鱗粉と呪い
バチィンッと、割れるような破けるような音が耳に刺さった。あまり大きくなくとも異質な音に足が止まる。すると、ほんの数歩も離れていない深い青のタイルの地面に、ぼとっ、と黒い塊が落ちてきた。近くにいた女の子が、金切り声をあげて飛びのく。塊は更に、バタバタと羽ばたいた。
宙を優雅に舞う羽を、タイルの上でばたばたとでたらめに動かしているのは黒揚羽だった。天井を見上げると、夕方になると灯される蛍光灯が、まだ暗く据えつけられていた。電気は通っていないように見えたが、音と蝶はあそこから落ちてきたようだった。ぶつかって、感電でもしたのだろうか。
改めて足元を見下ろす。珍しい落し物は、飛び立てないのかばたばたとのた打ち回ってはいるが、その場で回り、ひっくり返るだけ。背後の校舎の玄関からは、2限を終えた足音が、次第に数を増しているのが聞こえていた。
みすみす踏まれるような場所に落ちた蝶を放っておくわけにもいかなかったが、上手くはいかない。手のひらにすくいあげた蝶は、タイルの上と変わらずにじたばたと暴れる。何度も手からこぼれおち、そのたび手のひらにすくいなおした。しかし何度目かで、ついに指が、黒い羽をつまんでしまった。
つまみあげて後悔した。蝶のもがきが変わったのが、指先からじかに伝わってくる。あわてて手のひらへと羽を解放したつもりだった。
ベリッ、と小気味良く、指に貼りついたような感触。一瞬びくりと蝶が身を強張らせたように見えた。手のひらに横たわる羽の際。齧られたように楕円形に、羽が透き通った部分を曝す。
右手の人差し指と親指に、びっしりと生えてきたように黒い鱗粉がこびりついていた。
鱗粉を剥がされながら、蝶は間もなく暴れはじめた。寝かせてやった植え込みの中からも何度も飛び出し、その近くを人の足が踏みしめる。その度にすくい上げては戻す。草の上で蝶が暴れている間に、指に貼りついた鱗粉をこすると、黒い柱のような結晶はくだけて、肌に刷り込まれるように余計にこびりついた。その間にまた植え込みから飛び出す。蝶を戻してまた指をこする。またすくう。
それを繰り返して何度目かに、ふいに蝶の羽が舞った。あ、と思った瞬間、手の中から蝶が飛び立っていった。
呆気にとられて見送る。普段見かける黒揚羽の優雅で不規則な飛び方からは想像もつかない速さで、蝶は去った。
帰りの電車に揺られながら、指を見る。水で洗っても、鱗粉はまだ、指にこびりついていた。ふと気になって、スマートフォンを取り出し、黒い指で検索をかける。
鱗粉のはたらきに行き着いた。蝶の羽に雨がしみると、蝶はとべなくなってしまう。そうならないよう、鱗粉が水を弾いているのだという。
次の雨はいつだろう。黒い指をいくらこすっても、蝶の色は落ちなかった。