第58話『鈴を狙う影』
翌朝の水鏡屋は、普段と変わらぬ静けさを取り戻していた。
レンは台所で朝食の準備をしており、卵を割る手をほんの少しだけ震わせていた。昨夜、布団の中で鈴を握りしめながら眠れずに過ごしたせいだ。
「……大丈夫、大丈夫。私がしっかりしないと」
自分に言い聞かせるように呟いて、卵を溶く音に耳を澄ませる。
一方、工房ではアレクが椅子の上に座り、拳をぐっと握りしめていた。
「次はレンが狙われるかもしれない……。絶対に守る」
その赤い瞳には強い光が宿っていた。勇者の魂が小さな器に収まってもなお、彼の覚悟だけは揺るがない。
ジンは新聞を畳みながら、冷ややかに弟分のような存在を見やる。
「言葉で言うのは簡単だ。だが、狙う相手が“創造主”である以上、敵は今まで以上の執念で来る」
「だから余計に守るんだろ!」
アレクが声を張り上げる。
その熱に、レンは台所から顔を出し、小さく笑った。
「……ありがとう。でも私もただ守られるだけじゃない。鈴だって、ちゃんと武器になる」
ミユはノートを抱えてうなずいた。
「私も調べたよ。レンさんの鈴は、音の魔力を媒介する“共鳴具”。アレク君の魂と響き合えば……呪具の力を相殺できる」
「おぉ! 俺たち二人でコンビ技か!」
アレクの顔がぱっと明るくなる。
そんな会話をよそに、ジンは窓の外に目をやった。
遠くの空に、不穏な雲が渦を巻くように広がっている。
(……来るな。奴らが)
◇
その日、街は市民祭の片付けで慌ただしかった。
壊れた櫓の木材や焦げた布を集める人々、露店の片付けに追われる商人たち。
「いやー大変だったなあ、昨日は」
カズマが手を後頭部に当てて笑いながら言う。「でもさ、まだ街が残ってるってだけで奇跡じゃね?」
ユウタは資料袋を抱えて冷静に返す。
「奇跡じゃなく、誰かが命懸けで止めたからだ。油断すれば次はない」
その声は冷たいが、どこか仲間を思いやる響きを含んでいた。
ミユは二人の横を歩きながら、時折不安そうにレンを見やった。
「……本当に大丈夫かな。レンさんが狙われるなんて」
レンは無理に笑みを浮かべる。
「大丈夫。私が怯えたら、アレク君まで不安になっちゃう」
しかし、心臓の鼓動は速さを増していた。
(私は……狙われる。分かってる。けど……逃げない)
◇
夕暮れ時。
街外れの図書館へと続く小道を、レンは一人歩いていた。
ミユや男子たちは別の調査に回っており、今日はレンが古い文献を調べに行く役目だった。
「少しでも、アレク君の魂やホムンクルスのことを調べておきたい」
そう自分に言い聞かせながらも、背筋には冷たい汗が流れていた。
と、その時だった。
――風が止んだ。
ざわめいていた木々の音が消え、世界が静止したかのような“無音”。
「……!」
レンは反射的に鈴を握り、辺りを見回した。
次の瞬間。
闇の中から銀の閃光が飛び出した。
「排除対象、確認」
低く冷たい声。――黒刃のヴァイスだ。
「やっぱり……来た!」
レンは鈴を振る。ちりん――澄んだ音が夜気を切り裂き、迫る刃を一瞬だけ弾いた。
だが、ヴァイスは微動だにしない。
「共鳴具。確かに脅威。……だが不完全」
次の刹那、影のように間合いを詰め、鈴ごと彼女の手首を狙う。
「させるかぁぁっ!!」
怒声と共に飛び込んできたのはアレクだった。
小さな体でレンの前に立ちふさがり、杖で刃を受け止める。
「アレク君!」
「遅れて悪ぃ! でもここは通さねぇ!」
火花を散らす激突。
その隙にレンは後ろへ下がり、震える指で鈴を再び握り直した。
◇
「レンは下がれ! 俺がやる!」
「でも――!」
「信じろ! 俺は勇者だ!」
その叫びに、レンは息を呑んだ。
アレクの赤い瞳が、迷いなくヴァイスを睨んでいる。
「……邪魔」
ヴァイスは感情を持たぬ声で言い放ち、刃を大きく振り下ろす。
しかし、その瞬間。
「任せろぉぉ!」
横合いから木刀が唸りを上げ、刃を弾き飛ばした。カズマだ。
「遅れて登場! でも決め台詞は俺がいただくぜ!」
「余計なことを言うな」ユウタも続けて現れ、札を投げて地面に結界を張る。
ミユも駆けつけ、光魔法で闇を照らした。
「アレク君、レンさん! 大丈夫!?」
アレクは仲間の姿を見て、拳を握りしめた。
「よし、全員集合だ! これで負ける気はしねぇ!」
◇
戦いは激しさを増していった。
ヴァイスの動きは人間を超え、影のように滑らかで、冷徹に標的――レンだけを狙う。
「レンさんを守れ!」
「言われなくても!」
カズマの木刀が連撃を繰り出し、ユウタの結界が刃を逸らし、ミユの光が動きを鈍らせる。
そして、アレクは小さな体で決死の突撃を繰り返した。
レンは震える膝を必死に支え、鈴を胸に抱いた。
(みんなが……私のために……! なら、私も!)
彼女は深く息を吸い込み、鈴を強く鳴らした。
ちりん――澄んだ音が仲間の心に響き渡る。
その瞬間、皆の動きがひとつに重なった。
「今だ!」
アレクが叫び、仲間たちが同時に攻撃を繰り出す。
ヴァイスの鎧が砕け、黒い紋様がまた二枚、霧散した。
「……確認。四紋、残存」
ヴァイスは後退し、霧の中に消えていく。
「逃げた……!」カズマが叫ぶ。
ユウタは目を細め、「いや、退いた。今回は本気でレンを試したんだ」と冷静に告げた。
◇
戦いの後。
レンは地面に座り込み、震える手で鈴を抱きしめた。
「……怖かった。でも……私、逃げなかった」
アレクがにっと笑い、手を差し伸べる。
「だろ? お前は俺の相棒だ」
その言葉に、レンの瞳から涙が零れた。
「……ありがとう、アレク君」
ミユが微笑み、カズマが大きく伸びをし、ユウタが静かに頷く。
仲間たちは皆、同じ方向を見ていた。
――これから先、もっと大きな嵐が待つとしても。
闇の中で、呪具商人は愉快そうに笑っていた。
「いい……いいぞ。鈴と魂。いずれ必ず、最高の旋律を奏でてもらう」




