勿忘草(わすれなぐさ)
あなたは最後に、「ありがとう」と言った。
私と主人が出会ったのは、ずいぶん昔の話だ。私も主人も共に若かった。休みの日に限らず、毎日いろんな場所に二人で出かけた。写真もたくさん撮った。私のどこが好きなのか、聞かなくても知っている。すべて話してくれたから。
艶かしい肌と、スリムな体が好ましいと言ってくれた。主人は私にスカートをはかせた。リップを付けて目も青くした私は、どんどん主人好みに変身していった。時に丁寧に、そして時には荒々しく私をあつかう。今までにさまざまな主人の感情を、私は素直に受け止めてきたのだ。
最初の頃、主人はとても優しかった。いつも私を気にかけ、振り向いてくれた。私が傷付きへこんだ時は、自分の事のように落胆した。
主人が元気なく、瞳を潤ませる時は、卵を温めるように、包みこみ慰めた。主人が愉快に笑い、陽気に歌を口ずさむ時は、私は至福の喜びを感じずにはいられなかった。
しかし今の主人はすっかり変わってしまった。いつから主人は、私にこんなにも冷たくなってしまったのだろうか。私が深く傷付いたとしても、見て見ぬふりをするようになった。
私の体が、調子を崩してしまってからだろうか。何度診てもらっても、一向に良くならない。確実に力なく、日々衰えていく。主人の気持ちに応えたいが、心が私から離れていくのがわかる。それがとても、寂しく思えた。
だけど私の気持ちが変わることは決してない。どんなに放っておかれようと、嫌いになって捨てられようと、私に興味がなくなって、他に好きな人が出来たとしても……。
そして、ついに別れの時が来てしまった。この世の中、永久不変を望んでも叶わない事は、生まれた時から理解している。だからこそ絶頂に価値を見出せる。思い出に出来る。
私は忘れない。私を捨てたことを恨みはしない。憎んだりもしない。いえ、むしろ主人に出会えた事に、心から感謝している。私の望みはひとつだけ……。
「願わくば、いつまでも私の事を忘れないで欲しい」
初めて手に入れた愛車は、今でも特別な思いがあります。よろしければご意見やご感想をお聞かせください。




