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転生のホムンクルス-最強勇者は魔法が存在する現代日本に転生しました-  作者: エア


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第56話『第三幕・決着前夜――街という楽器、仲間という旋律』

 駅前広場は、目に見えない譜面で満たされていた。

 商人の笛が描く主旋律は甘く、懐かしく、そして狡猾だ。心の奥にしまい込んだ記憶の箱を、ためらいもなく開けさせる。そこへ、アレクたちの“合奏”が対旋律を重ねていく。


 レンの鈴が、迷いに道標を置く。

 ミユのタグが、“いまここ”の音を拾って糸のように結ぶ。

 ユウタの濁響鏡が、刃の切っ先にだけ薄い霧をまとわせる。

 カズマの木刀が、霧の隙間を見逃さずに叩く。

 ジンの《統合鏡》が、街のあちこちで灯った小さな音火を結び直す。

 そしてアレクは――皆の音を胸で受け止め、杖一本で“線”を“面”に変える。


 「――はぁっ!」


 ヴァイスの刃が真下に落ちる。二拍で落とすはずの軌跡が、ユウタの濁りをくぐって半拍だけ鈍り、カズマの一撃で三拍へと引き延ばされる。その伸びた拍の“空白”へ、アレクは躊躇なく踏み込んだ。杖の石突きが鎧の継ぎ目に触れ、微かな鈍音が走る。


 「っ……!」


 ヴァイスの首筋の紋が一閃、赤く点滅した。

 ミユが即座にタグを走らせる。「いま! 左鎖骨、第二紋!」

 「了解!」


 レンの鈴が二連で鳴り、アレクの足元に“戻る音の縄”が伸びる。飛び込んでも帰って来られると分かった瞬間、人は恐れを忘れる。小さな体が思い切りよく跳ね、杖の穂先がさらに深く潜った。


 「――通すか」


 ヴァイスの目が、薄く細くなる。

 次の瞬間、彼は刃を引かず、逆に押し込んだ。鎧の紋様が微かに“逆相”に回り、刃の重さが三倍に膨れ上がる。床石がうめき、アレクの膝が沈んだ。


 「アレク君!」


 レンの叫びに、ミユの手が反射で動いた。タグが一枚、アレクの背へ貼り付く。書いてあるのはたった一文字――〈呼〉。胸の奥で沈みかけた息が、ふっと浮力を取り戻す。


 「助かった!」


 アレクは膝の沈みを逆手に取り、床へ杖を寝かせる。刃の重さを横へ誘導し、ヴァイスの足元を払った。鎧が一瞬、重心を失う。そこへ――


 「任せたぁっ!」


 カズマの木刀が唸る。刃と杖と木刀が一点で交差し、金属音と木の響きと石突きの硬音が重ね書きになって広場へ放射状に散った。観客の耳にはただ「ドン」としか聞こえない。だが合奏の中にいる五人は、確かに“和音”を掴んでいた。


 「――君たちは、本当に」

 舞台袖の商人が、嬉々として笛をしごく。「美しい」


 笛の旋律が、そっと転調する。

 さっきまで“帰り道”と“誇り”を撫でていた音が、今度はさらに深い“根”に触れようとする――“祈り”。


 広場の端で膝を折っていた老人が、手を合わせた。

 屋台の親父が、ふと空を見上げる。

 太鼓の皮を張る若者が、息を止めた。

 空気が一瞬、神事の静けさに似た張りを帯びる。人の心は祈りに弱い。いや、祈りにこそ強く惹かれる。


 「やばい……範囲が広がる」

 ユウタの指が鏡上を走り、駅前から神社、川、病院、学校へ細い白線を延ばす。「音の背骨を守る。ジンさん、反転“地鎮”お願いします」


 『入れる。三、二――一』


 地の底から低音が立ち上がった。街の基礎、鉄骨、土台――目に見えない“建物の声”が、眠りから起きる。祈りの音が“奪われる”のではなく“返される”ように、足元の低い音が市民の体を静かに支えた。


 「レン!」


 アレクが呼ぶ前に、レンは頷いていた。鈴が三度、短く。

 “祈り”には“願い”で返す。祈りは過去や伝承に結びつくが、願いはいつでも現在形だ。レンの鈴が掲げた願いは単純だった――〈全員で帰る〉。

 その願いが、商人の祈りにまとわりつくヴェールをわずかに薄くする。祈りは聖域であり、同時に危うい。願いは現実へ引き戻すロープだ。


 「君……」

 商人がわずかに目を細めた。「創造主。君の鈴は“魂の縫い目”に触れる」


 「触れないと、あなたに引き裂かれるから!」


 レンは一歩も退かない。

 ミユが横でタグを束ね直す。目は一点を見据え、迷いがない。〈今〉〈ここ〉〈私たち〉。たった三つのタグを順に投げるだけで、広場の“温度”が微かに一度上がる。


 「――よし!」


 アレクは踏み込みの拍を合わせた。ユウタの濁響が半拍、カズマの打ちが四分、レンの鈴が八分、ミユのタグが付点で“伸び”を作る。ジンの低音が全体を支え、商人の笛と互いに巻き付いたまま離れない。


 「ヴァイス!」


 商人が合図する。刃が風を裂く。

 アレクは真正面から受けず、音で受ける。杖を一点ではなく面で滑らせ、刃の“鳴り”ごと掌へ吸い込み、足裏から地面へ流す。二拍の斬撃が、三拍、四拍へと延ばされる。


 「今だ、カズマ!」

 「おらぁっ!」


 木刀が、鎧の肋の間に突き刺さるように止まる。

 ヴァイスの身体が硬直した。その瞬間、鎧の紋様のごく一部――心臓の上に当たる位置の小さな紋が、微かに“逆回転”した。


 「見えた……!」

 ユウタが叫ぶ。「核心紋、逆位相だ! レンさん!」


 「合わせる!」


 レンが鈴を真横に振る。普段と違う“打ち”。澄音ではなく、あえて金属の“縁”が擦れる生々しい音。逆位相の微細なざらつきに、鈴の縁で応える。

 ミユのタグが、そこへ〈結〉の字を貼り付ける。

 アレクの杖が、最後の一押しをねじ込む。


 ――ぱん、と小さな破裂音。


 ヴァイスの胸の紋が一枚、剥がれた。

 鎧の奥から、黒い霧が針のように漏れ、風に散る。


 「っ……!」


 初めて、ヴァイスの呼吸が乱れた。

 カズマが歯を食いしばって木刀を引き、ユウタが鏡で刃を滑らせる。ミユとレンが同時に引きの鈴とタグを鳴らし、アレクが跳び退く。


 「決まった……!」

 歓声が広場の片隅で弾けかけた、その刹那――


 笛が、笑った。


 「美しい。実に美しい」

 商人の声は柔らかく、しかし凍てついている。「だからこそ、ここで終わらせたくはない」

 彼は笛を逆手に持ち替え、舞台の袖に置いた黒箱の蓋を指先で弾いた。


 蓋が静かに開く。

 中には、色も形もない“穴”が入っていた。音のない音。影のない影。

 それは笛ではない。“休符”だ。しかも、巨大すぎる。


 「――街ごと、息継ぎをしよう」


 瞬間、広場の音が消えた。

 観客の悲鳴も、屋台の鉄板の焼ける音も、風のさざめきも、太鼓の皮のたわみも――すべてが一度に“無音”へ落ちる。

 光景は動いている。人は口を開けている。だが音がない。鼓動だけが、自分の内側で暴れている。


 「……っ!」


 アレクの膝がカクンと抜けた。音がない世界は、重力と同じだ。寄る辺を失った身体は、あまりにも簡単に転ぶ。

 レンの鈴が鳴らない。鳴らしているのに、鳴らない。

 ミユのタグが、文字だけになって宙を漂う。

 ユウタの鏡が反射だけになる。

 カズマの木刀の打音が、風景と化す。

 ジンの《統合鏡》に灯っていた街の小さな音火が、すべて黒い点へと変わった。


 (……これが、あいつの切り札か)


 アレクは歯を食いしばり、地面に手をついた。

 (音を“奪う”んじゃない。音を“止める”。この一瞬の休符で、街を丸ごと息止めさせる気だ)


 呼吸。

 そうだ、呼吸だ。

 音が止まっても、鼓動はある。呼吸はある。

 音がないなら、内側の音を鳴らすしかない。


 アレクは目を閉じ、腹の底に意識を落とした。

 吸う。吐く。吸う。吐く。

 たったそれだけの反復を、彼は“戦い”にしてきた。剣を握っていた頃も、魔王の前に立った日も、最後に深淵へ落ちた瞬間も――吸って、吐いて、立っていた。


 (俺は、立つ)


 膝が地を押し、足裏が石を掴む。

 視界の片隅で、レンが震える肩を抱きしめるように鈴を握っている。ミユが唇を噛み、タグを胸へ当てている。ユウタが鏡を握りしめ、カズマが木刀を構え直している。

 音は戻らない。だが、皆の“姿勢”が、彼の鼓動に重なっていく。


 (俺だけじゃない。――俺たちだ)


 アレクは、声にならない声で叫んだ。

 〈俺に音を寄越せ。みんなのぶんも、まとめて俺の中で鳴らす〉


 胸が熱くなった。

 赤い瞳の奥で火が巻く。

 音のない世界で、たったひとつ、彼の鼓動だけがメトロノームになった。


 次の瞬間――


 鈴が、鳴った。


 音がないはずの世界で、鈴が鳴った。澄んだ、ちいさな、しかし確かな一音。

 レンの瞳が大きく開く。彼女の指は確かに動いている。だが鳴らしたのは鈴ではない。アレクの胸で鳴った“脈”が、鈴の芯を震わせたのだ。


 ちりん。


 その一音が、広場の“膜”に小さな穴を開けた。

 穴は針の先ほど。だが充分だ。

 ミユのタグがその穴に〈今〉を差し込み、ユウタの鏡が穴を広げ、カズマの木刀が穴の縁を叩いて裂け目にした。


 音が――戻る。


 まず、屋台の油の匂いに混じる小さな「ジュ」という音。

 次に、太鼓の皮のわずかな軋み。

 そして、誰かの短い泣き笑い。

 最後に、アレク自身の息。


 「……戻った……!」

 レンの頬を涙が伝う。その涙が鈴に落ち、もう一度、確かな音をくれた。


 「立ってるぞ、俺は!」


 アレクは叫び、杖を高く掲げた。

 商人が初めて、わずかに表情を崩した。

 「休符の外へ出るか。――ならば、曲を変えよう」


 笛が、地の底へ潜るように低く鳴る。

 ヴァイスの鎧の紋様が、さっき剥がれた“核心紋”の穴を中心に、逆巻く渦を描いた。刃の重さが変わる。まるで水の中で振られているような、粘ついた重さ。


 「来いよ……!」


 アレクは一歩前へ。

 レンの鈴が、彼の踵に“帰り道”を結ぶ。

 ミユのタグが、目の前に〈ここ〉の柱を立てる。

 ユウタの鏡が、刃の軌跡に見えない“手すり”を架ける。

 カズマの木刀が、背中の一点に“押し出す力”を置く。

 ジンの低音が、広場全体を包む“土台”になる。


 刃と杖が、もう一度ぶつかった。

 今度は、重さに重さを合わせない。

 重さの“向き”を変える。

 ヴァイスの刃は粘る。だから、滑らせる。

 アレクの杖が刃を撫でる。撫でられた刃は、撫でられた方向へ進む。

 合奏の“面”が、刃の一点を吸い込んでいく。


 「――っ!」


 ヴァイスの足元が、半歩、遅れた。

 鎧の脇腹の紋がまたひとつ、逆相で揺れる。

 ミユのタグが飛ぶ。〈結〉

 レンの鈴が重なる。〈願〉

 ユウタの鏡が押す。〈濁〉

 カズマの木刀が打つ。〈止〉

 アレクの杖が――貫く。〈今〉


 小さな破裂音。

 もう一枚、紋が剥がれた。


 観客のどこかから、抑えきれない歓声が漏れる。

 商人は笛を口元に近づけ、静かに笑った。


 「充分だ。……今日は、ここまで」


 笛の先が、ふっと上を向く。

 遠くの空で、目に見えない“蓋”が開いた。

 舞台袖の黒箱が再び口を開け、先ほどとは違う“穴”をのぞかせる。今度は、降りていく穴だ。

 ヴァイスの足元が少しだけ沈み、彼の輪郭が薄くなる。


 「逃がすか!」


 カズマが踏み込む。

 ユウタが鏡を投げる。

 アレクが杖を突き出す。

 レンの鈴が呼び、ミユのタグが結ぶ。


 だが、刃はもう届かなかった。

 ヴァイスは薄い膜の向こうへ沈み、商人は笛を胸の前で一礼してみせる。

 「第三幕、結構。――第四幕で、また会おう」


 穴が閉じた。

 風が戻り、広場に“普通のざわめき”が帰ってきた。

 遠くの子どもが泣き、近くの大人が笑い、屋台の親父が「焼き直しだ」と怒鳴った。

 太鼓の皮が、誰かの手の中で優しく鳴った。


 アレクは、杖を下ろした。

 力が抜ける。膝が笑う。

 だが倒れない。倒れたら、今の合奏が“終わる”気がしたからだ。


 「……勝ったの?」

 ミユが誰にともなく問う。


 ジンの声が、穏やかに返った。

 『勝敗ではない。今日は“街を取り戻した”。それで充分だ』


 レンが鈴を胸に抱き、涙を拭った。

 「アレク君……」

 「おう」アレクは笑う。「立ってるぞ、俺は」


 カズマが木刀を肩に担ぎ、むっつりと唇を尖らせる。

 「次はぶっ倒す。あのヴァイス、絶対に」

 ユウタが珍しく笑って頷いた。「ああ。理屈は揃った。後は、音を外さないことだ」


 広場では、市民祭の“慰労ミニライブ”が仕切り直しになった。

 マイクの青年が深呼吸をし、最初のコードを鳴らす。

 その音はさっきよりも少しだけ頼りなかったが、誰も笑わなかった。拍手が自然と起き、太鼓が応え、子どもが手拍子を打つ。

 街は、街の音を、自分で鳴らし直し始めたのだ。


 アレクは、空を見上げた。

 雲が一枚、ゆっくりと流れる。

 胸の奥ではまだ、さっきの“無音”の冷たさが薄く残っている。だが、その上から皆の音が幾重にも積み重なって、あの冷たさを押しつぶしていく。


 (第四幕、か。……上等だ)


 赤い瞳に、火が宿る。

 元の身体に戻る――その目標は遠のいたのではない。むしろ鮮明になった。

 商人がなぜ“魂”に執着するのか。ヴァイスの鎧の“核心紋”は何と繋がっているのか。

 道はまだ長い。だが、今日は確かに一歩、踏みしめた。


 「帰ろう、レン」

 「うん」

 「ミユ、カズマ、ユウタも」

 「「「おう(はい)!」」」


 水鏡屋へ。

 合奏の余韻を連れたまま、五人は夕焼けに歩き出した。


 その背中を、遠くの屋根の上から黒い影が見送っていた。

 風に揺れる長衣。手には笛。

 彼は音もなく立ち去る。

 ――第四幕の譜面を、一枚、めくりながら。

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