12.触れてはいけない感情
(やっぱり試されてる…)
ルイは何も言わなかった。
だが、あの言葉以降、
ミオが魔法を使うたび、彼の視線は必ず向けられていた。
エリオとアンナと分かれた後も、時折、二人を狙うペアに何度か遭遇した。
「生意気な後輩を叩きのめしてやるよ」
ルイと一戦交えるためにやって来る彼らは、あっという間に札を奪われていった。
だがその中で、彼は時々、敢えてミオに交戦させているようだった。札を失わない絶妙な距離でフォローを入れる。そして、その様子を冷めた眼差しで見ていた。
(目の前のことに必死で気づかなかったけど…いつもこんな目で見られていたのか)
命じられてミオと行動を共にしているルイ。彼が負の感情を表に出すことはないが、心の中で何を考えているのかなんて、想像するのも恐ろしい。
(交流戦が終わったら、私からはあまり関わらないようにします!)
ルイの背中に向かって、意味もなく心の中で叫んだ。
しばらく、緩やかな傾斜を下っていると、木々が途切れ視界が開け、大きな湖が現れた。風に撫でられた湖面が空と揺れる木々の影を映している。
(こんな綺麗な場所が学園にあるんだ…)
そこへ、二羽の見たことのない鳥が連れ立って現れた。
空の青を映した羽が、陽光を受けて輝く。二羽は水面すれすれで羽ばたきの間隔を揃え、波紋だけを残して湖に降り立った。
「綺麗な場所だね。まるで作り物みたいだ」
ルイの声は、いつもより自然な柔らかさをまとっていた。
湖に向けていた視線を僅かに横にずらし、ルイを見る。
彼はその彫刻のような輪郭を緩め、唇の端が無防備な角度を描いていた。
作られた表情でないことはすぐに分かった。
(こんな顔もするんだ)
白銀の髪が、心地よい風に靡くのに見とれていると、ふいに、ハニーブラウンの瞳がミオを捉えた。
(ルイ君って、まつ毛まで白いんだな)
「来たみたいだね」
「…」
振り返ると同時に、近づいてくる魔力の流れが変わった。
湖を背にした森の奥から、濁った紫色の靄がこちらに飛んでくる。
(え、あれって)
ハチだ。
ミオが散々追いかけ回された魔物と同じ姿が、五匹。一匹を先頭に隊列を描くように、音もなくこちらに飛んでくる。
「まって、待って、本当に無理!」
「…落ち着いて。あれは幻覚だ」
そう言いながら、ルイが放った白い光は、五匹の中央に真っすぐ飛んでいった。魔法によって作り出された魔物は、輪郭を崩し粉のように砕け散った。
「相手の異能は、幻覚と、今朝と同じ風だな」
ミオはルイとはぐれる原因となった風の壁を思い出し、体勢を整える。
目の前に相手の魔力ははっきりと感じるのに、姿は見えない。
「やぁ、ルイ君。可愛い女の子とペアだなんて、羨ましいなぁ」
ルイが先ほどと同じ白い光を、目の前の誰もいない宙に放った。すると、景色が崩れ、男子生徒二人が現れた。アラベスク模様の袖口。三年生だ。
「ルイ君は乱暴だなぁ。ねぇ、君もそう思わない?」
中性的な顔をした男子生徒が、ミオに尋ねるように視線を向けた。
「君は分かりやすくて可愛いなぁ。虫が苦手なんだね」
ミオが睨みつけると、彼は面白い玩具を見つけたような顔をした。
(何この人。すんごい性格悪いっ!)
「あまり遊ぶな」
彼のペアが低く落ち着いた声を響かせた。
黒い短髪に小麦色の肌の彼は、対照的に堅物そうだ。
ミオは彼の魔力の流れが変わったことを感じ取り、反射的に《シールド》を詠唱した。
「風よ、我の刃となれ」
剣で何度も切りつけられるような衝撃が、ミオの作り出した透明な壁に走った。
見えないはずの攻撃が、障壁に触れた瞬間だけ輪郭を持つ。
青い火花のような魔力が散った。
だが、透明な壁に、水面の波紋のような模様が広がると、衝撃は吸収され、やがて静かになった。
「へぇ。君、魔力が全然ないのにやるねぇ」
その声に、黒髪の男子生徒は悔しそうな顔をした。
そこへ、ルイが放ったアメジスト色の光が、話していた男子生徒の赤い札に真っすぐ伸びていく。当たったかのように見えたが、結界が破壊される音はしない。
「危ないよ、ルイ君。まぁ、当たってないんだけど」
攻撃を受けたはずの中性的な男子生徒の姿は、靄となって消えた。
次の瞬間――
ミオの耳元で、「バーン」と彼の囁くような声がした。
「バチン」とミオの目の前で結界が割れる。
ルイはミオの腕を引き、数歩後ろへ下がらせた。
男子生徒の姿が、先ほどまでミオの立っていた場所のすぐ正面に現れる。
(私の札は…あと一枚)
「幻覚で、偽の姿を見せられてた訳か」
ルイにしては珍しい、悔しそうな声だった。
彼は掴んでいたミオの腕を離すと、男子生徒に向けて宙に左手をかざす。
男子生徒は森の奥へ逃げるように、木々の間を跳んだ。
それを追うように、アメジスト色の光の矢が雨のように降り注ぐ。地面が抉れ、幹が裂け、一帯が揺れた。
土埃とアメジスト色の光によって、男子生徒の姿はすっかり見えなくなった。
しばらくして、結界の破壊される乾いた音がひとつ響いた。
「いやぁ、ルイ君は怖いねぇ」
再び、紫色の蝶がミオの周囲を覆った。
羽音が耳の奥で聞こえてきそうだ。
「い、いやぁ!」
背筋がぞわりと粟立つ。ミオは必死に、腕で振り払いながら大きく後方へのけぞった。
「だから、それ幻覚だぞ」
ルイは、もう一人の黒髪の男性生徒と応戦していた。
彼の声には、わずかな苛立ちが混じっていた。
ミオの視界は滲み、気づけば目尻に涙が溜まっていた。
「ご、ごめんなさい!分かってるけど…」
幻覚の異能を持つ男子生徒の魔力が、一段階勢いを増したのを感じた。
彼は、対象者が最も嫌悪するものを見せ、その恐怖心で自身の魔力を強化する。
(ま、まずい)
「――《エーテル・ショット》」
空気の弾丸は、視界を埋め尽くす紫一色に小さな穴を空けるだけだった。
ルイの放った白い光が、ミオに向かって飛んできた。
眩い光に反射的に目を閉じ、再び開くと蝶は消えていた。
ルイのいる方向へ視線を向けると、黒髪の男子生徒の札が残り一枚へとなっている。赤、青の札がルイのポケットに滑り込んだ。
「あれぇ、君泣いちゃったの?本当に可愛いなぁ、名前教えてよ」
(この性悪に、誰が名前を教えるか!)
「僕はさ、別に勝ちたい訳じゃないんだよねぇ」
中性的な顔の男子生徒は、そう言いながらゆっくりと近づいてくる。
「ただ、ルイ君の怖いものが知りたいだけ」
彼の手のひらには、紫色の靄が浮いている。
ミオには蝶に見えているが、ルイには何が見えているのだろうか。
「さっきからルイ君に幻覚が効かなくてさ。ねぇ、なんかしてるの?」
問いかけにルイは答えない。
男子生徒は、さも今思い出したかのように指を鳴らした。
「そういえばさ、噂に聞いたんだけど」
わざとらしく首を傾げる。
「ルイ君って、両親に捨てられたんだってね」
(なに、この人…!)
男子生徒は、わざとらしく言葉を切った。
ただ、楽しむように沈黙を置く。
森の風が吹き抜け、
背後で水面が波打つ音がした。
彼はゆっくりと息を吸い込み、ようやく口を開いた。
「そんなに強くたって、独りぼっちなんだ」
ミオは、彼への嫌悪感が増し、ギュッと拳を握りしめた。
男子生徒は唇の端を歪める。
「あぁ、君の最も恐れているものは…孤独、とか?」
ルイの顔色は全くと言っていいほど変わらない。
だが、彼の魔力の流れが珍しく、僅かに乱れた。
隣にいるミオでなければ、気づかないほどの揺らぎだった。
(ルイ君は監視役かもしれないし、いい人じゃないかもしれない)
それでも。
(こんなふうに、傷つけられていいわけじゃない)
「可哀想だよねぇ」
手のひらで紫の靄を弄びながら言う。
「愛を知らないなんて」
その瞬間。
ミオの頭の奥で、何かが弾けた。
「うるさい!この芋虫男!」
ミオは思わず叫んだ。
そして、怒りに身を任せるように、両腕を男子生徒に向けて伸ばす。
「――《エーテル・バースト》」
その瞬間、ミオの中の全ての魔力が一気に爆発した。
その反動でミオの身体は後方へと弾き飛ばされる。足が浮き、景色がひっくり返る。
《エーテル・バースト》。
本来なら、ミオには使えない上位魔法だ。
ただ、頭の中を猛烈な怒りが占め、気づけば詠唱していた。
視界はスローモーションのようにはっきりと流れていた。
自分の中の魔力が枯渇したことが分かった。一気に身体がだるくなる。
「おい、バカ!」
初めて聞く声だった。ルイが慌てた様子で左手を伸ばしてきたのが見える。
掴もうと、必死に伸ばしたミオの手は宙を切るだけだった。
だが、また、あの感覚。
姿は見えないが、
糸のようなものが指に絡んでいる。
背後には湖面が迫っていた。このままでは、水面に叩きつけられる。
ミオは糸を手繰り寄せると、思いっきり引っ張った。
しかし、落ちていくミオの身体が止まることはなく、代わりにルイとの距離がグッと近づいた。ルイの瞳が大きく、見開かれる。
バッシャァン!!
水に叩きつけられる衝撃に背中が痛むと同時に、冷たい水が全身を包み込んだ。
(私、泳げない!)
必死に手足を動かすが、身体が重く、引きずり込まれていく。
意識が遠のきかけた瞬間――
腕を強く引かれた。
ルイだった。
水の中で、彼の顔がすぐ目の前にある。
ハニーブラウンの瞳には、ミオだけが映り込んでいた。
そのまま、彼の腕は強くミオを抱き寄せた。




