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転生のホムンクルス-最強勇者は魔法が存在する現代日本に転生しました-  作者: エア


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第52話『第二幕の鼓動(カウンターポイント)』

 駅前広場を包む“静寂の膜”は、目に見えないのに確かな手触りをもって、観客と舞台を分かつカーテンのように張り詰めていた。外側の世界はざわめき、救急と警察の無線が飛び交っているはずなのに、ここでは遠雷のようにしか届かない。音が吸われ、編まれ、一本の旋律へと強制的に束ねられている。


 黒衣の商人は笛を横に掲げ、笑んだ。口をつけない笛が鳴り、管体の銀が夜の灯に微かに脈打つ。鳴っているのは笛だけではない。石畳の継ぎ目、鳥居の影、櫓の破片――昨夜から街全体に仕込まれた“誘導笛”が、主の合図に共鳴して震えていた。


 「第二幕だ。観客は揃った。小さな英雄、君の“独奏”は素晴らしかった。では――合奏を始めよう」


 石畳が胎動し、仮面の影が次々に芽吹く。昨夜の“紙人形”とは異なり、肩が揺れ、踵が返り、群れで囲むことを知っている。仮面の裏に宿る札の紋は、鼓膜の奥を爪で引っかくような微細な振動で互いを呼び合い、群れ全体がひとつの獣のように動き出した。


 「カズマ、右の列を寄せる。ユウタ、縦の流れを切る鏡を立てろ!」

 「了解!」

 「鏡、配置――《濁響鏡:小》、参道三、四間目!」


 カズマが木刀で仮面の“首根っこ”をはね上げると同時に、ユウタの手から掌サイズに縮小された《濁響鏡》が鳥居の根元へ滑り込む。薄い板琴のような響板が、仮面兵の循環を微細に“濁らせ”、攻めの拍子がわずかに遅れる。その遅延に、カズマが迷いなく踏み込む。


 「おらぁッ!」


 木と仮面がぶつかる乾いた音。首筋の札がわずかに浮いた瞬間、ユウタの指先が刃のように差し込み、札を抜き取る。倒れた影は砂のように崩れ、石畳に黒い砂紋を残した。


 アレクは前へ出る。小さな足が吸い付くように石を捉え、杖の穂先が蛇の舌のように仮面の目の窪みを突く。軽い体が抜群の加速を生み、勇者の記憶が最短の軌道を選び取る。だが“軽さ”は同時に“止まりづらさ”でもある。踏ん張る前に次の敵が回り込み、足を刈ろうとする――


 ちりん。


 背後で鳴った鈴の一音が、足元の石を半歩ぶん“硬く”する。レンの《反響鈴》が、アレクの踏み込みの瞬間だけ周辺の“鳴り”を押さえ、力の逃げ道を塞いだ。小さな身体が、一瞬だけ大人の重さを得る。杖が深く入る。仮面の眉間にひびが走る。


 「ナイス、レン!」

 「次、左二!」


 ミユの声が飛ぶ。彼女の両手には“音紋タグ”が扇のように開かれ、異常な“音指紋”の発信源へ、薄い円盤が躊躇なく貼り付けられていく。タグは貼り付けた対象の“鳴り癖”を記録し、異常の揺れ幅を可視化する。ミユの耳と目は、もはや街の“楽譜”を読む楽師のそれだ。


 「アレク君、正面いったん停めて! 主旋律が“下”に潜ってる!」


 「了解!」


 アレクは一歩引き、杖を地面にトンと打つ。わずかな衝撃が石畳の下に伝わり、仮面たちの足裏の“循環”にノイズを差し込む。《濁響鏡》と《反響鈴》、そして《音紋タグ》が、三人の手で“対旋律”を奏で始めた。商人の笛が編む単一の支配に、複数の細い道を通して“呼吸”を送り込む。対位法カウンターポイント。束ねられた音を、ほどく。


 「――愉快だ」


 商人の目が細くなる。笛の角度がわずかに変わり、膜の内圧が一段階上がった。空気が重い。音が吸われる速度が増す。鏡が震え、鈴の輪郭がにじむ。


 「ジン!」


 アレクの呼びに応じて、遠く水鏡屋の工房で《統合鏡》が震えた。鏡面に映る五つの光点が一瞬だけ伸び、結ぶ線が太くなる。鏡の裏側に仕込まれた“遅延経路”が、膜に吸われる音を、遠回りさせて返してきた。奪われるばかりの場に、かすかな“返し”が生まれる。


 『聞こえるか。鏡は持つ。だが長くは保たん。三分で切れる』


 ジンの声が短く、冷たく、そして正確に届いた。


 「三分あればじゅうぶんだ!」


 アレクは叫び、前に出た。ヴァイスが来る。わかっている。だが“序曲”を乱さない限り、ヴァイスは“主旋律の刃”として姿を見せるだけだ。商人は今日、街全体を楽器に変えるための“音合わせ”に来た。ならば――楽器を歪めてやる。


 「レン! 鈴を二度、短く! ミユはタグ六番、鳥居の外!」

 「うん!」

 「了解!」


 ちりん、ちりん。短い二音が、膜の内側で反射し、鏡の縁で濁って戻る。ユウタが《濁響鏡:小》を参道の脇へ投げる。鏡の板琴がひとつ、ふたつ、三つと共鳴して、仮面たちの膝が半歩ぶん遅れる。カズマがその“半歩”に木刀をねじ込む。


 「もう一丁!」


 木刀が踊り、札が舞い、黒い砂が霧となって散る。ミユのタグが点滅を繰り返し、群れの“鳴り”を塗り替える。仮面兵の隊列は、もはや整っていない。各個の“癖”が表に出る。そこに、アレクは迷いなく踏み込む。


 杖の石突きが仮面の顎を押し上げ、反対の手の甲が札をはぎ取る。小さな体の回転が、踵から膝、腰へと波のように伝わり、軽さが“速さ”へと転じる。昨日は押し返され続けたヴァイスの“重さ”に、今は街全体の“軽い援軍”が乗る。


 ――その時だった。


 膜の“奥”で、別の刃の気配が醒めた。空気がひとつ、鋭く切れる。音ではない。音になる前の、筋の通った“線”。血の匂いも硝煙もないのに、切先だけが冷たい。


 「来る!」


 アレクの赤い瞳が跳ねた。間に合わない。体の軽さが裏目に出る。踏み替えの瞬間――


 ちりん、と鈴が鳴る。レンがアレクの背中に軽く触れ、半歩分だけ体の軸を“戻した”。小さな身体のバランスが、刃の線からわずかに外れる。石畳に扇状の切り傷が走り、仮面三体がまとめて肩から腰まで紙のように裂けて落ちた。


 黒刃のヴァイスが、仮面の群れの向こうから歩いてくる。鎧の紋が淡く赤く脈打ち、胸部の循環が刃へと“落ちて”いく。


 「対象――確認」


 感情の欠片のない声。だが、昨夜よりも微かに“揺らぎ”が混じっている。それは《濁響鏡》と鈴が鎧の呼吸に刻み込んだ“濁り”か、それとも――


 商人が笛をわずかに傾けた。ヴァイスの足が止まる。鎧の紋が点滅を早め、刃に厚みが出る。命令は短い。


 「二拍で終われ」


 「了解」


 ヴァイスが消えた。次の瞬間、アレクの背後に“線”が走る。踏み替える暇はない。体の軽さが、重さに変わる前に――


 カンッ、と硬質な音。ユウタが投げた《濁響鏡:小》が、アレクの背後に滑り込み、刃の“入り”に半拍の濁りを挿し込んだ。刃が鏡の縁を裂き、金の粉が散る。ユウタの指先がかすかに震えた。読めた。昨夜からの追跡、何度も頭の中で再生した“鎧の呼吸”が、いま、半拍だけ遅れた。


 「今!」


 ミユの叫び。アレクは体を捻り、杖の石突きをヴァイスの胸の紋へと叩き込む。鈍い手応え。鎧の紋様にわずかな歪み。だが、刃は止まらない。二拍目が来る。致命の“落ち”が胸から刃先まで流れる――


 「アレク君!」


 ちりん。ちりん。レンの鈴が二度、短く鳴った。揺らぎが“重さ”に乗る前に、対になる“軽さ”で打ち消す。刃の落下線が微細にずれ、アレクの頬に一本の赤い線を残すに留まる。血の温度。痛み。生の実感が、脚へ火をつける。


 「おおおおおッ!」


 アレクは吠え、ヴァイスの腕の関節を叩く。小さな手首に宿る勇者の経験が、鎧の隙間を選ぶ。打撃は通らない。だが“音”は通る。金属は鳴る。鳴るものは、濁る。《濁響鏡》の前で鈍り、鈴の輪でほどけ、タグの記録で追い詰める。


 「やるな」


 商人が笛を離し、初めて口を使って音を鳴らした。舌の位置が変わる。広場の空気がわずかに“下がる”。人間の声帯でしか作れない“色気”が、音に混じる。恐怖ではない。誘惑だ。足元の石が柔らかく見える。身体が休みたがる。戦いのリズムを“戻したく”なる。


 「――レン!」


 「もうやってる!」


 レンは鈴を胸に当て、自分の心拍と同調させて鳴らした。自分にとって一番“落ち着く”揺れ幅。一番“帰ってきやすい”歩幅。鈴の音が、仲間の鼓動と合流する。ミユがタグを握り直す。カズマが木刀を揚げる。ユウタが鏡の位置を刻む。ジンの《統合鏡》が、五つの鼓動を一本に束ねる。


 商人の色気は、すぐに薄れた。彼は軽く舌打ちし、笛を再び顔の横に掲げる。冷たい楽器。冷たい意志。観客を操り、演者を弄ぶ、指揮者の笑み。


 「やはり、君たちは面白い。だったら――聴かせてくれ。君たちの“主題”を」


 笛が鳴る。ヴァイスが踏み込む。仮面が群れる。第二幕の“主題提示”が、ついに始まった。


 *


 戦いは、音の戦いだった。刃と木刀が打ち合う音は、もはや“結果”でしかない。重要なのは、その一瞬前――空気の薄い波、足裏の鳴り、心臓の間延び。ミユのタグは群れの“揺れやすさ”を可視化し、ユウタの鏡は刃の“入り口”を少しだけ汚し、レンの鈴は仲間の“帰り道”に光を置いた。カズマの木刀は、その全部を信じて重さを預ける。アレクは小さな身体で、全ての“支え”を前へ前へと押し出す。


 「カズマ、右後ろ!」

 「任せろ!」

 「ユウタ、鏡ずらす! 半間上!」

 「完了」

 「ミユ、タグ二七! 鳥居の内側!」

 「いける!」


 短い言葉が、短い音で返ってくる。言葉はすぐ音になる。音はすぐ行動になる。第二幕の広場は、もはや敵の独奏ではない。幾筋もの細い旋律が重なり合い、時にぶつかり、時に和し、前進のための“和声コード”を作っていた。


 「――十分だ」


 商人が笛を伏せた。ひどく楽しそうに、満足げに。


 「今日の舞台はここまでにしよう。譜面は揃った。あとは“合奏”だ」


 その言葉の意味を問いただす前に、広場の仮面たちが同時に崩れた。砂のように、霧のように、黒い粉となって風に散る。ヴァイスが最後の一撃を振り終え、刃を引いた。鎧の赤い脈がひとつ、ふたつ、とゆっくりに変わる。彼の目が、ほんのわずかに揺れた。


 「……」


 アレクは踏み込まない。刃は、二拍目を持たない。商人の合図が切れた“刃”は、ただの“刃”でしかない。斬るための“音”を失った剣は、ただの重い鉄にすぎない。


 「撤収」


 ヴァイスは低く呟き、影に溶けた。膜が破れ、広場に現実の音が戻る。救急のサイレン、人々のざわめき、泣き声、怒声。世界が一気に“うるさく”なる。


 アレクは杖を下ろし、息を吐いた。顔の汗と血が混ざり、制服の袖に赤い筋が延びる。レンの鈴の音が、少し遠くなった。ミユが駆け寄り、彼の頬をタオルで拭う。カズマが天を仰ぎ、ユウタが鏡を回収する。


 「……勝ったわけじゃねぇな」


 アレクの言葉に、誰も反論しなかった。勝利の形をしていない。追い払った。凌いだ。こちらも“鳴る”ことを覚えた。だが、商人は笑っていた。彼にとって、今日は稽古の延長。次は本番の“合奏”だと言った。


 「合奏、って……」


 ミユの声が震える。ジンの《統合鏡》が、工房から静かに応えた。


 『街全体を、もっと深く“楽器”にしてくる。駅前だけじゃない。神社、川、学校、病院――人の集まる場所、音の出る場所、音を“必要”とする場所を全部使う。君たちの“主題”が強くなった分、奴は“編曲”してくる』


 「だったら、こっちも編曲だ」


 アレクが笑った。血の味を噛み締める笑い。弱くない笑い。


 「俺たちの音を、もっとデカく、もっとたくさん、鳴らしてやる」


 レンが鈴を握り直す。ミユがタグの束を胸に抱く。カズマが木刀を肩に担ぐ。ユウタが鏡の表面を布で拭う。ジンが鏡の向こうで、わずかに口角を上げた。


 「帰るぞ。準備は――まだ途中だ」


 アレクは踵を返し、歩き出した。背中は小さい。だが、そこに乗る音は、もう小さくない。


 *


 その夜。廃工場。


 呪具商人は笛を分解し、机に広げた“街の譜面”に新たな線を加えた。線はもう、駅前だけを指していない。神社の裏の森、川沿いの公園、学校の音楽室、病院のリハビリ室。音が必要な場所。音が絶えない場所。音が“人を保つ”場所。


 「合奏は、優しい場所から始めよう。優しさは、とてもよく響く」


 彼の声は柔らかかった。背後でヴァイスが片膝をつき、沈黙している。鎧の紋はまだ、完全には静まっていなかった。微かな濁りが、胸の奥に泡のように残っている。


 「痛むかい」


 問いに、ヴァイスは首を振った。痛みはない。痛みはとっくに捨てた。残っているのは、音だけだ。


 「なら、よく眠りなさい。次は――本当に音楽的だ」


 商人は笛を箱に戻し、蓋を閉じた。夜は深い。街は眠る。だが、どこかで小さな鈴の音が、一度だけ鳴った。


 それは誰の鈴でもなく、誰の心臓でもなく、ただ“この街の音”だった。


 そして――それに呼応するように、水鏡屋の工房で《統合鏡》が、ひときわ静かに光った。鏡面の上、五つの光点が円を描き、ゆっくりと“和音”になった。


 第二幕は終わった。

 第三幕――“合奏”が、迫っている。

 音は、途切れていない。


 だから、戦える。

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