第63話『第六幕――“指揮台の奪取”』
翌朝の街は、昨日の喧騒が嘘のように静かで穏やかだった。
駅の改札口では学生が眠そうに定期をタッチし、商店街のアーケードでは八百屋の親父が威勢よく野菜を並べている。港のサイレンは点検音を澄んだまま響かせ、神社の鈴は参拝客に短い挨拶を返していた。
――どれも当たり前の日常の音。だが、それは昨夜「総譜」が完成したからこそ保たれているものだった。
水鏡屋の工房では、アレクがまだ畳の上で大の字になって寝ていた。
「……すぅ……へへっ……俺の勝ちだ……」
寝言まで勇者気取りだと、レンは呆れ顔で彼の横に座り、濡れタオルで額の汗を拭いた。
「ほんと、無茶ばっかりして」
彼女の声は叱責のようでいて、どこか安堵を含んでいる。
ミユは机の前でノートを広げ、昨夜の出来事を必死に書き留めていた。タグの構造、鏡の波形、ヴァイスの鎧に走った亀裂――どれも次に備えるための大事な記録だ。
カズマは木刀を磨きながら、「あの黒い鎧、あと一撃でバラせたんじゃね?」と調子に乗った声をあげ、ユウタが冷ややかに「慢心しないで。あれは撤退しただけだから」と釘を刺す。
ジンは窓辺に立ち、街の気配を探っていた。
(……たしかに総譜は効いている。休符の侵入は抑えられている。だが敵は諦めていない。むしろ、次は必ず仕掛けてくる)
眼鏡の奥の瞳が鋭く光る。
(そして狙いは……妹か、アレクの魂そのものか)
彼は小さく息を吐き、振り返って仲間たちを見回した。子供の体に収まる勇者の魂。まだ頼りないのに、誰よりも前へ出て戦う少年。妹の隣に立ち、彼女を笑顔にする存在。
――簡単に切り捨てられる相手ではなかった。
◇
一方その頃、街外れの廃神社。
朽ちた鳥居の下に、黒いローブの呪具商人が立っていた。手には新しい仮面。表面は半分が白く、半分が黒く塗られており、その境界には深い亀裂が走っている。
「総譜……面白いものを作ったな」
彼は仮面を指で撫でながら、愉快そうに呟いた。
「だが、音が整えば整うほど、“沈黙”は力を増す。休符の海は消えはしない。むしろ――深まるばかりだ」
背後から黒刃のヴァイスが歩み寄る。胸元の紋章は欠けて二つになったまま、しかし彼の姿勢は微塵も揺らいでいない。
「任務、失敗。だが敵の能力、観測完了」
「そうだ。お前は十分に役目を果たした」
商人は満足げに頷いた。
「次は“創造主”ではない。“街そのもの”を狙う。総譜を守るために奴らが奔走すれば、必ず綻びが生まれる」
ヴァイスは感情のない声で問う。
「次の標的、指定を」
「――ミカガミ・レン」
商人の笑みが闇に溶ける。
「彼女の声を奪えば、鈴はただの金属だ。勇者の拍も、街の譜面も、支えを失って崩れる」
◇
数日後。
市内では小さな異変が立て続けに起きた。
駅前では、電光掲示板が突然全て“0:00”を表示し、数分間止まる。
商店街では、店先の風鈴が一斉に音を失い、ただの金属片と化した。
学校では、チャイムの音が逆再生のように聞こえ、子供たちが耳を塞いで泣き出した。
「……やっぱり来たか」
アレクは拳を握りしめた。
「総譜で封じたはずの“沈黙”が……また街に入り込んでる」
ジンは机に地図を広げ、各地の異変を赤い印で記していく。
「狙いは一点ではない。街全体を少しずつ削り、総譜の響きを濁らせている」
レンは不安げに鈴を握りしめた。
「私の音が……負けてるの?」
「負けてねぇ!」
アレクが即座に否定した。
「お前の鈴があったから、総譜は完成したんだ。今回はもっとでかい波が来てるだけだ。だから俺たち全員で支えりゃいい!」
カズマがニヤリと笑い、木刀を肩に担ぐ。
「おう、そろそろ暴れ足りねぇと思ってたとこだ」
ユウタは冷静に補足する。
「だが敵は“総譜を壊す”のではなく、“支える柱を折る”ことを狙っている。その柱とは――」
「……レン」
ミユが小さく呟いた。
工房に緊張が走る。
レンは震える手で鈴を握り直し、必死に笑顔を作った。
「大丈夫。私、もう逃げないよ」
その笑顔は強がりだった。だが、アレクはその強がりごと抱きしめるように、真っ直ぐに言った。
「絶対に守る。俺が、勇者アレックス・ホークがな!」
ジンは眼鏡を押し上げ、低く呟いた。
「……次が本番だ。街を守るために、そしてレンを守るために。全員、覚悟を決めろ」
◇
その夜、港の沖合に霧が立ち込めた。
霧の中から笛の音が響く。低く、ゆっくりとした旋律。街全体の拍を食い破るような、不気味な沈黙の調べ。
呪具商人の声が霧の奥から響いた。
「第六幕――“指揮台の奪取”。さあ、小さな英雄たちよ。どこまで抗えるか、見せてもらおう」
その瞬間、街全体の灯が一斉に揺れた。




