エピソード1 転落 <NaoKo Part>
南向きのベランダから 午後の日差しが 薄暗い6畳間に差し込んでいる。
私の全ての期待を嘲笑うかの様に、最も見たく無かったモノが其処に居て、無表情な眼で じっとりと 私の不安を覗き込んでいた。
これ迄の私の人生は、余り幸せなモノとは言えなかったと思う。
そもそもの原因は、私が小さい頃から少しヒトとは違っていたから。 私にはヒトに見えないものが見えた。 この世に生きていない人達の姿が見えた。
小学校に上がる前にママが死んじゃった …その悲しみとか ストレスがきっかけだって、お医者さんは言ってたみたい。
生きていない人達は 大まかに2種類に分ける事が出来る。 白っぽい半透明な人達と 暗い影に包まれている人達。
白っぽい人は、ただ其処に居るだけで 特に何も悪い事はしない。 だから安全。
でも、影の人には気を付けないといけない。 影のヒトは いつも私の邪魔をする。 私の傍に寄って来てうるさく騒いだり、わざと目の前に顔を近づけて視界を遮ったりする。 それよりも もっと気を付けないといけないのは、影のヒトに触られない様にする事。 影のヒトに触れられると、身体が痺れて 暫く身動きできなくなってしまうから。
だから、影のヒトを見つけたら 出来るだけ近付かない様にする事。 相手にならないで無視する事。 影のヒトは生きている人と見分けが付きにくいけど、ずっと何かを ブツブツ呟いているから それで生きていない人だって分かる。
もう一つは「御守」を身につけておく事。 私の「御守」は死んだお母さんが遺してくれたルビーのブレスレッド。 この「御守」を持っていれば、影の人は悔しそうに歯噛みするだけで 私に触る事が出来ない。 だから何処へ行くにも 私はブレスレッドを手放さない。 勿論 寝る時も、お風呂に入る時もずっと身に着けている。
そして、影のヒト達よりも もっとずっと注意しないといけない存在が居る。 いつも私の視線の届かない所から私を見張っている存在。 それは「黒い蝗」。 信じられないでしょうけど、「黒蝗」は人間くらいの大きさで、しかも後ろ脚で立っていて 油でギトギトに濡れたマントを羽織っている。
多分、正体は悪魔。
黒蝗が現れると、私の身の回りに必ず良くない事が起きる。 私の身近な人が怪我をしたり、病気になったり、悲しい目にあったり。
私が中学生の頃に、黒蝗が現れた時、私は 私の本当のママの事を知った。
その頃、ママが死んだ事に関係する遺産分与問題で 親戚中が何年もの間 口論を続けていた。 親戚のおばさんの一人が、「直子の本当の母親は春日夜直美だろ」って怒鳴っていたのを、私は偶然聞いてしまった。 パパの事を「裏切り者」だって罵ったりもした。 その晩、私は ママの写真を抱いて一晩中泣き続けた。
私は学校も休みがちだった。
小学校の頃から友達は居なかった、と言うよりも私はいつも皆から気味悪がられていた。 だから学校に行くのはとても憂鬱だった。
私が、生きていないヒトが見える事を「虚言癖」と信じた親達は 子供が私と遊ぶ事を禁じた。 興味本位で私の事をからかうヒトはいたけれど、大抵は頭のおかしい子だと思ってまともには付き合ってくれなかった。
そして「変わってる子」は 何時だって苛められる。 私の机には何時も汚い言葉が落書きされていた。 ロッカーや机の中の物はゴミ箱に捨てられていたし、代わりに腐った生ゴミやガラスの破片が詰められていたり。 でも、心配させたくなかったから そんな事 絶対パパには言わなかった。 体育の後、制服が「何か」で汚されていた時も、黙って持って帰って 誰にも見つからない様に こっそり自分で洗濯した。
幸い家は裕福だったから、必要な勉強は家庭教師から教えてもらう事が出来た。 それでも高校を受験したのは、私が丸っきりの引き篭りになる事をパパが望まなかったから。 パパは私に友達が出来る事を心から望んでいたみたいだけど、私にはそれがかえって辛かった。
そして 私が高校1年に上がったばかりの春、一つの転機が訪れた。
パパのお仕事が失敗して、私はそれまで住んでいた家から出て行かなくてはならなくなった。 しかもパパは、お仕事をやり直す為に共同経営者と一緒に南米に行く事になって、結局 私はパパの知り合いのアパートに住む事になった。 私の事を嫌っているクラスの皆から離れて、新しい公立の高校に編入する事になったのは、ちょっとだけ嬉しかったけど、
中でも一番 吃驚したのは、新しい家で、ある男の子と一緒に暮らす様に言われた事。 だって 同じ年頃の男の子と一つ屋根の下で しかも二人きりで生活するなんて、普通信じられない。 最初は 恥ずかしくて そんな事 絶対に無理だと思った。
でも、その男の子の名前を聞いて、私の心は変わった。
その男の子の名前は 春日夜直人。 そう、「春日夜」の姓と、私と同じ「直」の字、「直美さん」と同じ「直」の字。
私は、思い切ってパパに尋ねてみた。
パパ:「そう、お前を生んでくれた女性の子供だよ。」
パパは確かにそう言った。
パパ:「でも、忘れないで。 直子がこうして此処に居るのは、お母さん(朝比奈涼子)が居たからだという事を。」
直子:「…分かってる。」
私は、ブレスレッドを握り締めながら、心の中で何度もママへの感謝の言葉を繰り返した。
私の、お兄さん。 今まで会った事も無い兄、お兄ちゃん?
いつの間にか、私は、お兄ちゃんに会える日の事を 指折り数えるようになっていた。
それは春風の強い 晴れた日曜日だった。
町を見渡せる丘の上に、その小さなアパートは建っていた。
どんな人なんだろう、…自然と胸の鼓動が高まってくる。
礼子:「直子ちゃん、本当に綺麗になったわね。 覚えていないかも知れないけど、私 貴方が幼稚園の頃に 抱っこしてあげた事があるのよ!」
管理人さん は綺麗で、優しそうな おばさんだった。
直ぐさま 私を2階の部屋へと案内してくれる。
本当に、可愛らしい部屋…
礼子:「狭くってゴメンね、」
直子:「平気です。」
勿論、幾らお兄ちゃんだとは言っても、一つきりのトイレや お風呂、何一つ遮るモノの無い6畳間で一緒に生活する事に、まるっきり抵抗が無い訳じゃない。 パジャマ姿や もしかしたら下着姿だって見られちゃうかも知れないと思うと、知らず知らず顔が熱くなっちゃう。
けれども何故だか 恥ずかしい と思う気持ちは 余計に私の胸をドキドキさせる。
礼子:「ロフトを使わせてもらいなさい。 上から見下ろされるよりは、見下ろす方が良いもんね。」
ここに、お兄ちゃんと二人で暮らすんだ…。
そう思うと、何だかソワソワした気持ちが抑えきれなくなる。 何でだろ??
礼子:「お料理は出来る?」
直子:「はい、少しなら。」
幸い、料理や家事全般の勉強は たしなみとして専門の家庭教師が教えてくれていたから、…きっと大丈夫よね。 お兄ちゃんの為に お料理して上げられる事が、今は何だかとても嬉しい。
でも、この部屋の隅にも、視点の定まらない目つきで立ち尽くしている 影のヒト がいる。
私はブレスレッドを握り締めて、影のヒトから目を逸らす。
見ちゃ駄目だ。絶対に相手にしちゃ駄目だ。
気を紛らわせる為に、私は夕飯の買出しに出かける事を思いついた。
お兄ちゃんとの、初めての晩御飯。 何を作ってあげようかな。
直子:「あの、私 お買い物したいんですけど。」
私は礼子さんから 一番近くの一番お買い得なスーパーマーケットの場所を教えてもらう。
家から歩いて10分位、
スーパー「イチカワ」の店中は夕餉の買出しに来たオバちゃま達で賑わっていた。
直子:「じろじろ覗かないで下さい。」
買い物 籠を覗き込む 影のヒト にお願いする。 …本当に何処にでも居るのね、
後ろを歩いていたおばさんが いきなり声をかけられたのかと思って吃驚している。
イケナイ、イケナイ…
さてと、野菜売り場で値札とニラメッコ、
でももう、そんなに贅沢は出来ないよね。 モヤシ炒め? 玉子焼き? これからは家計の事も考えなきゃ。 私って健気でしょ!
喜んでくれるかな?
スーパーのビニール袋を提げて、とぼとぼ坂道を登っていく。
直子:「う~、この坂 結構良い運動になるおぉ…」、
途中、満開の桜が風に舞い散る 児童公園の前で立ち止まる。
直子:「綺麗…。」
…どうしよう、「妹です」って、自己紹介するのかな、でも お兄ちゃんは、きっと私が妹だって事を知らない。
もしも 知ったら、どう思うだろう
自分のお母さんが、お父さんとは違う男の人と子供を作ってたって知ったら…、嫌な想いするかな…、悲しむかな…。
やっぱり言っちゃ駄目だ。
これは、私の胸にだけしまっておかなきゃ駄目だ。
嬉しい反面、複雑な気持ち、
部屋の前に立つと、中から話し声がする。
男の人の声だ。 胸が、張り裂けそうに緊張する。
どうしよう、どんな人だろう。 背は高いのかな、格好良いのかな、優しいかな。
私の事、…どんな風に思ってくれるだろう、可愛がってくれるかな、
深呼吸して胸のドキドキを押さえ込む。
そうして、いよいよ、私は勇気を出してドアを開けた。
私が弱みを見せると、直ぐに 彼奴は現れる。
礼子さんとお話しする お兄ちゃんの背中に、…黒蝗が取り憑いていた。
登場人物のおさらい
朝比奈直子:主人公
春日夜直人:お兄ちゃん
中川礼子:管理人さん




