、どういうことなのかぜんぜんわからないんだけど」

 部員たちに聞こえるのをおそれて声をひそめつつ、ともかく僕は抗議した。今日の彼女は上履きを履いていて、そのラインは紺色だったので、僕の同学年の二年生だとわかった。だから敬語はなしにした。

「うん、わからないだろうね。私にはだいたいわかったけれど」

「そういう意味じゃなくて」

「まあ君にはハンデがあるよね。これまでの経緯を知らないし、部員たちの構成や人間関係も知らない。報告書に必要だから、説明してやるよ。まず名前から。ほら、メモ出して」

「そうじゃなくて!」

 一体この子はどうなっているのだろう。僕を誰かと勘違いしているのか。でも僕の名字をまちがいなく呼んでいた。じゃあどういうことなんだ。

「そうじゃなくて。僕は君の助手じゃないし」

「ちがうの?」

 彼女はきょとんとして訊き返した。僕は脱力する。変だ。この子は変だ。いや、昨日から知ってたけど。いきなり話しかけてきた時……いや、植え込みで四つん這いになっているのを見た時から、知ってたけど。

「ちがうよ。だいたい、君のこと、僕はまるで知らないし」

「二年六組、法月ほうづき紗羅さら。探偵部所属」

「その探偵部っていうのもさっき初めて知ったし」

「まああまり公ではないから」

「公ではない部って、どういうこと?普通の部活とはちがうの?」

「部員は私たち二人だけ」

「だから僕はちがうって……」

 言いかけた僕に、彼女は突然顔を近づけてきた。本当に、凄味があるほど整った顔立ちだ。視界の隅で、長い髪が揺れている。大きな二つの黒い目に、僕は身体がしびれるような感じがした。

「ちがわないよ。君は昨日、まだ美術部に入ってないのに美術部員だと言ったじゃないか。その理屈で言えば、君はまだ探偵部に入っていないけれど、探偵部に入る予定だから探偵部員だ」

 ささやくような声で、彼女は言った。

「でも、き……君は昨日僕に、嘘つきって言ったじゃないか」

「言った。じゃあ認めるんだ?」

「認めるよ。僕はまだ美術部員じゃない。そして、探偵部員でもない」

「わかった。でも、君は探偵部に入るべきだよ」

「なんで」

「だって君は、魅せられてる」

 どアップの彼女は、薄く笑みを浮かべて目線を横に流しながら言った。僕は心臓が跳ね上がりそうになった。すると彼女は突然いたずらっ子みたいな顔になって吹き出し、一歩下がって僕から離れると、言いなおした。

「君は謎に魅せられている。君は謎が大好きだ」

「そんなこと」

「そんなこと、あるだろう?じゃあ君、『僕は関係ありませんさようなら』って、今すぐここから立ち去れる?」

 言われて僕は、考え込んだ。 

 立ち去るべきだ、と僕の中で言っている声がある。この子はおかしい。僕は確かに昨日彼女の姿に心惹かれて、その姿を絵に描きたいと思った。それは本当だ。でも僕は、単に「描きたい」人間で……よそから見て、ある程度距離を保って、みえるものを描きたいだけだ。こんな風に関わるべきではない。

 でも、と別の声がする。美術部員全員の絵に、朱色のしるしがつけられた。誰が、何のために?その答えを、知りたくないか?

 この子はその答えをすでに出しているらしい。あの短時間で、いったい彼女には何がみえたのだろう。彼女は何者なんだろう。どうして僕を、そんなに助手にしたがるのだろう。

 ――すべて投げ出して、今、この場を立ち去れるかどうか。

 残念ながら、答えは決まっていた。

「僕は美術部に入る予定だから。だから、今後のために、どういうことか知りたいだけだから」

 彼女の言う通りになるのが癪だった。なので言い訳するように僕は言った。

「それでもいいよ、今のところは」

 彼女は見透かすような笑みを浮かべて言った。「とりあえず、書くもの出して」

 僕はせおっていたリュックをおろすと、中からてきとうなノートをひっぱりだした。一番後ろのページを開き、下敷きを挟むと、シャーペンとともに彼女に渡す。

 彼女はためらいもなく書き始めた。お世辞にもきれいな字とはいえない。妙なくせのある字だ。けれども読めないということはない。

 彼女が書いたのは、美術部員たちの名前だった。学年ごとにかためてある。

「ああ、めんどくさいな。男子は省略」

 彼女は僕にノートとシャーペンを返すと、声をひそめてひとりひとり説明を始めた。僕はそれを聞きながら、自分の印象と合わせ、彼女の書いた名前の下に追記する。


 三年生

  (部長) 和泉いずみはるか しっかりした感じ

  (副部長) 風間かざま亜紀あき  やせてる キツネっぽい クール

        重音かさね成美なるみ  赤ら顔 背低い 怒ってる


 二年生

      山科やましな悦子えつこ  髪二つに結んでる まっさおだった

      文木ふみき明日香あすか お嬢さんぽい


 一年生   

      安住あずみ由奈ゆな おかっぱ 泣いてた

      杉浦すぎうら奈津なつ ショート おろおろ 

      高良こうら多栄たえ ふっくら おかんぽい ぽかんとしてた


「じゃあ戻るよ」

 彼女が言うので、僕はノートとシャーペンを持ったままついていこうとした。

「それ、本人たちに見られたらマズいと思うよ」

 彼女に言われてはっとする。確かに。風間先輩とか高良さんは言うまでもないし、他の人だって、こんな風に書かれて何を思うかわからない。僕は待って、と彼女を引きとめた。一人一人のイメージを浮かべて、顔と名前を頭の中に刻みつける。それから、ここで今のうちに訊いておきたいことを訊く。

「今までは、どんなことがあったの?誰が被害に遭ってたの?」

 すると彼女はにっと笑い、僕からシャーペンを取り上げた。部長の和泉はるかに○を付け、そこから矢印を引く。矢印の先は二年生の文木明日香に伸びた。そして和泉はるかの脇に「犯人」と書き、文木明日香の脇に「被害者」と書いた。

 ええ?

 僕は思わず大声を上げそうになり、かろうじて抑えた。

「物を盗まれたり、絵に落書きされたり、作品を壊されたり、そんな感じだ」

 彼女は言った。

 それからシャーペンを軽く持ち上げると、余白部分にこう書いた。

 今回は、ちがう。

 あっけにとられる僕に、彼女は光を放つみたいな笑顔を向け、悠然と扉の方に向かった。

 僕はノートをもう一度見直して、それからリュックの中につっこみ、別のノートを取り出して手に持つと、慌てて彼女を追いかけた。


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