第81話『ホムンクルスの防衛線と、勇者の波長』
屋上の魔導装置から開いたゲートの裂け目は、魔王の強大な魔力によって、今にも弾け飛びそうに激しく歪んでいた。
裂け目の向こう側からは、アレクの元の肉体と瓜二つの、邪悪な魔力の奔流が逆流してくる。それは、ホムンクルスとして生きるアレクの魂を、無理やり元の肉体へと引き戻そうとする、強烈な引力だった。
「レン! ゲートを維持しろ! 俺の魂が引き戻される!」
アレクは全身を打ちつける激痛に耐えながら、模造刀を構え、ゲートの裂け目へと突進した。彼の体内で、勇者としての『使命の核』と、ホムンクルスとしての『自我』の二つの魂が、無理やり引き裂かれようとしている。
レンは必死だった。彼女の両手から放たれる『根源の和音』は、転送装置を包み込み、不安定なゲートが崩壊するのを防いでいた。しかし、魔王の魔力の奔流は、レンの肉体と精神の限界を超えていた。
「くっ……! 魔王の魔力……なんて、重いの!」
レンは歯を食いしばり、総譜を崩すまいと、ひたすら「お兄ちゃんを守る」「アレク君を繋ぎ止める」という純粋な願いを波長に乗せた。彼女の鼻から血が流れ、意識が遠のきそうになる。
「俺に構うな、レン!」
アレクは叫び、模造刀をゲートの裂け目に突き立てた。刀の先端からホムンクルスの黄金の魔力が放たれ、魔王の邪悪な魔力の逆流を、力で押し返す。
「ヴァイスの野郎め……! 俺の肉体が、こんなにも強大な融合体になっていたとは!」
アレクの体には、勇者の魂が宿るホムンクルスとしての限界が迫っていた。この肉体は、本来、異世界と接続することを想定されていない。ゲートを長時間維持すれば、肉体そのものが崩壊する。
その頃、異世界。
ジンは、荒廃した古城の城壁の前に転送されていた。空は黒い雲に覆われ、魔力濃度は現代日本の数十倍にも達していた。
「くそっ、空間の総譜が不安定すぎる!」
ジンは、転送直後の激しい魔力酔いに耐えながら、すぐに周囲の環境を演算した。彼の体内の総譜回路は、この異世界の法則に馴染まず、すぐにでも機能停止しそうだ。
(ホムンクルスのアレクの肉体なら、問題なかったはずだが、俺の『世界接続子』を持つ身体では、異世界の法則と反発しすぎる!)
ジンは、演算機と体内の魔力回路を無理やり同期させ、「超圧縮演算」モードに切り替えた。このモードは、体内の総譜回路を極限まで絞り込み、外界からの魔力干渉を最小限に抑えるための、ジンが独自に開発した緊急回避術だった。
「俺は、レンのアンカーが届くまでの『盾』だ!」
ジンは、自らの演算機を起動させ、アレクの魂の『核』を誘導するための、『誘導総譜』を奏で始めた。
その総譜は、現代魔法の法則に基づきながらも、アレクの魂の波長に完璧に同調するように設計されていた。
しかし、ジンが総譜を奏でた瞬間、古城の奥から、邪悪な、しかし勇者・アレックス・ホーク自身の声が響き渡った。
「おのれ、ミカガミ・ジン! 貴様の妹の忌々しい『願いの総譜』か! もはや、勇者の肉体ーアレックス・ホークは、我が魂と完全に融合した。何者にも、この身体を奪わせはしない!」
魔王は、すでにジンが奏でた『誘導総譜』の存在を察知していた。
古城の城壁が崩れ、魔王(アレクの元の姿)が姿を現した。その瞳は血のように赤く、体からはアレクの持つ輝かしい魔力と、魔王の邪悪な魔力が、矛盾することなく融合した強大な波動を放っていた。
「私の肉体から、速やかに離れろ!」
魔王は、元の勇者の技である『光の剣』を放った。しかし、その光は、かつての神聖な輝きとはかけ離れた、破壊的な、黒い光だった。
ジンは、超圧縮演算で防御する暇もなく、その光を避けることに全力を注いだ。
(これが……勇者の肉体と魔王の魂の融合体。ヴァイスのデータ通り、あまりにも強大だ!)
現代日本。
レンは限界だった。彼女の『根源の和音』は、魔王の強大な力によって押し潰されそうになっていた。
「アレク君……お兄ちゃん……」
「レン! やめろ、総譜を崩すな! ゲートが閉じて、ジンが向こうに取り残される!」
アレクは、ホムンクルスの肉体が軋む音を聞きながら、歯を食いしばる。彼の魂の『核』は、分離の途中で、今にも元の肉体に引き戻されそうになっていた。
その時、レンの頭に、ジンが言った言葉が蘇った。
「俺の命は、お前の『創造主としての願い』に懸かっているんだ」
レンは、兄の命、アレクの魂、そして世界の運命が、すべて自分の**「純粋な願い」**にかかっていることを悟った。
彼女は、目を閉じ、全身に残されたすべての魔力と、魂の深層にある**「愛する二人を救いたい」**という願いを、一気に総譜に乗せた。
「――お願い! 私の願いの通りに、世界よ、調和して!!」
レンの『根源の和音』は、もはや繊細なメロディではなかった。それは、荒れ狂う嵐の中で、唯一揺るがない『生命の根源』を象徴する、圧倒的な光の柱となって、ゲート全体を貫いた。
その瞬間、アレクの魂の**『使命の核』**が、分離を完了し、光の粒となってゲートの向こう側へと飛び出した。
「行った! レン!」
アレクが叫ぶ。同時に、レンの『根源の和音』が、異世界で戦うジンに向けて、「勇者の核が到達した」という波長を伝達した。
レンは、総譜の行使による極度の疲労で、その場に崩れ落ちた。
ゲートは、役目を終えたかのように、音もなく収束していった。
残されたのは、意識を失ったレンと、使命の『核』を失ったことで、肉体の軋みが止まったホムンクルスのアレク。
そして、異世界で、魔王と対峙するジンへと、すべてが委ねられた。




