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転生のホムンクルス-最強勇者は魔法が存在する現代日本に転生しました-  作者: エア


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第64話『休符』

 朝の街は、拍を取り戻した心臓のように静かに、しかし力強く脈打っていた。駅のベルは時間を押し出すように鳴り、神社の鈴は通りすがりの手に短い挨拶を返す。港のサイレンは低く、学校のチャイムは澄んだ柱となって空へ立ちのぼる。

 「総譜」が完成して三日。休符の膜は薄皮のように街路から剥がれ落ち、日常の音色がその上をなぞって固まっていく。水鏡屋の工房では、《統合鏡》の曇りも消え、鏡面には淡金色の線が都市の骨を描き続けていた。


「……今日だ」

 鏡の前に立つジンが言った。眼鏡の奥で瞳が細く光る。

 アレクは杖の石突きを床にコツンと落として答える。

「来るなら来い。もう俺たちの曲の方が強ぇ」

 レンは鈴を掌に寝かせ、深く呼吸を整えた。

「音を外さなければ、負けない」

 「はい」ミユがノートを抱え、入口横の小机にタグ束を広げる。

「侵入の位相を見たら、私が“ここ”を打ちます」

 カズマは木刀を肩に担ぎ、ユウタは鏡枠の温度と導魔線のテンションを一通り確かめる。準備には慣れが出ていたが、油断は一つもない。


 そのとき、表の風鈴が一瞬だけ鳴らなかった。風はあるのに、音が立たない――わずか半拍の穴。

「――来た」

 ジンの言葉と同時に、格子戸の隙間が暗く伸びる。闇の縁から、黒衣の裾が床をさらい、続いて漆黒の鎧が姿を現した。


「総譜、確かに美しい」

 呪具商人の声は柔らかかった。

「だからこそ試す価値がある。――創造主」

 黒刃のヴァイスが一歩出る。胸元の欠け紋はひとつだけ。残る最後の“縫い止め”は、最初に見たときよりも細密で、あまりにも薄い。ぎりぎりで刃を繋いでいる、そんな繊細さ。


 狙いは、最初からひとつ。レン。

「排除対象、創造主。――開始」

 冷たい宣告と同時に、刃が滑る。間合いを計る前置きはない。休符の薄膜が工房の空間を一層だけ沈め、踏み込みの音すら消す。


「させるかぁっ!」

 アレクは先に床を鳴らした。足裏から梁へ、梁から壁へ、壁から鏡へ――水鏡屋全体が楽器として“拍”を持つ。彼の小さな身体は軽いが、胸の奥の太鼓は深い。

 刃が鈍る。音がない世界で、彼だけが「鳴り」を持っているからだ。杖の石突きが刃筋を外へ押し、肩口へ滑り込んだヴァイスの体軸を半拍だけずらす。


 レンは鈴を振らない。代わりに、鈴の“穴”を開く。

 鳴らすのではなく、街の音を通すための管にする。駅のベル、神社の鈴、港のサイレン、学校のチャイム――総譜の基準音を一本の糸に束ね、掌の中の鈴へ通して床へ落とす。

 鳴らない音が、工房の板目を一行だけ明るくした。


「右、薄い」

 ミユが短く合図する。タグの先端で床の目を“ここ”に固定。

「了解!」

 カズマの木刀がそこの空気だけを叩き、ユウタが同時に鏡枠の結節を一段、下げる。音圧は上げず、しかし“基準”を下から支える。


 ヴァイスの刃は、なお正確だった。無駄がなく、目線も呼吸も揺れない。

 でも、彼の鎧の胸紋は、もう「揺らぎ」を隠しきれなかった。

 総譜に街が乗った今、その揺らぎは街の音の中で浮いてしまう。鋼の綴じ目にわずかな隙。音も呼吸も正確であればあるほど、そこに差が出る。


「――いまだ」

 ジンの声は音にならなかったが、全員の背骨を叩いた。

 アレクは一歩、踏み込む。小さな足音が“拍”に吸い込まれ、杖の先が刃の腹を押し、ヴァイスの肩を半寸落とす。

 レンの鈴は「無音」で返す。掌の中の空洞に街の音を通し、ヴァイスの胸紋の縫い目だけを震わせる。

 ミユのタグが床の目を一行、ねじる。「そこ!」

 カズマの一打が梁を鳴らし、ユウタの結界線が鏡から工房へ“返し”を送る。


 乾いた小さな音――金具が外れた音が、確かにあった。

 ヴァイスの胸紋の縁を固定していた黒い刺繍が、一筋ほどける。穴は針の先ほどだが、音の世界では致命的だ。そこに総譜の拍が流れ込み、刃の“綴じ”を内側から押し広げる。


「確認。――損傷、拡大」

 ヴァイスは一歩退き、呼吸を正す。失地を埋めるように刃が走る。狙いは変えない。創造主の喉元。

 アレクは小さな拳でそれを塞いだ。

 殴るのではない。叩いて、押さえ、拍を渡す。杖の石突きが床を一打、レンの足元で響き、その響きを鈴が拾い、ミユのタグが「ここ」と書く。

 ジンの息が鏡を通して街へ出、街から戻った息がヴァイスの鎧の隙を“湿らせる”。黒い糸は湿りに弱い。乾いた休符の世界で強かった縫い目は、いま街の呼吸でほつれ、解ける。


 「黒刃」

 アレクは目の前の遮光の面に向けて、はっきりと言った。

 「お前、強ぇよ。だから終わらせる。ここだ」


 杖の石突きが小さく跳ね、刃の腹に二度だけ触れた。打突でも受けでもない。拍渡し――“加点”。

 半拍の隙に二打が重なり、ヴァイスの刃はわずかに遅れ、肩が落ち、胸が開く。

 レンの鈴が最後に一度――ほんの、爪の先ほどだけ鳴った。

 鳴ったのは鈴ではない。街じゅうの当たり前の音が、今この瞬間だけ一点に集まって“決め”を作った。その針のような音が、ヴァイスの胸紋の真芯を貫く。


 ぱん、と紙が破れるような音。

 黒い刺繍が一気に解け、欠け紋は完全に割れた。鎧の内側で空洞が鳴り、ヴァイスの膝が一瞬だけ落ちる。刃先が床板をなぞり、止まった。


 呪具商人は、笛を唇に当てかけ――下ろした。

「……見事だ」

 薄笑いに、わずかな熱が混じる。「終曲。黒刃の譜はここまでか」


 ヴァイスはよろめかない。よろめくことを、学んでいない。

 刃を下ろし、面ごとこちらを向く。遮光の奥の目が、はじめて“舞台”を見渡す観客の目になった。

「任務――終了」

 機械的な声に、微かな呼気の揺れが差す。

「……強かった」

 その言葉が、彼自身に向いているのか、目の前の子供に向けてなのか、判じ難い。


 「黒刃」

 アレクは小さく頷いた。

 「また斬り合うことがあっても、もう“無音”にはさせねぇ。お前の刃にも、音がある」


 商人がゆっくりと手を挙げる。外套の裾がゆらぎ、工房の空気が半拍、折れた。先日の転調――だが、もうここは街の芯だ。折れても、戻る。

「第六幕、ここは幕間としよう。君たちの総譜は本物だ。なら――“指揮台”で会おう」

 黒衣と黒刃の輪郭が格子戸の外に滑り出て、路地の影に溶ける。風鈴が二度、澄んで鳴った。


 静けさが落ちる。

 だがそれは、休符ではない。音を孕んだ静けさ。工房の板、梁、柱、鏡、鈴、杖、ノート、木刀――すべてが同じ拍で息をしている。

 アレクは杖を肩に担ぎ、どさりと座り込んだ。

「ふぅ……終わった、のか?」

 レンはようやく息を吐き、膝の上で鈴を包む。

「うん。……ありがとう」

 ミユはノートの空白に、震えながらも大きく一行記した。〈黒刃・終曲。残紋、消滅〉

カズマは木刀の柄をぽん、と叩く。「決まったな!」

 ユウタは鏡枠の温度を下げ、導魔線のテンションを緩めながら頷く。「総譜、安定。休符の浸入、現在は無効」


 ジンは鏡から手を離し、深く肩の力を抜いた。

 「……よくやった」

 短い言葉に、珍しく、柔らかな響きがあった。


 水鏡屋の窓から見える街は、いつもの音で満ちていた。

 駅のベルが時間を押し出し、神社の鈴が通りすがりに揺れ、商店街の風鈴が気まぐれに笑う。港のサイレンが遠くで低く鳴り、学校のチャイムが昼を告げる。

 誰も知らない。黒刃がいまこの街で終曲に至ったことを。だが、それでいい。守るということは、そういうことだ。


     ◇


 夕方、ひと息ついた工房に、湯気の立つマグカップの匂いが広がった。

 レンが台所から戻り、皆の前にココアを並べていく。

「甘すぎたらごめん」

「最高!」

 アレクは両手で抱え、湯気を鼻先で吸い込む。

「勝利の味がする!」

「砂糖、抑えてほしかったな」ユウタが呟き、カズマが「勝った日は三倍でいいんだよ!」と笑う。

 ミユは両手でマグを包み、頬に少し色を戻した。

「レンさんの鈴、今日もすごかったです」

「……鳴らしてないよ」

 レンが照れたように笑う。

「街に鳴ってもらっただけ」


 ジンは黙ってカップを受け取り、窓の外を見た。

(黒刃は退いた。だが、あれは“端役”ではなかった。商人は次に“指揮台”を狙う。総譜の芯を、別の場所から奪いに来る)

 彼は机に新しい地図を広げた。駅、神社、港、学校――それらを結ぶ線の中心に、もう一つの点を置く。

 ――市の集会場、放送塔、そして祭の櫓――「人が集まり、誰かが“合図”を出す場所」。

 (指揮台は、いつも人の真ん中にある)


「なぁジン」

 アレクがマグを置き、真面目な声で言った。

「俺、いつか元の身体に戻る。けど――いまは、この街の拍で戦う。そう決めた」

 ジンはわずかに視線を落とし、頷く。「それでいい。お前の拍は、もうここにある」

 レンが鈴を見つめ、ふっと息を吐く。ミユはノートの次のページに〈第六幕:指揮台〉と書いた。

 カズマは木刀を布で拭い、ユウタは鏡枠に冷却の術式を一行、書き足す。


 日が落ち、工房の灯が柔らかに広がる。

 街は鳴っている。総譜は完成した。黒刃は終曲した。

 ――だからこそ、次の曲が始まる。指揮台をめぐる争奪戦。

 休符の海は消えない。だが、彼らの拍も消えない。


 アレクは小さな掌を開き、見えない拍をそっと掴んだ。

 「行こう。俺たちの曲で、次も“決め”る」


 窓の外、風鈴が一度、そしてもう一度、澄んで鳴った。

 それは賛同の合図のように聞こえた。

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