エピソード11 言葉 <NaoTo Part>
朝比奈直子は二つの問題を抱えていた、一つは生きていないヒトが見えること。 もって生まれたシャーマンの体質の所為で、直子は不安や気配を実体化して感知する事が出来た。 それは時として直子を悩ませて、日常生活に支障をきたしていた。 そしてその不安の主な原因は、直子のもう一つの問題、自らの生い立ちと境遇に起因している。 直子は、小さい時分に育ての母親を亡くした。 周囲の大人たちは、育ての母親が死んだのは直子の産みの母親の所為だと責め立てた。 直子は育ての母親に対する罪の意識から、何時しか強迫観念にさいなまれるようになっていた。 自らの出生の負い目を精算する為に無意識の内に自分を貶める事で、自分を産んだ母親を貶めようとした。 自分は穢れている、壊れていると思い込み、そう在るように自らを痛めつけ、汚し、卑しめた、その痛みを引き受けてくれていたのが直子のもう一つの人格 黒い蝗だった。 5年前 加茂理夜が行った呪術により、黒い蝗の人格は切り離され、直子の奇行は抑えられたかに見えた。 しかし封印された黒い蝗の人格は直子のシャーマン体質によって別個の霊的存在として実在化し、その後も強い不安を感じる場面において 直子の前に出現し影響を与え続けていた、そうして、もう一人の産みの親の血を継ぐ人間 春日夜直人と接触する事で、黒い蝗を縛り付けていた封印が解かれ、隠していたもう一つの人格が直子を支配し始めた。
202号室は
電球ひとつ点けられる事無く 静まり返り、
まるで誰も居ないかの様に 暗かった。
素裸の少女が 浅いバスタブの底に横たわっている。
微かに上下する横隔膜が 彼女の生存を証明していた。
うっすらと目を開けた少女は、冷たい表情で僕を見る、
恐怖と憎悪と哀願の表情で僕を見る、
直子には、僕しか見えていない様だった。
この少女は、僕の知っている直子ではない。
しかし、この黒蝗も、同じ直子である事に変わりは無いのだ。
僕は 身体の自由を奪われて、操られるまま直子に近づき、
冷え切った素肌に触れて、引き起こし、抱きしめる。
かつてこれほど 心を惹き付ける裸体があっただろうか
かつてこれほど 情動を呼び起こす匂いが在っただろうか
そして少女は、僕の腕の中で失禁する。
まるでマリオネットの様に弛緩しており、死体の様に従順である、
そして、薄気味悪くニヤニヤと薄ら笑いを浮かべる。
僕は、暖かいシャワーで、身体を綺麗に流し、
丁寧に身体を拭いて、布団に寝かせる。
あれ以来、直子は喋らなくなった。
時折、ニヤニヤと笑うだけである。
僕は 再び202号室に戻り、直子と一緒に暮らし始めた。
直子は、あの時を境に まるで赤ん坊のように変わってしまった。
朝、僕はお粥を作って食べさせてやる、
直子はだらだらと口の端から零しては、ニヤニヤと笑う。
学校から帰ると、下の世話をする。
風呂場でオムツを仕替え、汚れた身体を洗ってやる。
そうすると、切なくなるのか 直子は僕を求めて縋る。
僕は、直子の求めるものを与える。
驚くほど僕は冷静だ、
ガラガラの映画館の真ん中辺の席を陣取り、だらしない格好でスクリーンを眺めているくらい冷静だった。
コマ送りされるフィルムの中で、僕と直子が抱き合っているのを見てる、
キスを繰り返し、指先を触れ合わせ、四肢を絡ませる、
地肌の熱を求め、体液の潤滑を求め、互いの内臓を充足を求める、
蟷螂の如く血と精の契約は成就され、全ての命を吸い取るかの様に、直子はじっと僕が果てるのを待つ。
それから、僕は
直子の美しい身体を拭いて、清潔な新しい服に着替えさせる。
髪を梳かし、口付けし、添い寝する。
寝顔は、
昔通り、出会った頃のままの可愛らしい直子だ、
僕は、寝顔の直子を抱きしめながら 眠りに落ちる。
直子は 時折僕の血を欲しがった、
僕はナイフで指の端を傷つけて、直子に吸わせてやる。
どうして血を飲みたがるのかは 結局分からないままだ、
直子は赤ん坊が母親の乳首にそうするように、僕の指を吸い続ける、
僕は、日に日にやせ細っていく直子の身体を膝の上に抱きかかえながら 虚ろに僕を見る直子の髪を撫でてやる。
直子はどうしても外に出たがらなかった、
僕が学校に行く時も、買い物に行く時も、仕事に行く時も、
見慣れた玄関まで見送りに来て、僕の腰に纏わり付く。
「あぁ」「あぁ」という声は、多分、「行かないで欲しい」「一人にしないで欲しい」という意味なのだろう。
僕はずっと直子と一緒にいる、
これからもずっと一緒にいる。
直子が僕を必要とし続ける限り、二人で生きていく。
お粥を食べさせ、汚れたオムツを仕替えて、身体を慰め、綺麗に洗ってやる、美しい髪を梳かし、抱きしめて寝かせ、時々血を吸わせる。
周りの人間はいろんな事を言うだろう。
でも僕は耳を傾けないだろう。
僕は直子の声だけを聞いてやれば良い。
みんなが、直子を要らない子だと言ったのなら、
僕だけは、直子の存在を肯定し、その苦しみに耳を傾けてやろう。
みんなは直子を穢れた子、壊れた子だという。
僕だけは、穢れた直子で癒されよう、壊れた直子で報われよう。
やがて時は流れて、
とうとう直子は枯れ枝のようにやせ細る。
いよいよ、最後の時を迎えようとしているのが解る。
僕は膝の上に直子を抱きながら涙を流す。
直子は不思議そうに それを指ですくって唇で舐める。
ニヤニヤと笑い、虚ろな目で僕を見る。
直子:「お兄ちゃん」
最後に一言だけ、
言葉を思い出したかの様に、…直子が呟いた。




