エピソード10 陰陽 <NaoTo Part>
窓のない 薄暗い廊下。
切れかかった蛍光灯が モールス信号の様に点滅を繰り返している。
僕は、壁にもたれ掛かり、
ピン、ピンと時折弾ける蛍光灯の音に耳を澄ませながら じっと待っていた。
やがて、看板ひとつ掲げられていない その事務所のドアが開いて、中から一組の男女が出て来る。 上品なスーツに身を包んだ男の子?が すれ違い様に僕の事を睨みつける。
そして同じドアから 綺麗な女性が顔を覗かせる。
瑠璃色がかった髪、芯の強そうな眼差し、スレンダーで黄金比なスタイル。
その女性、加茂・萬祓いモノ相談所コンサルタント、名を 北条文華と言った。
北条:「入って良いわよ。」
僕は、チラリと部屋の中を見回した…
直人:「今日は、あの猫耳メイドさんは居ないんですか。」
北条:「気に入ったんなら 持って帰っても良いけど、」
北条:「残念ね、…今日は仕事で外に出てるわ。」
僕は、直子の異常行動について、改めて北条先生に相談してみる事にした。 何と言っても、今回の現象について、最も良く理解している相談相手だと思えたし、一度はブレスレッドに御呪いをして 直子の幽体離脱を防いだ実績が有る。
電話での面会を申し込んだ際に、言い渡された条件は、「僕一人で来る事」…だった。
北条:「さてと、朝比奈サンのお兄さんだったっけ、」
直人:「春日夜です。」
北条:「最初に確認しておきましょう。」
僕は、衝立の奥のテーブルに座らされていた。
正面に座る 北条先生 の背後から ブラインド越しに西日が差し込んでいる。
北条:「ここはボランティアな お悩み同好会でも、公認の宗教団体でも、法律事務所でも、病院でもないわ。 何も保証しないし、そのくせ約束を守らなかった場合は それなりのペナルティを要求する。」
北条:「分かり易く言えば、法律の庇護が期待出来ない とても如何わしい団体よ。 料金は割高だし、当然保険も利かない。」
北条:「ここで、お茶飲んで私と世間話する処 迄は無料にしてあげる。 其処から先へ進むには「信用」と「お金」が必要。 一度契約を交わせば、引き返す事は許さないわ。」
北条:「どうする?」
どうするも こうするも、僕には他に手の打ち様が無い…
直人:「お願いします。」
北条:「それで お金は用意できるのかしら? 成功 如何に関わらず 掛かった費用は全額支払いよ。 勿論ローンもクーリングオフも無し、」
僕は、鞄から現金の束を取り出して、テーブルの上に置いた。
直人:「用意しました。 150万円あります。」
北条:「金額は内容によるわ、ブレスレッドの御呪いなら150万円、それ以上なら別料金がかかる。 先ずは契約書を取り交わしましょう。」
北条先生が取り出して来たのは、二枚のA4用紙だった。
北条:「内容を確認して、問題なければ 此処にサインして。」
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業務委託契約書
_______を甲、加茂理夜 を乙として、甲乙間に次のとおり、業務委託契約を締結する。
(契約の成立)
第1条 甲は、乙に対し、業務を委託し、乙はこれを受託した。
(業務内容)
第2条 甲乙は、協議のうえ業務内容の細則を別途定めるものとする。
(中間報告)
第3条 中間報告は実施しない。
(成果報告)
第4条 本業務は___年___月___日を期限とする。 乙は同日迄に甲に対し、最終結果報告を実施するものとする。
(委託報酬)
第5条 本委託報酬は、成果の如何に関わらず、掛かった費用に基づいて乙が請求する金額を甲が次のとおり支払う。
(1)本契約時 内金______円
(2)最終結果報告時 残金
(秘密保持)
第6条 甲乙は、本業務に関する一切の事項を第三者に漏洩せず、厳に秘密を保持するものとする。
(解約)
第7条 甲は、任意に本契約を解約する事は出来ない。
(効力)
第8条 甲が、債務不履行に陥った場合、乙は甲に対して損害賠償を請求する事ができる。
以上のとおり、契約が成立したので、本書面2通を作成し、甲乙各1通を保有する。
___年___月___日
甲
_____________
乙
加茂・萬払いモノ相談所
代表 加茂理夜 ____________________
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北条:「期限は、今日から2週間としましょう。」
北条:「本契約時の内金は、今用意してくれた150万円で良いわ。 最終報告時に過不足を清算する事にしましょう。」
直人:「因に、この損害賠償って何なんですか。」
北条先生が、幾つかの空欄を埋めて行く。
北条:「これはビジネスだから、契約を守らない相手をそのままにしておくと、他の契約者との信用関係にも悪影響が出て来るの。 厳しい様だけれど、きっちりペナルティは支払ってもらうわ…」
北条:「…貴方の魂を貰う。」
一瞬、北条文華の瞳が妖しい光を孕んだ様に錯覚した。
僕は、当然…耳を疑う。
直人:「魂…って?」
北条:「法に庇護されていないのは、私達も同じよ。 だから 超法規的に契約に対する拘束力を持たせる訳。」
直人:「でも、魂を奪うって、どういう意味なんですか。」
北条:「正確には、貴方の魂を封印させてもらう。 仮に魂を封印された場合、貴方は意思を持たない生活者になる。 まあ、具体的には重度の認知症みたいな状態に陥る事になるわ。」
直人:「意味が、分からない。」
ふざけているのか?
それとも、これは 何かの象徴的な儀式なのか?
魂で契約って、まるで悪魔?? ミタイじゃないか、
北条:「シンプルに、貴方が 自分の人生を掛けられるか、掛けられないかと言う事よ。 リスクが高い、信じられないと思うなら、止めておく事ね。」
北条:「最後にもう一度だけ聞くわ、やるの、止めるの?」
直人:「やります。」
北条:「ならサインして。」
僕は、契約書に署名を認める。
北条:「良いでしょう、契約成立よ。」
北条は一通を封筒に入れて僕に手渡し、一通は衝立の向こう側に持ち去った。
それから 暫くして、紅茶セットを載せた お盆を運んで来る。
北条:「ゴメンなさいね、今日は珍しく皆出払っていて大したおもてなしは出来ないけれど。」
まただ、この事務所で出される飲み物には 何か独特の匂いがする。
決して不快ではない、ふわっと心の重しが取れる様な 不思議な薫り、
北条:「それでは、本題に入りましょう。 先ずは、何が問題なのか聞かせてくれるかな。」
僕は、最近の直子の様子と、昨日の出来事の詳細について説明した。
北条:「ふーん、憑依現象が出て来始めている訳ね。」
北条:「成る程、黒い蝗ね。」
僕の話を聞きながら、美人コンサルタントは何やら頭の中を整理している様だった。 要所要所で人差し指を立てたり、折り曲げたりしている。
北条:「もともとシャーマンの能力は大雑把に言って二つに分類されているの。 魂が抜け出す「脱魂」と、霊に身体を乗っ取られる「憑依」の二種類ね。 これ迄 直子さんは脱魂型だったのだけれど、此処へ来て憑依型も発現して来ていると言う事ね。」
直人:「憑依って、悪霊に取り憑かれるみたいな奴ですか。」
映画とか、お盆のテレビ特番で見た事が有る。
大抵は、悪霊に取り憑かれた人間は、自分の意志とは関係なく破壊的な行動で自らを破滅に追い込んでしまう。
北条:「そう、自分とは別の人格に身体を支配されてしまう事よ。 多重人格とも言うけど。」
多重人格? なのだとすると…
直人:「…精神病か何かなんですか。」
北条:「何でもかんでも病気にするのは良く無い考え方よ。 全ては人間の脳が 必要に迫られてやっている事なのだから、 それが社会に適合出来ないからと言って一括りに悪モノ扱いして排除してしまうのは好きじゃないわ。」
だからと言って、このまま放置しておく訳には行かないだろう…
直人:「必要に迫られてって、僕の血を吸う事がですか? 」
北条:「そう、まるでサキュバスか吸血鬼みたいね。」
直人:「このままじゃ、いつか直子は僕を傷つけちゃう。」
そんな事は、絶対に直子も望んでいない筈…
北条:「お兄さんは嫌なの?
…直子さんに血を吸われるのは 嫌なのかしら?」
直人:「えっ?」
僕は、耳を疑った。
…そう言う考え方を した事は無かった。
北条:「ごめんなさい、ちょっと聞いてみたかっただけ。」
キョトン顔の僕に向かって、美人のコンサルタントが微笑む。
北条:「その、直子さんが唾液を飲みたがるとか、血を吸いたがるとか言う話だけど。 …別に体液を飲んだからと言って、実際に生化学的にどうかなっている訳では無いわ。 あくまでも彼女のイメージの問題よ。」
北条:「でも、イメージは脳からの命令伝達機能だから、人体組織は比較的素直に反応して、従うわ。 病は気からとか、恋煩いとか、フラシーボ効果とか言われている様な現象も同様ね。」
北条:「所詮人間は 自分の脳が決めた設定に忠実に生きているのよ。 シャーマニズムも 狐憑きも 中二病も同じ事。 でも、それを一つ一つ否定して画一的なモノにする事が必ずしも良いとは 私は思えないわ。」
直人:「僕には、先生の言っている意味がよく分かりません。 …僕は、直子に普通の生活が出来る様になってもらいたいだけなんです。」
北条:「普通って、何なのかしら。」
北条:「貴方が普通だと思い込んでいる事も、貴方の脳が決めた 貴方だけの設定に過ぎないのよ。」
そう言うと、北条先生は 紅茶のカップに付けて濡らした人差し指を …そっと 僕の額に押し付ける。
北条:「例えば、今 貴方には私がどんな風に見えているかしら?」
先ず…その時 僕が感じていたものは、正直に「恐怖」だった。
理解を越えたものが、現実に目の当たりにされている。
北条:「そんなに恐ろしい顔をしないでよ、自分では可愛い方だと思ってるんだけどな…、ちょっと傷ついちゃうわね。」
僕の額に人差し指を押し付けているのは、紛れも無く…
直人:「…小学生位の女の子、に見える。」
女の子は、クスクスと無邪気な笑顔で僕に笑いかける。
北条:「脳が処理しなければならない情報は余りにも多い。 だから脳は 色んな勘違いをごちゃ混ぜにして、破綻しない範囲でデフォルメしながら世界を構成しているのよ。 貴方の脳が見ている世界と私の脳が見ている世界は驚く程違っているの。 貴方が普通だと思い込んでる世界だって、この程度のものよ。」
北条:「本当は、直子さんが見ている世界が真実で、貴方は真実に気付けていないだけかも知れないって事よ。」
人差し指を外すと、再び其処には綺麗な大人の女性が出現する。
直人:「先生は、…一体何者なんです。」
北条:「聞いてなかったの? 私が何者かは貴方次第よ。」
でも、仮に直子の感じている世界の方が真実なんだとしても、直子が苦しんでいる事には変わりはない…
直人:「…直子は僕の唾液を飲まないと幽霊に襲われると言っていて、このままでは、僕無しではまともな生活も送れない状態なんです。」
直人:「何とか、霊に襲われない様にする事は出来ないでしょうか。」
北条先生は、一束のファイルを持って来て 中身をテーブルの上に散撒く。 写真、書類、そして 見覚えの有るブレスレッド。
北条:「5年前かな、直子さんのお父さんも同じ事を依頼して来た。 霊を封じる事は出来るわよ。 前にやったみたいにブレスレッドに退魔効果を持たせる様なやり方はある。」
北条:「でも、この憑依や脱魂は直子さんにとっては異常な事ではないの、それを無理矢理に押し込める事は、直子さん自身を封じ込めているのと同じ事なのよ。」
先生は一枚の写真を僕の前に差し出して見せた。
北条:「5年前、最初に此処に訪れた時の直子さんは、今の様な か弱い女の子では無かった。 もっと、攻撃的で、自暴自棄で、被害妄想に捕われていた。」
北条先生が「直子」だと言う写真の女の子は、明らかに反抗的で病的な表情をしていた。 目の回りには深い隈が出来ており、視線は定まらず虚ろなまま撮影者を睨みつけ、 口元はだらしなく緩んで薄ら笑いを浮かべている。
どう見ても、直子本人だとは信じられない…。
北条:「彼女の中では、自分はそうでなければならないと言う信念が出来上がっていた。 自分は悪魔の手先で、心が穢れていて、頭が壊れている。 だから、お母さんは死んだのだ、とね。 彼女自身がそう言ったのよ。」
北条:「学校で狂気を演じ、度々生き物の屍骸を教室に持ち込み、授業中に失禁・嘔吐を繰り返した。 クラスメイトに恐怖を与え、精神的な苦痛を負わせ、気持ち悪がらせた。」
北条:「直子さんの父親はそれを悪霊の所為だと考えた。」
北条:「悪霊を封じれば直子さんは普通に戻ると考えた。」
…誰か、別の人間の話をしているんじゃ無いのか?
…直子が、そんな 変な奴の 筈が無い、
北条:「皆が悪霊だと思っているペルソナを切り離して封印する事は出来た。 直子さんは見た目上は、普通になった様に見えた。」
北条:「彼女が「自分は影に包まれている」と思っているのは、彼女自身を束縛している「封印」の事よ。 「影のヒト」だと思っているのは、擬人化した彼女の不安。」
北条:「そして「黒い蝗」は、封じ込められた直子さん自身よ。」
北条:「彼女のシャーマン体質が不安を実在化させるの。」
…全然着いて行けない、
…意味不明?
北条:「貴方の唾液を接種する事で影のヒトが消えるのは、不安を感じなくなるから。 世界が明るくなるのは「封印」が解けるから。 貴方に近づいてブレスレッドの効力が無くなったのも同じ事。」
北条:「直子さんは、貴方に接近する事で、封印されたもう一つの自分を解放しているのよ。」
北条:「でも、本質的な問題は解決していない。 だから、破滅的で穢れて壊れている自分は、相変わらず異常行動をとるのよ 。」
何で…
直人:「…其処迄分かっていて、どうしてもっとマシな方法で治療出来なかったんですか。」
北条:「何度も言うけど、これは治療ではないわ、歯列矯正ミタイなものよ。 それを彼女の父親が望んだ。 直子さんの父親は、直子さんが歪んだ歯である事を認められなかった。」
北条:「そして貴方も、醜い直子さんを認めたく無いみたいね。」
北条先生の視線は、まっすぐに僕の本心を貫いている。
見透かされている。
直人:「…でも、今の直子を見ていると、どうしても 生まれた時から狂っていたとは思えない。」
北条:「そうね、」
先生は、ファイルから取り出したブレスレッドを僕の前に差し出した。
北条:「5年前、私達は 直子さんを歪ませている原因を、「彼女の育ての母親の死に対する極端な迄の自責の念」だと考えた。 だから、彼女が育ての母親から恨まれていない、許されている、愛されていると刷り込む為に、育ての母親の形見であるブレスレッドを使ったの。」
北条:「これは、そのオリジナルのブレスレッドよ。 今直子さんが持っているのは、私達が特別な仕掛けを施したコピー。」
北条:「でも、貴方が直子さんに与える影響をから、もう一つの可能性も再考する必要が有ると分かった。」
北条:「それは、生みの親に対する怒り。 自分を見捨て、苦しめ、不幸にした事に対する怒り、拗ねた感情、屈折した反抗、甘え、」
北条:「彼女は 産みの母親に恋いこがれ、忌み嫌っている。」
北条:「同じ血が流れている貴方に対する異常な反応は、そう言ったイメージに関係している可能性がある。」
北条:「もう一度聞くわ、」
北条:「貴方は、直子さんに 血を吸い尽くされて死ぬのは嫌かしら?」
北条文華が…妖しい美貌で魅了する。
僕は、何時の間にか 身体も、意思も、その自由を奪われてしまった様だった。
登場人物のおさらい
春日夜直人:主人公
北条文華:加茂・萬祓いモノ相談所のコンサルタント、元・陰陽師の巫女




