エピソード3 接近 <NaoKo Part>
春の旋風が夜の窓を揺らしている、
怠い…
はっきり言って、何もする気がしない。
時計は既に夜の9時を回っていたが、お兄ちゃんは何時まで経っても帰って来ない。 多分、お兄ちゃんなりに 気を利かせて10時過ぎまでは帰ってこないつもりなんだろう。
お風呂は綺麗に洗ってお湯を張ってあるのだけれど、何だか入浴する気分にもなれない。 私はパジャマに着替えてロフトの布団に潜り込み、うつらうつら時計が針を進めるのを眺めて 徒に時を過ごす。
お兄ちゃんの「御護り」には どうやら有効期限があるらしかった。 夕方を過ぎた頃から効力が薄れ始め、今ではすっかり元通り 私は「影」に包まれている。
直子:「お兄ちゃんの馬鹿、…嫌い。」
私は、お兄ちゃんのパジャマを抱きしめて じっと耐える。
私が身を潜める布団のすぐ傍には、全身を包帯でグルグル巻きにされた子供の 影のヒト が座っていて、時々布団の端を引っ張っていた。
少なくともこの部屋には 今、3人の影のヒトが居る。
風呂場に居る若布みたいな髪の女、6畳間の隅に体育座りしている背広の男 ……時々、壁に顔を突っ込んで201号室を覗いている。 それと、包帯グルグル巻きの子供。 どうやら彼らは以前から 普通に 此処で暮らしているらしい。
直子:「お兄ちゃん、早く帰ってきなさいよ〜」
影のヒトにも、意識とか意思とか言うモノが有るのだろうか? それとも、ただ条件反射的に動いているだけなのだろうか? どうして私ばかりに取り憑いて、苦しめようとするのだろうか?
不安な気持ちは 影のヒトを活性化させる。
包帯グルグル巻きの 影のヒト が、私の掛け布団の上で飛び跳ねる。
…やだ、痛いよ、重いよ。
私は、 黙って じっと、耐える。
…見ないで、見ないで、私に構わないで、消えて、消えて、
自然と、涙がこぼれ出してくる。
…お兄ちゃん、助けて!
扉:「カチャン!」
全てを諦めかけた 22時30分、部屋の鍵を開ける音がした。
途端に、大人しくなる 影のヒト 達、
めいめい部屋の隅っこに散らばって、ひっそりと踞る。
直人:「ただいま…。」
小さな声でお兄ちゃんが囁く…
私はお兄ちゃんの姿をロフトから見下ろして ほっと一安心する。 やっと元気が出て来る。 泣きはらした目と、涙で濡れた頬をパジャマの袖で拭う。
直人:「あっ、もしかして…」
テーブルの上には、二人分の夕飯が用意したままになっている。
それを見たお兄ちゃんが、ロフトの上を見上げる。
布団から顔だけ出した 私と目が合う…
…私は、パタンと布団の殻を閉じる。
直人:「ゴメン、…待っててくれたの。」
直子:「お帰り…なさい。」
私はのそのそと布団を抜け出してロフトから降りる。
グスリ、と ちょっと鼻をすする。
直人:「どうしたの、もしかして具合悪いとか?」
私はフルフルと首を横に振る。
直子:「もう、大丈夫。 ご飯食べる?」
直人:「うん、」
私は みそ汁を温め直し、お揃いのお茶碗にご飯を装う。
直子:「今日、お弁当箱 買って来たの。」
直子:「明日、お弁当持って行く?」
お兄ちゃんは、少し悩んでる風?
直人:「お弁当作るの大変じゃない? 無理しないで良いよ。」
直子:「そんな事無い。 ご飯作るの嫌いじゃないし、」
お兄ちゃんが、優しく微笑む。
直人:「有難う、助かるよ。」
私は、思わず照れる。
夕飯を食べながら、お兄ちゃんが改まって話し出す。
直人:「今日、バイトを見つけて来た。」
直人:「コレからは、毎日学校が終わったらバイトに行くから、帰りはいつも今日と同じくらいの時間かな。」
私は、どうしようもなく不安になる。
一人でいる時間は、多分 影のヒト は私の弱気につけ込んで活発になる。
直子:「そうなんだ。」
直人:「夜の10時迄は帰らないから。」
直人:「晩ご飯も、先に食べていてくれていいよ。 お風呂も、ね。」
直子:「……」
きっと、私の事 気遣ってくれてる…
直人:「土日は、図書館に行って来る。 勉強とか宿題とか、まとめて週末に片付ける。 9時から夕方の5時までやってるから、その間はうちには居ない様にする。」
直子:「……」
それとも、やっぱり 私の事 避けてるのかな…
直人:「バイトして、お金が貯まったら、僕、他の部屋に移るよ。 此処、流石に二人じゃ狭いもんね。」
直人:「礼子さんに頼んで、管理人室貸してもらうとか。 出来るだけ直子さんの近くに居て、何か有った時は 直ぐに力になれる様にするから。」
直子:「……」
ずっと、私を一人きりにする気なんだ…
ずっと、私に怖い想いさせる気なんだ…
直人:「もう暫くの間だから、2人部屋 不便だけど辛抱してね。」
突然、涙が零れた。
何故だか自分でも、止められない…
直人:「どうして? 泣いてるの?」
そうだよね、私は 何時だって 気持ち悪がられて来た。
何時だって みんなから避けられて来た。
お兄ちゃんだって、私の傍に居るの嫌だよね…
辛気くさいし…
暗いし…
あんま喋んないし…
本当はお兄ちゃんのパンツの匂い嗅ぐ変態だし…
お兄ちゃんのインモーこっそりパンツに入れてる変態だし…
生きてない人が見えるし…
影に包まれてるし…
仕方ないよね…
こんな変な子、ひとりぼっちでも仕方ないよね…
直子:「…やだ、」
いつの間にか、声に出していた。
直人:「えっ?」
直子:「…一人にしないで。」
涙がポロポロ止まらない。
直子:「…もっと、一緒に居てよ。」
泣き吃逆が止まらない。
いつの間にか、お兄ちゃんが傍に来て 私の肩に触れてくれる。
お兄ちゃんの掌から、世界が温かな色彩を取り戻していく…
…凄い、お兄ちゃんにくっ付いているだけで、こんなにも私に不足していた物が補われていく。
直子:「お兄ちゃんは、…私と一緒は嫌?」
お兄ちゃんが、優しく 背中から私を抱きしめてくれる。
乾ききった私の身体を、見る見る安堵が潤して行く。
不吉な 闇と影のモノ達は消滅し、 私は輝きと色彩を取り戻す。
全身の毛穴が逆立つ…
知らず知らず、私は涎を垂らす…
直人:「ゴメンね、」
直人:「僕、もっと直子さんと話すれば良かったね。」
そうだよ、勝手にドンドン決めちゃって! お兄ちゃんが悪い!
直人:「直子さん…」
直子:「さん付け嫌!」
直人:「直子、ちゃん?」
直子:「私は、妹なんだから、直子って呼び捨てで良い!」
言っちゃった…
どうしよう、とうとう勢いに任せて「妹」って言っちゃった …
直人:「そ、うだよね、お互い兄妹だって言う事にすれば、変に意識しないで済むよね。」
お兄ちゃん、多分 なんか勘違いしてる?
でも、それこそ 仕方ないよね…
私達が本当の兄妹だなんて、直ぐには信じられる訳が無い。
直子:「お兄ちゃん…って、呼んでい良い?」
直人:「良いよ。…今日から、僕は直子ちゃんのお兄ちゃんだ。」
急に意識して お兄ちゃんが私から離れる。
途端に、世界は色褪せていく…
直子:「いや、ひとりぼっちにさせないで。」
私、膝行り寄って…
お兄ちゃんのシャツの裾を摘む。
一気に、明るい世界が戻って来る!
お兄ちゃんって…素敵!
直子は、もう お兄ちゃん無しでは生きて行けないかも!
直人:「だ、いじょうぶだよ、ここに居るって!」
お兄ちゃん、真っ赤になって照れている。
…可愛い〜
ん? 何だか お兄ちゃんの動きがぎこちない…
私は一応 念の為…
しかるべき男の子の部分をチェックする。
…やっぱり、おっきくなってる!
直子:「お、お兄ちゃん、そう言うのは駄目…。」
私は顔を真っ赤にしながら、おっきくなっている部分を指で 指し示す。
直子:「ほら、私達、兄妹だから……。」
直人:「わ、わ、かってる…!」
お兄ちゃんはソワソワと立ち上がる。
直人:「お、お風呂 入って来ようかな。 えっと、着替えは…」
しまった! お兄ちゃんのパジャマ、私の布団の中!
直子:「わ、私が、出しといて上げる! から、直ぐ入って。」
二人とも声が上擦っている…
直人:「えええっ? ちょっと、恥ずかしいかな…、」
直子:「妹の勤めだから、お兄ちゃんの世話は!」
半泣き、…の演技、
直人:「そ、そうなの?」
直人:「じゃあ、着替え類は、そっちの段ボールの中だから。」
私は、お兄ちゃんの背中を押して、無理矢理 風呂場に押し込める。
危ない〜、もう少しで 私が兄のパジャマの匂いを嗅ぐ変態だと言う事がバレる所だった…
今のうちに、布団からパジャマを取り出す。
気がつくと、お兄ちゃんが背後に立っている。 しかも下着姿…
直子:「な、何かなぁ〜」
直人:「あの〜、制服を、掛けておいて…くれるかな。」
二人とも声が上擦っている…
お兄ちゃんは脱いだ制服を私に手渡すと、そそくさと風呂場に退散する。
…バレた? バレてないよね??
お兄ちゃんがお湯に浸かる音… 漸く一安心で ほっと溜息をつく。
直子:「お兄ちゃん、タオルと着替え、風呂場の前に置いておくね。」
直人:「ありがとう。 あのさ、もしかして直子ちゃん、未だ入ってなかったの?」
直子:「うん、この後入るから、そのまま流さないでおいてね。」
よし! そしたら 明日の分の「御護り」をゲットだぜ!
私は、思わずガッツポーズ!
背広姿の 影のヒト が 私の顔を覗き込んでる。
直子:「邪魔!」
お兄ちゃんが居れば アンタなんか怖く無いんだから。
それにしたって、
お兄ちゃんの「御護り」欲しがる妹なんて、やっぱり変態だよね〜
私、人知れず 乾いた笑い…
私はテーブルと食器を片付けて、綺麗にお兄ちゃんの布団を敷き、その上にちょこんと座って待つ。 …何故だか、鼻歌まじり。
やがてドアが開いて…
…素っ裸のお兄ちゃんが出て来る。
直人:「どぁあ! ちょ、っとゴメン!」
お兄ちゃん、急いでタオルを引っ掴んで風呂に戻る。
直子:「ああっ! ゴメンなさい。 私、ロフトに上がってます。」
改めて、寝間着に着替えたお兄ちゃんが登場する。 …ちょっと可愛い。
直子:「にへぇ〜」
目尻が自然とホコロンでしまう…
直人:「お風呂、お先。 男が入った後のお湯で良かったの?」
直子:「お兄ちゃんだから、全然問題ない。」
よし! 御護り回収班、出動!
直子:「次、私入る。 お風呂…」
直人:「おおっ、ちょっと待って、僕外に出てるから!」
直人:「ついでにゴミ出して来るよ、」
お兄ちゃん、そそくさと部屋を出て行く。
少しは覚悟していたけれど、やっぱり裸を見られるのは恥ずかしい…
お兄ちゃんが気を利かせてくれて一安心。
直子:「さてと、御護りは…」
探せども…無い、無い、どこにも無い
何? 今日に限って抜けなかった?? 流れちゃった???
それともお兄ちゃん、気を利かせて掃除しちゃった????
不味いぞ、不味いぞ、、、
若布女が湯船の底から浮かんで来る…。
掃除したとすれば…ゴミ袋! あの中に入ってる筈…
私は素っ裸のまま部屋に戻る。
直子:「ゴミ、ゴミ、、」
直子:「…って、ゴミ出しちゃった?」
背広姿の 影のヒト が 何だか、意味不明に顔をぶるぶる震わせて 両手ぶらり垂らした格好でのそのそ歩いてる。
どっかに落っこちてない?
私は狭い部屋中を 素っ裸の四つん這いで 這い回る。
直子:「無いよぉ…。」
かくなる上は…
お兄ちゃんの洗濯物が詰まった袋を 私はジトーっとした目で凝視する。
やがて1時間後?
ようやくお兄ちゃんが戻って来る。
直子:「お兄ちゃん!こんなに遅くまでパジャマで何処に行ってたの? 心配するでしょう?」
直人:「心配って、子供じゃないんだから 大丈夫だよ。 それに、直子ちゃんがお風呂に入ってたから。」
お兄ちゃん、何だかアタフタしてる?
直子:「問答無用! それに チャン付け嫌、私子供じゃない!」
直人:「何で、そんなに怒ってるの?」
私は照れ隠しで そっぽ向いたまま…
直子:「とにかく、洗濯物出して。」
直人:「洗濯物?」
直子:「一緒に洗ったげるから、」
直人:「良いよ、自分でするから、」
直子:「何時迄も部屋の隅に置いとかないで、その、臭くなっちゃうから…」
ゴメン、お兄ちゃん!
愚かな妹を許して! 本当はそんなに臭く無いよ!
直人:「えっ、悪い。 じゃあ、ベランダに…。」
直子:「とにかく、お兄ちゃんの面倒を見るのは妹の勤めなんだから。 早く貸しなさい!」
ちょっと引き気味のお兄ちゃんから 無理矢理 洗濯袋を奪い取る。
よしゲット!
自分の洗濯物と混ぜて、ベランダの洗濯機に放り込む。
勿論、脱ぎたての…「物」…は密かに回収、こっそりパジャマのズボンにしまい込む。
途端に晴れ渡る視界…
ああっ、なんて夜って色鮮やかなの〜!
丸一日分の匂いが沁み着いた「物」には、お兄ちゃんの不思議な退魔効果が乗り移っている。
興奮を悟られない様、厳かにベランダの窓を閉める。
直子:「あの、…恥ずかしいから、洗濯機の中、見ないでよね。」
直人:「分かった。」
直子:「絶対だよ!」
お兄ちゃんのパンツが消え失せてるの、知られたら大変だもの…
私は、そそくさとロフトに上がる
自然と口元がにやけて来る…
周りを見渡しても、怪しいサラリーマンも、包帯グルグル巻き小僧も、すっかり影も形もない!
ああ、これで平和に眠れる〜
なんて、幸せなの…。
直人:「頭乾かさなくていいの?」
直子:「う、うん。」
直人:「明日、学校の帰りにドライヤ買っておいで、少しなら、お金有るから。」
直子:「ありがと、…おやすみなさい!」
お兄ちゃん、優しい。 大好き!
私は布団の中にくるまり、密かに「物」の薫りに酔いしれる…
登場人物のおさらい
朝比奈直子:主人公
春日夜直人:お兄ちゃん、時々 闇払い師