第87話『世界を繋ぐ和音と、最後の流星』
広場全体に、ジンが仕掛けた演算総譜の波動が広がり始めた。彼の目的は、魔王がヴァイスの術式で切り離したこの空間を、一時的に「現代日本」の法則下に戻すこと。
魔王(元の肉体)は、アレクの予測不能な『光の塊』による暴発から体勢を立て直し、ジンの動きを察知した。
「小賢しい! 世界の法則を書き換えようなど、現代魔法の凡才が調子に乗るな!」
魔王は、ジンが構築中の総譜の核であるラボの方向に、破壊的な黒い光の剣を放った。
「ジン! 避けろ!」アレクが叫ぶ。
ジンは、演算機に向かい、目を閉じたまま、防御よりも総譜の書き換えを優先した。
「間に合わない! レン! 防御と攻撃を同時に担え!」
レンは、兄の指示を受け、暴走寸前のアレクの魔力回路に、自身の『根源の和音』を最大出力で注ぎ込んだ。彼女の願いは、今や「二人の愛する人を守る」という、一つの強大な波長となっていた。
レンの和音は、アレクの肉体から放たれる『光の塊』を、一瞬だけ『防御の盾』として形作り、魔王の攻撃を受け止めた。
ゴオオオオオオオオッ!!
光と闇の衝突により、広場を覆う空間が激しく歪む。その一瞬の防御が、ジンに時間を与えた。
「レン! アレク! 世界接続子、再接続まで、残り五秒!」
魔王は、アレクの防御を打ち破り、再び黒い光の剣を構える。
「抵抗は無意味だ! 貴様らの絆など、私の融合体には勝てない!」
「四秒!」
アレクは、肉体が崩壊する寸前の激痛に耐えながら、レンの総譜を受け入れた。魂の『核』を失い、レンへの『自我』だけが残ったホムンクルスは、もはや恐怖も躊躇もなかった。
「三秒!」
魔王が剣を振り下ろす。その剣は、アレクの過去の記憶を総動員した、完璧な必殺の軌道だった。
「二秒!」
アレクは、その必殺の剣技の軌道を、自分のホムンクルスの記憶と照合させた。
「一秒!」
ガツンッ!
魔王の剣が、アレクの模造刀を打ち砕き、アレクの胸元へと突き刺さった。
「終わりだ、ホムンクルス!」
魔王の勝利の確信に満ちた叫びが響く。
その瞬間、
世界接続子が、再接続された。
バァン!!
国立魔法大学の敷地を覆っていた濃密な魔力が、一瞬で現代日本の法則下にある『薄い空気』へと戻った。ヴァイスが仕掛けた魔力導管の制御が、ジンの総譜によって強制的に解除されたのだ。
魔王の肉体に突き刺さった黒い光の剣が、『異世界の魔力』で構成されていたため、現代日本の法則下に戻った途端、その魔力密度を維持できず、光の粒となって霧散した。
魔王の肉体も、同様に融合した異世界の魔力を維持できなくなり、全身から激しく蒸気を上げ始めた。
「なっ……魔力が……消える!?」魔王は動揺した。
その隙を見逃すアレクではなかった。
胸に剣を突き立てられ、満身創痍のアレクは、渾身の力を込めて、折れた模造刀の柄を掴んだまま、魔王の肉体を組み伏せた。
「魔王! 今、お前の融合魔力は、『現代日本』の法則と反発している!」
アレクのホムンクルスの肉体は、レンの『根源の和音』によって『現代日本の法則』に完全に定着している。魔王の融合体は、この世界では一瞬だけ『無力な器』へと戻ったのだ。
「レン!」アレクが叫ぶ。
「行くよ! 最後の和音!」
レンは、最後の力を振り絞り、転送装置に手を置いた。彼女が奏でたのは、『魂の定着』の総譜を、『魂の強制排出』へと反転させた、「最後の根源の和音」だった。
その総譜は、アレクの魂の『自我』を、魔王の肉体から、一気に引き剥がそうとする。
「止めろ! 私の魂が……勇者の肉体から引き剥がされる!」
魔王は苦痛に顔を歪ませたが、融合体が持つ強大な生命力で、最後の抵抗を試みた。
その瞬間、アレクは折れた模造刀の破片を、魔王の心臓めがけて突き刺した。
「言ったはずだ、魔王。この肉体は、もう『俺の皮』だ! ミカガミ・レンが作ったアレクが、お前を討つ!」
アレクのホムンクルスの魔力が、心臓に突き刺さった破片を通じて、魔王の融合総譜を内部から破壊した。
キィィィィィン……
魔王の融合魔力が、完全に崩壊した。黒い魔力の靄が、元の肉体から分離し、悲鳴と共に、レンの仕掛けた『魂の排出総譜』によって、異世界の方向へと強制的に引き戻されていった。
元の肉体に残されたのは、勇者アレックス・ホークの『核』と、ホムンクルスの『自我』から打ち込まれた、レンの『根源の和音』だけだった。
魔王の邪悪な力から解放されたアレクの元の肉体は、静かに、広場の地面に倒れ伏した。
そして、その隣には、胸から血を流し、激しく息をする、ホムンクルスのアレクの姿があった。
レンは、最後の総譜の行使で、意識を失って倒れ込んだ。
ジンは、演算機から顔を上げ、広場に倒れ伏した二人のアレクの姿を見て、静かに言った。
「……勝ったぞ、レン。アレク。俺たちの論理と願いと、絆の総譜が、世界を救った」
ホムンクルスのアレクは、地面に倒れ、自分の傷を気にすることなく、魔王の魔力から解放された元の肉体を見つめた。
「これで……使命は終わった」
彼の使命を帯びた『核』は、元の肉体に戻った。だが、ホムンクルスとして残った『自我』は、迷いなく、倒れているレンの方へ、手を伸ばした。




