表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転生のホムンクルス-最強勇者は魔法が存在する現代日本に転生しました-  作者: エア


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

55/89

第54話『前奏の街――鳴り始める兆し』

 翌朝。

 秋晴れの空はやけに澄んでいるのに、街の空気はどこか“乾いて”いた。薄い膜が鼻腔の奥に張り付くような違和感――昨夜、水鏡屋で《統合鏡》に灯った赤点の感触が、現実の肌触りを得て広がりつつある。


 ジンは工房の中央に簡易の地図を掲げ、赤青黄のピンで街を三分割した。

 「三手にわかれる。俺は鏡で全体を俯瞰しつつ、緊急の“返し”を回す。アレクとレンは神社と川べりのライン。ミユは学校と病院の両端を見てくれ。カズマとユウタは倉庫街から駅裏へ。……合図の鈴は三連短打、撤収は長一。いいな」


 「おう!」「了解」「やる!」

 短い返答が重なる。昨夜の一戦で揃った“和音”は、もう呼吸だけで鳴る。


 *


 午前十時。神社。

 参道の空気はきれいに乾いているはずなのに、手水舎の水盤がほの暗く濁って見えた。風鈴の音がひとつ、裏返った貝殻のように“裏”で鳴る。


 「……いる」

 レンが鈴を握り、息を整える。

 アレクは拝殿の梁を見上げ、目を細めた。「梁に札。しかも上下でついだ。普通と逆だな」


 「順番に抜くと起動する」

 ミユから回線越しの声。《統合鏡》に繋いだ小型端末は、簡易な“合奏回線”の役を担っている。


 「だったら――同時だ」

 アレクが拝殿の柱を蹴り、一息で梁へ跳ぶ。小さな体に宿る脚力は、軽さゆえに鋭い。レンは下で鈴を振り、拝殿の“鳴り”を一瞬だけ凍らせた。

 ちりん。

 上と下、二枚の札が同時に浮き、アレクの指とレンの“音”に挟まれて剥がれ落ちる。ひと呼吸ぶん、神社の空気が澄んだ。


 だが境内の端――古い石灯籠の影が、わずかに伸びていた。赤子の泣き声の尾だけを取り出して薄めたような、耳の後ろを引っぱる不快な高音。

 「アレク君、右端!」

 呼ばれるより早く、アレクの杖が灯籠の根を突いた。砂の中から短冊大の札が飛び出し、黒い煤のように砕け散った。


 「神社、一次処理完了。次、川だ!」

 アレクが駆け出す。レンは鈴を胸元で抑え、拝殿へ頭を下げた。「すみません。少しだけ、音を借りました」


 *


 同時刻、川沿いの遊歩道。

 ベビーカーを押す母親の列、ジョギングする老人、遠足の子どもたち。音が多い場所は“優しい”。ジンの言った通りだった。優しさはよく響く。だからこそ狙われる。


 「音の底が重い……水面じゃなくて、水中で鳴ってる」

 レンが欄干に手をかけ、目を凝らす。

 ミユの声がまた届く。「川の音紋、いつもより低いよ。たぶん、沈めてある」


 「なら――釣り上げるだけだ!」

 アレクは欄干からひょいと身を翻し、護岸の階段を駆け降りた。膝まで水に飛び込み、目を閉じて“耳”で探る。水が鳴る。石が鳴る。魚が鳴る。札が鳴る――。

 「ここだ!」


 水中へ杖の石突きを沈め、渦をひとつ作る。渦の中心が“軽く”なる。沈んでいた箱が浮力を取り戻し、ぽこりと浮かび上がった。

 レンが鈴を鳴らす。ちりん。浮かんだ木箱の蓋が勝手に弾け、内側から黒い霧が噴き出す。

 「ミユ!」

 「タグ投げます!」


 彼方から飛ぶ薄い円盤が、霧の中心に吸い込まれた。円盤が点滅し、霧の“呼吸”が記録される。レンが追い鈴を三度、短く。霧は砂糖を熱で溶かしたときのように縁から崩れ、ゼラチンのように力を失って水に溶けた。


 「川、一次クリア。札の痕跡、三つほど流れ下り。下流の橋へ回る!」

 アレクが水を跳ね散らしながら駆け上がる。母親がハッと顔を上げ、泣きそうな赤子の背をさする。赤子は一拍おいて、ふぅと長い息を吐き、泣き止んだ。優しい音が戻る。


 *


 十一時。学校。

 休校中の校舎は静かだ。だが“静けさ”にも種類がある。息を殺す静けさと、眠っている静けさ。今日の静けさは前者に寄り始めていた。

 ミユは音楽室の鍵を開け、薄暗い室内に入る。一歩で匂いが分かる。古い楽器、本棚、床ワックス。そして――札の煤。


 「……いた」

 ピアノの屋根をそっと上げると、弦の間に極薄のフィルムが三枚、蜘蛛の糸のようにかかっている。鍵盤の“ド・ミ・ソ”に対応する位置。

 「主和音で、街を調律するつもり……?」


 ミユはポケットから細いピンセットを取り出し、指の腹ではなく空気の“抜け”で位置を決める。吸い寄せられる角度でつまみ、音を立てない角度で抜く。一本、二本――

 最後の一本に触れた瞬間、背後の書庫からぴし、と紙が裂ける音。

 (連動!)


 ミユは手を止めず、左手でタグをひとつ書庫へ投げた。タグが書庫の“音”を掴む。紙ではない。木でもない。呼吸。人の呼吸。

 「……誰か、いるの?」


 返事はない。だが呼吸の“向き”がわずかに変わる。彼女を見た。

 ミユは腰を落とし、そっとピアノの蓋を閉じた。鈴は持っていない。鈴の代わりに、音を出す“勇気”を胸の中心に掴む。

 「私はここで作業を続けます。出てきてください。怪我をしていたら、包帯はあります」


 十秒。二十秒。静けさが重さを増し、ちょうど三十秒で、書庫の影がほどけた。

 出てきたのは、校内清掃の臨時バイトらしい若い男。目の下に隈。頬に紙やすりの粉。手には、小さな笛。

 ミユは一歩も退かない。「それ、誰にも吹かせちゃいけない音だよ」


 男はぎこちなく首を振った。「俺は……吹いてない。持ってるだけだ。もらったんだ。こいつを“響かせる場所”に置けって。……置いたら、いくらか、くれるって」


 ミユは鼻の奥が痛くなった。

 「笛を置いたの?」

 男は小さく頷く。「二本。もう一本は、病院に」


 *


 正午前。病院。

 ユウタとカズマが裏口から走る。自動ドアが息をするように開閉を繰り返し、風が廊下で迷子になっている。

 「音が巻かれてる。廊下の角ごとに“追い風”が作られてる」ユウタが低く言う。

「言い方が難しすぎるんだよ! どこだ、笛は!」

 「上だ。リハビリ室の天井、梁の間」


 二人は階段を駆け上がる。カズマがドアを押し開けると、広い部屋の中央で理学療法士が車椅子の老人に声をかけている。声は届いているのに、届ききっていない。距離が伸びる。

 「すみません! 天井に問題があるかもしれません!」ユウタが短く頭を下げ、梁へ視線を走らせる。

 あった。梁の影に二本の短笛。色は病院の天井と同じ白。異物感がない。

 「カズマ、肩に!」


 「おう!」

 カズマが身を屈め、ユウタがその肩へ飛び乗る。軽やかな動き。二人の体が“当たり前”のように重なる。ユウタの手が笛に触れた瞬間、笛が自分で震え、梁の隙間へ潜ろうとした。

 「逃がすか!」


 ユウタが指先で逆向きの“揺れ”を差し込む。《濁響》の最小単位。笛が力を失い、手の中へ転がり落ちた。

 同時に、もう一本が反対側で震える。

 「そっちは任せろおおお!」


 カズマが肩でユウタを浮かせた反動で反対側へ飛び、木刀の石突きで笛を叩き落とす。衝撃で笛の内側の管が外れ、ただのプラスチックの筒に戻った。

 リハビリ室の空気が一段軽くなり、療法士の声が自然に届いた。老人の目が柔らかくなる。


 「ふぅ……!」

 肩を回すカズマに、ユウタが小さく笑う。「ナイス“合奏”」

 「へへ、俺も難しい言い方覚えたぞ。合奏!」


 *


 午後一時。駅裏倉庫。

 “音の影”はすでに退いていた。昨夜に荒らした倉庫のシャッターは積み木のように並び、鍵穴だけが新調されていた。

 「ここは囮だったな」ユウタが呟く。

 カズマが口を尖らせる。「じゃあ、次はどこだ?」


 ミユの声が回線に走る。「神社ラインと川ライン、一次二次処理完了。けど、学校と病院ルートにまだ“残響”がある。……たぶん、同時に鳴らす“合奏”の譜めくりが、今日の目的」


 「譜めくり?」カズマが首を傾げる。

 「演奏の直前、楽譜の角を少し折って次の小節がめくりやすくする。そんな感じ」

 「なるほど……いや全然わかんねぇけどヤベェのはわかった!」


 ジンの声が重なる。

 『各班、いったん合流を。駅前広場へ戻れ。最後の“調弦”が入る』


 *


 午後二時。駅前広場。

 昨日の戦いの痕は、夜のうちに清掃班とボランティアが見事に片付けていた。櫓の残骸は脇へ寄せられ、代わりに小さな舞台が仮設されている。市民祭の“慰労ミニライブ”だという。マイクチェックをする青年、スピーカーを拭く中年、手作りの旗を掲げる子どもたち。平穏の音が立ち戻っている――ように見えた。


 「音量計、変動なし……のはずが、ノイズが下から上がってる」ミユが眉を寄せる。

 レンが鈴を胸元で握る。「地下?」

 ジンが鏡の前から短く答える。『駅の機械室。空調と配線のハブ。音の交差点だ』


 「潜る」

 アレクはためらわず階段を降りた。機械室は立ち入り禁止だ。だが今は誰かが鍵をこじ開けていた。鉄の扉がわずかに開き、冷たい風が頬を撫でる。

 中は網の目のような配管とケーブル。耳鳴りのような高音が、耳ではなく骨で聞こえる。

 「……これ、やばい」

 レンの声が掠れる。

 ミユが計測器を掲げ、針を見て青ざめた。「地下全体に“導音管”。笛の音を街へ配る“管弦”が組まれてる」


 「つまり、ここがオーケストラピットってわけだ」

 アレクが歯を食いしばる。「壊す。全部」

 「待って。順番がある。適当に抜くと逆流する」ミユが足早に図を描き、タグで“止め弁”をマークした。「この三点を同時に止めれば、全体が“無音側”に落ちる」


 「三点同時、合図は鈴三短。よし、いくぞ」


 ――ちりん、ちりん、ちりん。


 三人の手が同時に動く。アレクがバルブを全力で回し、レンが錠を音で“眠らせ”、ミユがブレーカーに“柔らかい負荷”を流す。機械室の骨鳴りが一段低くなり、配管の唸りが消えた。


 「止まった……!」

 ほっと息をつくミユの肩に、アレクが軽く拳をコツンと当てた。「ナイス合奏」


 だが、その瞬間だった。

 地下の空気が“笑った”。

 音にならない笑い。振動だけの、いやな笑い。

 機械室の最奥、黒ずんだ金属箱が自分で蓋を開け、内側から薄い笛が一本、立ち上がった。


 「自動起動……!」

 ミユの声が上ずる。

 笛は誰も吹かないのに、勝手に鳴った。ほんの一音。まるで舞台袖で鳴らされた“音合わせ”の

 それに、街が応えた。

 地上のスピーカーが一瞬、低く唸り、神社の風鈴が一拍遅れて返し、川の橋桁が微かに震えた。


 「まずい、間に合わなかった!」

 ジンの声。『撤収! 地上へ! 今の一音で――始まる!』


 *


 午後二時半。駅前広場。

 空気が“重なった”。

 昨日、商人が張った膜は、今日はもっと薄く、もっと広く、もっと優しく街に被さった。人は気づかない。だが音は気づく。

 マイクを持った青年が「チェック、ワン、ツー」と発声した声が、ほんのわずかに“よく通る”。通り過ぎた子どもの笑い声が、やけに愛しい。近くのベンチで眠る老人の寝息が、やたらと優しい。

 優しさが、よく響く。

 だから――笛も、よく響く。


 舞台袖。

 黒衣の商人は、今日も笛を唇に当てない。横に掲げ、軽く顎で合図を送る。

 ヴァイスが一歩、前へ出た。鎧の紋は昨夜よりも静かだ。だが静けさは、“鳴らない”静けさではなく、“鳴らす準備の”静けさ。

 商人が目を細め、低く囁く。

 「――合奏だ」


 笛が鳴る。

 それは、昨日のような鋭い命令の音ではない。柔らかく、甘く、懐かしい――“帰り道”の音。

 広場の隅で、子どもが手を止める。ベンチの老人が小さく笑う。マイクの青年が一瞬、歌を忘れて遠くを見る。

 アレクの胸が、内側から掴まれるように熱くなる。懐かしい景色が瞬きを挟んで入り込み、異世界の酒場、戦場の出立、仲間の声、別れの炎――全部が“帰っておいで”と囁く。


 「……っ、レン!」

 呼びかける声が少し遠い。

 レンはもう鈴を構えていた。ちりん、と短く。

 “帰り道”の音に“ただいま”の音で返す。

 その一音は、アレクの胸の中に小さな灯を点す。目の前の“今”に焦点が戻る。

 「――危ねぇ」


 ミユがタグを束ね、一枚を高く掲げた。タグが空中でひっくり返り、裏面に記録された昨夜の“主題”が表に出る。

 「合わせて!」

 合図。

 ユウタが《濁響鏡:小》を舞台の四隅に滑らせ、カズマが木刀の石突きでそれぞれを一度だけ鳴らす。

 カン、カン、カン、カン。

 四隅の“濁り”が、商人の“帰り道”の音に薄い膜をかける。

 レンが鈴を二度、短く。

 ミユのタグが一枚、商人の笛の“影”に貼り付く。

 アレクが一歩、前へ。

 「第二幕は終わりだろ。……第三幕は、こっちが始める!」


 杖の石突きが石を打つ。

 その“打”は、合図。

 ジンの《統合鏡》が強く光り、街の至るところで“味方の音”が応えた。神社の風鈴が高く、川の橋桁が低く、学校のピアノが柔らかく、病院の足音が確かに。

 合奏開始。

 敵が街を楽器にするなら、こちらは街を“仲間”にする。


 商人が、ほんの少し驚いた顔をした。

 ヴァイスが一歩進み、刃を構える。

 アレクは笑った。

 小さな体の中で、鼓動が速く、しかし乱れずに鳴っている。

 耳の奥で、仲間の音が揃っている。

 「――やろうぜ」


 ちりん。

 鈴の一音を皮切りに、駅前広場の“第三幕”が本当に始まった。


 *


 最初の衝突は、刃と杖ではなく、音と音だった。

 商人の笛が“帰り道”の主題を展開し、広場の空気を柔らかく撫でる。人々の記憶の中のやさしい音を“借りる”。

 それに対し、ミユのタグが“いまここ”の音で返す。子どもの笑い、出店の鉄板の焼ける音、駅員の靴音――現実の、現在の、確かな音。

 タグに記録された“いま”は、笛の“昔”に優しく重なり、過去に齧りつく力を少しだけ抜く。

 ユウタの鏡が、刃の入りに半拍の濁りを差し込み、カズマの木刀がその半拍の“隙間”に重さを打つ。

 レンの鈴が、仲間の戻る場所へ光を置き、アレクの杖が、その光へと道を拓く。


 ヴァイスの刃が二拍で落ちる。

 アレクの杖が半拍で潜り、ユウタの鏡が四分音符の“汚し”を与え、カズマの木刀が八分音符の“止め”を打つ。

 ミユのタグが一拍の“記録”を添え、レンの鈴が二連の“帰還”を鳴らす。

 それはもはや、戦いの手順ではなく、楽譜の読み替えだった。


 「――君たちは、本当に愉快だ」


 商人の目尻に、心底楽しげな皺が寄る。

 笛が一段階、深く鳴った。

 広場の空気がまた“重なった”。

 今度は優しさではなく、誇り。

 祭りを支える大人たちの背骨、太鼓のバチを持つ腕、旗を掲げる肩。

 街の“誇り”を、笛は上手に撫でる。

 善良なものほど、よく響く。

 だから――危険だ。


 「負けない」

 レンが鈴を胸に押し当て、目を閉じた。

 自分の中の誇り――不器用でも諦めない、創造主としての責任、妹として守られた記憶、それでも並び立ちたい願い。

 鈴が鳴る。

 優しさに、誇りで返す。

 “借り物”の誇りではなく、“いまここ”の誇りで。

 彼女の一音に、アレクの胸が熱を取り戻す。

 小さな体で、いま立っているという誇り。

 ミユの指先が震えを止める。

 “怖くても進む”誇り。

 カズマが木刀を握り直す。

“背中を預けられる”誇り。

 ユウタが鏡の角度を一ミリだけ変える。

 “役割を果たす”誇り。

 ジンの鏡が、静かに輝きを増す。

 “全員を生かして帰す”誇り。


 音が、重なった。

 第三幕は、もはや“敵の合奏”ではない。

 “街と俺たちの合奏”だ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ