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第二章:平凡な撃墜王

「どういう意味です?」


俺は分からないで訊ねた。


平凡な撃墜王・・・・・・・


ウォルター氏は自分をそう言った。


その意味が分からない。


撃墜王になった者たちは、それぞれの渾名や異名などを持つ。


ウォルター氏の渾名は“平凡な撃墜王”だ。


これが渾名と言えるのだろうか?


いや、それ以前に意味が理解できない。


「そのままの意味だよ。私は確かに10機を撃墜して撃墜王となった。しかし、それだけだよ」


「・・・・・・・・」


まだ分からない。


10機を撃墜する。


高が10機と思うだろうが、それがどれだけ辛くて難しい事か・・・・・分からないだろうな。


空戦とは陸戦などのように目印があり、敵が直ぐに見つかる訳ではない。


いや、陸、海、空の全てに当たるが、空戦は顕著かもしれないな。


大空を飛び回りながら敵機に会える“運”が必要だ。


そして自分の眼だけでなく友軍機などの証言も必要で、それが証明されなくては撃墜数には数えられない。


特にドイツなどでは、そこ等辺が厳しかった。


しかし、それのお陰でちゃんと何機撃墜できたのか分かった訳だ。


そんな空戦でウォルター氏は成し遂げた。


10機撃墜して撃墜王の称号を得たんだよ。


だが、まるで自分は大した事ないと言っている。


その意味が理解出来なかった。


「これから私が何で平凡な撃墜王、と自嘲交じりに言っているのか知るだろう。その前に質問だ」


「何でしょう?」


「君も知っていると思うが、歴史上において最も多くの敵機を撃ち落としたのは誰だと思う?」


「・・・ハルトマン、ですね」


黒い悪魔の異名を取った第二次世界大戦のエース中のエース。


“エーリッヒ・アルフレート・ハルトマン”


大抵はハルトマン、と言えば通じる。


その人物が頭に浮かんだ。


1942年10月に東部前線の第52戦闘空団---JG52に配属となり敗戦まで戦い続けた。


黒い悪魔の異名は“メッサーシュミットBf 109G型”の機種に黒いチューリップのマーキングをした事から名付けられた。


「彼の撃墜数は幾らかね?」


「・・・352機です」


東部前線で彼はソ連戦闘機を一撃離脱で352機も撃墜した。


これが史上最多の撃墜数だ。


坊や---ブービーと渾名される童顔からは想像できないだろうが。


ただ、場所が東部戦線の上に一日に10回以上も出撃させられる、なんて事も当たり前だった事も考えなくてはならない。


普通なら地上任務などに回されるのにされなかった。


それだけドイツ軍は追い詰められていた証拠である。


「ハルトマンに比べて私はどうだい?」


何時の間にか葉巻を取り出して吹かし始めたウォルター氏は俺に問いを投げた。


・・・・撃墜王となれる最低数が10機。


「分かったようだね?私は撃墜王になれる最低数しか無いのだよ」


「それは諜報部員となった事もあるのでは?」


ウォルター氏は飛行機乗りから諜報部員となった。


諜報部員にならず飛行機乗りとしてやっていれば、10機以上は撃墜できたかもしれない。


「それもあるね。しかし・・・・・もう飛行機に乗りたい、と思わなくなったのだよ」


「どういう事です?もしかして、宿命のライバルと関係が・・・・・・・・・・・・」


ウォルター氏は葉巻を灰皿に置いて紅茶を飲んで喉を潤した。


「その通りだよ。バトル・オブ・ブリデンで私は彼を3回撃墜した。同じ相手を、だ」


「・・・・・・」


「しかし、逆に私は7回も撃墜された」


「・・・・・・」


「北アフリカでは、10回も撃墜されたよ。私以外の者も、ね」


「誰なんです?」


何時もなら人物を頭の中に入れたデータから割り出せるが、興奮したのか訊いた。


「・・・“アフリカの星”と言われた史上最年少の大尉マルセイユだよ」


「あの、星の王子とも言われた北アフリカ戦線のエース・パイロットが、貴方のライバルなのですか?」


この言葉には驚いた。


アフリカの星と言われた“ハンス・ヨアヒム・ヴァルター・ルドルフ・ジークフリート・マルセイユ”は17世紀末にフランスからドイツへ亡命したフランスの新教徒の末裔だったらしい。


1938年11月にルフト・バッフェに入隊し、その2年後である1940年8月にバトル・オブ・ブリデンに参加した。


その時に7機を撃墜しながら6回撃墜された。


初陣でそれ位の実力があった・・・つまり生まれながらのエースとして素質があった訳だな。


そして1941年2月に第27戦闘空団---JG27に配属となったが、それ以前は良い上官に恵まれなかったのか、素行不慮などで昇進が遅れたし独房にも入ったらしい。


JG27に配属された時は最年長の少尉だったが、そこからは良い上官に恵まれて才能が開花した。


ある人物はハルトマンとマルセイユをこう評した。


『ハルトマンが堅牢ならマルセイユは天才だ』


ある意味では正しい。


ハルトマンが新米でも一定数の戦果を出せる一撃離脱を好んでいたのに対して、マルセイユは格闘戦---“ドッグファイト”を好んでいた。


ドッグファイトとは読んで字の如く犬の喧嘩だ。


犬は喧嘩する時、相手の尻尾を追う。


戦闘機に到っても相手の背後を取り機銃を撃ち込む。


それが転じてドッグファイトとなった訳だ。


マルセイユはそれを得意とした。


しかも、彼は“未来予知”とも言える射撃の凄腕だった。


『彼が射撃した方角へ敵機は自ら飛び込んで行くようだった』


なんて言葉もある程に偏差射撃の天才だったんだよ。


正にその通り・・・・彼は何処へ敵機が飛ぶのか予測して、弾丸を撃ち込んだ。


敵はその予測通りに跳んで撃墜されたんだよ。


彼の実力を表す逸話にこんな物がある。


整備兵が機関銃の弾薬を調べたんだが、一機あたりに10発から15発しか使用していなかったんだよ。


後は6機の敵機に対して20センチ砲弾を10発、7.9mm機銃弾を180発で撃墜した、なんて話もある。


彼の真似をしようとした者もいるが、大抵は出来なかった。


正に天才の証だ。


話を戻すと北アフリカ戦線で彼は撃墜数を増やして行き、エースの特典である特定機を得た。


乗機であるメッサーシュミットBf109F-4/Tropには黄色の14が描かれていたらしい。


意味は第三中隊の14号機で色は黄色で数字は14。


1941年から1942年以降に搭乗していたと言われている。


これが彼のシンボル・マークとなり敵味方合わせて名を広めた。


他にも容姿端麗な事もあってか女性からの支持は絶大だったらしい。


帰国したら名だたる女優と浮世名を晴らしたなんても言われている。


『砂漠の王子様』


とラブレターが来たら、それはマルセイユ大尉だな、と戦友たちは言ったようだ。


・・・・・そこ等辺は羨ましい。


まぁ、俺の愚痴は置くとして・・・・・・・・・・・


1942年9月1日には1日に17機も撃墜した。


そして同年9月16日にはドイツ空軍最年少の大尉に昇進したと言うから凄過ぎる。


しかし、彼の悲劇はそこからだ。


大尉に昇進してから半月後の1942年9月30日午前11時35分に・・・・戦死した。


敵機に撃たれた訳じゃない。


新しく受領して間もなかった“メッサーシュミットBf109G-2/Trop”がエンジン故障を起こして墜落死だ。


瞬く間に現れて流星の如く消えて行った。


アフリカの星というのも伊達ではない。


そんな彼とウォルター氏はライバルだったのか・・・・・・・・・


「まぁ、あくまで私が勝手に思っていた事だ。しかし・・・・彼は私を覚えていた」


「?」


「今から話す事だが・・・彼には助けられたのだよ」


砂漠の海で・・・・・・・・・・・・


そしてウォルター氏はまた話し出した。


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