04.見えない力の発動
目を覚ますと、真っ白な天井が広がっていた。
(ここは…どこ?)
薬の匂いがする。
どうやら、医務室のようだ。
布団の中で手足を動かしてみる。体は動く。
ふいに、瞼の裏にあの黒い影が蘇り、思わず飛び起きた。
「ハァ…」
自分はいつまでもあの黒い塊に追われ続けるのだろうか。
影に覆われた瞬間、自分にも分からない負の感情が溢れ、気分が悪くなった。
(私も早く対抗できるようにならないと)
ミオはシーツを掴んだ。
(このままじゃ、おじいちゃんたちとも暮らせない)
通常、学園内で魔物と遭遇することはない。先ほどの遭遇は、ルイが意図したものだったが、知るはずもないミオは、今後の生活を不安に思った。
「あ、目覚ましましたか?」
そこへ、人の良さそうな女性が現れた。
事務員と名乗った彼女は、テセから、入学の手続きと学園の案内を依頼されているそうだ。
「時間はあるので、もう少し休んでからにしましょうか」
「いえ、もう大丈夫です!」
ミオは、数時間は眠っていたようで、既に午後になっていた。
加えて、ミオは魔物に抵抗できる力を身につけなければならない焦りを感じていた。
「あまり無理して欲しくはないですけど…とりあえず、お昼食べましょうか」
そう言うと、彼女は軽食を用意してくれた。
野菜と鶏肉を挟んだ美味しいサンドイッチ。
(良かった。魔法使いの食べ物が普通で)
その後、ベッドの上で手続きを終えると、制服を手渡された。
医務室の小部屋で制服に着替え、大きな姿見で全身を確認する。
ネイビーを基調とした暗い色でまとめられた制服は、金糸の装飾が品よく施されている。膝丈の上品なワンピースの上に、丈の短いジャケット。
真新しい制服は、どこか重く、まだ身体に馴染まない。
(ここで、ちゃんとやっていけるかな)
制服に着替えたミオは、彼女に連れられて学園内を見て回った。
といっても、初等部から専門課程まである学園は思った以上に広く、歩いて回るには限界がある。
主要な施設のみ簡単に案内され、医務室のある本部棟の裏まで戻ってきた時。
前方に、珍しく、一人の女子生徒の後ろ姿が見えた。
(授業中じゃないの?)
ミオの疑問を理解したのか、隣を歩く事務員の女性が、笑って説明をしてくれた。
「任務帰りですかね」
「任務、ですか?」
「はい。一部の生徒には、魔物討伐任務が課せられているんですよ」
オレンジがかった金髪。毛先の縦ロールが歩く度にふわりと揺れている。
(魔物討伐…)
その、可愛らしい後ろ姿には似合わない言葉だった。
そこへ、突如、本部棟二階の開いた窓から音もなく、複数の影が放り出された。
(フラスコ!?)
朝の光を受け、ガラスがぎらりと光る。
大きなフラスコの中で、液体が揺れた刹那――
重力に引かれ、真っ逆さまに落ち始める。
落下地点は、彼女の真上。
「危ない!」
声は風に流される。距離が遠い。
彼女との距離は二十メートル程。
ミオは慌てて駆け出し、反射的に手を伸ばす。
「あ!ミオさん!」
背後から事務員の声が聞こえたが気にならなかった。
(気づいて、気づいて…!)
落下の衝撃で栓が外れたのか、フラスコから様々な色の液体が溢れ出す。
女子生徒も気づいたようだ。しかし、詠唱には時間が足りない。
彼女の頭上まで、あと一秒。
(助けなきゃ!)
その瞬間。
世界の音が、消えた。
風も、葉のざわめきも全てが遠のく。
落ちてくるフラスコ。
弾けた液体。
そして女子生徒の身体。
そのすべてに――
淡い白い光の線が繋がっている。
(また、糸…)
糸は、落ちてくるフラスコや液体の軌道を示すように、
女子生徒へと繋がっている。
ミオは無意識に手を伸ばした。
一本の線を掴む。
指先が焼けるように熱くなった。
(動く…?)
衝動的に、視界を横切る光の線をまとめて掴む。
そして、思い切り引いた。
空気そのものが軋んだ。
見えない何かに引き戻されたように、フラスコからあふれた液体の軌道が不自然に歪む。
まるで見えない壁にぶつかったかのように弾かれた。
次の瞬間。
フラスコは女子生徒を避ける形で地面に叩きつけられた。
「――《シールド》」
ガラスが砕け、液体が飛び散る。
女子生徒の周囲に、遅れて防御魔法が展開され、透明な壁が破片と飛沫を弾いた。
「…今、何をしたの!?」
鋭い視線が突き刺さる。
女子生徒の瞳が、信じられないものを見るようにミオを射抜いた。
(何を、したんだろう)
ミオはその場に立ち尽くしたまま、自分の手のひらを見つめた。
確かに掴んだ感触は、消えている。
心臓の鼓動がはっきりと聞こえるほど、大きく脈打った。
「大丈夫ですか!」
「大丈夫か!」
そこへ、頭上と背後から同時に声が聞こえた。
だが、女子生徒は視線を逸らさずに、ミオに近づいてきた。
「何をしたの?」
やや吊り気味の大きな瞳に圧倒され、思わず、後ずさる。
「助かったわ、ありがとう。でも…どうやって軌道をずらしたの?」
とても感謝しているような表情ではない。
「いや、私、なにも―」
「そんな訳ないわ」
きっぱりと言い切られる。
「私は間に合っていなかったのに…!」
彼女は悔しいのか、唇を噛んだ。そして、ミオをじっくりと観察するように見る。
「あなたの魔力量では、無詠唱魔法は不可能。
魔力探知は苦手だけど、それくらいは分かるわ」
(何かを掴んだ、って言えばいいのかな)
女子生徒は畳み掛けるように、ミオに問う。
「異能かしら。ねぇ、あなたの異能はなに?」
「その…分からない、そうです」
「分からない?」
彼女は不審そうに目を細めた。
「はい。…視えない、って言われました」
女子生徒の目が大きく見開かれる。
「ちょっと、ストップ!」
女子生徒とミオの間に、事務員の女性が割り込んできた。
「あなた、魔法薬を被ったかもしれないのよ!お喋りは後にしてください」
「いや、被ってな―」
「医務室に行きましょう」
女子生徒は、事務員に強引に連れていかれた。
入れ替わるように、眼鏡をかけた男がこちらに駆け寄ってきた。いかにも研究者気質な男だ。
「本当にすまなかった!」
どうやら、二階の窓からフラスコが落ちてきたのは、彼の仕業らしい。
「ケガは!?」
「大丈夫です。私は少し離れていたので…」
男は魔法薬学の教師と名乗った。
「調合を失敗してね。爆発で吹き飛んだんだ」
彼は両手に箒を持っていたが、手を放すと、それはひとりでに動き出し、散らばったガラス片を集め始めた。片づけを手伝おうかと視線を落とすが、道具はすべて自律して動いている。出番はなさそうだ。
「私も、戻りますね」
「あれ、君。今日入学してきた転校生じゃない?」
眼鏡の奥で、柔らかく目が笑った。
自己紹介をする間もなく、男は両手でミオの手を包み込んだ。
「会えてうれしいよ!転入生なんて滅多にいないからね」
突然縮められた距離に驚くが、彼の手は温かい。
彼は手を握ったまま、じっとこちらを見る。
「…うん。君は、ちょっと苦労するかもしれないね」
(はい?)
男はミオの手を離し、眉尻を少しだけ下げて笑った。
「困ったら、いつでも相談においで」
その言い方はまるで、
これから必ず、困ることが起きると知っているみたいだった。




