第50話『戦いの残響』
夜空に上がった花火の残光が消えていく頃、広場は一面の静寂に包まれていた。
先ほどまで太鼓の音と歓声に満ちていた祭りは、いまや恐怖と混乱の残り香しか残していない。
櫓は半壊し、屋台は倒れ、石畳には無数の裂け目が走っている。
人々は広場の端に避難させられ、すすり泣きとざわめきが絶え間なく続いていた。
その中心で、アレクは荒い息を吐きながら地面に膝をついていた。
小さな体のあちこちに切り傷や打撲が浮かび上がり、制服は泥と血に汚れている。
「アレク君!」
レンが慌てて駆け寄り、彼を抱き起こした。
温かい血が手に滲む。レンの胸は締め付けられるように痛んだ。
「おい、しっかりしろ! 意識はあるのか!?」
カズマが声を張り上げる。
「……へへ、うるせぇな。これくらいで倒れるかよ」
アレクは口元を吊り上げたが、その笑みは苦しげだった。
「無理するな」ユウタが冷静に言う。「敵は退いた。いま必要なのは休養だ」
アレクは悔しそうに唇を噛み、俯いた。
「……わかってる。けど、あと少しで届いたんだ。絶対に斬れたはずなのに……!」
拳を握りしめるその瞳には、まだ炎が宿っていた。
*
そのやり取りを見守っていたジンは、眼鏡を押し上げながら現場を歩き回っていた。
石畳の裂け目を膝をついて調べ、指先で黒い残滓をすくい取る。
「やはり……呪具由来の残滓だ」
低い声が夜気に落ちる。
レンが振り返った。「お兄ちゃん……あのヴァイスって、やっぱり呪具なの?」
「半分は、だ」ジンの瞳が冷たく光る。「人間の肉体を核に、呪具の鎧で縛り、心を消し去った存在……“刃の従者”だ。あれはもう、普通の人間ではない」
ミユの顔が青ざめる。「じゃあ……救うことは」
「できない」ジンはきっぱりと言い切った。「存在そのものが呪いの産物だ。破壊する以外に道はない」
その言葉に、レンは唇を噛んだ。
アレクは、ただ黙って拳を強く握りしめていた。
*
市民たちが次々と広場の外へ誘導される。
泣きじゃくる子どもを抱えた母親、顔面蒼白の老人、屋台を守ろうとして負傷した若者。
彼らの目に映るのは、瓦礫と炎の残り香。
「祭りが……」
「さっきの影は何だったんだ……?」
「もうこの街は安全じゃないのかもしれん」
そんな声があちこちから漏れ、群衆に不安が広がっていった。
ミユは耐え切れず声を上げた。
「大丈夫! アレク君が戦って、追い払ったの! だから、安心して!」
その必死の叫びに、一瞬、人々の目が彼女に向いた。
だが不安の炎は完全には消えない。
「……子どもが? 本当に?」
「いや、見間違いだろう」
「でも確かに……影が斬られて消えた……」
ざわめきは収まらず、むしろ疑念と恐怖が複雑に混じり合っていった。
*
やがて広場に静けさが戻ったころ、ジンが仲間たちを集めた。
彼の表情はいつにも増して険しい。
「奴は退いた。しかし――これは終わりではない」
アレクが睨む。「また来るってことか」
「来るどころか、次はさらに強大な力を伴うだろう」
ジンの言葉は冷酷だった。
「今日の襲撃は“試し”。奴らは我々の力を測っただけに過ぎない。本命は……まだこれからだ」
沈黙が落ちる。
誰もが予感していたことだが、改めて突きつけられると背筋が凍る思いがした。
「じゃあ……どうすれば」レンの声が震える。
ジンは妹を見据え、そして全員を見渡した。
「選択肢は二つ。戦うか、逃げるかだ」
その言葉に、アレクは即座に立ち上がった。
「逃げるなんてあり得ねぇ! 俺は絶対に戦う!」
声は小さな身体からは想像できないほど力強かった。
「俺は勇者だ。元の体を取り戻すためにも、この世界を守るためにも――絶対に立ち向かう!」
カズマがにやりと笑う。「へっ、言うじゃねぇか。まぁ俺も同じだ。逃げるなんて性に合わねぇ」
ユウタは冷静に頷いた。「合理的に見ても、敵は執拗だ。逃げても必ず追ってくる。ならば、迎え撃つのが正解だ」
ミユも胸に手を当てた。「……私も。怖いけど……でも、もう目を逸らしたくない。アレク君が戦ってるのに、私だけ逃げるなんてできない」
レンも強く頷く。「私だって同じ。アレク君を守るために、この手でできることをやる!」
五人の瞳が一つの方向を向く。
その光景を、ジンはしばらく黙って見ていた。
やがて彼は、ほんの少しだけ眼差しを和らげて言った。
「……いいだろう。ならば戦う準備を整える。だが覚悟しろ。次は命の保証はない」
全員の喉がごくりと鳴った。
しかし誰一人、視線を逸らす者はいなかった。
*
夜更け。
水鏡屋に戻った一行は、それぞれの思いを胸に作業を始めた。
レンは机に向かい、新しい呪具対策の研究ノートを開いた。
震える指先を必死に押さえながら、アレクの赤い瞳を思い浮かべる。
ミユは札の写本を並べ、異常な反応を記録していく。
「……ヴァイスの鎧、やっぱり札の連結式だ。もし中枢を壊せれば――」
カズマは木刀を磨き、ユウタは古文書を広げていた。
「次は一撃でぶっ壊してやる」
「それには理論が必要だ。力任せでは限界がある」
そしてアレクは、静かに拳を握りしめた。
(必ず……必ず倒す。俺の仲間を、街を、誰一人傷つけさせない!)
窓の外、秋風が提灯の残り火を揺らした。
市民祭の夜は終わった。
だが――戦いの幕は、まだ上がったばかりだった。




