第79話『禁忌の総譜(タブー・スコア)の設計』
ラボは、昨日までの緊迫感とは異なる、重厚な集中力に包まれていた。
中央には、ヴァイスの演算杖から得られた「魂の連鎖融合」のデータと、ジンが隠していた「根源の和音」の禁忌の文献が広げられている。隣には、アレクの魂の波長データと、レンの錬成総譜のログが並んでいた。
ジンは演算機に向かい、レンは古代の文献を、アレクはヴァイスのデータを担当し、膨大な情報を読み解いていく。もはや、兄妹の秘密も、勇者の使命も、隠す必要はなかった。
「魂を二つに分割し、その片方を、魔王が融合した肉体と共有させる……」
ジンは唸った。科学者としての彼の脳裏には、あまりにも非論理的で、危険な総譜の形しか浮かばない。
「アレクの魂は、『勇者』としての魔王打倒の使命と、『ホムンクルス』としてのレンへの絆、この二つに大きく分離できる。勇者としての使命は、彼の魂の『核』だ。これを元の肉体に戻せば、肉体は勇者の波長に引き戻されるはずだ」
「じゃあ、このホムンクルスの魂はどうなるの、お兄ちゃん?」レンが不安げに尋ねた。
「残りの『人間としての自我』、すなわちレンへの絆や現代日本での記憶が残る。このホムンクルスのアレクは、言わば『使命を終えたアレク』として、そのままこの世界に残ることになる。元の肉体の魂と、ホムンクルスの魂が『アレクという存在』を共有する、極めて不安定な状態だ」
アレクは、その言葉を冷静に聞いていた。
「それでいい。俺は、レンが創り出した『アレク』としてここに残る。魔王を打ち砕くのは、勇者アレックス・ホークの使命を担う、俺の魂の『核』で十分だ」
問題は、その二つに魂を分離し、そして元の肉体という『融合体』に打ち込む**『総譜のアンカー』**だった。
「文献によれば、魂の分離には、世界接続子を断つ『分離の錬金術』が必須だ。そして、肉体への再定着には、レンの『根源の和音』が必要になる。ヴァイスは、分離と根源の和音、この二つを組み合わせる術式を研究していた」
レンは古代の文献を読み進めていた。
「ここに書いてある……『根源の和音とは、術者の最も純粋な願いが世界総譜に刻まれる奇跡。その願いが、魂の波長と完璧に同調したとき、世界法則を書き換え、異世界との障壁すら無視する』」
「純粋な願い……」
ジンは目を輝かせた。
「そうだ、レン。お前の『最高のホムンクルスを創りたい』という願いがアレクを転生させたように、今度は『アレクの魂を救いたい』という願いが、魂の分離と共有を可能にするアンカーとなる!」
ジンはすぐに演算機を操作し、ヴァイスのデータと古代の術式を融合させた。画面に表示されたのは、複雑な演算総譜の集合体、『禁忌の総譜』だった。
「この総譜を奏でる」
ジンは演算機を指さした。
「アレク、お前の魂を分離し、レン、お前の『根源の和音』をアンカーにして、異世界にゲートを開く。そして、勇者の魂の『核』を元の肉体へ送る」
しかし、レンの顔は曇っていた。
「お兄ちゃん、待って。ここに書いてある。『根源の和音の行使は、術者の生命力と魂の安定性を代償とする』って。私の『願い』が強ければ強いほど、私の命が削られるの?」
ジンは言葉に詰まった。彼はその情報を隠そうとしていたのだ。
「レン……」
「隠さないで、お兄ちゃん」
レンは強く言った。
「私を信じてって言ったでしょう?命を削ってでも、私はアレク君を支える。それが、創造主としての私の使命だもの」
アレクは、レンの手を強く握った。
「馬鹿言うな。俺は、お前を危険に晒すために元の肉体に戻るんじゃない」
「危険じゃないよ」レンは、アレクを見つめ返した。「もし命が削られても、私にはアレク君がいる。私が創った『アレク』がそばにいてくれれば、私は生きていける」
レンの揺るぎない覚悟と、アレクへの純粋な愛が、ジンの論理の壁を打ち破った。
「分かった」ジンは眼鏡を直し、演算機に向き直った。「レン、お前を信じる。アレク、お前を信じる」
「俺の論理と、お前の願いと、アレクの使命。この三つの総譜が揃えば、『魂の分割と共有』は可能だ。だが、この総譜の実行には、最低一人の術者が異世界へ渡り、ゲートを安定化させる必要がある」
ジンは、アレクの瞳を見た。
「アレク。お前は魂の『核』を元の肉体へ送った後、ホムンクルスとしてこの世界に残る。だが、魂の『核』を送り込むための一時的な異世界への渡航。それは、誰が担う?」
それは、元の肉体と対峙する可能性があり、最も危険な役目だった。
アレクは、静かに模造刀を掴んだ。
「俺が行く。俺の魂の核が元の肉体に送り込まれるまで、このホムンクルスの肉体で、俺の『核』を守り抜く」
しかし、ジンは首を横に振った。
「違う。それは、ホムンクルスのアレクの肉体を危険に晒すことになる。そして、最も重要なことだが……俺たちの『禁忌の総譜』には、魔王の融合肉体に対抗できる、強力な『盾』が必要だ」
ジンは、レンの頭に手を置いた。
「レン。お前は『根源の和音』を奏でるため、ここで『アンカー』として総譜を安定化させろ」
そして、ジンは決意の眼差しで、アレクをまっすぐ見つめた。
「俺が異世界へ渡る。俺の演算総譜は、瞬間的な防御とトラップの構築に特化している。ゲートが不安定な状況で、アレクの『核』を元の肉体へ誘導する。その『盾』は、俺が担う」
ジンは、兄として、科学者として、初めて論理を捨て、「使命」を帯びた顔をしていた。
「三日後、国立魔法大学の屋上から、俺は異世界へと単独で渡る。それまでに、総譜の最終調整を終えるぞ」
三人の視線が交差した。それぞれの決意を胸に、彼らは、世界を股にかける最後の戦いへと向かう準備を始めた。




