第82話『凡才の罠と、黒い勇者』
異世界。荒廃した古城の城壁の上。
ジンは、魔王(アレクの元の姿)が放った「黒い光」を、辛うじて避けた。魔王が持つ光の剣の技は、かつての勇者アレックス・ホークのものと全く同じ軌道を描いていたが、その破壊力と邪悪さは比べ物にならない。
「小賢しい小細工師め。貴様がこの世界に来た理由は、我が肉体に刻まれた『勇者の魂の核』を打ち込もうというのだろう」
魔王は、元の肉体であるアレクの端正な顔で、冷酷に笑った。その姿は、ジンが知るホムンクルスのアレクの肉体と瓜二つだが、纏う魔力の重みが全く違う。
ジンは息切れしながら、演算機を操作した。彼の体内の総譜回路は、異世界の高い魔力濃度と、魔王の強大な波動により、悲鳴を上げている。
「俺の目的は、この世界の法則の歪みを正すことだ!」
ジンは叫びながら、防御総譜を構築した。それは、広範囲に魔力障壁を張り巡らせるのではなく、古城の周囲に存在する、魔王が過去に使った魔力痕を解析し、その『波長の逆転』を利用したトラップだった。
「起動! 逆相総譜トラップ・『記憶の反転』!」
ジンが放った総譜は、地面に染み込んだ魔王の過去の魔力痕を一瞬だけ活性化させた。その魔力は、魔王自身の総譜と衝突し、一瞬だけ魔王の記憶を『勇者アレックス・ホーク』のものへと反転させる。
魔王は激しい頭痛に襲われ、一瞬、動きが止まった。
「ぐっ……これは……!」
魔王の瞳から、一瞬だけ赤い光が消え、懐かしい、仲間を思うような優しい光が戻る。
「……レン……ジン……」
「今だ!」
ジンは、この一瞬の隙を見逃さなかった。彼は、ホムンクルスのアレクの魂の『核』が異世界へ到達した波長を捉え、『誘導総譜』を全力で放った。
光の粒となったアレクの魂の『核』は、ジンが作った誘導総譜のレールに乗り、魔王(元の肉体)の胸元へと一直線に打ち込まれた。
「成功した……!」
ジンは安堵の息を漏らしたが、それは束の間だった。
魂の『核』が肉体に打ち込まれた瞬間、魔王は再び激しい苦痛の叫びを上げたが、すぐにその苦痛は強大な力へと変換された。
「小賢しい……! 貴様の魂の小片一つで、この『融合体』の支配を覆せると思うか!」
魔王は、瞳の赤い光を復活させ、笑った。
「確かに、一時的に肉体の主導権は揺らいだ。だが、この融合体は、勇者の肉体の『核』さえも取り込み、より強固な『支配の鎖』へと変える!」
魔王は、取り込んだ勇者の『核』の魔力を利用し、黒い光の剣をさらに強大な力で生成した。その波動は、古城全体を震わせた。
ジンは、自分の『論理の盾』が完全に破られたことを悟った。自分の役割は、あくまで『核』を送り込むこと。その使命は果たした。後は、レンの『アンカー』にすべてを託す時だ。
「レン! 今だ! 総譜を解放しろ!」ジンは、現代日本へ向けて、最後の総譜を奏でた。それは、「引き戻し(リコール)」の信号だった。
しかし、魔王はその信号を即座に察知し、ジンに向けて光の剣を振り下ろした。
「逃がすものか! 貴様の妹の『願いの総譜』も、この肉体に取り込んでやる!」
現代日本。国立魔法大学の屋上。
アレクは、使命の『核』を送り込んだことで、体内の激痛が収まったホムンクルスの肉体で、倒れたレンを支えていた。
「レン! ジンからの信号だ! 今すぐ、総譜を!」
レンは意識を失っていたが、アレクの叫びと、兄からの総譜信号に、錬金術師としての本能が反応した。
レンの体が淡く輝き、総譜の演算台に置かれた両手から、力強い『根源の和音』が、ゲートの跡地へ向かって放たれた。
――絶対、お兄ちゃんを、無事に帰す!
レンの純粋な願いが、光の柱となって、異世界へと延びていく。それは、世界法則を書き換え、異世界と現代日本をつなぐ、強靭な『絆のアンカー』となった。
異世界。
魔王の黒い光がジンに命中する寸前、レンの『根源の和音』が、ジンを包み込んだ。
「これが……レンの力!」
ジンは、光の柱に引き寄せられるように、一瞬で姿を消した。
魔王は、アンカーとなったレンの総譜の強大さに、舌打ちをした。
「ちっ……強すぎる。これが『創造主の願い』か。だが、勇者の魂の『核』は、この肉体にある。貴様らの小細工は、もう通用しない」
魔王は、融合した肉体の魔力を解放し、城壁の上に立つと、遠い空を見つめた。
「ホムンクルスよ、ミカガミ・レン。貴様が創り出した『偽りのアレク』は、やがてこの世界に帰ってくるだろう。その時、貴様と、その妹の『願いの総譜』を、この肉体が完全に吸収してくれる!」
魔王の邪悪な笑い声が、異世界の空に響き渡った。
国立魔法大学の屋上。
ジンは、レンの『根源の和音』に引き戻され、激しく咳き込みながら、地面に倒れ込んだ。彼の体内の魔力回路は限界を超え、演算機は完全に沈黙していた。
「お兄ちゃん!」
アレクはジンを抱き起こした。
「成功したのか!? 魂の『核』は!?」
ジンは苦しげに頷いた。
「……ああ。成功だ。魔王の肉体に、アレクの魂の『核』を打ち込んだ。だが、魔王はそれを『融合体』の一部として取り込み、さらに強大になった」
ジンは、意識を失っているレンを一瞥した。
「ヴァイスの言う通りだ。レンの『根源の和音』こそが、魔王にとって最大の脅威であり、最大の獲物となる」
アレクは、遠い異世界へと思いを馳せた。ホムンクルスの肉体ではあるが、魂の『核』を分離させたことで、彼の使命は、今や「故郷を救う」という一点に収束していた。
「魔王は、俺の肉体を完全に手に入れた。だが、俺は、レンが創ったこの身体で、必ず奴を討つ」
アレクは、倒れているレンを抱き上げ、そしてジンを支え、夜明けの屋上を後にした。ホムンクルスと、半壊した科学者、そして力尽きた錬金術師。彼らの帰還は、魔王との最終決戦への序章に過ぎなかった。




