第57話『第四幕の影――水鏡屋の夜』
水鏡屋に戻ったのは、もう夜半近くだった。
商店街の灯りはまばらで、祭りの喧噪は夢のように静まっていた。
アレクたちはそれぞれ疲れた体を引きずり、玄関をくぐると同時にどっと座り込む。
「つ、疲れた……」
カズマが木刀を床に投げ出し、天井を見上げて息を荒げる。
「ったく、あの鎧野郎……反則ばっかじゃねえか」
「でも、今日は確かに傷を与えられた」
ユウタは鏡を膝の上に置き、冷静な声音で続けた。「二度目の紋剥がし。あれは確実に“進展”だ」
「進展って……あれだけ必死になって、たった二枚だよ?」
レンが不安げに言う。指先はまだ鈴を握ったまま、微かに震えていた。
アレクはそんな彼女を見て、無理に笑顔を作った。
「二枚でも十分だ。だって、俺たちが一緒にやったからだろ。俺一人じゃ絶対無理だった」
ミユが小さく頷く。
「うん……。私も、やっと役に立てた気がする」
「役に立ったどころじゃねぇ」
アレクが勢いよく立ち上がり、両手を広げる。
「ミユのタグがなきゃ、あの刃は避けられなかった!」
褒められて、ミユの頬は真っ赤に染まった。
ジンは壁際で腕を組んだまま、彼らのやり取りを黙って聞いていた。
やがて、眼鏡の奥で鋭く光る視線をアレクに向ける。
「……忘れるな。商人は退いたわけじゃない。今夜の“休符”を試しただけだ」
「……ああ、分かってる」
アレクは真剣な顔に戻り、拳を握りしめた。
「次はもっとでかいのを仕掛けてくる。俺たちの街を、丸ごと呑み込むような……」
その言葉に、空気がひやりと冷えた。
レンが鈴を見つめながらぽつりと呟く。
「……あの“無音”、怖かった。音がなくなるだけで、あんなに心が折れそうになるなんて」
「怖がって当然だ」
ジンの声は低い。
「あれは“魂の呼吸”を止める技だ。音を止められるということは、命を止められるのと同じだ」
ユウタが静かに眼鏡を外し、磨きながら言った。
「だが、突破口も見えた。アレクの鼓動が鈴を震わせたあの瞬間……“内側の音”ならば、奴の休符を超えられる」
アレクは少し照れくさそうに頭を掻いた。
「ま、たまたまだよ。でも……次もやれる気がする。みんながいてくれればな」
その言葉に、仲間たちの顔にわずかな笑みが戻った。
小さな笑い声が、静まり返った工房にやわらかく響く。
だが――。
ジンだけは笑わなかった。
内心で、彼は強く誓っていた。
(あの赤い瞳の力。確かに今は仲間を救った。だが、制御を失えば……)
(もし妹を泣かせるようなことがあれば、その時は――俺が斬る)
眼鏡の奥の瞳に宿る決意は、仲間の誰にも気づかれなかった。
◇
その頃、街の外れ。
廃神社の境内に、黒い霧がじわじわと立ち込めていた。
石段に腰をかけ、笛を弄ぶ呪具商人が笑う。
「……良い。あの子らは舞台を楽しんでいる。だが本当の“楽章”は、ここからだ」
傍らに立つヴァイスは、鎧の継ぎ目からまだ微かな黒煙を漏らしていた。
「二紋……削られた」
声は低く、しかし揺らぎはない。
「それでいい。削られるほど、美しい和音が生まれるのだから」
商人は笛を唇に当て、短く吹いた。夜風が震え、霧の中で仮面をつけた人形たちがゆっくりと膝を折る。
「第四幕。次は、“創造主”を前に出す」
「……ミカガミ・レン」
「そう。彼女の鈴は、魂の縫い目を震わせる。勇者の魂と合わせれば、極上の響きとなる」
商人の目は愉悦に細められる。
「次で、“大合奏”を始めよう。街を楽器にし、魂を旋律にする――」
ヴァイスは無言で頷き、闇に溶けた。
◇
水鏡屋の屋根の下。
レンは眠れずに布団の上で鈴を握りしめていた。
(私の鈴が……狙われる? でも、逃げない。私がいなきゃ、アレク君は――)
静かな決意が、少女の胸に芽生えていた。
外の風が鈴を揺らす。
かすかな音が、夜闇に溶けて消えていった。




