5
--- ハルタ ---
コウと判れてからどれだけ時間が経っただろうか。
腕時計を確認してみるが、針が止まっている。肝心な時に電池が切れたか。
どちらにせよ、判れる前の時間なんて確認してないのだから意味は無いのだが。
体感では約三十分前ぐらいから、通路や部屋に死体が目立つようになってきた。
最初はもの凄くビビったものだが、この危機的な状況のせいか『そこにある』というのはもう慣れてしまった。正直、嫌な感覚だ。
ただ、臭いだけはどうしても我慢できず、おかげで胃の中はすっからかんだ。
今はもうずっと、ハンカチを口に当てながら行動している。
またぐちゃぐちゃになっているものをまたいで、先へ進もうとした時、背後で何かを裂くような音が聞こえたので、即座に振り返った。
バクバク鳴っている胸に手を当てて、ゆっくり深呼吸。何が居るわけでもなく、さっきと差異は無いように見える。
かと思ったが、よくよく見ると壁に赤い文字が書かれていた。顔を近づけたくなかったので、遠くから眺めるように見た。
そこに書いてあったのは一言。
『次のドアの中には入るな』
それだけだった。
善良的なのか悪意があるのか判らないが、とにかくドアの中に入ってはいけないと忠告してくれたらしい。
それを理解すると同時に、周囲の壁にもさっきのような何かを咲くような音と同時に赤い文字がいくつか追加された。
『入るな』
全部それだった。
ずっと一人で歩いていて、もう大分頭がおかしくなっているのかもしれない。こういった現象は何度かあったが、どれも実害は無かったので慣れてしまっていた。
入らなきゃ安全なんだろ、と思いつつ、『例の』ドアを開ける。
この館に入ってから初めて見る、タイル張りの部屋だった。そして中央には地下へ行けるだろう階段。
確かに、異質な雰囲気を感じる。このドアはしっかり閉めて、カバンから何かつっかえ棒になりそうなものでも挿んでおくかと思ったその時、何故かコウがそこに居た。
この部屋の中をうろうろしていたらしい。地下への階段を見て唸っている。
そしてまたうろうろしようとしたのか足が動いた時、おれと目が合った。
「お、ハル、いい所に来た」
「どうしてお前がここに居るんだ?」
「すこし早かったけど、一周した事になるな」
「え、それでお前だけって……」
そう尋ねると、コウは目を瞑って静かに首を振った。
まさか、そんな筈は……ガンペイも、トモも、アカネも、全員死んだのか?
本当か? 確認はしたのか?
「……本当だ。その事で話がある、ちょっと来てくれ」
言われ、かなり混乱していたが、おれの頭にはまださっきの血文字――部屋には入るなという言葉が残っていた。
少し入るのに戸惑う。
どうするか悩んでいたが、コウが先に入っているのだから一応は大丈夫なのだろう、とおれもその部屋に足を踏み入れた。
コウがニヤリと邪悪に笑うわけでもなく、いきなりドアが閉まるわけでもなく。何も起こらなかった。
もしかすると、さっきの血文字は別の部屋の事でも言っていたのかと思う。
コウは地下への階段の近くに座って、話し始めた。
ガンペイはやっぱりあのまま死んでいた、だが、何故か人の形を保ってふらふら歩いていたという事。
『音』が聞こえると同時に潰れて、完璧に死んだのだと把握した事。
この事についてはおれも全然別ではあるが、色々と心当たりがある。
この館では不可思議な現象が多いので、ガンペイのそれも最早おかしいわけではないだろう。
また、色々と部屋を調べて行って、ある部屋でアカネとトモが惨殺されていたと聞いた。
やっぱり、アイツはガンペイを殺した後こっちじゃなくてアカネとトモ側へ行っていたのか。
しかし、そうか……。
そして最後に、各部屋を回ったけど一階には出口は無さそうだという事。
つまり、コウはこの先、地下に出口があるかもしれない、と踏んだわけだ。
「で、俺は光るもん持って無くてな、ハル、お前懐中電灯持ってるだろ」
「あ、ああ」
「それで出口を探すしかないと思うんだ」
おれの頭は混乱の最中だったが、コウに言われるままバッグから懐中電灯を取り出した。
確かに、この懐中電灯は結構強いタイプなので地下を広く照らしながら歩いてゆく事ぐらいはできるだろう。
じゃあ、と懐中電灯を片手に地下への階段を下りる。コウも後ろから付いてきた。
一人ならこんな暗いところ絶対に入らないだろう。
地下は別におかしい所が無かった。いや、逆か。おかしい所が無い所がおかしい。
ドアやものが全く無いのだ。ただただ、長い通路。しかも壁面は岩が露出していて、古い城なんかの抜け道を彷彿させる。
しばらく二人して無言で歩いていたが、明かりはこの懐中電灯だけなので、辺りは暗くて非常に怖い。
なので、何か話題は無いか探してみる。
「なあ、あいつ、あの化け物についての推測なんだが――」
おれは道中、先にこの館に入って不幸にも力尽きてしまった人たちが残したであろう手記をいくつか見つけていた。
中には見たくも無いものがあったりしたが。
それから推測するに。
「アイツは、この館の主なんじゃないか? あいつの足を引き摺る音が聞こえると、どうも不可思議な現象は起きないらしい」
「ふーん」
「ふーんってお前……。でだ、コウが言ってたガンペイがいきなり潰れたって話もそれに当てはまる気がする。音が聞こえたせいで、多分存在が打ち消されたんだ」
なんであんなに大きいのか、とか、足を引き摺っている理由とか、その辺りの事までは流石に判らなかった。
でも、『おそらく館の主』である、と言う推測は導き出す事ができた。
ちっぽけな推測だが、もしそれが本当ならあの化け物をなんとかして消滅させる事が出来れば、例えどこに出口が無くても、最初ここに入ってきたあの入り口を開けることができるようになるかもしれない。
ただ肝心の消滅させる方法が判らない。あれはどうあっても、真正面から戦って勝てる相手じゃない。
かと言って、後ろから奇襲をかけても無意味だろう。どう見ても人間ではない、不死身の可能性もある。
それになによりの問題は、館の主ではなかった場合だ。
なんとか打ち倒して、結局無意味でした、では意味がない。
まあ、どれにしろただの推測に過ぎないし、あんな化け物を倒せる気はしない。無意味な考えだ。
で、とコウに話しかけようとした時、ふと違和感に気が付いた。
何でコウはおれが懐中電灯を持っている事を知っていたんだ?
確かに、おれの性格からすると持っててもおかしくないとは思っていたかもしれない。でも、コウは断言した。
それに、この館を一周してきた? いくらなんでも早過ぎる。
おれ達が入ったのは右側の通路だったが、その少し先まで行って、コウは戻って左側の通路にまで行ったんだ。
タイムラグを考えると明らかにおかしいし、話を聞く限り、あの化け物は左側の通路に行ってるはずだから途中何度か化け物と遭遇しているだろう。
おれがそれなりに慣れて、ある程度スムーズに歩けるようになってるのに、それより早く行動していた事になる。
なにより、さっきから何一つ喋らない。
こんなに静かだと、いつもはまずコウから何か話題を提供してくる。
ガンペイ、トモ、アカネが皆死んでしまったからだと考えると妥当ではあるが、それにしてはさっき地下に入る前は、そこまで気にしている風ではなかった。
無理に強気の姿勢を保っているのなら、なおさらいままで通り喋るはずだろう。
「コウ」
一言だけ、名前だけ呼ぶ。反応が無かったら怖いから。
「なーに?」
反応はあった。
でも、帰ってきた声は、明らかにコウのものではなかった。
じゃあ、後ろに居るのは、誰だ?
咄嗟に後ろを振り向こうとした時、後ろから強く押される。おれはバランスを崩し、目の前の穴に突き落とされた。
通路はまだ続いていたはずなのに、どうなってるんだ。
意味が判らないが、とにかく落ちている。地面は無かったのか?
気付けば、悲鳴を上げていた。頭は逆に何故か冴えているのに、悲鳴が止まらない。
さっき見えていたはずの地面がいつの間にか大きな落とし穴に変わっていた事を確信したのは、沢山のトゲに突き刺さっていたであろういくつもの骨が真下に見えた瞬間だった。