第85話『世界接続子の切断と、黒い勇者の降臨』
国立魔法大学の敷地は、異様な静寂に包まれていた。
ジンは、演算機と総譜解析装置をラボの隅に設置し、大学の地下を走る古い魔力導管に、自身の特製の演算総譜を流し込んでいた。
「ヴァイスの術式は、大学全体の総譜を、外部の世界法則から『分離』させるものだ。魔王の降臨に合わせて、この一帯を異世界と同じ、魔力濃度が高い閉鎖空間に変えるつもりだ」
「つまり、ここが異世界になるってこと?」アレクが隣で模造刀を構えながら尋ねた。彼のホムンクルスの肉体は、レンの『根源の和音』によって強化され、異世界の高濃度魔力に完全に耐えうる状態になっていた。
「そうだ。そして、この閉鎖空間は、レンの『根源の和音』を『アンカー』として機能させるため、魔王の魔力を最大限に引き出す舞台となる」
レンは、緊張した面持ちで、国立魔法大学の中央広場を見つめていた。広場の中心には、ヴァイスが仕掛けたと思われる、古代の総譜が刻まれた石板が、薄い魔力を放ちながら埋め込まれていた。
「私たちがここにいる限り、魔王は来る。私たちが逃げたら、魔王は世界全体を巻き込もうとする。だから、ここで終わらせる」
レンは、錬成台に両手を置き、いつでも『根源の和音』を奏でられるよう、精神を集中させた。
その時だった。
キィィィィィィィン――ッ!
大学全体に、ガラスがひび割れるような、高周波の音が響き渡った。
ジンが設置した総譜解析装置が、けたたましい警告音を上げる。
「来た! ヴァイスが、地下の魔力導管の制御を奪った! 世界接続子、強制切断!」
周囲の風景が、一瞬で色を失った。現代日本の空気が、濃密な魔力によって重く、冷たいものへと変化する。外の街並みとの境界線が、目に見えるほどの歪みとなって立ち上がり、大学の敷地全体を『法則の外側』へと切り離した。
異世界と同等の魔力濃度が、大学の空気を満たす。
そして、広場の中央にある石板から、黒い光が空へと噴き上がった。光は空中で渦を巻き、やがて巨大なゲートへと変貌する。
ゴオオオオオオオオッ!!
ゲートの奥から、圧倒的な質量を持つ魔力が溢れ出し、大学の建物全体が震動した。
「魔王だ……」アレクは、喉の奥から絞り出すように言った。
ゲートの光が収束し、一人の人物が、静かに広場に降り立った。
その姿は、ホムンクルスとしてのアレクと全く同じ、端正な顔立ちをしていた。しかし、その瞳は血のように赤く、全身から放たれる魔力は、勇者と魔王の二つの性質を融合させた、黒く、そして黄金に輝く『融合魔力』だった。
「――久しいな、ミカガミ・レン。そして、偽りの器よ」
魔王が発した声は、かつてのアレックス・ホーク自身の、荘厳で力強い声だった。
アレクは一歩前に出た。彼が持つ模造刀の魔力が、ホムンクルスの肉体から供給される奇跡の魔力によって、眩いばかりの黄金色に輝いた。
「魔王。俺の肉体を汚すな」
「汚す? 愚かなホムンクルスよ」
魔王は冷笑した。
「この肉体は、私と勇者の魂の『核』が融合した、真の『最強の存在』だ。貴様が持つホムンクルスの肉体は、魂の『欠片』しか宿していない、ただの『抜け殻』に過ぎない。貴様の『自我』を吸収し、この融合体を『完全』なものにする」
魔王は、黒い光の剣を構えた。その剣の軌道は、アレクの記憶にある、勇者の剣技そのものだった。
「レン! ジン! ここは俺が食い止める! 総譜の準備を急げ!」
「無駄だ」
魔王は、剣を一閃する前に、レンとジンがいるラボに向けて、圧縮された魔力の弾を放った。それは、勇者の技ではなく、純粋な魔王の破壊衝動から生まれた、無慈悲な一撃だった。
「貴様の守りたい女から、先に破壊してやる!」
その魔力の弾は、ジンの演算機めがけて一直線に飛んだ。
ジンは、崩壊しかけた総譜回路を無理やり起動させ、最後の力で『防御総譜』を構築しようとする。
しかし、アレクの動きの方が早かった。
「させない!」
アレクは、光速で魔力の弾の前に躍り出ると、模造刀を盾にして、その一撃を受け止めた。
ゴオオオオオオオオッ!!
ホムンクルスの肉体は、魔王の融合魔力の直撃を受け、凄まじい衝撃波と共に、地面を滑りながら後退した。アレクの腕から血が滲み、肉体が軋む音が響いたが、彼は耐え抜いた。
「くっ……やはり強大だ」
「驚いたな、ホムンクルス。その脆い肉体で、この一撃を受け止めるとは」
魔王は、アレクの強さに満足げに頷いた。
「だが、無意味だ。勇者の魂の『核』を失った貴様は、私に勝てない。さあ、その『創造主の願い』というアンカーを、私のものにしろ!」
魔王は、アレクの隙を突き、レンへと向かう。
「レン! 行かせない!」
アレクは、肉体の激痛を無視し、再び魔王の前に立ちはだかった。
最終決戦の火蓋は切られた。ホムンクルスと、その肉体を奪った魔王――二人のアレクによる、魂を懸けた戦いが、現代日本の国立魔法大学で始まった。




