第73話『祭の夜明け』
――夜が明けていく。
長く続いた暗雲は消え、街の空には淡い朝焼けが滲んでいた。
昨日まで人々を覆っていた不安も、少なくとも今は小休止を得たかのようだった。
広場にはまだ倒壊した屋台や破れた幕が散乱していた。けれど人々はそれを見て涙を流すのではなく、互いの無事を確かめ合い、抱き合って笑っていた。
「本当に……守られたんだな」
老人が呟き、隣の子どもを抱きしめる。
「うん、あのお兄ちゃんたちが……!」
子どもの指差す先に、アレクたちがいた。
アレクは崩れた櫓の残骸に腰を下ろし、まだ荒い呼吸を整えていた。
「……ふぅ、死ぬかと思った」
「死なないでよ」
レンが泣き笑いしながらハンカチで彼の額の汗を拭った。
「うるせぇ、俺は死なねぇよ」
強がって笑うアレクに、仲間たちの視線が優しく注がれた。
ミユは胸に抱えたタグ札を見つめる。光は消えているが、まだぬくもりが残っている。
(……私の札も、ちゃんと役に立ったんだ)
唇が震えたが、涙は零さなかった。代わりに小さな笑みを浮かべる。
ユウタは崩れた結界の端を撫で、静かに目を閉じた。
「……これで一つ証明できた。結界は閉じるものじゃなく、響かせるものだ」
その声には確信が宿っていた。
カズマは大の字になって広場の真ん中に寝転び、子どもたちに囲まれていた。
「カズマ兄ちゃん、すごかった!」
「もっと叩いて!」
「おう任せろ、でも木刀が折れちまったな!」
笑い声が溢れ、重苦しい空気を少しずつ薄めていく。
そして、ジン。
彼は刀を収めたまま街を見回していた。眼鏡の奥の瞳は鋭さを保ちつつも、ほんのわずかに柔らかい。
「……今夜は、勝った」
誰に言うでもなく呟いたその言葉を、レンは確かに聞き取っていた。
午前になると、市の役人や商人たちが駆けつけ、広場の片付けが始まった。
「助けてくれてありがとう」
「君たちがいなければ、この街は……」
次々と感謝の声が飛び交う。
アレクは頭を掻きながら照れ臭そうに笑った。
「べ、別に礼なんかいいっての。俺はやりたいからやっただけだ」
だが子どもたちは容赦なく抱きついてきた。
「英雄アレク!」
「ちょ、やめろって! ガキ扱いすんな!」
笑い声が広場に響く。
レンはその光景を見つめ、胸が温かくなる。
(……ホムンクルスだって、関係ない。アレク君は、もうこの街の英雄なんだ)
しかし、誰もが笑顔だったわけではない。
ジンは人々から離れ、崩れた櫓の影で腕を組んでいた。
(ヴァイス……あの一拍。あれは迷いか、それとも意志か)
最後の瞬間、敵であるはずのヴァイスが一拍を刻んだ。
それは確かに総譜の一部となり、“目”を砕く決め手となった。
ジンはあの瞬間を何度も思い返していた。
(もしあれが本気でこちらに与したなら……だが、奴は去った。つまりまだ敵だ)
眼鏡の奥の瞳は油断なく光っていた。
一方、街外れの森の中。
ヴァイスは片膝をつき、砕けた仮面の欠片を見つめていた。
「……拍。俺の中にも、まだ残っているのか」
その声には初めて、人間らしい揺らぎがあった。
彼の背後に、呪具商人の影が現れる。
「裏切るなよ、ヴァイス」
「……任務は続行する」
ヴァイスは低く答えたが、心の奥には確かに迷いが芽生えていた。
日が完全に昇る頃、仲間たちは水鏡屋に戻ってきた。
工房には片付けられた器具と、新しい紙札が並んでいる。
レンは机に座り、静かに言った。
「……街は守れた。でも、まだ終わってないよね」
ユウタが頷く。
「“目”は砕けたが、根は残っている。商人も、ヴァイスも」
カズマが木刀の残骸を振り回し、笑い飛ばした。
「なら次もぶっ叩くだけだろ! なぁ、アレク!」
「おう!」アレクは拳を掲げた。
「俺は絶対に折れねぇ。レンも、ミユも、みんなも、俺が守る!」
その言葉に、ミユは顔を赤らめながらも強く頷いた。
ジンは黙って彼らを見つめ、やがて小さく息を吐いた。
「……なら、俺も刀を振るう。だが忘れるな。もしお前が制御を失った時は――俺が斬る」
「上等だ」
アレクが笑う。
「その時は、俺がもっと強くなってる」
レンは小さく笑みを浮かべ、鈴を鳴らした。
ちりん……と澄んだ音が工房に響く。
それは、新しい戦いの始まりを告げる音でもあった。
夜明けの街には、昨日の恐怖を超える活気が戻っていた。
壊れた屋台を修理する人々、太鼓を打ち直す音、子どもたちの笑顔。
そして広場の中央には、まだ焦げ跡が残っていた。
それは“守り抜いた証”として、長く語り継がれることになるだろう。
――こうして祭の夜は明けた。
だが、それは新たな嵐の序章にすぎなかった。




