第九章:基地に帰らなくては
夜となった。
どうやら、私はあのまま寝ていたようで起きて見たら辺りは暗かった。
「・・・不味いな」
寝てしまったのは悪くないが、夜になるまで寝ていたのは頂けない。
もし、こんな所を敵軍に見つかったら間違いなく捕虜だ。
だが、それはなかったのは幸いである。
「・・・・基地は向こう、か」
星空で方角を調べた私は素早く移動を開始した。
歩きながら携帯食料を口にする。
何度も噛みながら空腹を抑えて歩き続けた。
歩いても寒い。
冬用のコートが必要だが、そんな物は無い。
だから、歩く事で寒さを凌ぐしかないのだ。
この国ほど昼と夜の温度が違うのは異例と言える。
我が国---イギリスは、ここまで温度差はなかった。
下らない事を考えているのも、少しでも寒い事を無視しようとしているからに他ならない。
昼間の熱さが恋しい位だった・・・・・・・・・・・
それでも私は立ち止まらずに歩き続ける。
何としてでも基地へ帰るんだ。
そして、もう一度出撃する。
今度こそ僚機と皆に見てもらうんだ。
私が撃墜する所を・・・・・・・・・・・
星空が段々消えて行く。
何気なく空を見上げたら、夜が明けようとしている。
これで寒さとは暫しの別れだな。
代わりに熱さが来る。
しかし、今の私には熱さの方が恋しかった。
直ぐに夜は明けた。
まるで夜は早く消えろ、と言わんばかりに・・・・・・・・・・・
熱い・・・・・・・
朝になった途端、私は猛烈に汗を掻き出した。
直ぐに帽子に布を巻いて、出来るだけ肌を露出させないようにする。
熱さは尋常じゃなく、肌を露出させるだけで軽く火傷しそうだ。
だから、こういう所に住む者達は出来る限りダブダブした衣服を身に纏っている。
そうする事で肌の露出を抑えつつ、風を受け入れ易くしているのだ。
陸軍では半ズボンを穿いているらしいが、私は長ズボンだ。
肌にピッタリと張り付いたズボンは既に汗で下着と共にグショグショとなっている。
気持ち悪さが来るも、汗は止まらず流れ続けて私の水分を奪い取って行く。
水を飲もうとした時だ。
突然、ジブチが私を襲った。
直ぐに水筒に蓋をして蹲る。
顔などを布で覆い、熱砂を遮った。
どれ位、時間が経過しただろうか?
やっと熱砂が去った。
私は砂を振り払い、水筒の蓋を開けて水を飲んだが・・・・・・・・・・・・
「ゲホッ・・・・ゲホッ・・・・ゲホッ・・・・・・・!!」
何と、砂が大量に水筒の中に入り水を吸い取ってしまった。
そうとは知らず口に含んだ為、私の口内は砂に塗れた。
しかも、熱くて私の口内は火傷寸前だ。
体内に備蓄されている水分も吸い取られた気がする。
これで水は無くなった・・・・・・・・・
その上、体内の水分さえ少なくなった。
「くそっ」
怒れば体温も上がり、余計な体力を消費する。
それを知りながら私は怒りに任せて水筒を捨てた。
力無く水筒は砂の中に埋もれた・・・・・・・・
私もこうなるのだろうか?
力尽きて、誰に看取られる訳もなく、熱砂に塗れて日干しの死体となるのか?
否・・・・・・・・・・
「必ず生きて帰るぞ」
水筒を諦めた私は歩く事を再開する。
何としてでも基地へ帰るのだ。
それだけが私の折れそうな心を支え続けた。
だが、その気持ちさえ何時まで持つのか私には判らなかった。
何より今の戦況がどうなっているのかさえ分からない。
如何に物量でドイツを圧倒しようと、必ず砂漠の狐は逆襲をする。
そうなれば、司令部は後退して私の歩く距離は伸びる。
何としてでも基地へ帰らないといけないが、その基地が出撃前の場所にある事を願うしかない。
頼むからあってくれ・・・・・・・・・・・
切に願う私だが、ふと空を見上げる。
微かに聞こえるエンジン音。
上だ。
空だ。
このエンジン音は友軍の飛行機だ。
遥か上空に飛行機が飛んでいる。
「おーい、ここだ!!」
出来る限り私は声を出す。
熱い中で、声を張り上げる為に必然と掠れて行く。
水分も奪われて行く。
それだけでは駄目だ。
RASF リー・エンフィールドを空に向けて撃つ。
バンッ
乾いた音が砂に木霊する。
飛行機はこちらを向かない。
一発だけでは駄目だ。
何発も空に撃ってこちらの存在に気付いてもらうとした。
一発撃ってはボルトを動かして、空に向かって撃つ。
その動作をしている間に飛行機は離れて行く。
早く・・・早く・・・早く!!
急いでボルトを動かそうとすると、上手く出来ない。
焦らずやれ。
身体に言うが、身体は焦って撃てない。
そうする間も飛行機は飛んで行く。
私は何度も焦りながらも撃った。
しかし、現実は虚しくて残酷だった。
幾らやっても、エンジン音と遥か上空には私の声も、銃声も聞こえない。
飛行機は私の存在など知らないで・・・・消えて行った。
「・・・・・・」
私は膝をついた。
何て事だ・・・・・・・・・・
友軍に気付いてもらえなかった。
それが酷く悲しかった。
だが、私も彼と同じ立場だったら、きっと気付かなかっただろう。
恐らく私も彼のような事をした筈だ。
敵か味方か・・・・或いは両方が、声を出し空に向かって銃を撃つ。
必死な声と行動を地上でしている。
それなのに私達は気付かずに飛んで行く。
それを見る時、彼等はどんな気持ちだっただろうか?
今なら理解できる。
これほどまでに悲しい事はない。
私は茫然として、日光を浴びた。
歩く気力が無くなりかけた。
まだあるが、さっきの事に未だ立ち直る事が出来ない。
嗚呼、なんて私は弱いんだ。
さっきまで基地へ帰るんだ、と意気込んでいたのに・・・・・・・・・・・
その時だ。
『必ず司令官殿に、撃墜王の名を差し上げます』
司令官に誓った言葉が頭を過る。
そうだ。
司令官に撃墜王の名を差し上げる、と私は誓ったんだ。
騎士ではないが、誓いは立てた。
そして誓いは何があろうと守らなくてはならない。
「・・・基地へ帰らなくては」
私は幽霊のように力なく立ち上がり、歩き出した。
もう歩くのに邪魔な物は全て捨てた。
少しでも速く歩けるように・・・・・・・・・・
身が軽くなるように・・・・・・・・・・・・・・
本物の幽霊のように私は昼も夜も歩き続けた。
時間も日付も分からない。
ただ、基地の方角を目指して歩き続ける。
こんな事をすれば、直ぐに体力は消耗してしまう。
当たり前の事だ。
それを私は知っていたが、身体は基地を目指す。
もう、どんなに頑張っても体力は持たない。
身体は、それでも動いている。
誓いを守ろうとしているんだ。
悲鳴を身体が上げる。
それなのに身体は動く。
最早、私の意志は無い。
ただ、誓いを守る。
それだけが独立して私を動かしているんだ。
またジブチが私に襲い掛かる。
そんな中でも私は歩き続けていた。
眼を開けている為、砂が身体に眼を通して身体に入る。
痛い。
痛くて眼を覆いたい。
眼を覆いたいのに、それでは眼は開けられている。
前を向いて歩き続ける。
遥か彼方にある基地を目指して・・・・・・・・・
しかし、限界が来た。
足が力無く砂上に落ちる。
足だけでなく身体全てが砂上に落ちた。
顔が熱い・・・・・・・
それなのに、その熱さに身を任せて良い、と思った。
ジリジリ、と太陽が私を焼く。
このまま日干しになるのか・・・・・・・・・・・・・・・
それで、良いか。
もう、撃墜王でなくても良い。
司令官に会わなくても良い。
両親に会えなくなるんだ。
ミス・マリアとも会わなくて良い。
もう・・・・楽になれるんだ。
良いだろう。
私は十分に頑張ったんだ。
ここで死んでも良い。
この砂上に飲み込まれて死んで良いだろう。
そこで私は意識を失った。
ただ、途切れる前にメッサーシュミットBfのプロペラ音が聞こえた。
それが幻聴だったのか、どうかを確認する前に私は、ついに意識を失った。




