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10/20

10.敵は生徒だけじゃない

倒木を避けながら、必死に走った。

胸が焼けるように痛い。

腕を振り続けながら、後ろを振り返った。


低く唸っていた羽音がふっと消えた。

ハチがその巨体を僅かに反らせ、腹の針が持ち上がる。濁った紫の靄が滲んだ。


(攻撃される!)


ミオは防御魔法を繰り出そうと、体勢を変えたが、足が縺れ、尻もちをついてしまった。


濁った紫の靄が彼女を飲み込むように広がる。

だが、「バチン」と乾いた音が響き、彼女の目の前に透明な壁が張られた。

靄は壁を侵食することはなく、空気中に立ち消えた。


(結界…?)


透明な壁が消失すると、赤い札が真上からゆっくりと降下し、ミオの目の前を通り過ぎて、ハチの巨体に吸い込まれていった。ミオの頭上の札は青・黄の二色となった。


(…え、え!?魔物からの攻撃でも札消えるってこと!?)


ミオの困惑する間にも、ハチはまたその腹部を反らせる。


「――《エーテル・ショット》」


不慣れな体勢で、威力のある《エーテル・ショット》を繰り出すことができない。

だが、空気の弾丸はハチの体勢を崩した。混乱した様子で旋回しているその隙に、ミオは立ち上がった。


「――《リフト》」


脇に横たわっていた大きな倒木が軋みながら宙に浮いた。


「――《ドロップ》」


ハチの巨体へ叩き落す。


衝撃が腹に響き、地面を揺らす。不気味な巨体は完全に視界から消えた。

しかし、すぐに「カチカチ」とハチが顎を鳴らす音が、倒木から聞こえてくる。


(なんでこんな執拗に追いかけてくるの!?)


やや遅れて、空気を震わす羽音が始まった。


(このまま逃げてても、札全部とられるだけだ…!)


ミオは集中した。

三年生との闘いで、シールドが割られそうになった時。

魔力の流れに意識を沈めた。その時、あの白い光の糸が見えたのだ。


(思い出せ!あの感覚)


静かな水面にしずくが落ち、波紋が広がり光り輝く。あのイメージ。


(来た)


ミオの足元から、白い光が溢れた。

細い糸のような光は、無数に伸びている。


森の木々からも、薄い光が伸びている。

空気の流れさえ、細い糸が編み込まれている。


はっきりと感じる。

空も。

風も。

森も。


(あぁ、気持ちがいい)


まるで、世界と一体となったようだ。


足元から伸びる無数の糸の中の一本。

細く、濁った糸が、ハチへと繋がっている。


(これだ)


迷うことなく右手を伸ばす。

触れた瞬間。

指先が焼けるように熱くなった。


『切れ』


頭の奥で声がした。


無意識に指先を軽く持ち上げ、人差し指と中指を開く。

細い糸をその間に引き入れた。


誰にも教わっていない。

それでも、どうすればいいのか分かる。


あとは、指先を閉じるだけ。


「シュッ」


空気が裂ける音がした。


次の瞬間。

ハチの巨体は真っ二つに割れた。


だが、ミオはまだ指を動かしていなかった。


(誰が?)


剣を持った男子生徒が立っていた。


ハチの巨体は濁った紫の靄となり、その剣に吸い寄せられていく。

靄を完全に消し去った刃が、太陽の光を受け、鏡のように輝いた。


「魔物の動き、妙だったな…」


剣の持ち主は、そう呟きながら刃を収めた。

それから、柔らかな笑みを浮かべて、ミオと視線を合わす。


「大丈夫?ミオちゃん」


深い藍色がかった黒髪と、光をよく映す澄んだ瞳。

ミオを安心させる温度があった。


「…あ、ありがとうございます。助かりました」

「あー、俺の事分かってないみたいだね。俺はエリオ。同じクラスだよ」

「え!あ、その…ごめんなさい」

「いいよ、いいよ。こっちは、俺のペアのアンナ」


彼の後ろには、ふわりと金髪の縦ロールを揺らす女子生徒がいた。


(あ、この子!)


「エリオが助けなくても大丈夫だったと思うけど」

「いや、そんなことは…」

「フラスコの時と同じでしょ。あなた、何か見えてたわよね」


(糸のこと、なんかあんまり言わない方が良さそうだよね…)


話をした時のテセの反応を思い出し、ミオが困っていると、エリオが優しく問いかけてきた。


「ルイとはぐれちゃった?」

「あ、はい。三年生との勝負の途中で、あいつに追いかけられて。必死に逃げてたら…」

「アハハ、なるほどね。ルイは…近くにはいなそうだし、しばらく俺らと行動しよっか」

「いいんですか」

「アンナもいいだろ?」

アンナは、仕方ないわね、といった様子で頷いた。


同級生と肩を並べて歩く。

それだけのことなのに、胸の奥が、じんわり温かくなった。


(楽しいなぁ)


三人は歩きながら競技の話で盛り上がった。


「すげぇ。ルイが強いのはなんとなく分かるけど、そんなこと出来るんだ」

「見たことないんですか?」

「ええ。中等部くらいから彼だけ、上級生の授業に呼ばれたり、任務が多かったりで。ほとんど一緒に授業受けたことないから」


(やっぱり凄い人なんだ)


三人で歩いていると、進行方向に他ペアの魔力を感じた。

まだ距離はあるが、このまま進んでいくと顔を合わせることになりそうだ。


「前方に一組いますね」

「まじか。俺、まだ認識できていないけど」


エリオが足を止め、目を丸くした。アンナも分からないという様子で頷いている。


「百メートルくらい先ですかね。同じクラスのペアではないですね」

「百!?ミオちゃんって、そこまで認識できんのか」


エリオはまだ見えないペアを意識してか、声を抑えながらも随分と驚いた様子だ。


「あっちはまだ、気づいてない可能性が高いな。先手必勝、札を取りに行こうか」


エリオは彼らの姿が見える直前に、合図をするようにミオに頼んだ。この場に留まり、相手が三人を認識するよりも早く、攻撃を仕掛ける。エリオがまず彼らの隙を突き、後方からアンナとミオが応戦する作戦だ。


三人は息を潜めて、相手が近づいてくるのを待った。ミオは魔力の気配に意識を集中し、そして、小さく言った。


「今です」


ミオの隣にいたエリオの姿が消える。

低く、地を滑るような踏み込み。気づけば彼は、先方から歩いてきた男子生徒二人組の目の前にいた。


「札もらうよ!」


エリオによって、抜き放たれた剣が静かに光る。

空気を裂く音と共に、「バチン」と札が弾けた。


慌てて防御魔法を唱える彼らに、エリオがさらに、もう一度、剣を大きく振りかざす。彼らが繰り出した魔法は、紙のように断ち切られた。


すぐさま、アンナが右手を彼らの方向へかざし、詠唱する。


「――《エーテル・バースト》」


彼女から放たれた空気の弾丸は、一人の男子生徒の青い札にめり込むように命中した。

さらに、分裂した弾丸は四方へ弾け、もう一人の札を落とした。


彼らの頭上には一枚の札しかない。あと一枚で相手は失格だ。

ミオも《エーテル・ショット》を放ったが、弾かれてしまった。


エリオが腰を落とし、剣を低く構えた。

一人の男子生徒の頭上を目掛け、剣は一直線に伸びていく。

魔法を詠唱する時間も許さない。

「バチン」という音と共に、剣先は黄色の札を突き刺していた。


剣先の札は、宙を浮遊した後にエリオのポケットに滑り込んだ。


エリオが剣を収めながら、こちらに歩いてくる。


「ミオちゃんのおかげだな」

「え、私?何もしてないよ」

「なーに言ってんだ。ミオちゃんの魔力探知の精度がいいからこその、作戦勝ちだろ」


アンナも「それもそうね」と言って頷いている。

口角が勝手に上がってしまう。


「ありがとうございます」

「その敬語、友達なんだから、これからはなしな」

「分かりまし…分かった、エリオ君」

「エリオ!共に戦った仲間なのに距離を感じるなぁ」

「私も、アンナ様でいいわよ」

「…アンナちゃんで」


胸の奥が、くすぐったい。


(こんな風に笑ったのは、いつ以来だろう)


ミオは指に視線を落とす。

二本の糸が揺れた気がした。


それは――

エリオとアンナへと、細く伸びていた。


まだ、細い。

けれど、確かに糸は繋がっている。


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