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追放令嬢、幸せになります!  作者: あけはる


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1/2

前編

2話で完結予定です!

 冬の夜会の音楽は、甘く、柔らかく、どこまでも上品だった。

 だからこそ――その中心で放たれた言葉は、刃のように鋭く響いた。


「エリシア・ローゼンベルク。君との婚約を、ここに、破棄する!」


 一拍、世界が止まった。

 弦楽器の震えも、グラスが触れ合う音も、貴族たちの囁きも、全部が遠のいていく。


 私は――ただ、王太子殿下の唇の動きだけを見つめた。


「理由は明白だ。エリシア、君は――無能だ!」


 会場がざわめく。

 視線が集まる。

 指先の震え、背筋、表情のわずかな歪みまで、全てを確認し、嘲笑うように。


(ああ……やっぱり)


 胸の奥に沈んでいた予感は、浮かび上がって喉元に詰まった。

 王太子妃という高すぎる地位は、

 最初から、私のために用意されたものではなかったのかもしれない。


「殿下……」


 絞りだした声は、掠れた。

 叱られる前に謝り、責められる前に頭を下げる。

 

 そうすれば場が収まると、ずっと教え込まれてきた。

 家族のために、王太子のために―――


「言い訳は不要だ。君の魔力量の低さは、俺の妻の器ではない!

 そもそも最初から不快だったのだ!」


 王太子レオンハルト殿下は、私を見下ろすように顎を上げた。


「父上やその周りが薦めるからしかたなく、会ってやっていただけだ!」

 

 金髪碧眼、線は細いが王妃譲りの気が強そうにキリっと整った顔。

 誰もが見惚れるその姿が、今夜はひどく冷たく見える。


「王太子妃に必要なのは、王国の防衛を支える“聖なる資質”。

 だが君にはそれがない。いや、そもそも君には何もないではないか!」


 最後の言葉が、氷の塊みたいに胸へ落ちた。

 何もない。

 そう。何もない。私は、ずっとそう言われてきた。


 その瞬間、隣から柔らかな声が差し込む。


「殿下……そんな言い方は、少し酷ですわ」


 淡い桃色のドレスが揺れる。

 光を纏うように現れたのは、クラーリス・ヴァレリー。

 半年ほど前、神殿から“大聖女候補”として迎えられた女性だ。


 なんでも特殊な聖魔力を持ち、

 神殿でも100年に1人の逸材だと、大いに期待されているという。


 彼女の微笑みはとても美しく、慈愛に満ちていた。

 誰が見ても、優しく美しい。

 まさに大聖女候補にふさわしい。


「おお、クラーリス、君は優しすぎる。

 散々あいつから嫌がらせをされたというのに・・・やはり君は俺の妻にふさわしい!」


 王太子殿下の表情が、嘘みたいに緩む。

 その笑みは、私がどれほど努力しても引き出せなかったものだった。


「しかし殿下、私は嫌がらせなど・・・!」


 それでもやっていない罪をでっちあげられてはたまらないとエリシアが言い返すと


「この期に及んでしつこいぞ!俺はずっとクラ―リスから相談を受けていたのだ!」


「そんな・・・!」


 レオンハルトはクラ―リスの肩を強く抱き寄せ、いっそう気色ばむ。

 クラリスは頬を染め、弱弱しく長い睫毛を伏せた。

 

 周囲の貴族たちが、感嘆の息を漏らす。

 まるで正義の審判。


 エリシアは、二人の背後に見える神殿の紋章を見つめた。


 聖女。王国を守る象徴。民に祝福をもたらす存在。

 それに比べて私は――ただの伯爵令嬢で、魔力量も少なく、地味で、取り柄がない。


 わかっている。

 だからこそ、なんとか認めてもらえるよう、殿下の役に立てるよう、

 血のにじむような努力を続けてきた



 ――そもそも、なぜ私が王太子妃候補に選ばれたのか。

 それは、誰もが一度は疑問に思うことだった。


 ローゼンベルク伯爵家は、名門ではあるが上位貴族ではない。

 まして王太子妃となれば、

 通常は王国に4つある公爵家、もしくは王族関係者から選ばれる。


 それでも私が選ばれた理由を、王家は一切、公にはしなかった。


 ――私には、ひとつだけ“良い条件”があったのだ。


「エリシア・ローゼンベルクは、魔力量こそ少ないが、

 魔力の“質”が異常に安定している」


 それが、王城に呼び出された日の、宮廷魔術師長の第一声だった。


 エリシアは当時十五歳。

 訳も分からぬまま、王城から急な呼び出しを受け、

 立派な大理石が輝く白い大広間に立たされていた。


「通常、魔力は感情や体調で揺らぐ。だがこの娘は違うようだ。

 揺れない。暴走しない。濁らない」


 厳めしい顔をした魔術師長は、実験用の水晶を私の前に置いた。

 魔力測定用の水晶だ。


「触れてみなさい」


 言われるまま、そっと手を伸ばす。


 水晶は白く光った。

 淡いが、揺らぎのない、澄んだ光だった。


 その瞬間、周囲にいた魔術師たちがざわめいた。


「……これは」

「そう、結界向きだ」

「いや、それ以上だ。これは――“受け皿”になり得るぞ」


 どういう意味かは分からなかった。


 ただ、集まった魔術師の多さ、王族、宰相などの高位貴族が複数いることから、

 何か重要な理由で呼び出されていることだけは、察していた。


「王城の大結界は、ここ数年不安定が続いております」


 魔術師長はそう言って、王の方を見た。


「そのようだな」


 鷹揚にうなずく王に、魔術師長は説明を続けた。 


「原因が判明しました。

 王都に集まる魔力が、強すぎるのです」


 聖女候補、王族、上位貴族、神殿。

 強い魔力が王都という一地点に集中することで

 結界のバランスに歪みが生じてもおかしくない、という分析結果が出たらしい。


「今必要なのは、強い魔力ではありません。

 強すぎる魔力を“均す”存在です」


 そこで王は、私を見た。


「――エリシア・ローゼンベルク」


 私は思わず背筋を伸ばした。


「お前には、王太子妃候補となってもらう」



 私は“王太子妃として選ばれたのはこういう経緯だ。

 だから、”愛される”ことなど二の次だった。


 王城の大結界の歪みを”均す”こと。

 そして常に王太子の側に立ち、その膨大な魔力を日常的に“受け止めて流す”、役目。


 いわば、魔力の緩衝材。

 その役目を望まれて、王太子妃候補になった。


 王太子自身がそれを理解していたかどうかは、分からない。

 ただ、周囲は理解していたはずだ。


「常に感情を抑えていなさい、乱れが結界に影響してはいけない」


「自己主張はせず王太子に寄り添うこと」


「前に出る必要はありません」


「結界を守ること、王太子殿下を立てることを考えなさい」


 皆が私に、それが“妃としての務め”だと説いた。

 魔力を均し、場を乱さず、感情を殺し、耐えること。


 それが、私に与えられた役割なのだと信じるようになった。


 だから叱責にも、王太子からの冷たい視線にも、

 お飾りの妃だという他の貴族からの蔑みにも、ずっと、耐え続けた。

 私が務めを果たし続ければ、結界は安定する。

 私が我慢すれば、王都は守られる。


 ――そう、信じ込まされていた。



 だが半年前、大聖女候補クラーリスが王城に迎えられた。


 すると王都の結界は、再び、歪み始めたのだ。


 原因は分からなかった。

 ただ、大聖女候補をむかえた王城内の魔力は目に見えてすがすがしくなっていった。


 相反するように、結界だけが、歪んでいく。

 次第に、私の魔力が“さらに弱くなった”からだと、噂がたった。

 結界の歪みへの不安にかられた貴族たちは、

 恰好のターゲットを見つけたかのように、表に裏にエリシアを嘲り始めた。


 「王太子妃候補はもうだめなのではないか」

 「新しい王太子妃候補が必要だ」

 「ローゼンベルグ伯爵家は責任をとるべきだ」


 結界が歪んでいる、その事実を媒介に様々な派閥の思惑が交差し、

 エリシアの悪評だけが大きくなっていく。


 けれど今なら、分かる。


 私の魔力が”弱って”いたのではない。

 ”吸われて”いたのだ。


 だが、私は切り捨てられた。


 最初から、使い捨てる前提で選ばれていたのかもしれない。




 レオンハルト殿下は、私に向き直った。


「エリシア。君は、ずっとクラーリスをいじめていたな。

これから王都で聖なる魔力を大いに発揮するクラ―リスが、怖がってはいけない」


 クラ―リスは相変わらずレオンハルトの腕に弱弱しくよりかかり、

 庇護欲を誘うようなその瞳を潤ませている。


 レオンハルトはそんなクラ―リスを愛おし気に見つめ、再び宣言した。


「よって、君には、王都を去ってもらおう!」


 ざわめきが大きくなる。

 王都を去る――それは追放に近い。

 

 夜会に集まった貴族たちの前で、

 これほど大々的に発表してしまえばそれはもう、決定事項だ。


「……はい」


 受け入れるしかなかった。

 この場で逆らえば、実家が潰れてしまうだろう。

 父が苦しみ、母が泣く。弟妹が笑えなくなる。


 ゆっくりと頭を下げた瞬間、

 嘲笑。興味。優越感。憐憫。

 背中に様々な思惑が刺さった。

 

 3年続けた厳しい王太子妃教育。

 毎晩、魔法理論を読み返し、結界の維持術式を覚え、疲れて倒れるまで練習した。

 

 だが、そのようなエリシアの努力は全く意味がなかった。

 結局、誰にも評価されなかった。


「エリシア、君は王太子妃候補ではなくなる。

 よってローゼンベルク伯爵家も、王家の庇護を失う!」


 会場の端で青ざめた父がエリシアの目の端にうつった。

 母は顔を覆い、弟妹は呆然として固まっている。


(ごめんなさい……)


 喉の奥が熱くなる。

 涙を落とせば、また「みっともない」と言われるだろう。

 

 私は、ただ、首を垂れた。


「君は明朝、辺境へ向かえ。伝令は既に送ってある。

 あそこは魔物が多いが、自分の無能さを悔いるにはちょうどよいだろう」


 (辺境・・・)

 

 王都からは馬車で1週間以上。

 冬は厳しく、魔物の被害が絶えないと聞く土地。


 私は反射的に顔を上げた。

 冷たく、興味のない目がエリシアを見ていた。


「護衛はつけてやろう。最低限のな」


 そのときクラリスが静かに歩み出た。


「殿下……エリシア様に、あまり酷い罰は……」


 彼女は私に目を向け、悲しそうに微笑んだ。

 その顔は、慈悲深く、見えた。

 

 一瞬、エリシアの視線がクラ―リスのそれと交わる。

 その瞳の奥は、勝気で狡猾で―――

 

 (まさか・・・!)


 だが、彼女は王太子の寵愛を受ける大聖女候補。

 私は魔力も少なくたった今無能の烙印を押された、ただの伯爵令嬢。


 エリシアは自分が醜い人間になった気がして、目を逸らした。

 

 比べる方が間違いだったのだ。


「おお、クラーリス。なんと慈悲深いのだ・・・!」


 殿下はうやうやしく彼女の手を取った。


「さらにここで、皆に宣言しよう。

 我が愛しのクラーリスが、新たな王太子妃候補となることを!」


 拍手が起こる。祝福の声が飛ぶ。

 

 私の存在は、透明になっていった。


 ――それが、王太子妃としての私の“終わり”の音だった。



 屋敷に戻ると、ローゼンベルグ家当主である父が、

 早速私を応接室に呼びつけた。

 

 夜会の余韻など一切ない、冷えた空気の部屋。


「エリシア。お前は、何をやらかしたんだ!」


 父の声は怒りというより、焦りだった。

 母は横でさめざめと泣いている。

 弟妹は部屋に入れられておらず、その姿は見えなかった。


「やらかした……わけでは」


「言い訳するな!」


 父が机を強く叩く。

 私は肩を震わせた。

 叩かれるのは慣れている。怒鳴られるのも。

 

 それでも、心のどこかで期待していたのかもしれない。

 ――“大丈夫だ”と言ってもらえることを。


「お前が無能だと公になった。王家の庇護が外れた。もう、ローゼンベルク家は終わりだ」


「……ごめんなさい」


「謝って済むなら、誰も苦労せん!」


 父は頭を抱え、荒く息を吐いた。


「明朝、辺境へ行け! お前はローゼンベルグ家の恥だ!もう二度と戻ってくるな!」


「……はい」


 母が嗚咽を漏らす。

 けれど母も、私を抱きしめはしなかった。

 

 “厄介払い”が決まった安堵の影を隠しきれていない。


 私は、そのまま部屋を出た。


 自室に戻ると、窓の外は雪。

 王都の冬はまだ浅いはずなのに、今夜の雪はやけに冷たく見える。


 自室に戻り、すぐさま荷物をまとめた。

 ドレスではなく、旅装。手袋。厚手のマント。

 荷物も必要最低限しか許されなかった。

 

 屋敷の使用人たちは、当主である父の機嫌をうかがってか、目も合わせようとしない。


(……今更、ね)


 私は苦笑した。

 

 鏡の向こうの私は、地味な顔。

 薄い茶色の髪。目立たない茶色の瞳。

 華やかさの欠片もない。

 容姿も王太子妃になれる器ではない、

 それはもう、数えきれないほど言われ続けた。


 それでも私は、なろうとした。

 そうしないと王都が守れないから、家族が困るから。

 

 ―――そうしないとエリシアには価値がないと。


 机の引き出しに、小さな銀の飾りがあった。

 婚約の証として建前上は、殿下から与えられたが、

 実際は神殿から「補助術式の研究に」と押し付けられた古い護符。

 

 その鈍く輝く銀色を指先でなぞる。


(……私の魔力は少ない。だけど、少ないなりに)


 結界の維持。補助。浄化。

 派手ではないけれど、できることはあった。

 それを一生懸命やってきたつもりだった。


(全部、無駄だったのね・・・)



 翌朝。


 王都の門を出るとき、私は振り返らなかった。

 

 護衛は二人。

 甲冑はきちんと着ているが、目は死んでいる。

 まるで外れくじをひいたかのように。


「出発します」


 御者の淡々とした声とともに馬車が動く。

 石畳の揺れが、体に響く。


 窓の外で王都が遠ざかっていく。

 尖塔、城壁、人々。

 私が必死で守ろうとした場所。

 私が必死で「価値」を証明しようとした場所。


 そして、全てを失った場所。 


 馬車の中で、私は手を握りしめた。

 膝の上で、指が白くなるまで。

 悔しさと惨めさがつのる。


 道は次第に荒れていき、畑が減って、大森林が近づいて来る。

 空気が冷え、太陽の光が弱くなる。


 休憩で立ち寄った小さな宿場町で、私は水を飲んだ。

 コップを持つ手が震える。

 寒さだけではない、眠れていない。食も細っている。

 加えて、体の芯が妙に、冷えている。


「お嬢さん、大丈夫かい」


 宿の女主人が声をかけてくれた。

 その気遣いが、逆に胸を締め付けた。


「……大丈夫です」


 馬車に戻ると、護衛の一人が小さく舌打ちした。


「早く乗ってくださいよ」


 私は聞こえないふりをした。

 馬車は荒れた道を再び進む。


 ちょうど森に向かう道に入った時だった。


 急に、頭がくらりとした。

 視界は暗くなり、

 胸の奥が、ぎゅっと掴まれる感覚。


(息が・・・!)


 肺が酸素を求める。

 心臓が変な跳ね方をする。


 私は思わず胸元を押さえた。


 窓の外の木々が、滲んで見えた。


「止めて、ください……!」


 その小さな声は聞こえなかったのだろう、

 御者は相変わらず、馬車を走らせる。


 その時――ざらり。


 身体の奥から何かが、剥がれ落ちたような気がした。


 冷たい殻。ずっと絡みついていた、

 見えない鎖が、するするとほどけていくような感覚。


(……あ、れ?)


 胸の痛みが引く。

 代わりにじわじわと、熱が湧き上がってくる。

 

 あたたかさが戻った両手を見た私は思わず声が出た。


「なに、これ・・・!」


 白く強く輝く光が、指の間から漏れ出ている。

 これは―――魔力の光。

 

 こんなに濃い光は見たことがない。


(どういうこと?)


 頭の奥がズキリと痛んだ。

 

 次の瞬間、光は両手から放射状に広がって、飛散した。

 その眩しさに私は座席に崩れ落ちる。


「――っ」


 声にならない。

 視界が白く弾け、耳鳴りがする。

 

 遠くで馬のいななき――いや、違う。

 獣の咆哮のような音が聞こえた。


 護衛が叫んだ。


「魔物だ!」


 馬車が急停止し、衝撃で身体が揺れる。

 私は窓に手をついた。

 目も頭もズキズキと痛い。

 カーテンを開けようとするが指が滑る。力が入らない。


 剣の抜かれ、攻撃魔法が飛ぶ音がきこえる。

 荒々しい足音。

 木々の間で、何かが走っている。


 ここで死ぬのだろうか。

 婚約者からも実家からも捨てられたあげく、 

 辺境にもたどり着けず。

 

 こんなところで―――? 


 ―――そう思った瞬間、エリシアの胸に静かな怒りが湧いた。


(……なんでよ)


 誰も認めてくれなかったけど、

 少なくとも私は、王都のために、家のために、一生懸命働いてきた。

 それを、ちょうどよく大聖女候補が現れたからって?

 彼女が一度だって、私の仕事を助けてくれた?

 悪評を流して、私を追い払おうとした誰かだって、

 結局は私が守っていたのよ・・・!


 ふつふつと湧き上がる怒りが、胸の奥を熱くする。

 私は震える指を握りしめた。


 守るための魔法を。

 私の命を守るのは、私しかいない。


 私は唇を動かし、かつて覚えた術式を思い出す。

 防壁結界の展開術式。

 少ない魔力では起動できない――そう言われ続けてきた。

 だから、無駄なく、丁寧に、細い糸を編むように。

 練習を積んできた。


 ――けれど。


 指先に集まってくる感覚が、いつもと違った。

 細い糸ではない。

 もっと、太く、熱い流れ。


(え……?)


 戸惑った瞬間、窓の外で衝撃音がした。

 護衛の一人が吹き飛ばされ、木に叩きつけられる。


「ぐっ……!」


 半開きのカーテンの隙間から

 もう一人が必死に剣を振るうのが見えた。

 

 素早く動く黒い影が、馬車に迫る。


 私は反射で手を伸ばした。


「――来るな!」


 大きな声が出た。

 その声に呼応するように、透明な膜が馬車の前に広がった。


 魔物が膜にぶつかり、弾かれる。

 鋭い爪が地面に傷をつけ、火花が散る。

 膜は揺らぎながらも、無傷で耐えている。


(私が、この防御結界を・・・?)


 信じられない。

 こんな強度の結界、私には到底無理だった。

 素手で触っても消えてしまうほど、いつも薄かったのに。


 目を血走らせた狼のような魔物が

 再び馬車に突進してくる。

 

 私は歯を食いしばった。

 結界が震える。


(狙われてる……!)


 ―――その時、森の奥から別のなにかが近づいて来る音が聞こえた。


 蹄の音。

 風を切る音。

 それに、鋼が唸る音。


 次の瞬間、黒い影が横から裂けた。


 魔物の体が、斜めに崩れ落ちる。

 血が雪に散った。


 ――鮮烈な一閃。


 現れたのは、黒い外套を纏った騎士。


 背が高く、切れ長の紫色の瞳は感情が見えない。

 その銀色の髪が、冬の光を受けて淡く輝いている。


 彼は倒れている魔物を一瞥した。

 剣が走る。

 息をする間もなく、二体、三体と倒れていく。


 護衛たちは腰が引けたまま呆然と立ち尽くしていた。


 私は、結界を維持しながら、

 どこか現実感なく、その姿をながめていた。

 

 怖いほど強い。

 でも、それ以上に――その動きには何かを“守る”意志がみえた。


 最後の魔物が倒れ、森に静寂が戻る。


 白い雪はふわりと舞い、血の匂いを薄めていく。


 私はようやく息を吐き、結界を解いた。

 視界が揺れる。眩暈。冷え。

 身体から力が抜け、私は座席から滑り落ちた。


「……っ」


 支えられなくなった膝が折れ、掌を冷たい木板に打ち付けた。

 意識が遠のいていく。


 馬車の扉が開く音。

 冷たい空気が流れ込む。

 


「――生きているか」


 低く、落ち着いた声。

 その声は、今まで聞いてきたどの声よりも、温かさがあった。


 私は動かない身体を必死に動かし、顔を上げた。


 銀髪の騎士――いや、鎧の意匠からして、ただの騎士ではない。

 辺境を束ねる証。

 


 彼の瞳は、深い紫だった。

 氷のように冷たく見えるのに、芯に火がある。


「……だい、じょうぶ……です」


 絞りだした声は掠れ、息のように小さい。


 彼は一瞬、眉を動かした。


「大丈夫な顔ではないが」


 短く言って、彼は手を伸ばす。

 

 次の瞬間、ふわりと抱き上げられた。

 

 重さを感じさせない腕。温かい体温。

 驚いて息を呑む。


「――っ」


「静かに。暴れるな」


 叱るようでいて、声音は乱暴ではなかった。

 私は固まったまま、彼の胸元に視線を落とす。


 そこに刻まれていたのは、やはり辺境を治める家の紋章。

 狼と、剣と、結界の輪。


(……ブラックスローン公爵家)


 噂だけは聞いたことがある。

 この世のものとは思えぬほど美しいその容姿に反して、

 冷酷、無慈悲、戦闘力が高く魔物のような男。

 

 けれど今私を抱える腕は、ずっと確かで、暖かだった。


 彼は護衛を見て、短く命じた。


「馬車は捨てる。ここは危険だ、離れるぞ」


「は、はい!」


 護衛の態度が一変する。

 彼らは震えながら従った。


 私は、意識が薄れる中で思った。


(助かった・・・)


 でも、なぜ?


 銀髪の男が、ふと私の手元に目を落とした。

 エリシアの両手にまだ消えず残る、白い光。


「……あの結界を張ったのは君か」


 答えられなかった。

 疲労と恐怖と安堵が入り混じり、喉が言うことをきかない。


 それでも、彼は何かを確かめるように私を見つめた。

 そして、ひどく小さく、誰にも聞こえないほどの声で呟いた。


「無能ときいていたが……とんでもないな」


 私は、そこで――意識を手放した。

最後までお読みいただきありがとうございます。

楽しんでいただけましたら幸いです。

もしよろしければご評価やブクマなど応援いただけますと嬉しいです。

よろしくお願いします!

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