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転生のホムンクルス-最強勇者は魔法が存在する現代日本に転生しました-  作者: エア


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第51話『準備と兆し』

 市民祭の夜が明けて、街は表向きいつも通りの朝を取り戻していた。駅前では清掃車が瓦礫を片付け、商店街の店主たちが破れたテントを畳んでいる。子どもたちが登校する時間帯には、昨日の騒ぎも“ちょっとした事故だった”という薄いベールで覆われ、ニュースでは「原因不明の設備不良」とだけ報じられた。


 けれど、水鏡屋の朝は静かではなかった。


 工房の扉を開けると同時に、澄んだ鈴の音が小さく響く。レンが夜通しで改造した結界鈴だ。昨日の残滓を拾って組み直した符が内部で微かに熱を持ち、外から侵入してくる不浄を吸い上げるたび、鈴はちりんと短く鳴る。


「……鳴った回数、夜明けから五回。昨日よりも“音の根”が深い」


 レンは作業机に頬杖をつき、眠気を押し殺すようにペンを走らせた。薄い紙を重ねたスケッチには、駅前広場から神社、倉庫街へと伸びる赤い線が蜘蛛の巣のように描き込まれている。線の交点には小さく“紐”と“橋”の文字。音で結び、音で揺らす、昨日の敵のやり口が、街全体を楽器の胴のように使う設計図として浮かび上がっていた。


「おはよう」


 扉の向こうからアレクが顔を出す。包帯が頬に白い筋を描き、小さな身体に少し大きめのジャージを着込んでいた。かつての勇者の風格も、寝癖の跳ねた白髪に半分ほど打ち消され、年相応の“少年”がそこにいる。


「おはよう、アレク君。傷、痛まない?」


「へっ、こんなの朝メシ前だ。……いや、朝メシは食うけどな」


 言いながら、アレクは工房の隅に置いた木製の人形に向かい、体を捻って蹴りを入れる。パシン、パシン、と乾いた音が続き、石突きのない訓練用の杖で人形の関節を正確に叩く。小さな足はまだ地面をしっかり掴みきれず、身体の軽さが動きを空転させる瞬間が幾度となく訪れる。それでも彼は止めない。一つ一つの踏み込みに、昨日の悔しさを刻むように。


(届きかけた。あとひと突き。けど、この身体じゃ“あとひと突き”が遠い)


 汗が額から顎へ落ち、床に点々と濃い色を作る。肩で息をしながら振り返ると、レンが驚いたように目を丸くしていた。徹夜明けの目の下に薄い隈を作り、それでも彼を見守る視線は温かい。


「アレク君、朝ごはんできてるよ。お兄ちゃんが……作ってくれた」


「マジか。ジンの料理、当たり外れがでかいからな……」


「聞こえているぞ」


 背後の引き戸が音もなく開き、ジンが姿を見せた。無駄のない黒いシャツ、きっちり結ばれた前掛け、そして眼鏡の奥の眠気を感じさせない眼差し。盛り付けの整ったトーストとスープが盆の上で湯気を立てる。


「食え。栄養が足りん。身体の回復にはたんぱく質と糖が要る。あと水分だ」


「はいはい、師匠」


「呼ぶな」


 短く返しながら、ジンは工房の中央テーブルに街の地図を広げる。昨夜の現場で回収した黒い布片、崩れた札の破片、赤黒い結晶をそれぞれ密封袋から出し、ピンセットで並べる。レンがすぐさまノートを開き、ミユ作の記録帳を横に置いた。


 カスガイ・ミユはそのとき、入口で深呼吸を一つしてから工房に入ってきた。制服ではなく、シンプルなパーカーにジーンズ。胸元のポケットには使い込まれた三色ボールペン。彼女の瞳は昨夜よりもずっと強い光を宿している。


「お邪魔します。昨日のデータ、まとめ直しました。……それと、先生に提出する掃除ボランティアの承認ももらってきたので、午後は学校の方にも入れます」


「助かる。校舎内の残滓も洗いたい。結界を張る前に“音の抜け道”を塞ぐ必要がある」


 ジンが頷くと、ミユは地図に視線を落とし、指先でとんとんと四隅を軽く叩く。


「駅前、神社、倉庫街……ここが“音の節”です。昨夜は三点に偏っていたけど、今朝は薄いけど“第四の微細な節”が動いています。たぶん、川沿い」


「……橋脚の下だな」


 ジンは迷いなく赤ペンで橋の下流側、護岸の影を丸で囲む。


「主の札ではない。だが“誘導笛”だ。人流、風向き、地形の反響を計算して、街の音そのものを“呪具にとって都合のいい鳴り”に変えている」


「笛、か……」


 アレクの脳裏に、異世界の祭祀で使われた骨笛の音がよぎる。獣を集め、毒を混ぜ、敵の陣に不和を撒く、陰気な戦術の記憶。しかしこちらの笛はもっと冷徹だ。人の心に“恐怖の音階”を刻むために設計された、見事すぎる悪意。


「よし。午前中は工房で準備、午後は二班に分かれて探索だ」


 ジンは淡々と告げる。


「俺が結界の核を仕込む。レンは《反響鈴》を三つ。ミユは“音紋タグ”を十。カズマとユウタは人混みでの対影訓練。アレク――お前は」


 「鍛える」


 アレクは言葉を被せ、杖を握り直した。


「この身体で、今できる最大値まで。……そして、倒す」


 短く、熱い言葉。誰も笑わなかった。笑う余裕がないのではない。誰も、その決意を軽んじることができなかったのだ。


 *


 準備は、騒がしく、そして静かに始まった。


 レンは《反響鈴》の中に微細な符を貼り込んでいく。符は髪の毛ほどの細さで、銀糸のような光沢を帯びていた。従来の“封じ”の符に、呪具の残滓から抽出した“逆相”の紋を重ねる。衝突ではなく、打ち消し。敵の音を敵自身で消す仕掛けだ。


「基音は四三〇。蠱惑の節は四三三……ここに二ヘルツの揺らぎを与えて」


 レンは独り言を呟き、鈴の内壁をピンセットで軽く叩いた。ちり、と鳴る音。心臓の鼓動に合ったその響きは、聴く者の不安をほどくように柔らかい。


(これなら……ミユちゃんも、怖くない音で背中を押せる)


 隣の机ではミユが“音紋タグ”を一枚ずつ刷っていた。薄い透明の円盤の中心に、浅く刻まれた螺旋。そこに朱のインクで細い線を落とすと、タグの表面に波紋のような模様が浮き上がる。貼り付けた場所の音の“指紋”を記録し、異常が混じれば鈴と連動して知らせる――街の“耳”だ。


 ミユは作業の合間、ふと顔を上げてアレクの方を見る。彼は工房の一角で、低い台に片足を乗せて踏み込みを繰り返していた。小さな足が床を押し、膝が前に滑り、腰が落ちる。勢いに負けてふらりと体が傾くと、すかさず姿勢を戻して再開する。


(無理してる。昨日、あんなに傷だらけだったのに)


 止めたい衝動が喉まで競り上がる。それを押し戻して、ミユは自分のペン先を強く見つめた。昨日、広場で声を張った自分を思い出す。誰かが震えながらも前に出なければ、街はきっと呑み込まれる。


(私も、前へ)


 カズマとユウタは奥の土間へ移動し、人形相手ではなく“人混みを想定した動き”の練習に移っていた。ユウタが紐で床に四角形を描き、その中に木箱や椅子を無秩序に置く。人の流れ、障害物、視界の遮断――現場の厄介さを、狭い空間に押し込める工夫だ。


「カズマは左斜め後方からの回り込みを潰せ。木刀の最短距離は“一直線”じゃない。曲線で詰めろ」


「わかってるって!」


 カズマは木刀の柄で木箱の角を弾き、空いたスペースにすべり込んで仮面の代わりの丸い板を打つ。勢いだけでは転ぶ配置。勢いだけでは打ち抜けない距離。彼は舌打ちを一度、二度。やがて呼吸がリズムを掴み、木刀の先が紙一重を往復するようになる。


「……いい。次」


 ユウタはそれ以上褒めない。ただ、次のパターンへ移る。彼の脳裏では、昨夜のヴァイスの“呼吸”が何度も再生されていた。鎧の紋様が光る瞬間、刃の起点、足裏の踏み替え。あの“確定動作”に僅かな遅延を差し込める理屈が、まだ霧の向こうにある。


「ジンさん、鎧の紋は連結式ですか。それとも循環式?」


「両方だ。核は循環。腕と脚は連結。胸部から刃に向けて“落とす”設計。落とす前に“響かせれば”滞る」


「響かせる、ですか」


「音だ。敵は音で来る。なら、音で殺す」


 淡々と告げるジンの声に、工房の全員が顔を上げた。彼が新しい鏡板の裏に貼り付けていたのは、微細な金属片を重ねた“板琴”にも似た構造だ。鏡に映ったものの輪郭を振動でわずかに乱し、鎧の循環を“濁す”。突き詰めれば、刃そのものを“鳴りづらく”する仕掛けである。


「名付けて《濁響鏡》。名はどうでもいいが、効く」


「ネーミングセンス、嫌いじゃない」


 アレクが息を整えながら茶化すと、レンとミユが同時に吹き出した。ほんの短い笑い。硬い空気の隙間に差し込んだ温度に、工房全体の肩の力が少しだけ抜ける。


 *


 正午前、短い昼食を挟んで、二班は出発した。


 第一班――アレク、レン、ミユ。目的地は川沿いの橋脚。薄い誘導笛の反応を追い、設置された札を剥がすこと。

 第二班――カズマ、ユウタ。目的地は駅前から神社へ続く参道。人の流れの合間に“音紋タグ”を仕込み、昨夜の余韻が残る場所に《濁響鏡》の小型を立てていく。


 ジンは水鏡屋に残ると言い、工房に籠って結界の核を仕上げる役を担った。表には出さないが、万一のときの“引き網”――全員の位置と鈴の鳴りを一枚の鏡で束ね、最短経路で救援に向かうための作業だ。


「行ってくる」


「気をつけて」


 玄関の敷居をまたぐ直前、アレクはレンと目を合わせた。レンが小さく頷き、鈴を胸に抱く。ミユはタグの束を抱えて「任せて」と言った。小さく、しかし確かな決意が三人の視線に灯る。


 秋風が、暖簾を持ち上げた。


 *


 川沿いの遊歩道は、平日の昼だけあって人影がまばらだった。ジョギングをする中年、ベンチで本を読む学生、遠くで鳩に餌をやる老人。穏やかな風景。けれど耳を澄ませば、言葉にできない“濁り”が風に混ざっている。


「左に回り込み……音、落ちる」


 レンが目を閉じ、《反響鈴》をほんの少し鳴らす。薄い光の層が水面を撫で、コンクリートの継ぎ目に溜まった冷気が露わになる。


「ここだ」


 アレクが橋脚の陰に身を滑り込ませ、手のひらをそっと貼り付けた。冷たい。生き物の背骨に触れるような“嫌な冷たさ”。指先をずらすと、ざらりとした違和感が引っかかる。


「あった。……くそ、同化が上手ぇ」


 薄いプラスチック片のような札が、コンクリートの肌理に合わせて染み込んでいる。ミユが工具を取り出し、札の端を持ち上げようとするが、指先を焦がすほどの抵抗が返ってきた。


「無理に剥がすと“鳴く”。周囲に知らせる仕掛け。……レンさん」


「うん。《反響鈴》、逆相」


 レンが鈴を握り、静かに一つ鳴らす。空気が一瞬だけ柔らかくなったかのように感じられ、札の表面の紋様が滲む。ミユがそのタイミングで極薄の刃で端を削り、透明の袋に滑り込ませる。


 袋の中で札は小さく震え、やがて力を失って沈黙した。


「よし、一本」


「三十本はありそうだな」


 アレクの呟きに、三人は顔を見合わせた。橋脚の列は遠くのカーブまで続いている。一本一本は薄い。だが積もれば川の流れを変える。音もまた同じだ。


(焦るな。一つずつ)


 アレクは自分に言い聞かせ、次の柱へ走った。


 *


 駅前の参道では、カズマとユウタが人の波に紛れながら作業を進めていた。参道の石灯籠の裏にタグを貼り、鳥居の柱に《濁響鏡》の小型を仕込み、ベビーカーを押す母親とすれ違うときは自然な笑顔で会釈する。


「君、祭の後片付けの手伝い?」


「まあ、そんなとこっす。安全第一で」


 軽口。だが目は笑っていない。カズマの指先はいつでも木刀の柄に触れられる位置にあり、ユウタの視線は常に群衆の“流れの乱れ”を探っていた。


 タグが二枚、三枚と反応を返す。ミユの作った“耳”が、参道に混ざる不協を拾い始めていた。


「来るぞ」


 ユウタが短く言う。目の端に映ったのは、白い紙袋を手に歩く青年。紙袋の側面に、見慣れた紋――笑う仮面。


「俺が行く」


 カズマは人波を切らぬよう、斜め前へ歩調を合わせる。青年が携帯に視線を落とし、足を止めた瞬間、カズマも同じ速度で止まり、自然な手つきで紙袋の底を支えた。


 「危ね、落ちますよ」


「あ、すみません」


 笑顔で袋を持ち上げる。指先で底の“厚み”を測る。普通の紙より硬い。内側に札。二重底。


「そこ、強度弱いですよ。テープ重ねた方がいい」


 何でもない会話のふりで、指先の圧を一瞬だけ強める。ちいさな“濁響”が走り、札の連結が一つ外れる。青年は気づかない。ユウタが横からすっとタグを青年のジャケットの裾に貼り付けた。


「よし。尾行は不要。タグで追える」


「このまま流して、まとめて剥がす」


 冷たい作業。けれど、誰かの生活の笑顔を護るための冷たさだ。


 *


 夕方が近づくと、川沿いの風はさらに冷え、光は水面の底に沈んでいった。アレクたちの袋は札で重くなり、指先は痺れ、レンの鈴の音は少しだけ掠れていた。


「あと二つ」


 ミユの声は疲れていたが、芯は折れていない。アレクは大きく息を吸い、橋脚に手を伸ばした。


 ――その瞬間だった。


 背骨の奥で、冷たいものが走った。耳の奥の鼓膜が、見えない指で弾かれたような感覚。風向きも波も変わらない。それなのに、世界の“鳴り”だけが突然、半音だけ落ちる。


「レン、ミユ、下がれ!」


 アレクは叫ぶより早く二人の手首を掴み、橋の陰から飛びのいた。直後、橋脚の継ぎ目から黒い霧が勢いよく噴き、三人がさっきまでいた場所を包み込む。霧は水に触れた途端、蛇のように形を持ち、三つの口を開いた。


「うわっ!」


 アレクは咄嗟に杖を横に払う。霧の蛇が裂け、黒い水滴が地面に降り注いだ。滴がコンクリートを焼く。じゅっ、と白い煙が上がる。


「後退!」


 ミユが叫び、レンが鈴を鳴らす。しかし霧は鈴の音に“慣れて”いるかのように速度を落とさず、むしろ音の隙間を縫うように這ってくる。


(音に対する耐性……! 学習したのか!)


 アレクは奥歯を噛み、体を低くした。正面からは捌ききれない。なら、音の“根”を絶つ。


「レン、右の橋脚の根元! そこに“元”がある、はずだ!」


「わかった!」


 レンが鈴を握り、指先で空をなぞる。鈴が鳴り、見えない線が水面に走る。反響が戻る。二拍遅れ。そこに“穴”。レンはすぐさま走り、穴の縁にタグを貼り付けた。タグが赤く点滅する。ミユが袋から“逆相札”を抜き、レンの手に渡す。


「いける!」


 レンが穴に札を重ねる。札が黒い霧を吸い、じゅうっと焦げる匂いが立った。霧が一瞬だけ薄くなり、蛇の頭が揺らぐ。


「今だ!」


 アレクが踏み込む。小さな足が水の跳ねた床を捉え、杖の先が蛇の目を正確に叩く。ひとつ、ふたつ、みっつ。霧は悲鳴をあげるように散り、冷たい風が残った。


「ふぅ……!」


 肩で息をしながら、アレクは二人の無事を確かめた。レンは頷き、ミユは歯を食いしばって笑みを作る。


「大丈夫。まだ動ける」


「よし、残りを――」


 言い切る前に、ポケットの鈴が震えた。ジンからの合図。緊急だ。続けてカズマからのショートメッセージ。“タグ反応集中。駅前。数十”。


「……釣られた。こっちは囮だ。主力は駅前に」


 アレクの視界が熱を帯びた。足が自然に地面を蹴る。レンとミユが息を合わせ、三人は川沿いを駆け上がる。


 *


 駅前の広場では、人の輪の真ん中で“静寂”が生まれていた。音が吸われる。声が届かない。笑いもすすり泣きも、そこだけは薄い膜の向こうに押し出される。


 膜の中心に佇むのは、黒いローブの男――呪具商人。手には笛のような長い管。口をつけず、それでも管は鳴る。空気が管の周囲で歪み、街全体の“鳴り”を一点に集めていく。


「ご機嫌よう。小さな英雄」


 男が顔を上げた瞬間、三人の足が止まった。遠くから、カズマとユウタが人混みを掻き分けて走ってくるのが見える。


「間に合った……!」


 ミユが安堵の声を漏らした直後、商人は穏やかに管を傾けた。広場の石畳が胎動のように盛り上がり、仮面をかぶった影が二十、三十と芽吹く。昨日のものよりも濃い、より“人の形”に近い輪郭。


「試しは終わった。今度は――序曲だよ」


 柔らかな声。けれど残酷だ。


 アレクは答えない。杖を握り直し、赤い瞳を男に向けた。小さな英雄の背中に、レンが鈴を当てて息を合わせ、ミユがタグを片手に立ち位置を調整する。カズマの木刀が光り、ユウタの目が群れの軌跡を読み解く。


 ジンの鏡は遠く工房で静かに震え、五つの光点を結ぶ。


 音が、風が、街が――戦いの準備を整える。


「第二幕、はじめようか」


 商人が口角を上げた。笛が鳴る。地が鳴る。心臓が鳴る。


 アレクは前に出た。


「上等だ。――全部、叩き潰す!」


 その叫びが、膜の内側で鮮やかに響いた。


 *


 戦いは再び始まる。

 だが、今度は昨日とは違う。

 各々の手に“音”という武器がある。

 昨日よりも少し強い、昨日よりも少し速い、昨日よりも少し賢い“自分たち”が、ここにいる。


 そして遠く、別の場所で――黒刃のヴァイスは、主の笛に合わせてゆっくりと歩みを始めていた。鎧の紋が赤く点滅する。胸の奥で、かすかな“人”の鼓動がまだ消えずにいることを、誰も知らない。


 夜は深くなる。

 市民祭は一日限りで幕を閉じたはずなのに、街は今、別の祭り――戦いの祭りの最中にある。


 鳴るのは太鼓ではない。刃と鈴と、勇気の音だ。

 その音が途切れない限り、彼らは前へ進む。


 アレックス・ホークは杖を握り、息を吸った。

 小さな器。大きな魂。

 “元の身体に戻る”という目標は遠い。だが、そこへ至る道は、一本しかない。


 ――守り、戦い、勝つ。

 その積み重ねだけが、彼に許された“戻る”の手段だった。


 そして、戻るべき“場所”が、この街の中に少しずつ増えていることを、彼はようやく自覚しはじめていた。レンの鈴の音。ミユのタグの筆音。カズマの笑い声。ユウタの短い相槌。ジンの、厳しくも確かな視線。


 それら全てが、彼の背中を押す“音”になっている。


「行くぞ――!」


 声が、夜へ跳ねた。

 第二幕の幕が、音もなく上がった。

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