矢車菊
自分が目を覚ますと、まず自分の顔が目に飛び込んできた。
否、正しくはそうでない筈だが、そう見えた。胸の上で手を組み、心持ち青白い顔をこちらに向けて、白い着物の自分は床の上に身体を伸べていた。その自分を、この自分が天井当たりで見ている。黒々とした短い髪が、枕の上で所在投げに縮こまっている。
他人の空似かとも思ったが、この部屋も、すぐ側にあるマホガニーの机の傷も自分のものであるし、自分の家にそう都合よく同じ顔の人間がいるとは思えないから、この男はやはり自分なのだろう。
自分の体が自分を置き去りにしていった。
これが噂に聞く幽体離脱というものなら、まるで浮気な男の言い訳か出来の悪い哲学だと、無機的な自分の顔を見ながら笑っていると、襖をすべらして、喪服の女が一人部屋の中に入ってきた。胸に赤ん坊ほどの壷を抱えている。自分はその壷の中身がひどく気になった。胸騒ぎにも似た感覚だった。
自分の位置からは、女の表情は見えず、結い上げた髪の分かれ目が、白くくっきりとあるのが見えている。
目の前の自分と同じくらい青白い顔をうつむけて、女は自分の脇に座ってその顔を見ている。その肌の艶やかさを、自分はこの世の始まりから知っている気がした。
ずいぶん長いこと見つめるものだと思っていると、女はおもむろに、目の前の自分の帯を解いて、白い着物を広げた。
衣擦れの音と共に、ややたるみかけた腹がさらされ、自分は息を呑んだ。
白い皮膚が続いている筈の腹の真ん中に、ぽっかりと大きな穴が開いていた。皮一枚の下に、たっぷりと血と臓物を詰め込んでいるはずのそこには、何の必然性も無く、明瞭に暗い穴があるばかりである。
決して人体には存在せぬその器官の暗さに、自分は、それが人形だと悟った。
寿命の切れかけた電灯が、ジジッと音を立てて点滅した。
女は壷の中に手を入れて、中のものを自分の腹の中にあけ始めた。
白く、朧な光すら発しているような手から、さらに儚い白さの物体が零れて、からりからりと音を立てながら腹の中に積もっていく。
自分は身を乗り出して、奇妙な懐かしさを感じるそれが何かを見定めようとした。細長く、口に入れて噛んだら、さくりと崩れそうな、砂糖を固めたような白さであった。ある程度積み重なると、カタリと音を立てて崩れる。
骨であった。
やがて、壷の中身を全てあけ終えた女は、今度は喪服の袂に手を入れ、その中のものを自分の上にまき始めた。
冗談か手妻の様に、次から次へと出てくるそれは、首から手折られた花であった。青い炎のような色をしていた。
ぽすり、ぽすりと、女の白い手に、床の上に、人形の上に、骨の上に、夜明けの空の色にも似た矢車菊が落ちた。
自分は唐突に、目の前の人形が棺であることを理解した。砂糖菓子のような骨は自分のものであった。古の少年王の幼い妻がそうしたように、女は生きた姿のままの自分を、矢車菊で葬送っているのだ。
蝋人形とも、生き人形でもない、まさしく自分そのものの棺に、自分は微かな恐怖と親近感、女に対するたまらない憐憫の情を覚えた。
女が花をまき終わると、幾人かの黒服の男達が現れて、自分を部屋から運び出した。
庭の早咲きの薔薇が、闇の中で臙脂色の顔を見せている。自分が埋められる黒々とした穴は、其の下に横たわっていた。
布団ごと其の中に降ろされるとき、自分は若い日に行った善光寺の胎内巡りを思い出していた。極楽の錠前に触れたかはついに思い出せぬまま、自分の上に一掬いの土が落ちてきた。
自分の頭の中も、明かりを一つ落とした様に暗くなった。
先ほどの女は、少女のような黒目がちの目を伏せて、真珠のような歯を噛み締めている。
俯いた長い睫毛の間から、ぽろりと玉の滴が零れて頬を伝った
墓の中からそれを見ていた自分は、消えようとする身のことも忘れて女に見入っていた。
思えば自分は、この女をこれほどに美しいと思って見た事が無かったらしい。磔に処された異教の神を見る母のような、清らかで悲しみに満ちた姿に、自分はまた、堪らない哀れさを感じた。これほどに不幸の似合う美しさは、ただ哀しいばかりであった、
また一掬い土が落とされた。
ふと、自分は何故死んだのか思い出そうとしたが、脳裏に浮かぶのは、妻であった女の白い手と、其処から零れ落ちるカルシュウムの音、そして、薄く紫を帯びた、矢車菊の花ばかりであった。
明かりはもうほとんどきえかけてい