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--- コウ ---
大広間を抜け、もう随分歩いたか。
一度あの化け物の音を聞いた時はかなりびびったが、ただ通り過ぎるだけだったようだ。
ちなみに大広間のアレは、やっぱりどう見ても本物だった。
しかし、右っかわの通路と違って、こっちは随分入り組んでいる気がする。
結局遠回りになるか近道かの差だけど、なんて言うか、部屋の数より道を増やしましたって感じがする。
まあ、あくまでも感覚だ。
とにかく、化け物はこっち側へ向かっていたっぽいから、下手に追いつかないようにしつつトモとアカネを探す必要がある。
できれば追い抜かして注意喚起とかしたいけど、正直無理だろう。
あの速さを追い抜かすってのも無理だし、何より追い抜かした所で、今度は俺が狙われるだけになりそうだ。
アカネとトモなら、多分隠れてやり過ごす事は出来るだろう。
なにせ、最初に音を聞いた瞬間に逃げるという思考に移れるくらいなんだから。
楽観的な思考に切り替えて、先へと進む。
もう正直、ビクビクしながら移動していたら命がいくつあっても足りない。
できるだけ迅速に、ただ注意だけはしつつ。
少し前に通った部屋の割れていた不気味なオブジェクトにはびっくりした。ちらりと見た瞬間真っ赤だったからだ。
鏡のようだったけど、内側から真っ赤になっていたので鏡の役目を果たしてない。何の目的で作られたのだろう。
それはそれとして、先ほどからちょこちょこ死体のようなものを見かける。
まあ、今までもそうだったし恐らく本物だろう。いくらなんでも気が滅入るし、部屋を空けると同時に『あ、あるな』って思ってしまう時点でもう嫌だ。
鼻が悪いせいか、俺には世間一般的に言われるほど酷く感じないが、それでもこの臭気の中を歩き続けるのは嫌だ。
こんな状態でハルタの方は大丈夫なんだろうか。きっとあっちも、奥に進むにつれて同じような状態になっているだろう。
……と、言うか奥で繋がっているはずだから、『きっと』と言うより『確実に』だろうな。
運が良いのか、あの化け物とは出会っていない。
早い所進みたい気持ちはあったが、精神的に限界を感じる。これ以上は咄嗟の判断に遅れが出るかもしれない。
ここに来るまで何度もやっていたように、死角に身を隠して座り込む。
一応、できるだけ周囲に何も無いところを選択したつもりだ。
短く息を吐き、情報を整理する。
そうは言っても、整理する情報がほぼ無いのだが。
今まで通ってきた道にも、部屋にもアカネとトモは居なかった。一人なのでちょこちょこ休んでいるし、追い越してしまっている可能性はほぼゼロだろう。
もしかするともう既に……と言う可能性もあったが、今までの部屋では少なくとも見なかった。
大声で探し回れないのが辛い。
一番嬉しいのは、ハルタと既に合流していてくれる事か。
なんとなくだが、そろそろ中央の合流地点に向かっている気がする。今までと通路の感覚が違う。
流石に目を閉じて休むわけにもいかないので、俺はこの疲れを癒す為に、もう何度目か判らないため息をついた。
--- トモ ---
あの音が通り過ぎてから、大分進んだと思う。
一度立ち止まった時はもう頭の中は空っぽだったし、もしドアを開けて入ってきたら絶対に悲鳴を上げていた。
アカネちゃんも、この時ばかりは流石に怖かったようで若干涙目だった。
これには流石に私も驚いた。今まで毅然とした態度をとっていたから尚更だ。
この時やっと、私はアカネちゃんがずっと私を不安にさせないためにああいった格好をしていたんだって気付いた。
その時か、私は今までアカネちゃんに頼りっぱなしだって思ったのは。
それからは色々と怖かったけど、私もできるだけアカネちゃんに頼りっきりにならないように動いているつもりだ。
いつの間にか、中央への通路まで来たらしい。
コウ君やハルタ君やガンペイ君の三人は一緒に動いているだろうに、私たちの方がここに来るのが早かったって事は、右側の通路の方が遠回りになっているんだろうか。
それとも……。ううん、あの三人なら一緒に居れば絶対に大丈夫だろう。
アカネちゃんはさっきから「男連中はー」とか「道間違えたのかなー」とか言ってる。
私も適当に相槌を打っているけど、きっとアカネちゃんも同じような事を考えているのかな。
この通路は今まで以上に嫌な感覚が強くて、緊張する。
何の所為だろうと辺りを見回すと、すぐに判った。死体が多いんだ。今までの通路や部屋なんて比べ物にならないくらい多い。これじゃまるで道だ。
『音の正体』が、人を殺すたびにここに持ってきて居るんだろうか。……それは無いと思いたいけど。
アカネちゃんもこの通路の惨状に言葉を失っている。
その後、立ち止まっていた私達は一度戻る事にした。
「トモ、あそこどう思う?」
「できれば……。通りたくないよね、あれは絶対おかしいよ」
アカネちゃんは頷いて、悩みこむ。
しかしあまり時間はかけられないと踏んだのか、決断は早かった。
「何とか通ろう、男連中もあそこで慎重になって通ってない可能性があるし」
私はそれに頷く。あの通路の嫌な感じは拭えないけど、思い出す限り今までの部屋では人を殺すような罠は無かった。
だけど、それの裏をかいて致死性の罠が仕掛けられている可能性もある。
当然アカネちゃんもそれに気付いてるだろうけど、一応罠の可能性について提案すると、死に方が似てたから可能性は高いね、と返された。流石にそこまで見る勇気は私には無い。
とは言え、どっちにしても通るんだ。罠に気をつけつつ進むしかないだろう。
暫く歩いていたけど、意外にも罠はなさそうに見える。血の所為で床が固まって、時折滑りそうになるくらいかな。
と、気付きたくない事実に気付いてしまった。
なんでこんなに死体が多いのか。
部屋が無いんだ。隠れる場所が。
ここであの『音』が聞こえたら、逃げる方法はきっと無い。
この事をアカネちゃんに伝えるべきかと思ったけど、やめた。言った所で意味は無いだろうし。
アカネちゃんもその事に気づいているのか居ないのか、少し顔色が悪いようだった。
道の途中に、一つだけドアがあった。丁度隠れるように壁がへこんでいる。
でも、これは罠だ。外から見ても一瞬で判る。
ドアの隙間から出ていたであろう血の量が半端じゃない。ここまでの道でもそれなりだったけど、それ以上だ。
絶対にここ開けちゃいけない、見なかった事にして通り過ぎるべきだ。そう、頭の中で言葉が駆け巡る。
「トモ、開けるよ」
今までより真剣な顔でアカネちゃんが言う。ダメ、とは言えなかった。何故かは私にも判らない。いや、本当に開けていいのか思案しているうちにアカネちゃんがドアに近付いた所為だと思う。
なんでアカネちゃんはこんなに危険そうなドアを開けようとしたのだろう。
なんで私は『絶対にダメ』と言わなかったんだろう。
なんでここに、他のメンバーが居てくれなかったんだろう。
ドアは簡単に開いた。
中は、異様な光景だった。電気がないのに明るい。今までずっと望んでいたけど、何故か見つからなかったものが見える。
窓だ。ここに来て、初めて窓を見た。
外から見ると一階部分にもあったはずなのに、何故かどこにも無かった窓が。
ごくり、と、喉が動いた。この音を自分が出したのだと気付くのに数秒掛かった。
でも、これは絶対に罠だ。
あからさまな、でもここでは決して抗えないような。
「トモ、念のため入り口側から、ノブを引っ張ってて貰える?」
「え、でも……」
「いいから」
何がいいのか、私には理解できなかった。
止めようと思ったけど、アカネちゃんは絶対に入るつもりらしい。睨むように見られて、私はたじろいだ。
アカネちゃんの考えている事が判らない。もし急に閉まるのであれば、私の力なんて殆ど意味がないだろうに。
ノブを引っ張り、アカネちゃんが一歩足を踏み入れた瞬間、思い出した。
外は大雨だから、こんなに光が差すわけが無い事に。もし大雨が止んでいたとしても、もう時間的に深夜だろうから、外に明かりがあるわけが無い事に。
「アカネちゃ――」
ドアが閉まっていた。私はノブを持ったままだったはずなのに。
もちろん一度も離した記憶は無いし、手を引っ張られた記憶も無い。
なんで、どうして!?
がむしゃらにドアを叩いた。何が起きているのか判らなかったから、とにかく力を入れて。
ドアの向こうからは何も聞こえなかった。
アカネちゃんの声も、何も。とにかく、私がドアを叩く音だけが響いた。
やがて、ドアの隙間から、大量の鮮血だけが流れてきた。音も無く、ただただ滑るように。
ドアを叩く手が止まる。
思考も停止する。
理解が 追いつかない 。
「嫌アァァァッ!!!」
その場から、自分の声が聞こえた。
--- コウ ---
近くで悲鳴が聞こえた。
今のは間違いなく、トモの声だ。
アカネの声は聞こえない。どうなってる!
もう、なりふり構って居られない。俺は、声の元に走って向かう事にした。
……中央通路のドアの前に、トモだけが居た。
その場にへたり込んでいて、床の血をズボンが吸い上げる形になっている。
「トモ」
声をかけてみるが、反応は無い。
彫像なのだろうかと思ってしまうくらい、動かない。
本当にトモなのだろうかと勘繰ってしまう。あるいは、既にあのガンペイみたいになっているのかもしれない。
「トモ!」
あの状態だと、近付くのはお互いに危ないと思ったので少し離れた位置からトモを強く呼んだ。
トモは、緩慢な動作と光の灯ってない目でこっちを見た。
またガンペイと同じ状態か、と俺は瞬時に悟った。これはかなり心が折れる。
しかし、トモは俺を見ると段々と目に光が戻ってきた。
「コウ、君……?」
俺は頷き、トモに近付いた。
トモは泣きながらこっちへ駆け寄って来たので、俺はサッと視線だけでトモが座っていた場所とその近くのドアを見る。
信じたくは無かったが、アカネの状況が判った気がした。
色々と離れている間の話をトモに聞きたかったが、そんな余裕はなさそうだし、さっきから見る限りこの通路はヤバい。隠れる場所が無いのだ。
さっきの悲鳴を聞いて、『アイツ』がこっちへ向かっているかもしれない。どっちから来るか判らなかったが、俺が来た側を通って居たので、きっとまた右通路の方に居るだろう。聞きつけてくるなら左通路に逃げる必要がある。
とにかく泣いているトモの手を引っ張り、半ば無理やり連れて行った。
一応、来る途中に見つけた隠れやすそうな部屋の中へ入る。
トモはなんとか気力を取り戻してくれたようだった。ある程度受け答えできる程度に、なんとか、だ。
その状態のトモに色々と聞いたり話したりするのは躊躇われる。
そう思っていたが、トモは大きく深呼吸をすると、首を横にぶんぶん振って落ち着きを取り戻した。
今までのトモからは考えられない行動だ。きっと、アカネと二人で行動して色々思う所があったのだろう。
「さて、トモ、色々話したい事がある」
そう切り出して、起こった事を話し始める。
ガンペイが死んだ事や、ハルタと別れ、広間を抜けてトモ達を追って行った事。
それを言うと、トモは「そっか、ガンペイ君も……」とだけ呟いた。
トモの方も、話を聞いてみると色々とあったらしい。
とは言え、さっきのドアまでは順調に二人で進んでいたようだ。
アカネは、やっぱりさっきのドアの中で死んだらしい。
明らかな罠だったのに止められなかったと、トモは再び泣き始めた。
暫くトモが泣き止むまで待とうかと思ったが、それ以上に聞きたい事があった。
「ハルタは? あいつとは会って無いのか?」
尋ねるが、トモは首を振るだけだった。
おかしいな。時間的には間違いなくあいつの方が早くトモ達と出会っていておかしくないはずだ。
一度道を引き返してからトモと会った俺と比べると、おそらく倍ぐらいの速さで。
そうなると、ハルタも何か罠に引っかかってしまったか、既に『アイツ』に殺されてしまった可能性が高い。
ハルタは怖がりだが、かなりしっかりしているから、一人になってもきちんと考えて行動できていただろう。
確認のために右通路まで向かうか? ……危険すぎる気がする。
俺が考えていると、トモは背中のリュックから一冊のノートを取り出した。
「これ、アカネちゃんと見つけたの」
受け取り、読んでみる。誰かの手記だった。書いてある内容はとても短いものだったが、これで行動方針を決定する事ができた。
地下は無理だ。この人たちと同じで、俺らにも灯りは無い。一応オイルライターがあるが、流石に限度があるだろう。
「二階に登ろう。もしどこかにロープと窓があれば、きっと脱出できる」
「二階……」
トモの精神状態がぐらぐらと揺れている感じでかなり危うく見えるが、それも当然だろう。俺が今、色々と考えられているのが不思議なくらいだし。
とにかく、なんとかトモを連れて二階を探索するしかない。
「行こう、一箇所に留まるのは危険だ」
俺は、トモの手を引いて広間へ向かう事にした。